癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

シルディ・サイババ(コップ一杯のバターミルク)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

ある時ババがヘマドパントにコップ一杯のバターミルクを差し出したとき、彼は既に食事を終えて満腹であった。その白いバターミルクを見て彼は喜んだが、もう食べられなかった。しかし彼は一口だけなめてみた。すると彼がためらっているのを見てババが言った。「全部飲みなさい。こんな機会はこの先二度とないだろうから」彼はそれを飲み干したが、ババの言葉は預言的であったことが分かった。それからわずか後にババは亡くなったからである。

 

  さて読者の皆さん、私たちはヘマドパントに感謝しなくてはならない。彼はコップ一杯のバターミルクを飲み干した。だが彼は、ババのリーラという甘露を充分に私たちに分け与えてくれた。この甘露を心ゆくまで飲み干し、満足して幸福でいよう。

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


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シルディ・サイババ(ナナサヘブが寺院を軽視する)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

人々はそれぞれに推測やあてずっぽうで、サイはブラーミンであるとか、イスラム教徒であるとか言っていた。実際には彼はどのカーストにも属していなかった。彼がいつ生まれて、どこの共同体に属し、両親は誰なのかなどについて、誰も知らなかった。それなのになぜ彼がイスラム教徒だとかブラーミンなどであり得るのか?もし彼がイスラム教徒であるなら、彼はどうしてマスジッドの中でドゥーニを燃やし続けたのか、なぜそこにトゥルシー・ヴリンダーヴァンがあったのか、どうして彼はほら貝を吹いたり鐘を鳴らすことを許可したのか、どうしてヒンドゥー教の様々な形式で礼拝することを許したのか?彼がイスラム教徒であったなら、耳に穴を開けたり、自分のポケットからヒンドゥー教の寺院建設の為のお金を出したりできただろうか?それどころか、彼は寺院や神々が少しでも軽視されることには我慢ならなかったのであった。

  ある時ナナサヘブ・チャンドルカールが彼のサドゥー 、彼の妻の妹の夫、ビニワレ氏と共にシルディを訪れた。彼らがマスジッドへ行き、ババの前に座ったとき、ババは突然ナナサヘブに対して怒りこう言った。「お前は長いこと私の側にいるが、それなのになぜそんな風に振舞うのだ」ナナサヘブは最初何のことか理解できず、丁寧にババに説明してくれるように頼んだ。

 

ババが彼に、コペルガオンにはいつ行ったか、そこからどのようにしてシルディへやってきたかと尋ねると、彼は即座に自分の過ちに気が付いた。彼はいつもシルディを訪れる途中のコペルガオンで、ゴダヴァリの川岸にあるダッタの寺院で礼拝していた。だが今回はまっすぐシルディに来るために、ダッタのバクタである彼の親戚にその寺院へ行くのを思いとどまらせたのだった。彼は全てをババに告白し、ゴダヴァリで沐浴をしている時に大きなとげが足に刺さって大変な目に遭ったのだと言った。ババは、それは彼への小さな罰であり、次からはもう少し気を付けるようにと注意をした。

 

カラ(ごった混ぜ)

  ナイヴァイディアを分配する話に戻ろう。アーティが終わった後、ババは人々をウディと祝福で送り出してから、中に入り食事の準備のためにニンバーに背中を向けてカーテンの背後に座る。その時、熱心な帰依者たちは二列になって並んでいる。バクタたちは、プリやマンド、ポリス、バスンディ、サンザ、精製した米など様々な食べ物のナイヴァイディヤを持ってきており、ババによって聖別されたプラサドをもらうため外で待ち続けるのだった。

 

あらゆる食べ物はごった混ぜにされて、ババの前に置かれる。彼はそれを神に捧げて聖別するのだった。それから外で待っている人々に渡されると、残りはババと共に中にいる帰依者のグループに配られるのだった。二列になって座っているバクタたちは心ゆくまで食事を楽しんだ。ババはシャマとナナサヘブ・ニモンカールに、毎日中で座っている全員に聖別された食べ物を配り、皆がそれぞれ満ち足りているかどうかを確認するように指示した。彼らはこれを非常に注意深く、意欲的に行った。共に食べる食事の一口、一口が、彼らの心を満たし満足を与えた。その聖別された食事はなんと甘美でおいしいものであったことか!かつてないほど縁起がよく、神聖なものであった!


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シルディ・サイババ(ババのハンディ)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

私たちの聖典には時代によって様々な異なるサーダナ(目的達成の手段)が規定されている。クリタ期にはタパ(苦行)が、トレタ期にはドゥニャン(知識)が、ドワパラ期にはヤグニャ(捧げ物)が、カリ期(現在)はダーン(慈善)が推奨されてきた。あらゆる慈善の中で、食べ物を差し出すのが最も良いとされる。私たちは昼になって食べ物がなければ、非常に不安になる。他の生き物も同じ状況下では同様に感じる。

 

このことを知っていれば、貧しい者や空腹の者に食べ物を与える人が最高の施主であり、慈愛深い人だと分かるだろう。タイットリヤ・ウパニシャドはこう言っている。「食べ物はブラフマンである。食べ物から全ての生き物は生まれ、食べ物によって生き、この世を去った後も再び食べ物の中へ入るのだ」アティティ()が正午に戸口にやってきたら、食べ物を与えてその人を歓迎するのが私たちの義務である。

 

その他の慈善、すなわち富や財産や服を与えるには、いくらかの識別力が必要だが、食べ物を与える上においてはそのような考慮は不要だ。もし誰かが正午に戸口にやってきたら、その人には直ちに食事を与えるべきである。足や体が不自由な人や、盲目な人、病気の人がやってきたら、まず食事は最初に彼らに与えるべきであり、健康な人や知り合いは後回しにするべきである。

 

前者に食事を与える利益は後者に与えるよりはるかに大きい。他の慈善行為はこのアンナ・ダーン(食事の供与)がなければ、月のない星のように、ペンダントのないネックレスのように、峰のない山頂のように、蓮のない池のように、信仰心のないバジャンのように、クムクムをつけていない既婚女性のように、美しい声のない歌のように、塩の入っていないバターミルクのように不完全である。ヴァラン(豆のスープ)が他の料理より優れているように、アンナ・ダーンは最高の利益がある。さて、ババがどのように食べ物を準備し、人々に配ったかを見てみよう。

 

  

 

  以前は、ババは自分自身の為にほんのわずかな食べ物を乞い、彼が必要な分はどんなにわずかであっても、数件の家々に乞い求めて回ったと言われている。だが彼が皆に食べ物を分け与えると決めた時、自分自身で全ての準備を整えた。彼はこれについては誰にも頼らず、誰にも迷惑を掛けなかった。まず彼はバザールに行ってとうもろこしや小麦粉、スパイスなど必要なものを買い、現金で支払いをしている。彼はまた粉ひきもしていた。マスジッドの中庭で、大きな炉床を作って火を起こした後、適量の水を入れたハンディ(調理鍋)をかけた。ハンディは小さいものと大きなものの二種類があった。

 

小さい鍋では50人分の食事を用意し、大きい方は100人分を用意できた。時には彼はミテ・チャヴァル(甘い飯)を作ったり、肉を混ぜてビルヤニを作ったりした。時にはヴァラン(スープ)を煮て、小麦粉で作ったパンの小さな塊を入れたりした。彼はスパイスを石板で砕き、砕いた細いスパイスを調理鍋に入れた。彼は料理が誰の口にもあう味の良いものになるように骨を折っていた。彼はジャワリ粉(ヒエ粉)を水に溶いて沸騰させ、バターミルクと混ぜて再び煮込んで、アンビルを用意していた。彼は食事にはこのアンビルを添えて配っていた。

 

料理の出来具合を見るために、ババはカフニの袖をまくりあげて、恐れも知らず沸騰している鍋の中に素手を突っ込んで、中身を横へ上下へかき混ぜた。彼の腕には火傷の跡はまったくなく、その顔に恐怖の表情もなかった。調理が終わると、ババはマスジッドに鍋を持って行き、イスラム教の僧に聖別させた。まず彼は料理の一部をプラサドとしてムハルサパティとタティヤ・パティルに渡し、それから残りを自らの手で貧しい人や寄る辺のない人々に配ったのだった。ババ自らが用意し給仕した食事を食べた人々はなんと恵まれていて幸運だったことか。

  

 

  ここで次のようなことを尋ねる人もいるだろう。「ババはヴェジタリアン食もノンヴェジタリアン食もプラサドとして帰依者の全てに配ったのか?」答えは明瞭で簡単だ。ノンヴェジタリアン食を食べていた人々には、ハンディからノンヴェジタリアン食がプラサドとして与えられ、そうでない人々にはヴェジタリアン食が与えられたのだ。彼はこの食事を大食いして堪能したいという願いや欲望を彼らの中に決して起こさなかった。グル自身が何かをプラサドとして与える時に、受け取るべきかどうか悩んだり疑ったりする弟子は地獄に落ちるという法則がある。

 

弟子がこの法則を心得ているかどうかを見るために、ババは時折彼らをテストすることがあった。例えばエカダシの日(新月から11日目。前日の日没から翌日の日の出の48分後まで断食するとよいとされる)にババはダダ・ケルカールに数ルピーを渡して、コーハラに行って肉を買ってきてくれるように頼んだ。このダダ・ケルカールは正統派のブラーミンで、彼は生まれてからずっと伝統的な作法に従ってきた。彼は、富や、穀物、布などをサドグルに捧げるだけでは充分ではなく、絶対的に彼に従い、彼の命令には即座に応じることが、彼を一番喜ばせる本当のダクシナであった。

 

そこでダダ・ケルカールは着替えて、言われた場所へ向かった。するとババは彼を呼び戻して言った。「君が行かずに、誰かを行かせなさい」するとダダは自分の従者のパンドゥを行かせることにした。ババは彼が出かようとするのを見て、ダダを呼び戻しその予定はキャンセルにしてくれと言った。別の時には、ババはダダに塩辛いビリャニ(マトン料理)がどんな風に料理されているのか見たいと言った。

 

ダダは不用意に、あれはとてもおいしいと答えた。するとババは彼に言った。「君は自分の目で見たこともなければ、自分の舌で味わったこともないだろう?それなのになぜおいしいと言えるのだ?蓋を取って見てみなさい!」こう言いながら、ババは彼の腕を掴んで鍋の中に突っ込み、こう付け加えた。「君の伝統的なやり方は捨てて、鍋の中身を取って少し食べてみなさい」母親の心に真実の愛の波が沸き起こった時には子供をつねりもするし、子供が泣き出した時は、自分の胸に引き寄せて抱きしめるものだ。同様にババも本当の母親がするように、ダダ・ケルカールをこうしたやり方でつねったのだ。実際には、伝統に従っている弟子に、彼の宗教では禁止されている食べ物を無理矢理食べさせるようなことをする聖者やグルなどいないだろう。

 

 

  ハンディを使った料理は1910年頃まで続き、その後はやらなかった。前に述べた通り、ダース・ガヌがキルタンによってババの名声をムンバイ自治区の遠く広くまえ広めたため、その地域から人々がシルディに群がり始め、シルディはすぐに巡礼の聖地になった。帰依者たちは様々な品を差し出し、ナイヴァイディヤとして色々な食べ物を捧げるようになった。彼らから差し出されるナイヴァイディアの量はとても多く、ファーキルや貧困者が心行くまで食べても、まだ残るほどであった。ナイヴァイディアがどのように分配されていたかを述べる前に、ナナサヘブ・チャンドルカールの物語を引用して、ババが地元の寺院や神々に敬意を表していた様子を述べることにする。


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シルディ・サイババ(第三十八章 前置き)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

おお、神聖なサドグル・サイよ、あなたに頭を垂れます。あなたは全世界に幸福をもたらし、帰依者の幸福を守り、その足元に避難した者たちから障害を取り除いて下さる。大変寛大なるが故に、あなたに全てを委ねるバクタたちの守護者であり救い主となって、あなたは人類に恩恵を施し善を為すためにこの世に自らを顕現された。

 

純粋な自己という液体の元素がブラフマンの鋳型に流し込まれ、そこから最高の宝石である聖者、サイが生まれたのだ。このサイはアートマラム自身だ。彼は完全な神の至福の住処である。彼自身の人生の全ての目的を果たした後に、彼は帰依者にこの道を歩ませるのだ。 

 


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シルディ・サイババ(チャヴァディの行進)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

ババの宿舎については既に述べた。ある日彼はマスジッドで眠り、次の日はマスジッドの近くのチャヴァディで眠った。彼はマスジッドとチャヴァディで一日置きに眠った。二つの場所で交互に眠る習慣は、ババのハマサマディまでずっと続いた。

 

19091210日から帰依者たちはチャヴァディで定期的にババを礼拝するようになった。これは今から述べるように彼の恩寵によるものだった。チャヴァディを発つ日が来ると、人々はマスジッドに群がって、数時間にわたりマンダップ(中庭)でバジャンを歌った。彼らの背後には美しい籠があり、右手にはトゥルシー・ヴリンダーヴァン(バジルをあしらった碑)があり、ババの正面には綺麗に飾った椅子が置かれ、帰依者たちはバジャンを歌っていた。

 

バジャンの好きな男女が時間になるとやってきた。ある者はタルや、チプリスやカルタル、ムリダング、カンジリ、ゴル(全て楽器の名前)を手に取り、バジャンを始めた。サイババは全ての帰依者を彼にひきつける磁石だった。外では、ある者はディヴァトヤス(たいまつ)の縁を飾りつけたり、ある者は籠を飾ったり、ある者は籐製のステッキを持って立ちババの勝利を高らかに叫んだりした。

 

角は幔幕で装飾されていた。マスジッドでは、列に並べたオイルランプが光を放っていた。ババの馬シャヤム・カルナも全身に装飾を施されて外で立っていた。そしてタティヤ・パティルが集団と一緒にやってきて、ババに準備がいいかどうか尋ねるのであった。ババはタティヤが来るまで静かに自分の場所に座り、タティヤはババの腕の下に自分の腕を入れてババを立ち上がらせるのだった。

 

タティヤはババのことをママ(母方のおじ)の名で呼んだ。彼らの関係は本当に親密なものだった。ババはいつものカフニを来て、脇の下にサトカ(短い杖)を持ち、チルムやタバコを吸うと、肩に布を掛けて出発の準備完了となるのである。するとタティヤは金色の刺繍の施された美しいシェラ(肩掛け)をババの身体に掛けるのだった。それからババは数個の薪をドゥーニに自らくべて火を燃やし続け、ドゥーニの側で燃えているランプを右手で消して、チャヴァディへ出かけるのである。

 

それから様々な楽器やバンドや管楽器が色々な音を奏で、花火が彩りを加える。男も女もババの名前を歌いながら歩き始め、ムリダングやヴェーナを演奏しながらバジャンを歌うのだった。ある者は喜びに踊り、ある者は様々な旗を掲げた。ババがマスジッドの階段へやってくると、バルダース1がババの名前を大声で告げる。

 

ババの両側に立つ者はチャマー2を持っており、他の人々はババを扇いでいた。道中、ババが歩く道には帰依者たちの手で折りたたんだ布が広げられ、タティヤ・パティルは左手を支え、ムハルサパティは右手を支え、バプサヘブ・ヨグはババの頭上にチュハトラ()を差した。このようにして、ババはチャヴァディまでの道程を行進した。全身に装飾をされた馬、シャムカルナが先頭を行き、その後ろには荷物持ち、ウェイター、演奏隊、帰依者の一団が続いた。音楽に併せてハリ・ナーム(主の御名)が唱えられ、サイの名もまた唱えられた。このようにして一団が町角へ到着すると、皆喜んで嬉しそうにしていた。

  

 

1.バルダース:制服を着たエスコート役 

2.チャマー:杖の先端につけられた動物の毛の束 

 

  町角に到着すると、ババはチャヴァディの方を向いて立ち、独特のオーラを放つのだった。まるでババの顔が昇る太陽の栄光を引き継いでいるように見えた。ババは心を集中させて北向きに立ち、まるで何かの合図をしているかのようだった。

 

全ての楽器は音楽を演奏し、その間ババは右手を幾度か挙げたり下げたりした。ここでカカサヘブ・ディクシットは銀の皿を持って進み出てきて、その中に乗せたグラル(赤い粉)を塗りつけた花をババの身体に投げた。楽器の演奏はこの時点で最高潮になり、ババの顔は光と美しさに輝き、人々は皆心ゆくまでこの輝きを見つめるのだった。この光輝く光景について言葉では説明することができない。

 

時折ムハルサパティが何かが乗り移ったかのように踊りを初めた。だが皆は、ババの集中状態が少しも妨げられない様子を驚いて見ていた。手にランタンを持ってタティヤ・パティルがババの左側を歩き、バガット・ムハルサパティはババの衣服の縁を掴んで右側を歩いた。何と美しい行進で、何という信仰の表現であろうか!この様子を見ようと、男性も女性も貧しきも富める者も群がっていた。

 

ババは非常にゆっくりと歩いた。バクタたちは愛と信仰心を持って両側を歩いた。喜びの雰囲気がその場所全体に浸透し、行進はチャヴァディに到着するのだった。あの日々は過ぎ去ってしまった。あのような光景は将来誰も見ることができないが、あの光景を思い出し心に描くだけで、私たちは慰めと歓喜を心に呼び起こすことができるのだ。

  

 

  チャヴァディもまた天井を白く塗り、鏡やたくさんのランプで全体が装飾されていた。そこへ到着すると、タティヤが先に行ってアサン(座布団)を広げ、長枕を置いて、ババをそこへ座らせ、アンガルカ(上着)を着せるのだった。

 

それから帰依者たちは様々な方法で彼を礼拝した。彼らは房のついた王冠をババの頭に載せ、花輪や宝石を首に掛け、(ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌを信仰する伝統)の帰依者がするように)ジャコウの混ぜ物で額に垂直の線を描き、心ゆくまで長いことババを見つめるのだった。次に彼らはババの頭飾りを変え、ババが投げ捨ててしまわないように頭上の高い位置に置いた。

 

ババはバクタたちが何を望んでいるかを知っていたので、不服も言わずに彼らの為すがままに大人しく身を任せていた。こうした飾りを施されて、ババは素晴らしく美しく見えた。

  

 

  ナナサヘブ・ニモンカールは美しい垂れ飾りのついたチュハトラ(儀式用の傘)を差して、補助用の杖を持って、円陣の中を動いた。バプサヘブ・ヨグは銀の皿の中でババの足を洗い、アルギヤ(歓迎の儀式)と礼拝を行ってから、白檀の練り粉を彼の腕に塗り、彼にタンブル(キーマの葉)を差し出すのだった。

 

ババはアサンの上に座り、タティヤら他の者たちは立っていた。ババが長枕によりかかってアサンに座っているときは、帰依者たちが両側からチャマーや扇子を扇いだ。シャマはチルムの準備をし、タティヤ・パティルに渡すと、タティヤは口で深く息を吸ってからその炎を吹き消し、ババに渡すのだった。

 

ババが吸い終わると、チルムはバガット・ムハルサパティに渡され、全員に回された。命のないチルムも恵まれているものだ。まず最初は練り機でこねられ、太陽の元で乾かされ、火に焼かれるといった数々の厳しい苦行の試練を耐えなくてはならず、その後ババの手や唇に触れるという幸運に恵まれるのだ。

 

この慣例が終わると、帰依者たちはババの首に花輪を掛け、香りや花束を渡す。平静の権化であるババは、こうした宝石の首飾りや花輪、その他の装飾は全く好まなかったが、帰依者たちへの本物の愛情から彼らを喜ばせるために彼らの思い思いの方法で飾らせることを許していたのであった。最後にバプサヘブ・ヨグが手で合図してババへのアーティを始め、儀式と楽器がめでたい音を奏でている様子を注視した。

 

アーティが終わると、帰依者たちはひとりずつババに敬礼をして、いとまごいをしてから家路につくのだった。タティヤ・パティルがチルムやアタール(香り)やローズウォーターを差し出した後、帰ろうとして立ち上がると、ババは愛情を込めて彼に言った。「きちんと私を守っておくれ。帰ってもよいが、夜には時々戻ってきて私を訪ねておくれ」これにうなづくと、タティヤ・パティルはチャヴァディを去り、家に帰るのだった。

 

それからババは自分の寝床をしつらえるのだ。彼は何枚かシーツを重ねてベッドを作り、眠りに就くのだった。

 

  私たちもまた休むことにしよう。読者には、眠りに就く前にババと彼のチャヴァディの毎日の行進のことを思い出して戴きながら、本章を締めくくりたい。

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 


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シルディ・サイババ(第三十七章 前置き)

2011-10-19 | シルディ・サイババ

帰依者たちにとってサイの生涯は祝福であり、彼の毎日の日課も祝福であった。彼のやり方や行動は筆舌に尽くしがたい。時にはブラフマナンド(神の至福)に酔ったかと思えば、別のときには完全に自己に没頭していた。あまりにも多くの事柄を一度にこなしているので、彼は無頓着であった。   

 

時に彼は非常に無活動に見えたが、怠けているのでも居眠りしているのでもなかった。彼は常に自分自身の自己に留まっていた。彼は穏やかで海のごとく落ちついて見えたが、奥が深く底知れなかった。誰が彼の言葉に尽くせない程神聖な性質について描写することができようか?彼は男性を兄弟とみなし、女性を姉妹や母と見なした。

 

彼は誰もが知っている通り完全な独身者だった。彼のそばにいて私たちが知っている限りでは、死ぬまでそうであった。心からの信仰を持って彼の御足に仕えることを許した。万物に彼()を見、常に彼の名を思い浮かべよう。 

 

  ヘマドパント自身は余談だとするヴェーダンタについての叙述の後、チャヴァディの行進の話題へと移っている。

 


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