癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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シルディ・サイババ(祈り)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

ヘマドパントはこの章を祈りで締めくくっている。「ああ、サイ・サドグルよ、バクタたちの願いを叶えてくれる木よ、私たちは祈ります。あなたの御足を忘れることがありませんように。このサンサールで私たちは終始誕生と死の困難に見舞われてきました。今、私たちを誕生と死のこの輪から解放して下さい。私たちの感覚が対象物へ向かうのを抑え、私たちを内側へ向け、アートマ(自己)と向き合わせて下さい。感覚と心が外へ向かうこの性癖が抑制されない限り、自己認識に到達する見込みはありません。息子も妻も友人も、最後には何の役にも立ちません。

 

救いと至福を与えてくださるのはあなただけなのです。議論をしたり、他の悪い事柄に向かう性癖を完全に壊し、あなたの名前を唱える情熱を私たちの舌に与えて下さい。私たちの思考を追い出し、肉体のことを忘れさせ、エゴイズムを取り去って下さい。あなたの名前だけを思い、他の事は全て忘れさせて下さい。心の不安を取り除いて、穏やかに安定させて下さい。

 

あなたが私たちを掴んでいてくだされば、夜の闇も無知の闇も消えて、あなたの光の元で幸せに暮らせるでしょう。あなたがリーラの甘露を飲ませ、私たちを眠りから起こしてくださるのは、あなたの恩寵と私たちの過去世での功徳のお陰なのです」

 

  注意:この物語に関し、以下にダム・アンナの発言の抜粋が掲載されており、熟読するに価する内容である(“Devotees’ Experiences’ Part II”, 76)

 

  「ある時私が他の大勢と共にババの足元に座っていた時、私には2つの疑問が心に浮かんだが、彼はその両方に答えてくれた。

 

  (1)こんなに大勢の人々がサイババに会いにきているのだ。皆が彼から恩恵を受けることができるのだろうか?

 

  これに対して、ババは言葉にして答えた、「花を開いたマンゴーの木を見るがよい。もしも全ての花が果実になるなら、なんと素晴らしい収穫になるだろう。だが全てが果実になるだろうか?ほとんどが、風や何かで花のうちに、または未熟な果実のうちに落ちてしまい、残るのはほんのわずかだ」

 

  (2)2つ目の疑問は私自身についてだった。もしババが亡くなってしまったら、どれほど私は絶望して彷徨うことだろう。それからどうやってやってゆけばよいのだろう?これに対してババは、私が彼のことを思うときはいつでも、どこにいようとも、彼は私と共にいると答えた。1918年以前にも彼はこの約束を守り、1918年以降もずっと守ってくれている。彼は今も私と共にある。彼は今も私を導いている。これは1910年か1911年の頃のことで、私の兄弟は別れ別れになり、姉妹は亡くなって、盗みにあって警察の取調べを受け、私は心をかき乱されていたときのことだった。

 

  姉妹が亡くなった時、私の心はひどく動転した。私は人生のことも楽しみのことも考えられなくなっていた。私がババの処へ行くと、彼はウパデシュで私をなだめ、アッパ・クルカルニの家でプーラン・ポリの御馳走を食べさせてくれた。

 

  家には強盗が入っていた。30年来の私の友人が幸運のナス(鼻輪)も入っていた妻の宝石箱を盗んだのだ。私はババの写真の前で泣いた。翌日、彼は宝石箱を返してくれ、許しを求めてきたのだった」

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 


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シルディ・サイババ(アムラ・リーラ・マンゴーの奇跡)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

ある時、300個ほどの良質なマンゴーの小包がシルディに届けられた。それはゴアのラルという名のマムラトダールから、シャマ宛でババに送られたものであった。開けてみると、マンゴーの状態はどれも良好だった。マンゴーはシャマに託され、ババが手に取りコランバ()に入れたのは4つだけだった。彼は言った、「この4つの果物はダム・アンナ用だ。そこに置いておきなさい!」

 

  ダム・アンナには妻が3人いた。彼自身の弁によれば、3人ではなく2人だったという。彼には子がなかった。彼はたくさんの占星家に相談し、自分でも占星術をある程度勉強してみて分かったことには、彼のホロスコープにはパピ’(不幸な)惑星があるため、彼には生涯子供ができないという見立てだったことだ。だが彼はババに大きな信頼を寄せていた。彼はマンゴーの包みを受け取ってから2時間後、ババを礼拝しにシルディにやってきた。ババは言った、「他の人たちはマンゴーを探しているが、あれはダムヤのものだ。持ち主は食べて死ななくてはならない」これを聴いたダム・アンナは最初はショックを受けたが、ムハルサパティ(シルディの帰依者)が、死はエゴの死を意味し、ババの足元で食べることは祝福なのだと説明してくれた。ダム・アンナは果物を受け取って食べると言った。だがババは彼にこう言った、「君が自分で食べるのではなく、君の若い妻に渡しなさい。このアムラ・リーラ(4つのマンゴーの奇跡)で彼女は4人の息子と4人の娘を授かるだろう」しばらくしてババの言葉は現実となり、占星家の予言は当たらなかった。

 

  ババの話す言葉には効能があり偉大であった。彼は肉体に生きていたが、亡くなった後ですらもそれは変わらなかった。ババは言った、「信じなさい。私が肉体を去っても、私の骨は墓の中から語りかけ、動き、私に自らを委ね切る者たちと話しをするだろう。私がいなくなっても心配することはない。あなた方は私の骨が語りかけ、あなた方の幸福について話すのを聴くだろう。だが常に私を思い浮かべ、ハートと魂で私を信じていなさい。そうすれば大いにあなたの役に立つだろう」

 


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シルディ・サイババ(彼の投機:(1)綿取引(2)穀物取引)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

ダム・アンナのムンバイの友人が彼宛の手紙の中で、20万ルピーほどの儲けになるから、共同で綿の投機ビジネスをやらないかと言ってきた。(ダム・アンナは1936年頃にB.V.ナルシムハ・スワミ氏に、ムンバイでの綿の投機取引の提案は、パートナーからのものではなく、仲買人からのものであり、彼は個人の投機家だと述べている。帰依者の体験パートII 75項参照)。仲買人はこのビジネスはいい話で、リスクはないからこの機会は逃さないほうがいいと書いてきた。

 

ダム・アンナはためらっていた。彼は投機取引に乗り出すことをすぐには決められなかった。彼はこれについて考えたが、彼はババの帰依者だったので、シャマ宛に詳しく事実を記載した手紙を書いて、ババに相談して助言をもらってくれるように頼んだ。シャマは翌日手紙を受け取り、それを持って正午にマスジッドに行き、ババの前に置いた。

 

ババはシャマに手紙には何が書いてあるのかと尋ねた。彼は、ナガールのダム・アンナがババに相談したいことがあるのだと答えた。するとババは言った。「彼は何と書いてきているんだね?彼は何を企てているのか?彼は空に手を伸ばそうとしているようだが、神が彼に与えたもので満足せずに、この手紙を書いてきたようだ」シャマは言った。「手紙の内容はあなたが言われた通りです。

 

ああ、デーヴァ、あなたはここに静かに落ち着いて座っていながら、帰依者を動揺させるのですね。帰依者が不安になると、あなたは直接または手紙を通して彼らをここへ引き付ける。手紙の内容をわかっておいでなら、なぜあなたは私に読むように言ったのですか?」ババは言った。「おお、シャマ、読んでおくれ。私は適当に言っただけだよ。誰が私を信じるかね?」

 

  そこでシャマは手紙を読むと、ババは熱心に聞いてから感情を込めて言った。「シェト(ダム・アンナ)は頭がいかれてしまったのだ。彼に返事を書いて、彼の家に足りないものは何もなく、今の半分のパンで満足し、大金を得ようとして悩むのはやめなさいと言ってやりなさい」シャマは返事を書き、ダム・アンナはそれを不安な思いで待っていた。手紙を読み終えると、彼の大金を手に入れる見込みは地面に叩きつけられたと思った。彼はババに相談したのは間違いだったと思った。

 

だがシャマが返信の中で、実際に会うのと、仲介を入れて聞くのではいつも大きな違いがあると示唆したので、彼は自分でシルディに行ってババに会うことにした。シルディに行って、この件については自分でババに相談するのが賢明だと彼は思ったのだ。そこで彼はシルディに行き、ババに会って、彼の前にひれ伏し、そこに座って彼の足を洗った。

 

彼は投機について率直にババに尋ねる勇気がなかったが、ビジネスで得た利益をいくらかババに分配すればいいだろう、もしババが取引で彼を助けてくれれば、利益のいくらかをババに献上しようと心の中で思った。ダム・アンナは心の中で密かに考えたのであったが、ババに隠しておけることなど何もなかった。過去も現在も未来も全てが彼にはお見通しだった。子供はお菓子を欲しがっていたが、彼の母親は苦い丸薬を与える。前者は健康に悪いことをするが、後者はそれを治そうとする。子供の幸せを願う母は、なだめすかして苦い丸薬を飲ませるのだ。優しい母であるババは、彼の帰依者の現在と未来を見通していたので、ダム・アンナの心を読んで、率直にこう言った。「バプ、私はそんな世俗的な事柄(利益の分配)には巻き込まれたくないよ」ダム・アンナはババが不賛成なのを見てとって、事業を止めにした。

 

(2)穀物取引

 

  それから彼は米や小麦その他の穀物の取引をしようかと考えた。ババはまたしてもこの考えを読んで彼に言った。「1ルピーで5セール(4.665kg)を買って、7セール(6.531kg)を売る羽目になるよ!」それでこのビジネスもまた諦めることになった。穀物の値がしばらく高止まりしていたので、ババの予言は間違いだったかのように思われた。

 

だが1,2ヶ月すると、あちこちで大雨が降り、価格は暴落し、穀物を貯蔵していた人々は大変な損失を被る事になった。ダム・アンナはこの悲運から救われたのだった。言うまでもなく、別の商人の援助で仲買人が行った綿の投機も、価格が暴落して投資家たちはひどい損失を被った。このようにババが綿と穀物投資における2つのひどい損失から彼を救ったのを知って、ダム・アンナのババへの信仰心は強くなり、ババが亡くなるまで真の帰依者であり続けたのであった。


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シルディ・サイババ(ダム・アンナ)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

 読者は、シルディのラーム・ナヴァミ祭を取り上げた第六章で、この紳士についての記述があったことにお気づきだろう。彼は1895年頃にシルディを訪れており、その頃にラーム・ナヴァミ祭が始まって、彼は毎年祭に装飾用の旗を寄進していたのだ。彼はまた祭にやってくる貧しい者やファーキルに施しもしている。


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シルディ・サイババ(第二十五章 前置き)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

本章は、慈悲の大海であり、神の化身、バラ・ブラフマンであり、偉大なヨゲシュワラ(ヨガの神)であるサイババに全身投地でひれ伏してから、始めることにしよう。聖者の最高の宝石、あらゆる吉兆の住処、私たちのアートマラム(自己)であり帰依者の唯一の避難所であるサイババに勝利あれ。人生の目的に到達しているババの前にひれ伏そう。

 

  サイババは常に慈悲心に溢れていた。私たちに求められているのは、彼に対する心からの信仰である。帰依者が堅い信念と信仰を持っていれば、その願いはすぐに叶えられる。サイババの生涯とリーラについて書きたいという願望がヘマドパントの心に生じた時、ババはすぐに彼に書かせるようにした。常にメモを取るようにという指示が与えられると、ヘマドパントは発奮して、彼の知性は高まりこの仕事に着手して完遂する勇気を得た。彼は自分で言っている通り書物を書くのにふさわしくはなかったが、ババの恵み深い恩寵により彼は作業を完成させることができた。だから今あなたはこのサッチャリタを手にしているのであり、この貯水池ソマカントの宝石からは、サイのリーラという形の甘露がにじみ出ていて、読者は心行くまで飲むことができるのだ。

 

  帰依者が完全に心の底からサイババに信仰を持っているときはいつでも、その人はババの恩寵で大きな惨事や危険を免れ幸福に恵まれる。アーメドナガール(現在のプーナ)のダモダル・サヴァララム・ラサネ・カサール、別名ダム・アンナの物語はこのことを裏付けるものである。


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シルディ・サイババ(ババの特質 - バクタへの依存)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

ババは帰依者たちの好きなやり方で彼に奉仕することを許していて、これについて他人が口を挟むのを好まなかった。一例を挙げると、先ほどのマウシバイが今度はババの腹部をもんでいたときのことだった。

 

彼女が力いっぱいもんでいるのを見て、他の帰依者たちは皆不安になり心配した。彼らは言った。「ねえ、お母さん。もう少し思いやりを持って適度な力加減にして下さい。そうでないとババの動脈や神経が壊れちゃうよ」これを聞くとババはすぐに椅子から起き上がり、サトカの処へ駆けて行った。彼は激昂して、その目は燃え盛る火の如く真っ赤になった。

 

誰も敢えてババの前に立とうとはしなかった。彼は両手でサトカの一方の端を持ち、腹部のへこんだ部分に押し付けた。もう片方の端は柱に固定して、サトカで自分の腹部を圧迫し始めた。長さおよそ3,4フィートのサトカは、ババの腹部に今にも食い込んでいくように見えた。

 

人々はすぐに腹が裂けてしまうのではないかと恐れた。柱は固定されたまま動かなかったが、ババはどんどん柱に近づいていって、とうとう柱を強く握り締めた。今にも腹が破裂するんじゃないかと皆がうろたえたが、どうしてよいか分からず驚きと恐怖で黙ったまま立っていた。

 

他の帰依者たちはただババに苦痛や痛みを与えないように、もう少し穏やかに奉仕するようにとマウシバイに示唆しただけだった。好意でした助言だったのが、こんな危機を招く結果になったことで皆驚き、ただ見守るしかできなかった。幸いにもババの怒りはすぐに収まった。

 

彼はサトカを置いて、椅子に戻った。この後帰依者たちは、他人に干渉すべきではなく、ババへの奉仕は本人のやりたいようにやらせておけばよいという教訓を学んだ。なぜならババに捧げられる奉仕の真価や価値を評価できるのはババだけだからである。

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 

 

 

 


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シルディ・サイババ(アンナ・チンチャニカール対マウシバイ)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

さてヘマドパントは、ババが調停役を務めたウィットに富むもう一つの物語を綴っている。ダモダル・ガナシュヤム・ババレ、別名アンナ・チンチャニカールという帰依者がいた。彼は質素で素朴で率直な男だった。

 

彼は誰のことも気にせず、常にはっきりと話し、全ての取引を現金で行っていた。外面的には彼は無情で頑固に見えたが、気立てがよく悪巧みはしなかった。だからサイババは彼を愛した。彼は自分の全財産をシルディのスリ・サイババ・サンスタンに寄贈していた。

 

ある日、思い思いにババに奉仕する他の者と同様に、アンナもカタダ(手すり)の上に乗っているババの左腕を洗っていた。右側には、ババがお母さんと呼び、他のものがマウシバイ1と呼んでいるヴェヌバイ・コウジャルギという年老いた未亡人がいて、これまた彼女のやり方でババに奉仕していた。

 

マウシバイは純粋な心の年配の女性だった。彼女はババの胴体の周りで両手の指を組み合わせて、ババの腹部をマッサージしていた。彼女はあまりに力を入れてやるものだから、ババの背中とお腹は平らになって、ババの身体は左右に動いた。片方にいたアンナは安定していたが、マウシバイの顔は彼女のマッサージに合わせて上下に動いた。それだから一度は彼女の顔がアンナの顔のすぐ近くまで来た。機知に富んだ性質だった彼女は、こう言った。

 

「おや、このアンナはみだらな男だよ。私にキスをしたいらしい。いくら白髪の年寄りだからって、私にキスをするなんて恥知らずな」この言葉はアンナをひどく怒らせ、彼は自分の袖をたくし上げて言った。「あんたは俺のことを悪い年寄りの男呼ばわりしたな。俺はそんなに間抜けなのか?俺に喧嘩を吹っかけたのはあんただぞ」その場にいた全員が、この成り行きを楽しんでいた。

 

二人を同様に愛していたババは彼らをなだめて、非常に巧みにその場を収めた。愛情を込めて彼は言った。「おお、アンナ、君はなぜそんなにむやみに叫び声を挙げているのかね?お母さんがキスされたからといって、不都合でも無作法でもないと思うが、どうかね?」ババのこの言葉を聞いた両者は満足した。そして皆が幸せそうに笑って、心ゆくまでババのとんちを楽しんだのであった。

 

1.マウシバイ:母親の姉妹(おば)


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シルディ・サイババ(スダマの物語)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

前述の物語を綴っているとき、ヘマドパントは同じ原理を示すスダマの似たような物語のことを思い出していた。ここではそれについて述べる。

                         

  スリ・クリシュナとその兄バララームは、同級生のスダマと共に、グルのサンディパニのアシュラムで暮らしていた。ある時、クリシュナとバララームは薪を拾いに森へ行った。サンディパニの妻は同じ目的でスダマにも森に行くように言い、3人分のヒヨコマメを持たせた。

 

クリシュナが森でスダマに出会うと、彼は言った。「ダダ、僕は喉が渇いて水が飲みたいよ」スダマは答えた。「胃が空っぽのときに水は飲んじゃダメだよ。それなら少し休んだ方がいい」彼は自分がヒヨコマメを持っていることや、クリシュナがそれを食べてよいことを告げなかった。

 

クリシュナは疲れていたので、スダマの膝の上に横になって、すぐにいびきを掻き始めた。これを見たスダマはヒヨコマメを取り出して食べ始めた。するとクリシュナは突然彼に尋ねた。「ダダ、何を食べているの?さえずるような、ガチガチするこの音はなあに?」彼は答えた。「

 

食べるって何のことだい?僕は寒さで震えているから、歯がガチガチ音を立てているのさ。ヴィシュヌ・シャーストラ・ナームさえ繰り返せないくらいだよ」これを聴いた全知のクリシュナは言った。「僕は夢を見たんだ。その中で男が他の人の分まで食べているのを見たよ。そのことを尋ねられると彼はこんなつまらない物を彼に食べさせることはないさと言った。つまり彼は食べるものがないということだね?すると別の男が言った。じゃあそうするかって。

 

ダダ、これはただの夢だ。僕は君が僕抜きで何かを食べたりしないことを知っている。僕はこの夢と勘違いして君に何を食べているのかと聞いただけなんだ」もしもスダマがクリシュナが全知であることや彼のリーラを知っていれば、こんな風に振舞うことはなかっただろう。従って彼は自分のしたことの報いを受けねばならなかった。彼はスリ・クリシュナの親友だったのに、非常に貧しい後の人生を送らなくてはならなかった。だが彼が後に、彼の妻が自らの労働によって得た一握りの乾燥米をクリシュナに捧げた時、クリシュナは喜んで彼に財産を授けたのだった。

 

他人と分かち合うことなしに、一人で食事をする習慣のある人々はこの物語を覚えておくとよい。

 


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シルディ・サイババ(教訓)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

この出来事でババが私たちに教えたことを注意深く考察してみよう。彼が私たちに助言したことはこうだ。感覚や心や知性が対象物を享受する前に、まず彼のことを思い浮かべなくてはならない。

 

そのためには、彼に供物を捧げればよい。感覚などは対象物なくしては存在し得ないが、まずそうした対象物をグルに差し出すことで、それらに対する執着は自然と消えていくのだ。このようにして、欲望や怒り、強欲というようなヴリティス(思考パターン)はまずグルに差し出されるべきもので、これが実践されれば、主はあなたがあらゆるヴリティスを根絶するのを助けてくれるだろう。

 

あなたが対象物を享受する前に、ババが目の前にいると思えば、その対象物は享受するにふさわしいものかどうかという疑問が起こってくるだろう。そしてその対象物が享受するにふさわしくないものであれば避ければ良いし、そのうちに私たちの悪い癖や欠点はなくなっていき、私たちの性質も改善されるだろう。グルに対する愛が育ち、純粋な知識が芽生えるだろう。

 

この知識が成長したら、肉体の意識(私たちは肉体である)の束縛はプツンと切れ、魂の意識(私たちは魂である)に知性が現れるだろう。それから私たちは至福と満足を得ることだろう。グルと神の間には違いはない。そこに違いを見る人は、神をどこにも見出すことができない。だから違いがあるという考えは脇に置いて、私たちはグルと神は一つであると考えるべきなのである。

 

そして私たちがグルに仕えるのであれば、前述の通り、神は必ず喜んで私たちの心を浄化することで自己認識へと私たちを導いてくれる。要するに、私たちはまずグルを思い浮かべることなしに、感覚で対象物を享受すべきではないのだ。

 

心がこのように鍛錬されたときに、私たちはいつもババを思い出し、ババへの瞑想も遅れずに成長するのだ。形あるババの姿はずっと私たちの目の前にあり、信仰や無執着、救いは私たちのものになるのである。ババの姿が私たちの心の目の中に定着したとき、私たちは飢えや渇きやこのサンサール(この世)を忘れ、世俗の喜びの意識は消滅し、心は平安と幸福を得るだろう。

                                                        


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シルディ・サイババ(チャナのリーラ)

2011-10-10 | シルディ・サイババ

シルディでは、日曜ごとに特別なバザーがあり、近隣の村から人々がやってきて、通りに屋台や露天を立てて、着るものや日用品を売りに出すのだった。正午になるとマスジッドはいつも人で混雑するが、日曜日は窒息しそうなほど人でごった返していた。

 

そんなある日曜日、ヘマドパントはババの前に座って、彼の足を洗い、神の名を呟いていた。シャマはババの左側に座り、ヴァマンラオは右側にいた。シュリーマン・ブティとカカサヘブ・ディクシットそれにその他の人々もその場にいた。するとシャマが笑いながら、アンナサヘブに言った。「見てごらん、君の上着の袖に穀粒が付いているよ」そう言いながら彼が袖に触れると、そこに穀粒が付いていた。ヘマドパントは何事かと自分の左手上腕をまっすぐに出して見てみた。すると皆の驚いたことに、穀粒がいくつも転がり落ちてきて、そこにいた人々がそれを拾った。

 

  この出来事は冗談のネタにされた。その場にいた誰もが、穀粒がどうして袖についたのか、なぜそんなに長い間そこにくっ付いていたのか、不思議に思い始めた。ヘマドパントもまた理由が分からなかった。この件については、誰も満足のいく説明ができず、不思議に思っていたが、ババが次のように言った。

 

  「この男(アンナサヘブ)は一人で食事をする悪い癖があった。今日はバザーだったから、彼はここへ来てヒヨコマメを食べていた。私は彼の癖を知っているが、このヒヨコマメはその証明ではないか。何がそんなに不思議なのかね?」

 

  ヘマドパント:「ババ、私は一人で物を食べたりしません。なぜあなたはそんな悪い癖があると私を責めるのですか?私はまだシルディのバザーに行ったことがありません。今日もバザーには行っていないのに、どうして私がヒヨコマメを買えるでしょう?ヒヨコマメを買ってもいないのに、どうして食べることができるでしょう?私は食事の時には、周りにいる皆と分け合って食べています」

 

  ババ:「その場に人がいれば君が食事を分け合うというのは事実だ。だがもし側に誰もいなかったら、君や私はどうするだろうね?食べる前に君は私のことを思い浮かべるかね?私がいつも君と一緒にいないだろうか?それなら君は自分が食べる前に私に食べ物を供えるかね?」

 

 


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