癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(全ての生き物に浸透するババ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

  このラクシュミバイ・シンドは善良で裕福な女性だった。彼女は昼も夜もマスジッドに仕えていた。バガット・ムハルサパティとタティヤとラクシュミバイを除いては、誰も夜にマスジッドに立ち入ることは許されなかった。ある夜、ババがマスジッドでタティヤと座っていると、ラクシュミバイがやってきてババに敬礼をした。

 

ババは彼女に言った。「おお、ラクシュミ、私はとてもお腹が減った」これを聞くと彼女は、「ババ、少し待って下さい。すぐにパンを持って戻ってきますからね」と言って出て行った。彼女はパンと野菜を持って戻ってきて、ババの前に置いた。彼はそれを手にとって犬にやった。ラクシュミバイは尋ねた。

 

「これはどういうことですか、ババ。私はあなたのために急いでパンを用意して戻ってきたのに、あなたは一口も食べずに犬にやってしまった。そんな無駄なことで私の手を煩わせるなんて」ババは答えた。「お前はなぜ何でもないことで悲しむのかね?犬の空腹を満たすことは、私の腹を満たすのと同じことなのだよ。

 

犬は魂を持っている。別々の生き物だとしても、喋るか喋らないかだけで、空腹を感じるのはどれも同じだ。空腹な者に食べ物を与えるのは、私に食べ物を与えることだと知りなさい。これは真実なのだよ」これは何気ない出来事だったが、ババは偉大な霊的な真実を示したのであり、他者の感情を傷つけることなく毎日を送る上で実際に応用できる事柄を示したのだった。

 

これ以降、ラクシュミバイは愛と信仰を持って毎日ババにパンとミルクを差し出すようになった。ババはそれを受け取り、感謝しながら食べた。彼はこの機会を利用して、ラクシュミバイを通して、いつもババの食べ残しのプラサドを食べているラーダクリシュナマイにも思い出させたのだった。このパンの話は余談ととらえるべきではなく、いかにサイババが全ての生き物に浸透していて、それを超越しているかを示すものである。彼は遍在しており、誕生もなく、死もなく、不滅の存在である。

 

  ババはラクシュミバイの奉仕を覚えていた。どうして彼が彼女を忘れることができようか?肉体を去る直前、ババはポケットに手を入れて、彼女に5ルピーを渡し、それからさらに4ルピーを渡し、合計で9ルピーを渡した。この9という数字は21章で述べた9つの種類の信仰1を暗示している。あるいはシーモランガンの時期に捧げられたダクシナだったかもしれない。ラクシュミバイは裕福な女性だったので、お金は必要なかった。ババは、良い弟子の9つの性質について彼女に知らせたかったのではないだろうか。9つの性質は、バグワットの11Skandha10章の6つ目の詩篇の中に描かれており、一番目の二行連句の中で最初の5つが、二番目の二行連句の中で次の4つが述べられている。ババのこの9つの贈り物を、彼女は一生忘れなかった。

 

  よくよく注意して意識的に見てみると、ババは人払いをするよう命じていた。カカサヘブ・ディクシットとバプサヘブ・ブティらはババのことを案じてマスジッドで待っていたが、ババは彼らにワダに行って、食事をしてから戻ってくるように言った。彼らはババの前から離れることもできず、かといって彼の命令に背くこともできなかった。そこで彼らは重い心と重い足取りを引きずってワダに向かった。彼らは、ババの状態は非常に悪く、ババの元を離れてはならないことを知っていた。

 

彼らは食事の席についたが、心はババの元にあった。彼らが食事を終える前に、ババが肉体を捨てようとしているという知らせがやってきた。彼らは食事を残したまま、マスジッドに走っていくと、ババはバヤジの膝の上に横になって休んでいた。ババは床に倒れたのでもなく、ベッドに寝ているのでもなかった。座席に静かに座って、自ら肉体を出て行ったのだった。聖者は一定の使命を持って自らをこの世に顕現させる。そして使命が終わると、彼らはやってきたときと同じように、静かにたやすくこの世を去るのである。

1.これら9種類の信仰は主ラーマがシャバリに教えたもの。

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


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シルディ・サイババ(ラクシュミバイへの慈愛)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ヴィジャヤダシュミ(ダサラ)はヒンドゥー教では、最も吉兆の時期とされており、ババは境界線を越えるのにこのふさわしい時期を選んだのだった。彼はこの数日前病に苦しんでいたが、内側では常に目覚めていた。最後の瞬間の寸前に、彼は誰の助けも借りずに立ち上がり、良くなったかのように見えた。人々は、危機は去り彼は回復するのだと思った。ババは自分がすぐになくなることを知っていたので、ラクシュミバイ・シンドに慈愛のしるしとしていくらかの金を与えたかったのだ。


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シルディ・サイババ(ラムチャンドラ・ダダ・パティルとタティヤ・コテ・パティルの死を防ぐ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  このしばらく後、ラムチャンドラ・パティルは重篤な病気になった。彼はひどく苦しんだ。あらゆる治療を試みたが回復せず、人生に絶望して最後の時を待っていた。そんなある日の真夜中、ババが突然彼の枕元に立った。パティルはババの足を掴んで言った。「私は全ての望みを失いました。どうか私がいつ死ぬことになるのかはっきりと教えて下さい」慈悲深いババは言った。

 

「心配するな。君の死への召喚状は取り下げられたから、じきに良くなるだろう。だが私はタティヤ・パティルを心配している。彼は釈迦歴1840(紀元1918)のヴィジャヤダシャミの日に亡くなるだろう。このことは彼にも他の誰にも漏らしてはいけないよ。彼はひどく恐れるだろうから」ラムチャンドラ・ダダは回復したが、タティヤのことを心配していた。

彼は、タティヤが2年以内に死ぬという、ババの言葉は変えられないことを知っていたからだ。彼は秘密を守り誰にも言わなかったが、バラ・シンピ(仕立屋)にだけは話していた。彼ら二人だけ - ラムチャンドラ・ダダとバラ・シンピは、タティヤの命について恐れと不安を抱いていた。

 

  ラムチャンドラ・ダダはすぐにベッドから起き上がり、自分の足で立てるようになった。時は矢のように過ぎた。釈迦歴1840(1918)のバドラパド(月の暦で6の月。8-9)の月が終わり、アシュウィン(月の暦で7の月。9-10)が始まろうとしていた。ババの言葉通り、タティヤは倒れ寝たきりになった。彼はババのダルシャンに来られなくなり、ババもまた熱で臥せっていた。

タティヤはババに全幅の信頼を置いていた。タティヤの病状は最悪になり、全く動くこともできなくなったが、彼は常にババのことを思っていた。ババの病状も同じように悪くなっていった。預言されたヴィジャヤダシャミの日が差し迫り、ラムチャンドラ・ダダとバラ・シンピはタティヤのことをひどく心配した。彼らの体は震え、恐怖に冷や汗をかき、ババの預言通りタティヤの最後が近づいているのだと思った。

ヴィジャヤダシャミの日が訪れ、タティヤの脈拍は非常にゆっくりになり、彼はまもなく亡くなるのだと思われた。だが興味深いことが起こった。タティヤは死を免れ、代わりにババが亡くなったのだ。まるで命の交換が行われたように見えた。人は口々に、ババはタティヤに命を譲ったのだと言った。なぜ彼はそんなことをしたのだろうか?ババのやり方は計り知れないのだから、真実はババにしか分からない。だがこの出来事の中で、ババは自分とタティヤを交換して、ババ自身が亡くなるのだということをほのめかしているように思われる。

 

  翌朝(1016)、ババはパンダルプールにいるダース・ガヌの夢に現れてこう言った。「マスジッドは崩壊した。シルディの油屋も乾物屋も私をひどく困らせるから、私は出て行くことにした。そのことを君に知らせに来たのだ。早く行って、私をバッカルの花で包んでおくれ!」ダース・ガヌはシルディからも手紙で知らせをもらった。そこで彼は弟子たちと共にシルディに行き、ババのサマディの前で一日中バジャンとキルタンを行って主の御名を歌った。彼自らも主ハリの名を織り込んで美しい花輪を作り、ババのサマディに掛けて、ババの名の元にたくさんの供え物をした。


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シルディ・サイババ(前触れ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ここまで、読者はババの生涯の物語を聞いてきた。ここではババの死にまつわる出来事について注意して聴いて戴きたい。ババは1918928日、微熱があった。微熱は2,3日続いたが、その後ババは食事を採らなくなり、次第に弱って行った。17日目、すなわち19181015日火曜日、午後2時半頃、ババはこの世の煩わしさを逃れ亡くなった。(1918115日付けのG.G.ナルケ教授がダダサヘブ・カパルドに宛てた手紙、Sai Leela誌初年度版78項参照)これより2年前の1916年、ババは自分が亡くなることを暗示しているのだが、その時は誰も理解しなかった。

それは次のような出来事である。ヴィジャヤダシャミ(ダサラ)の日(収穫を祈る秋の祭)、人々が夕方シーモランガン(村の境界を越えること)から戻ってくると、ババは突然激昂し始めた。頭に付けた布やカフニ、ランゴタ(ヨギが着けている下着)をも脱ぎ捨てた。彼はそれらを切り裂いてドゥーニの中へ投げ込んだ。この捧げ物を受けて、ドゥーニの火は明るく燃え始め、ババも尚輝いた。ババは裸でそこに立ちはだかり、目を真っ赤にして叫んだ。

「お前たちは今ここで私を見て、私はイスラム教徒かヒンドゥー教徒なのかを決めるがいい」皆は恐怖に震えて、誰もババに近づこうとはしなかった。しばらくしてらい病患者の帰依者バゴジ・シンドが大胆にもババのそばへ行き、ランゴタをうまくババの腰に巻きつけて、こう言った。

「ババ、どうしたのですか?今日はシーモランガンで、ダサラの祝日です」ババはサトゥカを床に叩きつけて言った。「これが私のシーモランガン(境界線を越える)だ」ババは夜の11時頃になるまで落ち着かず、人々はその夜チャヴァディへの行進は行われるのかどうかと訝った。一時間後、ババはいつもの状態に戻り、いつものように正装をして、前に述べた通りにチャヴァディへの行進を行った。このような騒動を起こして、ババはダサラが彼にとって人生の境界線を越えるのに適当な時期であることを示唆していたのだが、その時は誰もその意味するところを理解しなかった。ババはまた次のように別のやり方でも自らの死を暗示している。


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シルディ・サイババ(第四十二章 前置き)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

前置き

  前章で紹介した物語は、グルの恩寵の光は世俗に生活する恐れを取り除き、救いの道を開き、私たちの苦悩を幸福に変えるということを示した。私たちが常にサドグルの御足を思い浮かべていれば、私たちの苦しみは終わり、死は痛みを失い、この世に暮らす苦悩は跡形もなく消えてしまうのだ。だから自分たちの幸福を憂う人々は、心を浄化するサイ・サマルスの物語に注意して耳を傾けなくてはならない。

  冒頭でヘマドパントは、ドクター・パンディットがババの額に三本の平行線を描く礼拝の仕方について詳しく述べているが、これは既に十一章で述べているので、ここでは省略する。


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シルディ・サイババ(ボロ布を盗んでドニャネシュワリを読む)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ダハヌ(タナ地区)のマムラトダールであったB.V.Dev.氏は、長い間ドニャネシュワリ(ドニャネシュワールによる有名なバガヴァッド・ギータのマラティ語の解説書)やその他の聖典を読みたいと願っていた。彼は毎日バガヴァッド・ギータの一章を読むことができたが、彼がドニャネシュワリを手に取ると、何かしら問題が起きて読めなくなってしまうのだった。

彼は3ヶ月の休みを取ってシルディに行き、ポウドの家で休養をした。彼はそこで他の書物を読むことができたが、ドニャネシュワリを開くと、何かしら関係のない考えが心に浮かんできて、彼の努力を妨げるのだった。出来る限り頑張ってみたものの、彼は数行も読み進めることができなかった。そこで彼は、その書物に愛情が湧き、彼に読むようにとババが命じた時に読もうと決心した。

そして19142月、彼は家族とシルディへ行った。そこでヨグが彼に、毎日ドニャネシュワリを読んではどうかと提案した。Devは読みたいのだがうまくいかなかったこと、ババが彼に読むように命じたときに読み始めようと思っていることを話した。そこでヨグはその本をババに渡し、彼に聖別してもらってから読み始めてはどうかと助言した。Devは、ババは自分の心の内を知っているから、その手段には出たくないと答えた。ババは彼の望みを知らないだろうか、彼に読むように明確な指示を出して彼の願いを叶えてくれるだろうか?

 

  Devはババに会って1ルピーのダクシナを差し出した。ババは20ルピーを要求したので、彼はそれを差し出した。夜になって彼はバラクラムに会い、どのようにババへの信仰と恩寵を手に入れたのか尋ねた。バラクラムは翌日のアーティの後で全てを話すと言った。Devが翌日ダルシャンに行くと、ババは20ルピーを要求したので、彼は快く払った。マスジッドは混んでいたので、Devは脇へ行って隅に座った。ババは彼に近くへ来て静かに座るように言ったので、彼はその通りにした。

それから正午のアーティが終わって人々が分散していくと、Devはバラクラムに再び会ったので、ババが彼に語ったことや、どのように瞑想を教わったのかなど彼の体験について尋ねた。バラクラムが答えようとしていると、ババはらい病の帰依者のチャンドルをよこして、Devをババの元へ呼んだ。Devがババのところへ行くと、ババは誰と何を話していたのか尋ねた。

彼は、バラクラムからババの評判について聞いていたのだと答えた。するとババは再び25ルピーのダクシナを要求し、Devは喜んでこれを支払った。するとババは彼を中に連れて行き、柱の側に座ってこう言った。「君は私の知らない所で私のボロ布を盗んだだろう」Devは布のことは何も知らないと否定したが、ババは彼に探させた。彼は探したが何も見つからなかった。そこでババは怒って言った。「ここには誰もいない。盗めるのはお前だけだ。灰色の髪をした年寄りのお前がここへ来て盗んだのだ!」そう言うとババは腹を立てて、激しく激昂し、小言を言い始めた。

 

Devは黙っていたが、叩かれるのではないかとも思った。一時間近く経つと、ババは彼にワダへ行くように言った。彼はワダに戻って、ヨグとバラクラムに起きたことの全てを話した。すると午後になってババは皆を呼んで、自分の言葉が老人(Dev)を傷つけてしまったかもしれないが、彼は盗みを働いたので、彼を叱ったのだと言った。それからババは再びDev12ルピーのダクシナを求め、彼はそれを支払うとババの前にひれ伏した。するとババは彼に言った。

「これからは毎日ポティ(ドニャネシュワリ)を読みなさい。ワダに座って毎日きちんと読んで、読んだ部分を愛と信仰を持って皆に説明しなさい。私はここに座って、君に黄金の刺繍の入ったシェラ(高価なショール)を渡すつもりでいるのだ。それなのになぜ他へ行って、ボロ布を盗むのか!なぜ君は盗んでばかりいるのか?」

  Devは、ババから直接ポティ(ドニャネシュワリ)を読んで良いという言葉を聴いて、とても喜んだ。彼は欲しかった物を手に入れ、それ以後は安心してその書物を読むことができると思った。

彼は再びババの前にひれ伏して、自分は完全にババに全てを委ねるから、どうか自分を子供のように扱って、読書を助けてくれるようにと言った。その時彼は、ババの言っていたボロ布を盗むの意味を理解した。彼がバラクラムに尋ねたことが、ボロ布で、ババは彼の態度が気に入らなかったのだ。ババは彼の質問に答えるつもりでいたのに、彼が他の人に必要のない質問をしたのが気に入らなかったので、彼を叱ったのだった。Devは、ババは本気で彼を叱ったのではなく、ババが彼の望みを叶える準備ができているのに、無駄に他の人に尋ねるのは意味のないことだと教えたのだと思った。Devはそのように叱られたことを祝福と受け取り、心満たされて家路に着いた。

 

 

  この出来事はここで終わらなかった。ババはただ読書をすることを命じただけで終わりにはしなかった。一年のうちに、ババはDevのところへ行き、彼の進歩の度合いを尋ねた。191442日木曜日の朝、ババは彼の夢に現れた。ババは二階に座っていて、彼にポティを理解したかどうか尋ねた。Devは「いいえ」と答えた。ババは言った。「それではいつになれば理解するのかね?」Devは急に泣き出して言った。「あなたが恩寵を注いで下さらない限り、この読書は重荷でしかなく、内容を理解するのは更に困難です」ババは言った。「それなら私の前で読みなさい」Devは尋ねた。「何を読めばいいのでしょう?」ババは言った。「アディヤトマ(霊性)を読みなさい」Devは本を取りに行ったが、その時彼は目を開けていて完全に起きていた。このヴィジョンの後、Devがどれほどの喜びと至福を味わったかについては読者の想像に委ねることにする。


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シルディ・サイババ(第四十一章 アリ・モハメッド・ヘマドパント)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

前章に描かれた出来事の9年後、アリ・モハメッドは再びヘマドパントに会って、次のような話を彼にした。

 

  ある日かれはムンバイの通りをふらふらと歩いていて、通りの行商人からその写真を買うと、額を付けて彼のバンドラ(ムンバイ郊外)の家の壁に飾った。彼はババを愛していたので、毎日写真でダルシャンを行っていた。彼が絵をヘマドパントに譲る3ヶ月前、彼は足が腫れあがる病を患い手術を受けた。それから彼はムンバイにある義理の兄弟のヌール・モハメッド・ピーボイ氏の家に滞在し、徐々に回復していった。3ヶ月間、彼のバンドラの家は閉められ、誰も立ち入らなかった。

無人の家にはババ・アブデュル・レーマン、モウラナサヘブ・モハメッド・フセイン、サイババ、ババ・タジュディン、その他数人の聖者の写真だけが掛けてあった。時間の経過はこれらの写真にも容赦がなかった。彼はムンバイで病気を患い臥せっていたのだ。これらの写真だけがバンドラで辛抱する必要があろうか?全ての写真が最後を迎えた。だがサイババの写真がどうやって最後を免れたのか、今に至るまで私に説明できたものは誰もいない。これはサイの全てに浸透する遍在性と計り知れない力を示すものだ。物語は次へ続く。

 

  彼は何年も前に、モハメッド・フセイン・タリヤトパンから聖ババ・アブデュル・レーマンの小さな写真をもらっていた。彼はそれを義理の兄弟ヌール・モハメッド・ピーボイに譲り、写真は8年間彼の机に飾られていた。ある時ピーボイはそれを写真家の元へ持って行き、実物大の大きさに拡大してもらい、コピーをアリ・モハメッドを含む親類や友人に配った。

アリはそれをバンドラの家に飾った。ヌール・モハメッドは聖者アブデュル・レーマンの弟子で、彼のダルバールでヌールがグルにその写真を差し出すと、グルは激昂して彼を叩き追い出してしまった。彼は悲しみがっかりした。また彼はグル、ババ・アブデュル・レーマンは偶像崇拝を好まないので、大金を費やしたことでグルを不快にさせ激昂させてしまったのだと思った。

彼は拡大したババ・レーマンの写真を持ってアポロ・ブンデールのところへ行き、ボートを借りて漕ぎ出すと海に写真を投げた。彼は友人や親戚にコピーを返してくれるように頼み、全部で6枚のコピーを回収すると、それもバンドラの海に沈めてしまった。この時アリ・モハメッドは彼の義理の兄弟の家にいた。彼は兄弟から、他の聖者の写真もすぐに海に沈めてしまえば、彼の苦しみも終わると聞かされた。これを聴いたアリ・モハメッドはメタ(彼の主人)にバンドラの家に行ってもらい、家にある聖者の写真を全部海に投げ込んでもらった。

 

  アリ・モハメッドが2ヵ月後に家に帰ってみると、サイババの写真が以前と同じように壁にかかっているのを見て驚いた。彼はどうしてメタがこれだけを残したのか理解できなかった。彼はすぐに写真を取り外すと、彼の義理の兄弟が見てそれを処分することを恐れて食器棚にしまった。彼はそれをどのように処分したらよいか、誰がきちんと礼拝をして手元に置いてくれるだろうかと考えていると、サイババ本人が彼にモウラナ・イスム・ムジャヴァールに相談して、彼の意見に従うようにと提案した。彼はモウラナに会って全てを話した。

よく話し合った後、彼らは写真をアンナサヘブ(ヘマドパント)に贈るのがよいと決め、彼ならば写真をきちんと守ってくれるだろうと思った。そこで彼らはヘマドパントの所へ行き、ちょうどよい折に写真を彼に贈ったのであった。

 

  この物語は、ババが過去、現在、未来の全てを知っていて、巧みに糸を操り帰依者の望みを叶えるということを示している。次に挙げる物語は、霊的な事柄に本当に関心を寄せる人々をババがとても好み、ババが彼らの困難を取り払い幸せをもたらしたことを示すものである。


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