癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

シルディ・サイババ(私とは誰か?)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

 

  サイババは何度も、この私とは誰であるかについて詳しく説明している。彼は言った。「あなたは私を探すために遠くへ行く必要はない。名前や姿を除いてみると、万物と同様にあなたの中には、存在するという感覚、あるいは存在の意識がある。それが私自身だ。これが分かれば、あなたは万物と同様に、あなた自身の内側に、私を見る。これを実践すれば、あなたは全てに浸透しているものを悟り、私と一つになるだろう

 

  そこでヘマドパントは謙虚に愛情を込めて読者に、全ての神、聖者、帰依者を愛し尊敬するよう求めている。ババはしばしばこう言わなかっただろうか。「他人の揚げ足を取り、あら捜しをする者は、私の心に穴を開け私を傷つけるのだ。だが苦しみ我慢して耐える者は私を最も喜ばせる」ババはあらゆる存在や生き物に浸透している。彼は全ての存在を愛する。このような甘露、純粋で吉兆をもたらす神の食物が常にババの唇から流れたのであり、それ故にババの名声を愛を込めて歌う者も、それを信仰心を持って聴く者も、共にサイと一つになる、とババは断じたのである。

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


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シルディ・サイババ(ババの甘露のような言葉)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  優しく慈悲深いサイババは何度も次のような甘い言葉をマスジッドで語っている。「私を最も愛するものは常に私を見るだろう。私なしでは彼にとって全世界が侘しく、彼は私以外の話はせず、止むことなく私を瞑想し、常に私の名を唱える。私に完全に身を委ね、いつも私を思い浮かべる者に私は恩義がある。私は彼に救い(自己認識)を与えることでこの恩義を返そう。

私は、私を想い渇望し、まず私に食べ物を捧げなくては何も食べることのできない者の奴隷である。私の元へやって来る者は、ちょうど河が海と合流して一つになるように、私と一つになる。だからプライドもエゴイズムも跡形も無く捨て去り、あなたのハートの中に座している私に全てを委ねなさい」


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シルディ・サイババ(バプサヘブ・ヨグ、サニヤスをとる)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  ヘマドパントはヨグがサニヤスをとったことを記して本章を締めくっている。サカラム・ハリ・アリアス・バプサヘブ・ヨグはプーナの高名なヴァルカリ・ヴィシュヌブア・ヨグのおじであった。彼には子供がなかった。彼は1909年に行政機関(彼は公共事業局の監督官であった)を退官すると、妻とシルディにやってきた。メガの死後、ババのマハサマディまで、バプサヘブは毎日マスジッドとチャヴァディでアーティを執り行った。彼はまたドニャネシュワリとエクナスのバグワットをサテのワダで観衆に朗読し解説する仕事も任されていた。

長年仕えた後、ヨグはババに尋ねた。「私は長い間あなたに仕えてきましたが、私の心はまだ穏やかに落ち着くことがありません。聖者たちとの触れ合いが私を変えてくれないのはどうしてなのでしょう?いつになったらあなたは私を祝福してくださるのですか?」このバクタの祈りを聞いたババは答えた。「じきに君の悪い行い(その果実、結果)は打ち砕かれ、君の美点も欠点も灰に帰すだろう。

君が全ての執着を捨て、欲望や味覚を絶ちあらゆる障害を取り除き、心から神に仕え、物乞いの鉢を求める時(サニヤスをとる)に、私は君を祝福しよう」しばらくすると、ババの言葉は真実になった。彼の妻は先立ち、彼には何も執着するものがなかったので、彼は自由になり、死ぬ前にサニヤスをとり、人生の目的を果たしたのである。


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シルディ・サイババ(72時間のサマディ)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

72時間のサマディ

  これより32年前の1886年、ババは境界線を越える試みを行っていた。マーガシルシャ・プルニマ(満月)の日、ババはひどい喘息の発作に苦しんだ。これを鎮めようと、ババは自分のプラーナを高めようと、サマディに入ることにした。彼はバガット・ムハルサパティに「3日の間、私の身体を守ってくれ!私が戻ってくれば良いが、もし戻らなかったら、私の身体を(場所を指しながら)空き地に埋めて、目印になるようにそこに2つの旗を立ててくれ」と言った。こう言い終わるとババは午後10時頃に倒れ、呼吸も脈拍も止まった。

まるで彼のプラーナは肉体を離れてしまったように見えた。村人を含め大勢の人々がやってきて、すぐに検死を行ってババが示した場所に身体を埋めろと要求した。だがムハルサパティはこれを阻止した。ババの身体を膝の上に乗せて、彼は丸3日身体を守って座っていた。3日が過ぎて午前3時頃になると、ババは生命の兆候を現し、呼吸が戻り、腹部が動いた。ババは目を開き、手足を伸ばすと、再び意識を取り戻したのだった。

 

  こうした事柄を鑑みて読者には、サイババはある年月の間は3腕尺半の肉体であり、その後に出て行ったのか、それとも彼は内なる自己であったのかを考えて戴きたい。5つの元素から成り立っている肉体は腐敗しやすくはかないものだが、内側にある自己は完全なる真実であり、不滅で一時的なものではない。この純粋なる存在、意識、ブラフマン、感覚と心の支配者であり管理者であるのがサイである。これは宇宙の万物に浸透し、それなしにはいかなる空間も存在しない。

彼の使命を果たすために肉体を纏い、使命を果たし終えると肉体(有限の様相)を捨て、無限の様相を纏ったのである。ダッタトレヤ神の以前の化身、ガンガプールのスリ・ナルシムハ・サラスヴァティ同様、サイは永遠に生きるのだ。彼が亡くなったというのは外側の見方に過ぎず、真実は彼は生命のあるものと無いものの全てに浸透し、それらの内なる管理者であり支配者なのである。このことは、彼に完全に全てを委ね、心からの信仰で彼を礼拝する多くの人々が現在もなお体験しうることである。

 

  現在私たちはババの外側の姿を見ることができなくても、シルディに行けば、マスジッドを飾っているババの美しい、生きているかのような肖像画を見ることができる。これは有名な画家でババの帰依者であるシャムラオ・ジャイカールが描いたものである。

 

想像力豊かで信仰心の厚い訪問客にとって、この肖像画は今日でさえもババのダルシャンを受けたと感じるに足る満足を与えてくれる。ババが今肉体を持っていなくても、彼はそこかしこに生きており、彼が顕現していた以前と同じように、今でも帰依者たちに幸福をもたらしている。ババのような聖者は死ぬことはなく、人間のように見えても彼らは本当は神自身なのである。


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シルディ・サイババ(レンガが壊れる)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  ババが旅立つ数日前、死を予見するような不吉な兆候があった。マスジッドには、ババが手を休めたり、その上に座ったりする古いレンガがあった。夜になると、ババはそれにもたれたり座布団代わりに使ったりしていた。これは長年続いていた。ある日、ババが留守の間、床を拭いていた少年が手でレンガを持ち上げた際に滑って転び、不幸なことにレンガを落として二つに割ってしまった。ババがこのことを知ったとき、レンガの割れたことを嘆いてこう言った。

 

2つに割れてしまったのはレンガではなく、私の運命だ。これは私の生涯の友だった。私はこれと共に自己に瞑想し、私の人生と同様に愛しいものだった。それが今日私の元を去ってしまった」ある者が質問をした。

「なぜババはレンガのような無生物に対してそのように悲しみを表現するのですか?」これに対し、ヘマドパントは、聖者は貧しく、頼る者のない人々を救うという明確な使命を持ってこの世に降りてくるのであり、彼らが自らを顕現するときには、人々と共に暮らし、外面的には人間のように振る舞う、つまり他の人々のように笑い、遊び、泣くが、内面的には彼らは自らの義務と使命に完全に目覚めているのだ、と答えた。


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シルディ・サイババ(第四十三章、第四十四章 事前の準備 )

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  ヒンドゥー教徒の間では人が亡くなるときには、彼の心が世俗事から引っ込められ霊的な世界へと固定することで、その先の経過が自然にたやすく進むようにと、何かしらの聖典を朗読するのが一般的な慣習である。パリクシット王がブラーミン・リシの息子に呪いをかけられて、一週間後に死ぬとされていた時、偉大な賢人シュカデヴはその週のうちに彼に有名なバグワット・プーランについて詳しく解説した、というのは誰もが知っていることである。

 

この慣習は今でも行われており、ギータやバグワット、その他の神聖な書物が死に行く人に読み聞かせられている。ババは神の化身であったので、そのような助けは必要なかったが、人々の手本になるようにとこの慣例に従った。ババは自分がすぐに死ぬことを知っており、ヴァゼ氏にラムヴィジェイを読んでくれるよう頼んだ。ヴァゼ氏は一週間に一度書物を読んだ。

 

それからババは彼に夜と昼にも読んでくれるように頼み、彼は3日で2回の朗読を終えた。それから11日が過ぎた。彼は再び3日の間読み聞かせをして、疲弊してしまった。そこでババは彼を帰らせ、一人で静かにしていた。ババは自己の中に留まり、最後の時を待っていた。

 

  2,3日前にババは外に出かけるのを止め、物乞いも止めて、マスジッドで静かに座っていた。彼は最後まで意識があり、帰依者たちに落胆しないように伝えていた。彼は自分が旅立つ正確な時間を誰にも知らせなかった。カカサヘブ・ディクシットとシュリーマン・ブティは毎日マスジッドでババと共に食事をした。その日(1015)アーティの後に、ババは彼らに家に帰って食事をするようにと言った。

だがラクシュミバイ・シンドとバゴジ・シンド、バヤジ、ラクシュマン・バラ・シンピとナナサヘブ・ニモンカールはそこに残り、シャマは階段の下に座っていた。ラクシュミバイ・シンドに9ルピーを渡した後、ババはここでは気分がよくないので、ブティのダガジ()ワダへ行けば良くなるだろうから、連れて行ってくれと言った。この最後の言葉を言いながら、ババはバヤジの体にもたれかかり、息を引き取った。バゴジはババの息が止まっていることに気づき、すぐに近くに座っていたナナサヘブ・ニモンカールに伝えた。

ナナサヘブは少しの水を持ってきてババの口に注いだが、水は出てきてしまった。それを見て彼は大声で泣いた。「おお、デーヴァ!」ババは目を開いて、低い声で「ああ」と言ったように見えた。だがババは永遠に人間の肉体を去ったのだということがすぐに明らかになった。

 

  ババが亡くなったという知らせはシルディ村に野火のように広まり、男も女も子供も全員が走ってマスジッドへやってきて、それぞれにババの死を嘆き始めた。ある者は大声で泣き、ある者はのた打ち回り、またある者は意識をなくして通りに倒れた。全員の目から涙が流れ、皆が悲しみに暮れた。

 

  サイババの言葉を思い出し始めている人々もいた。誰かが、マハラジ(サイババ)は帰依者に向かって、時が来たら彼は8歳の子供になって現れると言ったと、話した。クリシュナの化身として、チャクラパニ(主ヴィシュヌ)がまさにこの通りのことを行った。クリシュナはデヴァキの前に8歳の子供として現われ、顔面は光り輝き、四本の腕で武器を振り回していた。

この時の顕現では、彼(主クリシュナ)は地上の苦しみを明るくやわらげた。この度の顕現(サイババ)では帰依者たちの精神を向上させた。それならば疑う理由がどこにあろう?聖者の御業は計り知れない。この時のサイババと帰依者の交わりは一世代に限られたものではなく、過去72世代に及ぶものである。

そのような愛の結びつきが生まれているからこそ、マハラジ(サイババ)が旅立ってしまっても、帰依者たちは彼がすぐに戻ってくることを堅く信じているのだと思われる。

  そして一つの問題が生じた。どうやってババの遺体を安置したらよいのか?ということだ。あるイスラム教徒は、遺体を空いている場所に埋葬して、その上に墓を造るべきだと言った。クシャルチャンドやアミール・シャッカールさえも同様の意見を述べた。だが村の役人のラーマチャンドラ・パティルは強く決然とした口調でこう言った。「君たちの考えは受け入れられない。ババの遺体はワダ以外のどこにも安置すべきではない」そこで人々の意見は真っ二つに割れ、これについて36時間もの議論が行われた。

 

  水曜の朝に、ババはラクシュマン・ママ・ジョシの夢に現れて、手ずから彼を引っ張って言った。「すぐに起きるのだ。バプサヘブは私が死んだと思っているから、彼は来ない。君が礼拝を行って、カカド()のアーティをやるのだ!」ラクシュマン・ママは村の占星家でシャマの母方のおじだった。彼は正統派のブラーミンで、毎日朝起きるとまずババを礼拝し、それから村の全ての神々を礼拝していた。

彼はババに全幅の信頼を置いていた。ヴィジョンを見た後、彼はプジャの道具を持ってやってきて、モウルヴィスが異論を唱えるのを意に介することなく、プジャとカカド・アーティを形式通り行い、出て行った。それから正午にはバプサヘブ・ヨグが他の人々と一緒にやってきて、通常通り正午のアーティを行った。ババの言葉を尊重して、人々は彼の遺体をワダに安置することに決め、中央部分の採掘を始めた。火曜日の夜には、ラハタから副検査官がやって来て、他方からも検査官が着たが、彼らは皆この提案に賛成した。翌朝、アミルバイがムンバイからやってきて、コペルガオンのマムラトダールもやってきた。

人々の意見は割れているようだった。ババの遺体は空いている地面に埋めるべきだと主張する者もいた。そこでマムラトダールは一般投票を行い、結果、ワダを使用するという提案が二倍の得票を得た。それでも彼は徴収官に是非を確認したかったので、カカサヘブ・ディクシット自身がアーメドナガールに行くことにした。そうこうする間に、ババから霊感を与えられて他の人々の意見に変化が生じ、満場一致でその提案が採決された。水曜日の夜に、ババの遺体は葬列を伴ってワダに運ばれ、儀式を執り行ってから、ムルリダールのためにとってあった中央部分のガルバへ埋葬された。

実際ババはムルリダールになったのであり、ワダは聖なる寺院となり、その後大勢の帰依者たちが平安を求めて訪れるようになったのである。ババの葬儀はババの熱心な帰依者であるバラサヘブ・バテとウパサニによって滞りなく行われたのだった。

  ナルケ教授の観察によると、ババの遺体は36時間を経過しても死後硬直が見られず、四肢は弾力性があり、彼のカフニも破り取ることなく脱がせることができた、ということをここに記しておく。


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