愛車ジャガーを廃車することに決めました。昔の薬業界仲間に泣きつかれ、購入した20年落ちのジャガーだったのですが、燃費の悪さに加え故障だらけの1年半でした。距離数は8万キロくらいだったので20万キロまでは乗ろうと思い修理やメンテをしていたのですが、さすがに、今回の故障(エンジンセーフモード)でギブアップしました。
通常は軽トラで十分なのですがアシュラムが交通の便の悪い場所にあるため、駅までの送り迎えに4人乗りは必要なので、直ぐに次の車を探していたら13年落ちの距離数9、8万キロのマークⅡが入手できたのです。
店の応援者でもある土木会社の社長さんに相談したら、俺の車やるわで5分で決まったのです。マークⅡの最後の限定車で大事に愛情を注ぎ続けていた車なので、手放すことは出来ず悩んでいたところ「阿吽の呼吸」というか、向こうは私に乗って欲しい、私は「社長の車なら安心して乗れるし、乗りたい」が一致した瞬間が5秒です。
社長は地方では、内容からいっても大会社の社長ですから、その気になればレクサスでもベンツでも乗れるのですが、通常は軽のワンボックスカーに乗っています。「成り上がりに見られるのが嫌だ」「の人を刺激するのは嫌だ」私と共通するのです。
そして縁があって入手したものや人に愛情を注ぐ!これも共通しています。ですので、愛情を注ぎ続けた車が入手できたのでしょう。家に帰り家族に仙人に車やったわと言ったら、家族全員があの人ならいいんじゃないと言ったそうです。
私が作るグッズに興味があり、多くを家に持って帰るのですが、「あんた、また騙された」のと言われるそうですが、信頼関係は出来ているので冗談の会話になっているのです。これが神が繋ぐ縁ではないでしょうか?
それにしても何故外車はダメなのでしょうかね。と、つくづく考えたらパクりと部品と物を作る職人の愛情に気づいたのです。同じホンダのバイクであってもマレーシアで作ったバイクと日本で組み立てたバイクは違うと言う。
メイドインジャパンと書かれていても生産した国まで調べなければ良いものは入手できないと言う。同じ部品を使って組み立てても組み立てる人によって違うと言う。これは事実なのです。作る人の意識が物に反映されると言う事なのです。ゆえに物質には意識があると言うのでしょう。
この意味が理解できないと何事においても本物には循り合えないと思うのです。バイクの組み立てを給料を稼ぐためと思うのか?自分が組み立てたバイクに乗る人に喜んで欲しいと思いながら組み立てるのか?最高の部品を作りたいと思って作るのか?金儲けとしてして部品を作るのか?
名人が作る刀には魂が籠ると言う。ただ鉄を熱して炭素をくっつける作業のように思うが、出来上がった物は別物である。名人が作る刀には魂が籠っていると言う。これも歴史が証明しています。ゆえにパクリはどこまで行ってもパクリでマントラもヤントラも同じでしょう。
マントラを唱えても息吹があるマントラか単なる言葉か。これが結果に現れるのです。10年マントラを唱えたが何の効果もなかった。当たり前と言えば当たり前でしょう。魂が籠ったマントラを唱えなければ、ただの言葉を唱えたのに過ぎないのです。師から直接伝授されないマントラはただの言葉でパクリはどこまで行ってもパクリなのです。
パクリ国家には未来はありません。日本の職人魂の伝統が失われない事を祈るばかりです。
今、朝の5時でまだ暗いです。夜9時半に寝ると4時に目が覚めます。二度寝入りするか、このまま起きているか?悩む年齢になりました。
自称仙人の私は、日本の生き神様の系譜を継承し、祭司として除霊とヒーラーの育成を行っています。