扇子と手拭い

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大事な「つくも寄席」

2014-03-23 01:46:50 | 日記
▼「満室」の表示に力む
 早いもので「つくも寄席」も今回で8回目を迎えた。いつものように昼席、夜席の二部構成。3人で計8席を披露した。春分の日の21日は土曜日を挟んだ3連休の初日とあって、ホテルの入り口には「満室」の表示があった。この日の泊り客は96室でざっと300人と聞き、肩に少し力が入った。

 東京駅前から私たちの宿、サンライズ九十九里まで普段はバスで1時間半だが、この日は行き帰りとも2時間かかった。東京周辺の高速道路が、行楽の車でごった返していたのである。

▼快諾はサンライズのみ
 バスは30分遅れでサンライズ正面に到着。いつものように支配人が出迎えてくれた。支配人との付き合いも4年になる。20カ所を超えるホテル、旅館に無料落語会を売り込み、快諾してくれたのはサンライズただ1か所だった。

 落語の稽古を付けてもらった桂文治(当時、平治)師匠が、「落語上達の早道は、高座に上がること」と言った。そう言われても、名もない者に出演依頼など来るわけがない。

▼至れり尽くせりの協力
 「来ないなら、こちらから売り込むしかない」と、片っ端から伊豆や箱根、房総のホテル、旅館に電話攻勢をかけた。1か所に1時間以上かけて説明に努めた。そこで出会ったのがサンライズの支配人だった。「分かりました。ウチでやってください」。「つくも寄席」の誕生である。

 1泊2日のホテル代を払っただけの私たちに、支配人は立派なカンファレンスルームを無料で提供してくれた。その後、高座用の座布団、金屏風まで用意してくれた。ポスターや掲示用の案内も整えてくれた。至れり尽くせりの協力に感謝するのみだ。そんなことから、「つくも寄席」には格別な思い入れがある。

▼豪華な食事に満腹
 昼席は家族連れが多かったので急きょ、演目を変更。あたくしが「時そば」で開口一番を務めた。次いでAが「親の顔」を、Bが「太鼓腹」。あたくしの「宿屋の富」でひとまず幕を閉じた。夕食は午後6時からホテル2階のレストランでとった。

 貝のこのわたの「先付け」に始まり、マグロ、カンパチ、甘エビの「造り」、「焼肴」、「紙鍋」、ローストポーク、ぶぐ天揚げなど「天ぷら盛り合わせ」と次から次へと続いた。断っておくが、われわれだけが特別なのではない。

 周りの家族連れやグループ客も「荒波コース」はみんな同じ料理である。マグロの刺身は厚さ約1・5センチ。料理が“売り”というだけあって、流石である。3人とも食べきれず、申し訳ないが残してしまった。

▼盛り上がった打ち上げ
 夜席はあたくしが「粗忽長屋」を、Aが「初音の鼓」、そしてBが「うどん屋」を披露。最後にあたくしの「蛙茶番」でお開きとなった。時計の針は午後9時18分を指していた。小さな子供連れは早めに帰ったが、大人の客は最後まで熱心に聴いてくれた。

 夕食では夜席があるので飲まなかった。部屋に戻り、自動販売機の缶ビールで細やかな打ち上げをした。話が盛り上がり、3人が床に就いたのは午前1時を過ぎていた。