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癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(グル・バクティの厳しい試練)

2011-10-09 | シルディ・サイババ

今度はババが2つ目のコレラ条例にどう対処したのか見てみよう。条例が施行されている間、誰かが羊をマスジッドに持ち込んだ。羊は弱っていて、年老いて、今にも死にそうだった。この時、マレガオンのファーキル・ピール・モハンマド別名バデ・ババが近くにいた。サイババは彼に羊の首を切り落として、供物として捧げるように言った。

 

サイババはバデ・ババを非常に尊敬していた。彼は常にサイババの右側に座った。彼が最初にチルム(パイプ)を吸って、それからババやその他の者に回された。正午の昼食の際、食事が配られると、ババはバデ・ババを呼んで彼の左側に座らせてから、皆で食事を始めた。

 

ババは集めたダクシナの中から毎日彼に50ルピーを払っていた。ババは彼がマスジッドから出て行くときは、いつもどこへでも同行していた。彼はババに対してそのような立場にあった。だがババが彼に羊の首を切り落とすように求めたとき、彼はきっぱりと断ってこう言った。

 

「なぜ無駄に殺さなくてはならないのですか?」するとババはシャマに殺すように言った。彼はラーダクリシュナマイのところへ行って、彼女から短刀を借り、ババの前に戻ってきた。短刀を何に使うのかを知った彼女は、短刀を取り返してしまった。

 

そこでシャマは別の短刀を手に入れたが、ワダに留まったまま、なかなか帰ろうとしなかった。そこで今後はカカサヘブ・ディクシットの番であった。彼はババに露ほども疑いを抱いていなかったが、テストに掛けられた。

 

ババは彼に短刀を持ってきて羊を殺すよう要求した。彼はサテのワダへ行って、短刀を持って戻ってきた。彼はババの命令で羊を殺す覚悟ができていた。彼は純粋なブラーミンの家族に生まれ、これまで人生で殺戮を経験したことがなかった。どのような暴力行為にも反対であったが、それでも彼は羊を殺そうと自分を奮い立たせていた。

 

人々は、イスラム教徒のバデ・ババがを嫌がっているのに対し、ブラーミンがその準備をしている様子を驚きを持って眺めていた。彼はドタールをきつく縛り、短刀を半円形状に振りかざして、最後の合図を待つかのようにババを見た。

 

ババは言った。「何をためらっているのかね?やれ、叩き落とすんだ!」そして彼の腕が振り下ろされようとしたとき、ババが言った。「止めなさい、君はなんて残酷なんだ!ブラーミンでありながら、羊を殺そうというのかね?」カカサヘブはこれに従って短刀を降ろして、ババに言った。

 

「あなたの言葉は私たちにとっては法律です。私たちには他に法令はありません。私たちはいつもあなたを思い浮かべ、あなたの姿に瞑想し、夜も昼もあなたに従います。私たちは殺すことが良いか悪いかなど考えもしなければ知りもしませんし、物事を論理的に考えたり論じたりもしません。ただグルの命令には盲目的にすみやかに従う、それが私たちの義務でありダルマなのです」

 

  それからババはカカサヘブに、いけにえを捧げたり殺したりといったことは彼自身の仕事だと言った。羊はタキヤと呼ばれる場所の近くで処分されることが決まっており、そこにはファーキルが同席することになっていた。そこで羊はその場所へ連れて行かれたが、その道中で死んだ。

 

  ヘマドパントは弟子の類別をして本章を締めくくっている。彼によれば、弟子には3種類あるという。(1)一番すなわち最高、(2)二番すなわち平均的、(3)三番すなわち普通。最高の弟子というのは、グルが何を望んでいるかを推測し、命令を待たずして即座に実行して彼に仕える者である。平均的な弟子というのは、マスターの命令を文字通り遅滞なく実行する者である。三番目の弟子は、命令を実行するのを後回しにして、いつも過ちを犯す者である。

 

  弟子は知性に裏打ちされた強い信仰を持つべきであり、これに忍耐が加われば、彼らの霊的な終着点は遠くないだろう。吸ったりはいたりする息の制御や、ハタヨガもしくはその他の難しい行の実践は全く必要ない。

 

弟子は前述したような資質を持っていれば、彼らはその先の指示に従う準備が出来ているので、マスターが現れて彼らを霊性の完成に導いてくれるのである。

 

  次章では、ババの興味深い機知やユーモアについて述べる。

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 

 


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シルディ・サイババ(コレラの流行)

2011-10-09 | シルディ・サイババ

ある時シルディでコレラが猛威を振るったことがあった。住民は皆恐れ、外部の人たちと接触するのをやめてしまった。村のパンチ(5人の頭)が集まって、感染の確認と伝染の沈静化のために2つの条例を定めることにした。(1)燃料の荷車は村に入れてはならない、(2)羊はしてはならない。これらの条例に違反した者は、村の当局やパンチに罰金を課されるということになった。

 

ババはこれがただの迷信であることを知っていたので、コレラ条例のことを心配していた。条例が施行された後、燃料の荷車がやってきて村に入ろうとした。皆、村では燃料が不足していることを知っていたが、それでも燃料の荷車を追い出し始めた。ババがこのことを知ると、彼はその場に行き、荷車の駆り手にマスジッドへ燃料の荷車を持ってくるように頼んだ。誰もババのこの行動に敢えて反対しようとはしなかった。

 

彼はドゥーニの燃料を欲しがっていて、それを買い付けた。聖なる5つの火を燃やし続けるアグニホトリ1のようにババは生涯を通して昼も夜もドゥーニを燃やし続けていて、そのために彼は常に燃料を貯蔵していた。ババの家、つまりマスジッドは誰にでも自由に解放されていた。鍵も錠もかけられておらず、貧しい人々は自分たちが使うためにそこから薪を持って行った。ババはそのことで文句を言うことはなかった。ババは全宇宙には全能者が充満していることを知っていたので、彼が誰かに敵意や悪意を持つことなどなかった。完全な無執着を通して、彼は普通の家長のように振る舞い、人々に手本を示したのであった。

 

1.アグニホトリ:火を崇める者

 


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シルディ・サイババ(蛇の噛み傷から治癒したシャマ)

2011-10-09 | シルディ・サイババ

ヘマドパントは話を始める前に、ジヴァはオウムとうまい具合に比較することができると言った。片方は肉体に、もう片方はカゴに、どちらも束縛されている。どちらも現在の束縛された状態が自分たちにとって良いことであると思っている。グルのような救済者がやってきて、神の恩寵で彼らの目を開き、束縛から自由にしてくれたときにのみ、縛られ限られた無の人生に比べて、より大きくて偉大な人生に彼らの目は開かれるのである。

 

  前章では、ババがミルカール氏に降りかかろうとしていた災難を見抜いて先に手を打ち彼を救った時のことについて述べた。今回は読者により興味深い物語を聴いていただこう。ある時シャマが毒蛇に噛まれたことがあった。彼の小指が噛まれ、毒は体中に広がっていった。痛みもひどくなり、シャマは自分はもうじき死ぬのだと思った。彼の友人はこのような場合に患者がしばしば連れて行かれるヴィットバ神のところへ彼を連れて行こうとしたが、シャマはマスジッドの彼のヴィットバ(サイババ)のところへ走っていった。

 

ババは彼を見ると、叱責しののしり始めた。彼は興奮して言った。「ああ、下劣なバトゥルダ()よ、登ってくるな。来るなら注意するがいい!」それから更に大声で叫んだ。「行け、あっちへ行け、降りなさい!」憤怒で真っ赤になったババを見たシャマは大変困惑して、失望した。彼はマスジッドは自分の家でババは彼の唯一の避難所だと思っていたのだが、こんな風に追い出されたら彼は一体どこへ行けばよいのだろう?彼は生きる希望を失くして黙ってしまった。

 

しばらくするとババは通常の穏やかな状態に戻り、シャマは行って彼のそばに座った。するとババは彼に言った。「怖がらなくていい。何も気にしなくていいよ。慈悲深いファーキルは君を助けるから、家で静かに座っていなさい。外に出てはいけないよ。私を信じて恐れずに、心配せずにいなさい」そこで彼は家に帰った。

 

それから間もなく、ババはタティヤ・パティルとカカサヘブ・ディクシットを彼の元にやり、彼は好きな物を食べて家の中を動き回り、横になったり眠ったりしてはいけないという指示を与えた。言うまでもなくこの指示は守られ、シャマは短い間に全快した。

 

この出来事の中でただ一つ言えることは、ババの言葉(5音節のマントラ、すなわち’Go, Get away, Come down’(行け、あっちへ行け、降りなさい)はシャマに向けられたものではなく、蛇とその毒に対する、上がってくるな、シャマの身体の中を巡るなという直接の命令だったということだ。マントラシャーストラによく精通している人々のように、何かの呪文や念を込めた米や水などといったものは使う必要がなく、ババの言葉だけでシャマの命を救うには充分に効果があったのだった。

 

  こうした話を聞いた人は誰でも、サイババの御足に確固たる信仰を持つ。マーヤの大海を越えていく唯一の方法は心の中にババの御足を思い浮かべることなのである。

 


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シルディ・サイババ(ヨガと玉ねぎ)

2011-10-09 | シルディ・サイババ

ある時ヨガのサダックがナナサヘブ・チャンドルカールと共にシルディにやってきた。彼はパタンジャリのヨガ・スートラを含むヨガのあらゆる行を学んでいたが、実際の体験はなかった。

 

彼は心を集中することができず、ほんの短い間でさえもサマディを体験することはできなかった。彼は、もしもサイババの意に添えば、彼に長い間サマディを体験する方法を示してもらえるだろうと考えた。

 

この目的のために彼はシルディに来て、マスジッドへ行くと、サイババが玉ねぎをはさんだチャパティを食べているのを見た。これを見て彼の心には次のような考えが浮かんだ。「どうしてこの人は腐りかけたパンに生の玉ねぎをはさんで食べているのだろう?理由を知りたい、どうしてだ?」サイババは彼の心を読んでナナサヘブに言った。

 

「ナナ、玉ねぎは消化力のある人しか食べてはいけないよ」これを聴いたヨギは驚いて、ババの足元に完全に全てを投げ出しひれ伏した。純粋に開ききった心で、彼は自分の問題について話し、ババは解決方法を示してくれた。彼は満足し幸せな気持ちで、ババのウディと祝福を戴いてシルディを後にした。

 

 


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シルディ・サイババ(第二十三章 前置き)

2011-10-09 | シルディ・サイババ

実際には、ジヴァ(人間の魂)3つの性質、すなわちサットヴァ、ラジャス、タマスを超越している。しかしマーヤに惑わされているので、人は自分の本質が純粋な意識、知識、至福であるということや、自分が行為者であることを忘れて、終わりのない苦悩の中に自らを巻き込んで、解脱への道を見失っている。解脱への唯一の道はグルの御足に向かって愛深い信仰を捧げることである。偉大な俳優である主サイはバクタたちを喜ばせて、彼らを彼自身(主の本質)の中へ変容させてしまうのだ。

 

  私たちは既に述べてきたような理由でサイババを神の化身と見ているが、彼自身は常に自分は神の従順な僕であると言っていた。神の化身として彼は、人々が満足のいくように振る舞ったり、この人生のそれぞれの階級(ヴァルナ)の義務を果たす方法を示した。彼は決して他人と張り合うことはなく、自分のために何かをしてくれと他人に頼むこともなかった。この世の動くもの、不動のものの全ての中に神を見ていた彼にとって、謙遜が徳であった。彼が誰のことも無視せず、軽視しなかったのは、万物の中にナラヤーナ()を見ていたからであり、彼は決して「私は神だ」と言ったりはしなかった。彼は自分のことをつつましやかな僕であると言い、常に主を思い、アッラー・マリク(神は唯一の所有者である)と口にしていた。

 

  私たちは様々な聖者たちが、どのように振る舞い、何をするのかを知らない。私たちはただ、神の恩寵により無知で束縛された魂を解放するために、彼らが自分たちをこの世に顕現させているということだけを知っている。もしも私たちの口座に功徳の貯金があるとしたら、私たちが望むのは聖者の話やリーラについて聴きたいということだけであり、他のことは欲しない。さてそれでは本章の主題に入るとしよう。

 

 


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