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【明石】の巻 その(6)
入道は遠慮して源氏へ伺わないようにしながらも、望みを達しようと一層佛や神にお祈りをしています。
この入道は、六十歳位で、お勤めのため痩せているのがかえって清らかで美しく上品で、頑固で老いぼれてはいますが、昔の世の中、政ごとのことなども見知っており、趣味がよく風流も交じっていますので、源氏にはつれづれの気の紛れになるのでした。
ただ、入道は高貴な源氏にこのような、あのような話しをしたことに気が引けて、娘のためにはどうなのかと、母君と気を揉んでいるのでした。
娘自身は、
「正身(さうじみ)は、おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に、世にかかる人もおはしけりと見奉りしにつけて、身の程知られて、いと遙かにぞ思ひ聞えける。……」
――娘自身は、十人並の男さえめったに居ないこの地方で、この世にこれほど立派な方(源氏)がいらっしゃったのだとほのかに拝したにつけ、わが身の程の不釣り合いさを思い知られて、遙かに遠いお方とお思い申し上げています。(親たちがいろいろと目論んでいる様子を聞いても、及びもつかぬことと、はずかしく思い、何事も無かった昔より辛く悲しいのでした)――
4月になりました。
入道は、源氏の更衣(ころもがえ)の御装束、お部屋の几帳なども夏用に準備しますのを、源氏は、あまりなことと思われますが、入道の一生懸命さと人柄の良さに免じて、そのままに見過ごしておいでです。
のどかに月が、海の上にくっきりと見えます。
都の景色と、いいようのない人恋しさに果てしない思いでおられますが、ここからながめる景色はただただ淡路島だけなのでした。源氏は、久々に琴を取り寄せて、はかなげに掻き鳴らしていらっしゃるご様子です。
「広陵といふ手をある限り弾きすまし給へるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は身に染みて思ふべかめり。……」
――広陵散という手を精一杯の技術をつくしてお弾きになりますと、娘の住むかの岡辺の家へも、松風の音や、波風の音に響き合って聞えますので、情趣を理解する若女房たちは、身に染むばかりに思うようです。(何の音とも聞き分けられないような下人たちも、浮かれぎみに浜辺を歩いては風邪を引く有様です――
◆4月の更衣(ころもがえ)=現在の5月。夏物に衣裳はもちろん、室内の几帳なども夏用に替える。
◆写真は瀬戸内海(明治頃)
ではまた。
【明石】の巻 その(6)
入道は遠慮して源氏へ伺わないようにしながらも、望みを達しようと一層佛や神にお祈りをしています。
この入道は、六十歳位で、お勤めのため痩せているのがかえって清らかで美しく上品で、頑固で老いぼれてはいますが、昔の世の中、政ごとのことなども見知っており、趣味がよく風流も交じっていますので、源氏にはつれづれの気の紛れになるのでした。
ただ、入道は高貴な源氏にこのような、あのような話しをしたことに気が引けて、娘のためにはどうなのかと、母君と気を揉んでいるのでした。
娘自身は、
「正身(さうじみ)は、おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に、世にかかる人もおはしけりと見奉りしにつけて、身の程知られて、いと遙かにぞ思ひ聞えける。……」
――娘自身は、十人並の男さえめったに居ないこの地方で、この世にこれほど立派な方(源氏)がいらっしゃったのだとほのかに拝したにつけ、わが身の程の不釣り合いさを思い知られて、遙かに遠いお方とお思い申し上げています。(親たちがいろいろと目論んでいる様子を聞いても、及びもつかぬことと、はずかしく思い、何事も無かった昔より辛く悲しいのでした)――
4月になりました。
入道は、源氏の更衣(ころもがえ)の御装束、お部屋の几帳なども夏用に準備しますのを、源氏は、あまりなことと思われますが、入道の一生懸命さと人柄の良さに免じて、そのままに見過ごしておいでです。
のどかに月が、海の上にくっきりと見えます。
都の景色と、いいようのない人恋しさに果てしない思いでおられますが、ここからながめる景色はただただ淡路島だけなのでした。源氏は、久々に琴を取り寄せて、はかなげに掻き鳴らしていらっしゃるご様子です。
「広陵といふ手をある限り弾きすまし給へるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は身に染みて思ふべかめり。……」
――広陵散という手を精一杯の技術をつくしてお弾きになりますと、娘の住むかの岡辺の家へも、松風の音や、波風の音に響き合って聞えますので、情趣を理解する若女房たちは、身に染むばかりに思うようです。(何の音とも聞き分けられないような下人たちも、浮かれぎみに浜辺を歩いては風邪を引く有様です――
◆4月の更衣(ころもがえ)=現在の5月。夏物に衣裳はもちろん、室内の几帳なども夏用に替える。
◆写真は瀬戸内海(明治頃)
ではまた。