永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(72)

2008年06月08日 | Weblog
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【須磨(すま)】の巻  その(2)

 源氏は、三月二十日の頃、京をお離れになりました。今から出発とは誰にもお知らせにならず、側近の者七、八人を従えてそっと。

 出発前の二、三日はこのように過ごされたのでした。

 左大臣家へ
網代車の質素なのに召されて、女車のようにして、世に隠れるようにお入りになります。「若君はいとうつくしうて、ざれ走りおはしたり」
――若君の夕霧は、とても可愛らしい様子で、はしゃいで走ってこられました――
源氏は久々に膝にお抱きになるのでした。

 左大臣は、きびしい世間の批評がひどく恐ろしく、長生きはつくづく辛いもの……、天下を逆さまにしても思い寄らなかった源氏の今のお身の上を拝見しますと、すべてに無情な世の中とおもいます、と、すっかりうち萎れていらっしゃいます。

源氏の言い訳

 それもこれも、前世の報いだそうですから、つまりは私の過ちでございます。……
私について、遠流の評定などもあるということですが、よほど重い罪に当たるというものでございましょう。潔白(作者の弁・無実の罪の部分もあったことを匂わせる)を申し上げて過ごすのは大層気がひけますし、これ以上大きな恥を受けないうちに世を逃れようと決心しました。

左大臣は

 今度のことでは、娘(葵の上)が生きていて聞くことであったなら、どんなにか嘆いたことでしょう。短命でこんな悲しい目に遭わずにすんだのはせめてのこと……。それにしても、若君の夕霧は当分御父君にお親しく居られないのは、何より悲しいことでございます。

 そこに三位中将(故葵の上の御兄)もいらっしゃって、酒席になり、夜も更けてまいりましたので、お泊まりになりました。もっとも、懇意でいらした中納言の君故に一泊されたのでしょう。

 源氏は、翌朝の有明の月の風情に、咲き残りの花が散って、月光にたいそう白く見えるその庭に、薄く霧が渡り、霞と溶けあう景色は、秋の夜のあわれにも勝ってしみじみと胸に染みる思いで高欄に寄りて眺めていらっしゃると、お見送りとて中納言の君が妻戸を押し開けております。

 源氏は「また対面あらむ事こそ、思へばいと難けれ。かかりける世を知らで、心やすくもありぬべかりし月頃を、さしもいそがでへだてしよ」
――源氏が、また逢うことは、思えば難しいことでしょう。こうなる運命とも知らず、気ままに逢えた日は、実にのんきに離れていたね――

中納言の君は、言葉もなく泣いておりました。

大宮(故葵の上の母君)とのお別れも切ないものでした。
うた「なき人のわかれやいとど隔たらむ煙となりし雲井ならでは」
――葵の上が煙となった京ではなくて、須磨などに行かれては、亡き人との間は一層隔たってしまいましょう――

◆写真 有明の月


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