蜻蛉日記 上巻 (45) 2015.6.20
「ひとつ所には、せうとひとり、をばとおぼしき人ぞ住む。それを親のごと思ひてあれど、なほむかしを恋ひつつ泣き明かしてあるに、年かへりて春夏も過ぎぬれば、いまは果てのことするとて、こたびばかりはかのありし山寺にてぞする。ありしことども思ひ出づるに、いとどいみじうあはれに悲し」
◆◆同じ邸内には、弟が一人と叔母にあたる人が住んでいます。その叔母を母親のように頼ってはいますが、それでもやはり母上のいらした頃を恋い慕っては泣き明かしているうちに、年も改まって春も夏も過ぎて、いよいよ一周忌の法要を営むために、この度はあの亡くなった山寺ですることにしました。一年前のことなどを思い出しては、しみじみと悲しくてなりません。◆◆
「導師の、はじめにて、『うつたへに秋の山辺を尋ね給ふにはあらざりけり。眼とぢ給ひしところにて、経の心説かせ給はんとにこそありけれ』とばかり言ふを聞くに、ものおぼえずなりて、のちの事どもはおぼえずなりぬ。
◆◆導師が、開口一番「ご参集の皆様方は、決して秋の野山を鑑賞するためにいらしたのではありません。故人が亡くなられた所で教義を会得なさろうとしてでございます。」と言い出されるのを聞いただけで、胸いっぱいになって、ぼおっとして物事もはっきり覚えていない有様になってしまったのでした。◆◆
「あるべき事どもをはりてかへる。やがて服ぬぐに、鈍色のものども、扇まで、祓へなどするに、
<藤衣ながすなみだの川水はきしにもまさるものにぞ有りける>
とおぼえていみじう泣かるれば、人にも言はでやみぬ。」
◆◆法事の全てを終えて帰りました。すぐに喪服を脱ぎ、鈍色のものの調度品から小物の扇にいたるまで、川原に行って祓をしましたときに、
(道綱母の歌)「藤衣(喪服)を祓へ流すときの私の涙は、それを着ていたときの涙よりももっともっと多いことです」
と思うと、一層涙があふれてくるので、誰にも言わずにそのままになったのでした。◆◆
■うつたへに=否定と呼応して「必ずしも…ではない」の意を示す副詞。
■服ぬぐに=服(ぶく)ぬぐに、喪服を脱ぐ。
■鈍色のものども、扇まで、祓へなどするに=服喪中は几帳などの調度品、扇までもすべて鈍色(にびいろ=薄墨いろ)にし、父母の喪は一年。
■祓へ=はらえ。川原(賀茂川)で祓への儀式をして服喪中の品々を流す。
「ひとつ所には、せうとひとり、をばとおぼしき人ぞ住む。それを親のごと思ひてあれど、なほむかしを恋ひつつ泣き明かしてあるに、年かへりて春夏も過ぎぬれば、いまは果てのことするとて、こたびばかりはかのありし山寺にてぞする。ありしことども思ひ出づるに、いとどいみじうあはれに悲し」
◆◆同じ邸内には、弟が一人と叔母にあたる人が住んでいます。その叔母を母親のように頼ってはいますが、それでもやはり母上のいらした頃を恋い慕っては泣き明かしているうちに、年も改まって春も夏も過ぎて、いよいよ一周忌の法要を営むために、この度はあの亡くなった山寺ですることにしました。一年前のことなどを思い出しては、しみじみと悲しくてなりません。◆◆
「導師の、はじめにて、『うつたへに秋の山辺を尋ね給ふにはあらざりけり。眼とぢ給ひしところにて、経の心説かせ給はんとにこそありけれ』とばかり言ふを聞くに、ものおぼえずなりて、のちの事どもはおぼえずなりぬ。
◆◆導師が、開口一番「ご参集の皆様方は、決して秋の野山を鑑賞するためにいらしたのではありません。故人が亡くなられた所で教義を会得なさろうとしてでございます。」と言い出されるのを聞いただけで、胸いっぱいになって、ぼおっとして物事もはっきり覚えていない有様になってしまったのでした。◆◆
「あるべき事どもをはりてかへる。やがて服ぬぐに、鈍色のものども、扇まで、祓へなどするに、
<藤衣ながすなみだの川水はきしにもまさるものにぞ有りける>
とおぼえていみじう泣かるれば、人にも言はでやみぬ。」
◆◆法事の全てを終えて帰りました。すぐに喪服を脱ぎ、鈍色のものの調度品から小物の扇にいたるまで、川原に行って祓をしましたときに、
(道綱母の歌)「藤衣(喪服)を祓へ流すときの私の涙は、それを着ていたときの涙よりももっともっと多いことです」
と思うと、一層涙があふれてくるので、誰にも言わずにそのままになったのでした。◆◆
■うつたへに=否定と呼応して「必ずしも…ではない」の意を示す副詞。
■服ぬぐに=服(ぶく)ぬぐに、喪服を脱ぐ。
■鈍色のものども、扇まで、祓へなどするに=服喪中は几帳などの調度品、扇までもすべて鈍色(にびいろ=薄墨いろ)にし、父母の喪は一年。
■祓へ=はらえ。川原(賀茂川)で祓への儀式をして服喪中の品々を流す。