中村明「日本語の勘」を読んでいたらこんな一節が。
三木卓さんの『ほろびた国の旅』という時間を旅する小説には、「子どものありぐらいのちいさな声」という表現が使われている。「象のように大きい」という言い方に対し、その反対の意味を表す「蟻のように小さい」という言い方がよく使われる。ここも「小さい」という意味合いで「蟻」が使われた例だが、これは「蟻」のイメージが、形の大きさではなく、声の大きさを喩えるのに導入されたことに注目したい。生まれてこの方、蟻の声というものを一度も聞いたことのない読者も、なんとなく納得してしまう比喩だろう。
子どものありぐらいのちいさな声
それだけで小さいものの提喩である「あり」に、更なる小ささを強調する「子どもの」を加えています。
直喩の「ぐらいの」で分かりやすい比喩に見せているのですが、通常視覚的なサイズの喩であるはずの「子どものあり」を聴覚的ボリュームの喩に変換。共感覚法も使っているのです。
スーッと通り過ぎてしまいそうだけれど、よく考えるとレトリック満載の複雑な比喩ですよね。