癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO485・・・上品・中品・下品

2016-01-27 | エンジェルスティック

上品・中品・下品の読み方は、じょうぼん・ちゅうぼん・げぼんと読みます。この3つを更に3つに分ける。つまり上品の上(じょうぼんのじょう)・上品の中(じょうぼんのちゅう)・上品の下(じょうぼんのげ)の3つに分けることが出来る。合わせて9つに分けるのであります。

 

人間も生まれた時に、この9つに分けられたどこかに分類されて生まれて来るのである。これを誰が分けるのかと言いますと、当然神と呼ばれる宇宙エネルギーであり、変えようの出来ない真理の法則に決められて生まれて来るのである。上品の上が菩薩と呼ばれる地位であり、菩薩は上の次元とも行き来できる位置にいるのであろう。神や仏はその上の段階に住まわれており、この9つの輪には属さない。

 

木にも上品・中品・下品がある。上品に属する木は香木であろう。であるから火の儀式を行う時には香木を焚くのである。私が火の儀式に使う香木は、芯の部分は仏像に使われた端材と呼ばれる部分であります。この木は上品であり仏像が彫られる部分の心の部分は当然上品の上の部位であり、端材は中の部位で下品は皮の部分であろう。

 

同じ木にも上・中・下の3種類に分類され無傷で香料が多く重い物が上品の上になる。でありますから、仏像の価値は、形は似ていても木の種類や産地や比重などで値段が違うのであります。香木は、悪霊を寄せ付けない木と言われており、場や体や魂の浄化の為に、シャーマンの儀式や火の儀式にはかかせないのであります。また、多くの香木は、比重が重たいために水に沈むのであります。

 

 

当然これらの香木で焚かれた灰にも価値があり、聖なる灰と呼ばれているのであります。今ホーマーの灰の中には、数人の聖地が作られている。缶の中にある動物の鱗が納められ、灰の下部に安置されているのである。であるからホーマで香木が焚かれる度に、その人のエネルギーは浄化されるのである。

 

また、この人たちに縁がある人にも、そのエネルギーは伝達され、そのヒーラーに治療される人にも伝導される仕組みが出来上がっているのである。ゆえにほぼ毎日香木は焚かれるのであり、それが私のお役目でもある。火の儀式に使うお供物は、香木やトラの皮やある動物の鱗や骨が捧げられる。

 

江戸時代、頻繁に火事が起こっていた。もし火事にあったら、何をおいても火鉢の灰を持って逃げよと言われていたそうである。大げさにしても灰の意味を知っている人は価値を知っていたのであろう。先日ある生き神さまより灰が送られて来た。この灰は江戸時代から大正時代に多くは作られた灰であり、貴重なもので入手が難しいものであります。当然この灰はホーマーの灰に混ぜ合わせました。

 

香木で彫られた小さな仏像も入手できたので、修行に使われる動物の骨(継承された昭和初期の骨)と合体されるように奥伝を用いて試作中であります。この仏像にはブッダと繋がる菩提樹のブッダの手と呼ばれる実や鬼気を退治する実も付ける計画であります。このご神体を持って瞑想を行う事が継承された重要な行法の一つでもある。

 


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NO484・・・縁なき衆生度し難し

2016-01-20 | エンジェルスティック

とは・・・・人間を救済するには、縁が結ばれなければ難しいとブッダは言っています。この時の救済とは、解脱の事であり、解脱とは六道輪廻の輪から解放されることであります。※人間とは、霊止(人・ひと)になるまでの修行期間であり、霊すなわち守護霊や指導霊がつくまでの修行期間と云う事になります。

 

なぜ人は解脱を求めるかといいますと、六道輪廻の輪から解放され、来世は神の世界に生まれる事を魂が求め出したからであります。ですから、求めない人にいくら仏や神の世界を説明しても聞く耳は無いわけですから、聞く時期が来るのをじっと待たなければなりません。

 

いくら自分が素晴らしい教えと思っても、人それぞれで、その道に感化されたら困る人もいるわけであります。例えば実業家は事業を通して国の為に頑張るお役目で生まれているかも知れません。高級役人も日本の為に邁進しなければならない宿命かも知れません。

 

その方々にとっては、心が動揺される話を、長く聞かされると迷惑かも知れないのです。つまり車のブレーキとアクセルの関係と同じく、同時に踏むことは出来ないわけであります。その方がたも決して神を信じてないわけでは無く、わかっているが、今は無理だと悟っているかも知れないのです。

 

ですからブッダは神縁(神のイニシエーション)がないと解脱は難しいと教えているのであります。それでは、私たちは、何故求めているのか?それは、魂がなんとなく神という存在を意識し始めたからであります。

 

この意識し始めた時が縁が来た合図なのであります。ヒーラーならもっともっと多くの人を治したいと思う様になった時であります。お金を儲けるためではなく、治すことが出来なかった人を、どうしたら治せるようになるかを考え始めた時であります。

 

もっともっと儲かるにはでは無く、どうしたら治すことが出来るようになるかと思うようなった時でありましょう。治す力を得るためには、人々のために働かなければなりません。

 

見返りを求めない働きをしなければなりません。菩薩とは、来世は神になることが約束された地位にいる方々です。この菩薩の仕事はただ一心に人々を助けることなのです。それが如来を目指す修行だからであります。

 

菩薩さまは、解脱はしているが、この世に留まり、救済に精を出している高貴な人であります。解脱をする事で人々を救済(この場合の救済はゴッドヒーリング)する力を得ることが出来る分けですから、私に縁があった人々は真剣に学ぶ事になるのです。

 

当然お金もかかります。何故なら修行に使う材料費が高いからであります。その材料を使い修行する方は、利益の一部を神に還元しなければなりません。ですから、例え神のエネルギーを使うとはいえ、治療費は頂かなければならないのであります。

 

菩薩さまは、その過程を過ぎた人ですから一方的に与える事が出来るのであります。ですから逆説的に考えますと、お金が必要で無くなった時が、解脱が完成された時になるかも知れません。

 

特別行を学んでいる方々は、気功を勉強しているのでは無く、解脱の仕方を学んでいるわけですから、気功とは別次元の学びという自覚が必要であります。また、人々を惑わす恐れがありますので、人には漏らさないことが肝心であるのです。生き神様の教えや密教は、気功教室の延長線ではなく、別次元の教えであることをご理解頂きたいと思うところであります。

 

 

 

 


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NO483・・・人間の弱さ

2016-01-18 | エンジェルスティック

密教や生き神様の行はすべて秘密にされており、行を行う行場の様子や祭壇の飾り方など全てにおいて秘密とされております。なぜ秘密なのかといいますと「法」を伝授する資格がない者が、見よう見まねで行うと危険が生じるからであります。

 

また行に使う動物の骨の種類や名前も秘密にされており、同じ骨であっても法が入ってないものは、ただの工芸品や美術品であり効果が無いばかりでなく、使い方によっては弊害が出るからであります。また三日三晩の行や初期サマディーを行うにおいて、最初に伝授されないとなんの結果も出ません。

 

ポーズは似ていても、神から送られてくるエネルギーは通路に蓋をされ通過できないわけであります。エネルギーが通過できないと当然次の工程には進めないわけですから、マントラを唱えながら反復行を行うのです。ですから似ていても気功などとは全然違うわけであります。よってカーリーマントラ等も世に出ているものとは、似ていても全然効果は違うのであります。これらの4つのマントラも秘密になっております。

 

このように密教や生き神様の教えは一歩間違えると危険や動物の絶滅に関係しますので、絶対表には出ないように厳しい秘密の制約があるわけであります。その証拠に今まで書物にもネットにも発表されたことは無く、師から弟子へと何千年も引き継がれているのです。

 

最近ある生徒から気功教室で、うっかりして初期サマディーのポーズを行っと電話がありました。人に見せたい気持ちもわからないわけではないのですが、大変な事なのです。この方は2月の特別行は懺悔だけを行い、許しを得なければ次の工程には進めない事になったのであります。

 

私は人前で見せたことは無いし、あれができるや、これができるなども言ったことはありません。なぜかと言いますと必ず反対意見が出た後に、議論となり、その証拠を見せろとなり、下手をすると神を冒涜する行為に発展するからであります。正法の掟の中に「正法を誹謗してはならない」とあります。これは直接誹謗しなくても、自分が原因で相手に誹謗させても罪は同じなのであります。

 

このように行を成功させる秘訣は黙って、ヒーラーなら治すことで証明するのが得策と考える次第であります。人間は自信がないものほど理論で勝とうとする動物であることを自覚し、議論はしない事です。もっともっと「法の世界」を理解しないと、あと一歩の段階で脱落する可能性があるのです。

 

密教や生き神様の教えは、自分のプライドや名誉や虚栄心や人に教えるために学ぶものではありません。反対にプライド等を捨てるために行う行なのです。ですから私は脱皮行を教える段階に至った時より、ブログの更新は控えめにしているのであります。思わせぶりに書くと人々を混乱させるからであります。

 

今半地下で行っている行の内容は絶対に外に漏らしてはなりません。これらは私と縁があった人のみが学ぶ事が出来る行であり、一見気功教室に見えても、そこには秘密の伝授が行われているのです。この秘密の伝授こそブッダや生き神様の神髄なのであります。

 

 

 

 

 

 


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