癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

シルディ・サイババ(ムンバイの女性)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ムンバイのカヤスタ・プラブ(クシャトリヤに属する民族グループ)のカーストに属する女性は出産の際、常に酷い痛みに苦しんでいた。彼女は妊娠するたびにとても怖くて、どうしてよいか分からなかった。ババの帰依者であるカルヤンのスリ・ラママルティは、彼女の夫に彼女をシルディに連れて行くように助言した。

 

その後彼女が妊娠した際、夫婦はシルディに行き、数ヶ月滞在して、ババを礼拝した。しばらくして出産の時期が訪れ、いつもの通りなかなか子宮を通過できなかった。彼女は陣痛に苦しみ始め、どうしたらよいか分からなかったが、救いを求めてババに祈った。しばらくして数人の近所の女性たちがやってきて、ババの加護を乞い求めた後、彼女にウディを飲ませた。

 

すると5分のうちに女性は無事に痛みもなく出産をすることができた。定めにより子供は死産であったが、不安と痛みを取り除くことができた母親は無事な出産ができたことでババに感謝し、その後もずっと感謝し続けたのであった。

                                    

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


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シルディ・サイババ(ハルダの紳士)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ハルダの老紳士は腎臓に石が出来る病を患っていた。通常、そうした石は外科手術で取り除かれるため、人々は彼に手術を受けるよう薦めた。だが彼は年老いて弱っており、精神力にも欠けていたので、外科処置を受ける気持ちにはなれなかった。だが彼の病は別の形ですぐに終わりを告げることになった。

 

その頃町の役人がたまたまやってきた。彼はババの帰依者でいつもウディを持ち歩いていた。友人たちの薦めで、彼の息子はこの役人からウディをいくらか分けてもらい、水にまぜて年老いた父親に飲ませた。するとウディを飲んでから5分で、石は解けて、尿となって排出され、老人はすぐに楽になったのであった。


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シルディ・サイババ(イラン人の娘)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

さてここではイラン人の紳士の体験を紹介しよう。彼の若い娘は一時間ごとにひきつけを起こしていた。発作が起きると、彼女は喋る力を失い、肢は捻じ曲がり、意識を失って倒れてしまうのだった。彼女に有効な治療はなかった。

ある友人がババのウディを薦め、ヴィル・パルレ(ムンバイ郊外)にいるカカサヘブ・ディクシットからもらうようにと言った。そこでイラン人の紳士はウディをもらって水に混ぜて毎日娘に与えた。最初は一時間ごとに起こっていたひきつけが、7時間ごとになり、数日後には娘は完全に治ってしまった。


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シルディ・サイババ(シャマの義理の妹)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

シャマの弟のバパジはサウリ井戸の近くに住んでいた。あるとき彼の妻が腺ペストにかかった。彼女は高熱を出し、鼠径部に2つのコブができていた。バパジはシルディにいるシャマの元へ走り、助けに来てくれるよう頼んだ。シャマは怖くなったが、いつもの習慣に従ってババのところへ行き、彼の前にひれ伏して、病を治してくれるよう願って彼の加護を乞い願った。

 

ババは彼が弟の家に行くことを許可した。そしてババは言った。「今日の遅い時間に行くのはやめて、彼女にウディを与えなさい。なぜ熱やコブのことで心配するのかね?神が私たちの父なのだよ。彼女はすぐに良くなる。今行くのはやめなさい。朝行って、すぐに帰ってきなさい」

 

  シャマはババのウディに全幅の信頼を置いていた。それはバパジに届けられた。ウディはコブにあてがわれ、少量を水と混ぜて彼女に飲ませた。ウディを飲ませてすぐに大量の発汗があり、熱は下がって、患者は安らかに眠った。翌朝バパジは、彼の妻が全快して熱もコブもなくなっているのを見て驚いた。

 

シャマはババの許可通り翌朝やってきたが、彼もまた彼女が台所でお茶の用意をしているのを見て驚いた。弟に尋ねると、ババのウディが一晩で完全に彼女を治してしまったと知った。それからシャマはババが、「朝行って、すぐに帰ってきなさい」という言葉の意味を理解した。

 

  お茶を飲むと、シャマは戻ってきてババにひれ伏してから言った。「デーヴァ、これはなんのお遊びですか?最初に嵐を起こして私たちを落ち着かなくさせてから、それを鎮めては私たちを慰めるなんて」ババは答えた。「作用の過程とは不可思議なものだ。私は何もしていないのに、運命として起こってくる作用には私が責任を持たされている。

 

私はただの目撃者なのだ。主が唯一の行為者であり、物事を引き起こす者なのだ。彼はとても慈悲深い。私は神でもなければ、マスターでもない。私は彼の従順な召使であり、常に彼を思う者だ。自らのエゴイズムを捨て去り、彼に感謝し、完全に彼を信頼する者は、束縛から自由になり解脱を得るであろう」

 


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シルディ・サイババ(ドクター・ピレイ)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

ドクター・ピレイは熱心なババの帰依者であった。ババも彼をとても愛し、バウ(兄弟)という愛称で呼んでいた。ババは公私に渡りあらゆることを彼に相談し、いつも彼をそばに置きたがった。ピレイは一度ひどいメジナチュウに寄生されたことがあった。彼はカカサヘブ・ディクシットに言った。

 

「痛みがひどくて、耐えられないんだ。死んだ方がマシだよ。この痛みは過去のカルマを償うものだと分かっているけれど、ババの所へ行って痛みを鎮めてもらい、私の過去のカルマを10回の未来世に移行してもらうよう頼んでみてくれないか」と言った。ディクシット氏はババのところへ行って、彼の頼みを伝えた。するとババはその頼みに心を動かされてディクシットに言った。

 

「彼に、怖れるなと伝えなさい。なぜ10回もの人生で苦しむ必要があるのか?10日で彼は良くなり、過去世のカルマの報いも終わる。現世と霊性の幸福を授けるために私がここにいるというのに、なぜ彼が死のために祈らなくてはならないのかね?誰か背負って彼をここに連れてきなさい。これを最後にここで彼の病を終わりにしてしまおう」

                                                                                

  ドクターはこのようにして連れてこられ、ババの右側に座らされた。ババは自分の長枕を彼に渡して言った。「静かにここに横になって楽にしなさい。本当の治療とは、過去の行いの結果を受け取り、克服することで起きる。私たちのカルマは幸福や悲しみの原因となる。だからこそ何が起きても耐えるのだ。

 

アラーは分配者であり、保護者でもある。常に彼のことを思いなさい。彼が君を守ってくれるだろう。彼に身体と心と言葉を委ねて、彼が行うことを見ていなさい」ドクター・ピレイはナナサヘブが足に包帯を巻いてくれたが、痛みは治まらないと言った。「ナナは馬鹿だね」ババは答えた。「包帯を取りなさい、さもないと君は死んでしまう。カラスが来てついばんでいくだろう。そうすればよくなるよ」

 

  この会話が行われている時に、いつもマスジッドを掃除しランプの手入れをしているアブドュルはが現れた。彼が自分の仕事をしている最中に、彼の足がたまたまドクター・ピレイの伸ばした足の上に倒れてしまった。足は既に腫れあがっていたので、アブドゥルがその上に倒れてさらに圧迫したことで、7匹のメジナチュウは一度に搾り出されてきた。

 

痛みは耐えがたく、ドクター・ピレイは大きな叫び声を上げた。しばらくして彼が落ち着くと、歌ったり泣いたりし始めた。するとピレイはいつカラスがついばみに来るのかと尋ねた。ババは言った。「君はカラスを見なかったのかね?彼はもう来ないよ。アブドュルがカラスだったのだ。さあワダへ行って休みなさい。じきによくなるから」

 

  ウディをもらい、水に溶かして飲むと、他に何の治療も投薬もなしで、ババの保証した通りに病は10日で完全に治癒してしまったのだ。

 


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シルディ・サイババ(第三十四章・医師の甥)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

マレガオン(ナシク地区)に、博士号を持つ医師が住んでいた。彼の甥は不治の病、結節骨膿瘍を患っていた。彼の親戚でもあり医療にも従事していた医師は、あらゆる治療を試み、手術まで行った。それでも治癒することはなく、小さな少年の病にはピリオドが打てなかった。

 

友人たちや親戚の人々は少年の両親に、神に助けを乞い、ほんの一瞥だけでそのような不治の病を治してしまうことで知られていたサイババのところへ行くように薦めた。そこで両親はシルディへ赴いた。彼らはババの前にひれ伏し、ババの前に少年を座らせ、息子を救ってくれるよう謙虚に懇願した。

 

慈悲深いババは彼らを慰めて言った。「このマスジッドに避難してきた人々は、今世の終わりまでもう苦しむことはない。さあ心配はしなくてよい。膿瘍にウディをあてがいなさい。一週間もすれば彼は良くなるだろう。

 

神を信じるのだ。ここはマスジッドではなく、ドワルカマイだ。ここに入ったものは健康と幸福を手に入れ、彼の病は終わりを告げるであろう」ババの前に座らされていた少年の患っている部位に、ババはその手を当て、愛情深いまなざしを彼に向けた。患者は喜び、ウディをあてがうと症状が改善し始め、数日後には完治してしまった。それから両親は、ウディが効き目を発揮したこととババの恵み深い一瞥で治癒に至ったことに感謝しながら、息子と共にシルディを後にしたのであった。

 

  このことを知ると、少年の叔父である医師は驚き打たれてババに会いたいと願うようになった。彼は仕事でムンバイへ向かう途中、メレガオンとマンマドで誰かがババの悪口を言っているのを聞いた。そこで彼はシルディに行こうという思いを断念し、直接ムンバイへ向かった。

 

彼は残りの休暇をアリバーで過ごそうと思っていたが、ムンバイで3日続けて声を聴いた。「君はまだ私を信じないのかね?」そこで医師は気が変わって、シルディに行こうと決意した。彼はムンバイで伝染性の発熱の患者を診ていたが、熱が下がる兆候はまったくなかった。そこで彼はシルディへの旅行を延期しようと考えた。だが彼は自分の心の中で実験を試みた。

 

「もし患者が今日中に良くなったら、私は明日シルディに行こう」彼がそう決心したその瞬間から、驚いたことに熱は下がり始め、体温は平熱になった。そこで彼は決心した通りシルディに行き、ババのダルシャンを受けて、彼の前にひれ伏した。

 

ババが彼に与えた体験を経て、彼はババの帰依者になったのであった。彼は4日間滞在し、ババのウディと祝福を授かって帰宅した。一週間のうちに、彼は昇進してビジャプールへ転勤になった。彼の甥の病は彼にババと出会う機会を与えてくれ、この訪問で彼は聖者の御足に対する衰えることのない愛情を得たのだった。

 


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シルディ・サイババ(ハリバウ・カルニク)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

1917年、ダハヌ(タナ地区)のハリバウ・カルニクがグルプルニマ(アシャダの月)の日にシルディにやって来て、形式に従ってババを礼拝した。彼は布とダクシナを差し出して、ババにいとまごいを告げて、マスジッドの階段を下りた。

 

その時彼はもう1ルピーをババに差し出すべきだと考えて、もう一度階段を登り始めた。するとシャマが彼にしぐさで、彼はババにいとまごいをしたのであり、戻ってくるべきではないと合図をした。

 

そこで彼は家路に着いた。途中、彼はナシクのカラ・ラームのダルシャンを受けに行くと、普段は寺院の中に座っている聖者のナルシング・マハラジがハリバウの元へやってきて、彼の手首を掴んで言った。「1ルピーを出しなさい」カルニクは驚いた。彼は喜んで1ルピーを払い、これで彼は自分が差し出したいと心の中で思っていた1ルピーを、ナルシング・マハラジを通してサイババに捧げることができたと思ったのだった。

 

  この物語は全ての聖者は一つであり、彼らがいかに調和して働いているかを示すものである。

 

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように

 


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シルディ・サイババ(バラブア・スタール)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

その敬虔さと信仰とスタイルから現代のトゥカラムと呼ばれていたムンバイの聖者、バラブア・スタールは、1917年にシルディにやってきた。彼がババに敬礼をすると、ババは「私はこの男を4年前から知っている」と言った。シルディへやってきたのはこれが初めてだったので、バルブアは不思議に思った。

 

だがよく考えてみると、彼は4年前ムンバイにあるババの写真の前にひれ伏していたことを思い出したので、ババの言葉の意味を理解した。彼は自分自身に言った。「聖者とはなんと全知であまねく遍在していて、帰依者に親切なことだろう!私はただ彼の写真に頭を下げただけなのに、ババはこのことを知っていて、時期がくると彼の写真を見るということは彼自身に会ったことに等しいのだと私に悟らせてくれた!」

 

  さてここでアッパサヘブの物語に戻ってみよう。彼がタナにいる間、巡業でビヴァンディへ行かねばならず、一週間後に戻る予定になっていた。彼が家を留守にして3日目に、次のような素晴らしい出来事が起こった。正午にファーキルがアッパサヘブの家に現れた。彼の姿はババの写真の姿にそっくりだった。クルカルニ夫人と子供たちは皆彼に、あなたはシルディのサイババですかと尋ねた。

 

彼は「違う」と答えたが、自分は彼の従順な召使で、彼の命令でここへ家族の安否を尋ねにきたのだと言った。それから彼はダクシナを要求した。夫人は1ルピーを差し出した。彼は小さなウディの包みを渡してこれを祭壇に置いておくように言った。その後彼は家を後にした。さてサイの素晴らしいリーラを聞いてみよう。

 

  アッパサヘブの馬はビヴァンディで病気になってしまい、彼は旅を続けることができなくなった。そこで彼はその日の午後家に戻ると、妻からファーキルが尋ねてきたことを聞かされた。彼は自分がファーキルのダルシャンを受けられなかったことで不安になり、さらにはたった1ルピーのダクシナしか支払わなかったことに不機嫌になった。

 

彼は、自分がその場にいたなら少なくとも10ルピーは払っていただろうと言った。それから彼はすぐにファーキルを探しに出かけ、食事も採らずにマスジッドやその他の場所を探して回った。その探索は徒労に終わった。そこで彼は家に戻って食事を採った。読者は32章のババの格言を覚えているだろうか。

 

神の探求はすきっ腹で為されるべきではないというものだ。それから彼は食事の後、友人のチトレ氏と共に散歩に出かけた。しばらく行くと、男が急いで彼らに近づいてきた。アッパサヘブは、彼の姿が写真のババにそっくりだったので、彼が正午に家に来たファーキルに違いないと思った。ファーキルはすぐに手を差し出してダクシナを要求した。アッパサヘブは1ルピーを差し出した。

 

彼は何度も何度も要求し、アッパサヘブはもう2ルピーを渡した。だが彼は満足しなかった。そこで彼はチトレ氏から3ルピーを借りて、ファーキルに与えた。彼はもっと欲しがった。アッパサヘブは彼に自分の家に一緒に来るように言った。そこで彼らは皆家に戻り、アッパサヘブは3ルピー、合計9ルピーを渡した。彼はまだ満足しない様子で、さらに要求した。そこでアッパサヘブは、10ルピー紙幣を持っていると告げた。するとファーキルは紙幣を要求し、9ルピーを返して去っていった。

 

アッパサヘブが先に自分なら10ルピーを払うと発言していたので、10ルピーを取られたのであり、ババの一触れで聖別された9ルピーは彼に戻された。9という数字は重要だ。これは9つの信仰の形を示すものだからだ(21章参照)。さらにここでは、ババが息を引き取る間際にラクシュミバイ・シンドに9つのコインを与えたことも記しておく。

 

  アッパサヘブはウディの包みを調べて、そこにはいくつかの葉とアクシャタ(精米されていないプジャ用の神聖な米)が入っているのを見つけた。そこでしばらく後、彼がシルディでババに会った時にババの髪の毛をもらってきた。彼はウディの包みと髪の毛をタビズの中に入れ、常に身に着けていた。

 

アッパサヘブはウディの力を理解していた。彼は非常に有能だったので、最初は40ルピーの給与をもらっていた。だが彼がババの写真を拝みウディを得た後は、彼の収入は何倍にも増え、現世の利益と共に、彼の霊的な進歩も早まるという大きな恩恵を授かった。だから幸運にもババのウディを得る者は、沐浴の後、額につけ、少量を水に溶かして聖なるティルスとして使うとよい。

 


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シルディ・サイババ(アッパサヘブ・クルカルニ)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

1917年、アッパサヘブ・クルカルニはタナへ転勤になり、バラサヘブ・バテからもらったババの絵に礼拝をするようになった。彼は大変熱心に礼拝をした。彼は花や白檀の練り粉、ナイヴァイディヤを毎日ババの絵に供え、彼に会いたいと強く願った。

 

ここで記すべきことは、ババの絵を熱心に見詰めるということは、ババ本人に会うのと同じことであるということだ。この物語はそのことを述べたものである。


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シルディ・サイババ(ナラヤンラオ)

2011-10-15 | シルディ・サイババ

バクタのナラヤンラオ(父親の名前や苗字は不詳)は、人生の後半に2度ババに会うという幸運に恵まれた。ババが1918年に亡くなってから3年後、彼はシルディに行きたいと思ったが叶わなかった。ババのマハサマディから一年以内に、彼は病気になり大変苦しんでいた。

 

あらゆる処方が試されたが効果はなかった。そこで彼は夜も昼もババに瞑想した。ある夜彼はヴィジョンを見た。ババが地下室を通ってやってきて、彼を慰めて言った。「案ずるな、明日には良くなって、一週間のうちには歩けるようになる」ナラヤンラオはヴィジョンで示された通り、一週間で完治してしまった。改めてこの件について考えてみよう。

 

肉体を持っていたからババは生きていたのか、それとも肉体を去ったから彼は死んでしまったのか?否。ババは常に生きている。なぜなら彼は生と死を超越しているからだ。心から彼を愛する者はいつでも、どこにいても彼から答えを受け取る。彼は常に私たちの隣にいて、どのような姿をも取り、信仰深いバクタの前に現れて彼を満足させるのだ。

 


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