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癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO697・・・石器時代の巨岩石

2019-05-21 | ヒーリング
癒しの森湯布院がある湯布院の塚原高原に、神が宿る巨岩石があると10数年前地元の長老に聞いていたのであるが、その当時はインド探索に忙しく興味もなかったのであるが、癒しの森に大日如来像が来てから、何か胸騒ぎを覚えるようになった。


その巨岩石の存在を知っている唯一の長老も92歳になり、ころんで頭を打ち入院をしている情報を知りお見舞いがてら情報をしいれたのであるが、あと1年遅れていたら危なかったと胸を撫でおろしたのであります。当時の塚原地区は貧しく誰も興味を示す者はなく、友人と二人しかその存在を知る人はなく、その友人は他界したとのことであります。(では興味を示す人はある意味変人とされていた。ゆえに歴史や文化が消え去ろうとしている。)


情報を知ったのは、他界した友人の明治生まれの親父さんからの情報であり、東京の考古学学者の鳥居教授のお墨付きであるとの事であります。明治生まれの方には何らかの能力が残っていたのか出口王仁三郎や植芝盛平や生き神様など多くの偉人は明治生まれであり、何らかの方法で神と繋がっているのでありましょう。合気道のご開祖の植芝盛平はまさしく神業の達人であり、柔道の三船十段なども現代では考えられない技で大男をいとも簡単に投げ飛ばしていたのです。(動画を見ればわかるでしょうが、小柄で明治生まれなどが合気道の植芝先生と共通し、共に何らかの方法で神と繋がったものと思われます。すなわち神のエネルギーなくして神業は完成しないと思うのです。)


神の薬と言われる牛黄(ごおう)は牛の胆石であるが、その存在を知ったのはアフリカやインドの山奥に住む
原住民であり、胆石がある牛は夜になると胆石がある部分が光ることで不思議に思い見つけたそうであります。その牛黄の薬効は、この世に存在する薬物では最高品と今でも言われており、超貴重品であるのですが、人間の知恵で牛の体内で作り出すことは出来ない。

何故なら神が人間に与えた物質であるからである。人間に胆石を創るのは簡単であろうが牛にはできないゆえにインドでは牛は神として崇められているのです。出口王仁三郎も洞窟で瞑想して神の啓示を授かったと言われています。もちろん山の中腹の石の洞窟であります。多分王仁三郎も夜になると光る石が見えていたのでありましょう。


巨岩石がゴロゴロしている塚原高原において大きな石は珍しいものではなく、なぜその石の存在に興味を示し東京の考古学者が研究する過程になったのかを自分なりに少し調べたら鳥居教授のお弟子さんが湯布院で病気療養をしていた記事を見つけたのであります。お見舞いに来たのかお弟子さんが連絡したのかは、わかりませんが、調査に至り小石の配列などにより石器時代の儀式跡に間違いないと認定されたそうです。


この山の中腹に巨岩石があるそうなのですが詳しい場所は長老と私しか知りません。地区の共有地の為入ると3万円の罰金を徴収すると看板が出ています。84人の共有地で長老から権利を買い取るには800万円が相場とのことですから、何らかの方法で入山することを考えます。この共有地は広く一部でソーラー発電でもめています。地元の共有地を持つ84人の大半は賛成派で別荘地に住む者は反対でもめていますが、多分できるでしょう。なら、ここも開発して頂き社(やしろ)を建てらせるのも一案かと頭をよぎったのですが、やはり自然環境が一番かと悩みが絶えません。あとは神にお任せです。



由布山を望む。


安心院の龍王城の城主のお墓の場所です。


満月行でご神木プージャを行った炎です。(炎は龍の夫婦?)

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NO696・・・神が宿る巨岩石

2019-05-15 | ヒーリング
大昔由布山の噴火により多数の巨岩石が噴出し、その一部は20数km離れた1か所の場所に集中し到達したのが前日ご紹介した妻垣稲荷大社(AJIMU)であるのですが、由布山の裏側(塚原高原)には3m以上の岩石がゴロゴロ噴出しており、その一つには、とてつもないエネルギーが噴出している巨岩石があるのですが、地元の人は自然形態や自然環境を壊される事を嫌いひたすらに隠し通しているのです。この一帯は地質学を研究する大学の学者によって調査され、常識を超えたエネルギーが噴出されている事が証明されているのです。それも、一つの巨岩石から莫大なマグマのエネルギーが噴出されているとのことであり、常識で測れないので、神が宿る石と解釈されたとの話を村の長老に聞いていたのですが、その場所を明かすことはありませんでした。

カレスワール、スワミは地のエネルギーの元はマグマであり、石から発生するエネルギーが重要だと言ったことからもわかるように洞窟で瞑想する意味も理解できるのです。また、インドは世界有数の石の産出国でもあり、石の上に大地があるとも言われているのです。

もうひとつ付け加えますが、由布山の山腹にある仏山寺は宮崎県の霧島神社のお告げにより建立されたとの歴史がありますので、仏山寺から発生するエネルギーが塚原の霧島神社を経由し安心院の妻垣稲荷大社に通じていると思うところであります。その直線で繋がる線の中に癒しの森湯布院はあるのです。


親しくしている地元の人にやっと聞き出すことに成功し探索したのですが、正確な石を確定するまでには至っていません。情報としては洞窟の穴は深いのでライトが必要なことと、滑らない靴を履く必要があるとのことです。今は田植え時期で忙しいので後日案内をして頂ける確約を頂いています。正確な石かどうかわからないのですが、洞窟から冷気(霊気?)が噴出している岩は見つけています。


持ち主が個人か行政かわからないのですが、文化と歴史を継承する意味からも、見つけたら周辺を整備して第二修行上の一つに加えるつもりです。この場所は近いので重要視しています。もし大日如来像が来なかったら、ここまでは意欲が出なかったと思います。し、私に与えられた使命かも知れません。つまり動かされているという事です。案内していただける人は言えませんが塚から発掘された一部を持っているとの情報をキャッチしているのですが、そのうち交渉するつもりです。



















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NO695・・・由布山仏山寺跡地

2019-05-14 | ヒーリング
湯布院は仏山寺に守られているので、大きな災害がないと明治・大正生まれの人には信じられており、それを聞き伝えられている少数の人は、今でも参拝をしているようですが、その人数も年々少なくなり、今では獣道となり探すのも難しいそうです。

地震の災害などなかった湯布院に3年前大地震が発生しました。この震源は熊本の阿蘇山であり、仏山寺はこの脈の通過点の山にあると推測されています。この脈は仏山寺から塚原の山中にある巨石(神が降りた)を通過し霧島神社から安心院(ajimu)の妻垣稲荷に達していると思われるのです。

その証拠は今から探索し証明しますが、この3点には同じ種類の大きな石が関連していることからも推定でき、安心院の北にある院内町の石橋にも関連していると見るのが研究者の考えでもあるのです。二度と地震の災害などから湯布院を守るためにも仏山寺の後地を復活させねばならないと思っているところです。

その通過点の中に癒しの森湯布院があり、大日如来が安置されることになったのでしょう。この世には、偶然はなく、すべては必然的に起こっていると言われています。大日如来像が安置されたのも仏山寺の跡地に興味をもたらされているのも、すべては神の意志であり、私はただ神の意志に操られているに過ぎない存在なのです。


仏山寺の跡地の入り口の風景ですが、歩いて1時間ほど登るそうで地元の長老の案内がなければ見つけることは難しいそうです。ここを第二修行道場の一つにするため近日中に長老と一緒に探しに行く計画をしています。




私が興味を示しているのは、現在の仏山寺ではなく由布山の山腹にある最初のお寺の跡地から噴き出すエネルギーなのです。

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NO694・・・妻垣神社と稲荷大社

2019-05-13 | ヒーリング
3院町の院内には日本一の石橋やこて絵が有名であり、安心院町は宇佐神宮より歴史がある妻垣神社や龍王城やストーンサークル他史跡でも有名であるのです。また、湯布院町は龍伝説が残っている金鱗湖や卑弥呼ではないかと言われている宇奈岐日女神社も有名なのです。が、今後発表する仏山寺がこれら龍伝説などと何らかのかかわりがあると思っているところです。
参考:こて絵

ストーンサークル(歴史・文化)










向こうに見えるのが由布山













ここまでの写真は妻垣稲荷大社で妻垣神社とは違います。


妻垣神社








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NO693・・・3院町

2019-05-12 | ヒーリング
湯布院町・安心院町・院内町の三つの町は院がつくことから三院町(さんいんちょう)と呼ばれ、歴史の古い町でもあり史跡などが沢山あります。
今回はその中の安心院町の山頂にあるストーンサークルの写真だけ掲載し、説明は後日数回にわけてアップしようと思っています。








このような大きな石がこの山だけにしかなく大昔由布山信仰が行われていたそうです。子宝が授かる事でも一部の人に認められている聖地であります。


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NO692・・・安曇族

2019-05-03 | ヒーリング
火・木・土曜日は安心院(AJIMU)でヒーリングをしているのですが、この安心院の由来は福岡県宗像市の安曇族が流れ着き安心院町になったそうで由緒ある土地柄で遺跡・神社など多数あり、豪族の塚もあります。また、山の頂上にはストーンサークルがあり、大昔この山で神事が行われていました。信仰の対象は私が住む湯布院町塚原の由布山であったそうです。また長野県の安曇野や熱海も関係があるそうなので調べると面白いかも知れません。何が面白いかと言えばユダヤ人と繋がっている説もあるからなのです。ユダヤ=宇宙人説も興味があるところです。

安曇族

安曇族2

この塚原と安心院町の境界線には神が降神した証明の大きな岩石もあり、神秘な場所であるのです。この地に高速道路ができるときに塚が壊され、この塚の周辺から龍の絵柄が彫られた巨石や勾玉など多数が出てきたのですが、工事の遅れを危惧した業者が証拠隠滅したために行方不明であります。これらが出た場所は霧島神社の近くで霧島神社も由緒があり、由布山から降り注ぐエネルギーの中にあり、この神社も神秘的な要素をもつ歴史的にも重要な神社であるのです。

塚原の鬼伝説

霧島神社

美しい村

源 為朝伝説
これを書かれている整体師の「たくま」さんとは関係ないのですが、とても分かりやすいのでご紹介しました。

山岳仏教信仰:由布岳

この神秘的な村の由布山から降り注ぐエネルギーの中でご神木プージャや行が行われていますので、私のエネルギーというより地のエネルギーの効果かも知れません。このエネルギーと微生物を応用して魅せる農園が造られているのです。クマガイソウ農園は地下修行道場と仙人瞑想小屋の前で育てられています。








軽トラの向こうに見えるのが由布山でその麓に霧島神社があり、由布山・霧島神社・安心院を繋ぐ直線上に癒しの森湯布院はあり、癒しの森と安心院を繋ぐ直線上に降神の証の岩があるのです。これらと大日如来がどう繋がっているのか今後の楽しみであります。

その後、調べてみましたら大日如来像と関連する記事が見つかったのです。・・・・・由布岳の山腹に天台宗の佛山寺というのがあったそうです。その記事にはこのように記されています。「歴史[編集]

康保年間(964年~968年)、性空が由布岳の山腹で読経すると鳴動する岩があり、その岩で観音像を造り祀ったのが始まりと伝えられる。 以来、由布岳信仰の本拠地として数十ヵ寺の末寺を有したが、文禄5年(1596年)の慶長豊後地震で倒壊。山麓の当地で再興、臨済宗の禅寺となった。」




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NO691・・・癒しの農園3

2019-05-02 | ヒーリング
連休の湯布院は多くの観光客が訪れ、どこもかしこも人だらけで渋滞に苦労しています。毎日温泉に朝一番に行くのですが、普通は顔見知りだけの早朝風呂が観光客の為に駐車場も一杯です。普通はホテルの温泉に浸かるとおもうのですが、6時半に来る人がいるのにびっくりするし、どんな観光ルートなのかにも興味がわく連休の湯布院ですがあいにく毎日雨で、今日はやっと晴れましたが、火・木・土は仕事の為クマガイソウ農園の作業が出来ずヒーリングしています。






小雨の中何とかやっていますが、思うようにはかどりません。明日晴れたら上部に遮光ネットを張り、草むしりをしたら終わりで、次の作業に取り掛かります。


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