蜻蛉日記 上巻 (32)2015.5.22
「さて、かの心もゆかぬ司の宮より、かくの給へり。
<乱れ糸の司ひとつになりてしも来ることのなど絶えにたるらん>
御かへり、
<絶ゆといへばいとど悲しき君により同じ司にくる甲斐もなく>
又、たちかへり、
<夏引きのいとことわりや二め三めよりありくまにほどの経るかも>
御かへり、
<七はかりあるもこそあれ夏引きのいとまやはなき一め二めに>
又、宮より、
『<君と我なほ白糸のいかにして憂き節なくて絶えんとぞ思ふ>二め三めは、げに少なくしてけり。忌あればとめつ』との給へる御かへり、
<世を経とて契りおきてし中よりはいとどゆゆしきことも見ゆらん>
ときこえらる。」
◆◆ところで気の染まらぬ役所の兵部省で、長官である宮の兵部卿章明(のりあきら)親王から、こう言ってこられました。
(兵部卿章明親王の歌)「同じ勤めになったというのに、どうしてふっつりと出仕しないのか、わたしが気に入らないのでは」
お返事。
(兼家の歌)「あなたがおいでになるからこそ私は参りましたのに、絶えたなどとおっしゃられると悲しくなります」
またのお手紙に、
(兵部卿章明親王の歌)「もっともなことだ。二人三人と隠し妻の元に寄り道しているのでは、時が経ってしまうのでしょう」
お返事に、
(兼家の歌)「はばかりながら、夏引きの糸は七ばかりと申します。わたしは一人二人の妻だけなので、出仕の時間が無いわけではありません」
又、宮様から
(兵部卿章明親王の歌)「おやおや、それにしても妻が二人三人とは随分少なめに見積もったことだ。たくさんの妻を持つあなたとは上手に別れたいものだ。(自分を女性になぞらえる)。これから物忌みに入るので、これで失礼」
と、おっしゃられたお手紙にお返事として、
(兼家の歌)「長年連れ添った男女ならいざ知らず、私どもは男同士、絶えるなどと縁起でもないことがありましょうか。今後ともよろしくお願いします」
と申し上げたのでした。◆◆
蜻蛉日記 上巻 (33)2015.5.22
「そのころ、五月廿よ日ばかりより、四十五日の忌みたがへむとて、県ありきのところに渡りたるに、宮、ただ垣を隔てたるところに渡り給ひてあるに、六月ばかりかけて、雨いたう降りたるに、たれも降り籠められたるなるべし、こなたには、あやしきところなれば、漏り濡るるさわぎをするに、かくの給えるぞいとどものくはしき。
<つれづれのながめのうちにそそくらんことの筋こそをかしかりけれ>
御かへり、
<いづこにもながめのそそくころなれば世に経る人はのどけからじを>
又、のたまへり。
『のどけからじとか、<あめの下さわぐところもおほみづにたれもこひぢに濡れざらめやは>
◆◆そのころ、五月二十日過ぎのあたりから、四十五日の物忌みを避けるために、父の住んでいるあたりに移りましたところ、宮さまのお住まいも垣根を隔てた近くで、そこにおいでになっていました。六月にかけて雨がひどく降ったので、宮様もあの人もみな降り籠められたことでしょう。私どもの方は粗末な家なので、雨漏りがして濡れるなどの騒ぎの最中に、こうおっしゃったのは、ちょっとあきれる感じがしたものでした。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨のために所在なくしている最中に、雨漏りで大騒ぎする様子は、なにやら面白く聞こえます」
(兼家の歌)「誰も長雨(眺め=物思い)の時節ですので、あなたのようにのんびりとは暮せないはずですが」
また、宮様からは、こうおっしゃった。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨ゆえ、世間では大水で泥んこにまみえるように、愛人に逢えない嘆きで袖をぬらさない人はいないでしょう。あなたもね。(泥=こひじに恋路をかける)」◆◆
「御かへり、
<世とともにかつみる人のこひぢをも乾すよあらじと思ひこそやれ>
又、宮より、
<しかもゐぬ君ぞ濡るらんつねに住むところにはまだこひぢだになし>
『さもけしからぬ御さまかな』など言ひつつ、もろともに見る。
◆◆お返事に、
(兼家の歌)「いつでも愛人を持っている人は、その恋路のために涙の乾く暇もないでしょう。宮様におかれましても」
また、宮様から、
(兵部卿章明親王の歌)「そのように一所に腰をすえていないあなたなら、さぞかし恋路の涙にくれていることでしょうね。いつも変わらず一人の妻を守り続けている私には、恋路などは無縁のことです」
あの人は「まったく妙なおっしゃりかただなあ」と言うのを聞きながら、私も一緒に拝見したのでした。◆◆
「さて、かの心もゆかぬ司の宮より、かくの給へり。
<乱れ糸の司ひとつになりてしも来ることのなど絶えにたるらん>
御かへり、
<絶ゆといへばいとど悲しき君により同じ司にくる甲斐もなく>
又、たちかへり、
<夏引きのいとことわりや二め三めよりありくまにほどの経るかも>
御かへり、
<七はかりあるもこそあれ夏引きのいとまやはなき一め二めに>
又、宮より、
『<君と我なほ白糸のいかにして憂き節なくて絶えんとぞ思ふ>二め三めは、げに少なくしてけり。忌あればとめつ』との給へる御かへり、
<世を経とて契りおきてし中よりはいとどゆゆしきことも見ゆらん>
ときこえらる。」
◆◆ところで気の染まらぬ役所の兵部省で、長官である宮の兵部卿章明(のりあきら)親王から、こう言ってこられました。
(兵部卿章明親王の歌)「同じ勤めになったというのに、どうしてふっつりと出仕しないのか、わたしが気に入らないのでは」
お返事。
(兼家の歌)「あなたがおいでになるからこそ私は参りましたのに、絶えたなどとおっしゃられると悲しくなります」
またのお手紙に、
(兵部卿章明親王の歌)「もっともなことだ。二人三人と隠し妻の元に寄り道しているのでは、時が経ってしまうのでしょう」
お返事に、
(兼家の歌)「はばかりながら、夏引きの糸は七ばかりと申します。わたしは一人二人の妻だけなので、出仕の時間が無いわけではありません」
又、宮様から
(兵部卿章明親王の歌)「おやおや、それにしても妻が二人三人とは随分少なめに見積もったことだ。たくさんの妻を持つあなたとは上手に別れたいものだ。(自分を女性になぞらえる)。これから物忌みに入るので、これで失礼」
と、おっしゃられたお手紙にお返事として、
(兼家の歌)「長年連れ添った男女ならいざ知らず、私どもは男同士、絶えるなどと縁起でもないことがありましょうか。今後ともよろしくお願いします」
と申し上げたのでした。◆◆
蜻蛉日記 上巻 (33)2015.5.22
「そのころ、五月廿よ日ばかりより、四十五日の忌みたがへむとて、県ありきのところに渡りたるに、宮、ただ垣を隔てたるところに渡り給ひてあるに、六月ばかりかけて、雨いたう降りたるに、たれも降り籠められたるなるべし、こなたには、あやしきところなれば、漏り濡るるさわぎをするに、かくの給えるぞいとどものくはしき。
<つれづれのながめのうちにそそくらんことの筋こそをかしかりけれ>
御かへり、
<いづこにもながめのそそくころなれば世に経る人はのどけからじを>
又、のたまへり。
『のどけからじとか、<あめの下さわぐところもおほみづにたれもこひぢに濡れざらめやは>
◆◆そのころ、五月二十日過ぎのあたりから、四十五日の物忌みを避けるために、父の住んでいるあたりに移りましたところ、宮さまのお住まいも垣根を隔てた近くで、そこにおいでになっていました。六月にかけて雨がひどく降ったので、宮様もあの人もみな降り籠められたことでしょう。私どもの方は粗末な家なので、雨漏りがして濡れるなどの騒ぎの最中に、こうおっしゃったのは、ちょっとあきれる感じがしたものでした。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨のために所在なくしている最中に、雨漏りで大騒ぎする様子は、なにやら面白く聞こえます」
(兼家の歌)「誰も長雨(眺め=物思い)の時節ですので、あなたのようにのんびりとは暮せないはずですが」
また、宮様からは、こうおっしゃった。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨ゆえ、世間では大水で泥んこにまみえるように、愛人に逢えない嘆きで袖をぬらさない人はいないでしょう。あなたもね。(泥=こひじに恋路をかける)」◆◆
「御かへり、
<世とともにかつみる人のこひぢをも乾すよあらじと思ひこそやれ>
又、宮より、
<しかもゐぬ君ぞ濡るらんつねに住むところにはまだこひぢだになし>
『さもけしからぬ御さまかな』など言ひつつ、もろともに見る。
◆◆お返事に、
(兼家の歌)「いつでも愛人を持っている人は、その恋路のために涙の乾く暇もないでしょう。宮様におかれましても」
また、宮様から、
(兵部卿章明親王の歌)「そのように一所に腰をすえていないあなたなら、さぞかし恋路の涙にくれていることでしょうね。いつも変わらず一人の妻を守り続けている私には、恋路などは無縁のことです」
あの人は「まったく妙なおっしゃりかただなあ」と言うのを聞きながら、私も一緒に拝見したのでした。◆◆