地震のニュースを聞いているとマイナスの言葉だらけで嫌になります。「明日からの生活をどうしようか?心配で心配で仕方ない」「行政は何もしてくれない」「自衛隊の炊き出しは嫌だ」・・・・この炊き出しの件は、被害にあった人が言っているのでは無く、政府がすることになんでもケチをつける、人達が言っているようです。
それを大きく報道するマスメディアは一体何様なのか?文句を言う暇があるなら、自分が炊き出しの手伝いをすれば良いのに。マイナス思考で揚げ足を取る報道ばかりで、心配にはなるがTVを観る気にもなりません。まったく嫌になります。天災だからみんなで力を出し合って乗り切ろうくらい言えないのか。
まあ~それはさておいて、大分は昨夜の台風並みの暴風から打って変わって朝から快晴で洗濯日和です。余震もほとんど無く、普通の生活に戻ったように感じていますが、なめていると、どでかい余震がくるかも。と思っていた時に、由布市から避難解除のメールが来ました。
釈迦の十大弟子のひとり・・・プールナ(プンナ・ふるな)のプラス思考。
釈迦をうならせた布教活動の志
説法第一と言われたプールナには、こんな話が伝わっている。ある日の夕方、竹林精舎にいた釈迦をプールナが訪ねてきた。釈迦の前に進み出て、うやうやしく礼拝をしてから言った。
「世尊よ、私は、布教の旅に出たいと思います。お別れをする前に、どうか最後の教えをお聞かせ下さい。」教えを説いた後、釈迦は、静かに尋ねた。「お前は、どこへ布教に行くのですか」「西の彼方、スナーパラタンタ国へ行きたいと思います。」
「プールナよ、かの国の人々は気性が荒く、粗暴だと聞いております。もし人々がお前を罵り、辱めたらどうします」「たとえ罵られたとしても、私を殴ったりしないのだから、この国の人々は善い人達だ、と思うでしょう」「では、お前を殴ったどうします」
「私は、こう考えます。たとえ殴られたとしても、棒で叩かれたりしないのだから、この国の人々は善い人たちだ、と思うでしょう」「では、お前を棒で叩いたらどうします」「刀で傷つけないのだから善い人たちだと思うでしょう」
「では、刀で傷つけ、お前を切り殺したらどうします」「世尊よ、世の中には自ら命を絶つ者が少なくありません。誰か殺してくれないかと願う者もいるほどです。ですからその時は、この国の人々は善い人達だ、私の命を絶って、この世の悩みから解放してくれたのだから、と思うでしょう」
「プールナよ、行きなさい。その心がけならば、きっと多くの信者を得るでしょう。」こうしてプールナは西の彼方へ旅立ち、多くの成果をあげたという」このような覚悟が、「説法第一」と言われるプールナの説法を支えているのであろう。