湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

散文詩

2015-06-17 00:00:59 | 
↓葉山町立図書館にかけられた燕の巣。写真ではほんの少ししか見えてないけれど雛のポワポワした灰色の羽毛がそれはもう可愛かったです

短い語句ですぐに改行せず、散文のように文を続けて書く散文詩。詩と散文という違うものを組み合わせて意味をなしている――ということは、これって前回の合評会で話に出たオクシモロン(対義結合、撞着法)! ちなみにその時オクシモロンの具体例として挙げたのは「公然の秘密」です。
読むからに詩だと思えるものからどう見ても随筆というものまで、散文詩といってもいろいろです。
最初エッセイとして発表したのだけれど、寺山修司記念館の館長・佐々木英明がツイッターで、
――亜綺羅さん、あれ、詩だよ
とつぶやいてくれたので、詩になりました。 (秋亜綺羅「ひよこの空想力飛行ゲーム」あとがきより)

と、発表後に随筆から散文詩になったものもある訳です。
随筆っぽくても詩人が書けば散文詩だという定義も成り立つなぁと思えたのが、下記に引用する以倉紘平「身を逆さに」でした。
 志賀直哉の短編を読んでいたら虻の描写にぶつかった。孫娘に届けてやろうと、朝顔を摘んで上向けに持ちながら坂道を下ってくると、一匹の虻が顔のまわりを煩く飛びまわった。立ち止まると、人間には無関心に〈身を逆さに花の芯に深く入って蜜を吸い始めた。〉〈丸味のある虎斑の尻の先が息でもするように動いている〉とある。僕は教科書から脱線して、生徒たちに『田舎の日曜日』という映画の話がしたくなった。
 パリ郊外に、妻を亡くした孤独な老画家が住んでいる。一九一〇年代だったか。日曜日になると、長男夫婦が二人の孫を連れてやってきます。その一日を描いているのですが、生き物の声によって、田舎の豊かな自然を演出した映画でもあります。駅へ迎えに行っての帰り道、まず牛が鳴く。それから鶏の声がします。古びた塀ぎわの小道を通ると、虫の羽音がする。たぶん虻でしょう。威勢のいい音です。色づき始めた樹木に囲まれた広い屋敷。台所で家政婦が着いたばかりの孫娘にタルトの切り方を教えます。窓の外で家鴨が鳴く。広い庭の水辺にいるんですね。
 昼食の時間。レモンの滲みたローストチキンを食べていると、ヴァイオリンの音色のようにつやのある蜂のとぶ音がする。〈小さな蜂がお前たちを狙わないよ〉おじいちゃんが都会育ちの子供たちを安心させます。食事が済むと、子供たちが一斉に庭にとびだす。屋根のあたり蜂の羽音が聞こえてくる。大人も外に出て、椅子に凭れてりんぼく酒を飲みます。旋回する虫の羽音。野太い〈ブ〉の音がよぎっていく。台所では、休息をとっている家政婦が目で追いながら〈いやなハエねえ〉とつぶやいています。静かな昼下がり、なべて世は何事もなし。たえず聞こえているのは小鳥の声。チチチチ、ピチリ、ピチュリ、ピチリ、ピッピッピッピーだとか、ピイチクリ、ピチュリ、ピチュリ、ルルルル、チッチッチッだとか、お昼寝の間も鳴き続けています。空から降ってくる感じです。
 お茶の時間。テラスにいると、家鴨の声が聞こえる。魚と水を丸呑みしたみたいに、グェグェグェだとか、クウヮクウヮクウヮだとか。子供たちを残して、河畔のカフェで村人たちとダンスを楽しむ若夫婦はルノワールの絵の再現のようでした。青い空、白い雲、川の流れ、黄葉、花、色彩の乱舞。実は、老人に年頃の愛娘がいて、恋人との間がうまくいっていません。久しぶりに都会から帰ってきても、こっそり電話をかけています。彼氏のことが気になるのか、夕食もしないで帰って行きます。心配そうな父親の顔。
やがて、虫の羽音も家畜の声も止む。小鳥の囀りも殆ど聞こえてきません。21時13分発、パリ行き最終列車が出て行く。孫たちを見送って、ひとりになった主人公が家路を辿ります。薄ら明るい鉄路。孤独、寂寥。
人間も生物も〈身を逆さに〉世界の蜜を吸って、自分のいのちを懸命に生きている、そんな感じの良い映画でしたよ。淀川長治さんはビター・スウィートな映画と言ってました。           
 ※志賀直哉「朝顔」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« こけの一念 | トップ | プレバト!! 紫陽花と白日夢 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事