蜻蛉日記 中卷 (74) 2015.10.12
「つごもりより、何心地にかあらん、そこはかとなくいと苦しけれど、さはれとのみ思ふ。命惜しむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれど、見聞く人ただならで、芥子焼きのやうなるわざすれど、なほしるしなくてほどふるに、人は、かくきよまはるほどとて、例のやうにも通はず、あたらしき所つくるとて通ふたよりにぞ、立ちながらなどものして、『いかにぞ』などもある。」
◆◆月末ごろから、どんな病気なのかどことなくひどく苦しいけれど、どうにでもなれとばかり思っています。命を惜しんでいると人には見られたくないと、苦しいのをじっと我慢していますが、周りのひとたちは心配して、芥子などを焼く修法をするけれども、一向に良くなる気配もなく日が経っていくのに、あの人は私が潔斎中だからというのだろうか、いつものようには来てくれず、また新邸を造営のために行き来するついでに、立ったまま見舞って「どんな具合か」などと言ってくれる◆◆
「心地よわくおぼゆるに、惜しからでかなしくおぼゆる夕ぐれに、例の所より帰るとて、蓮の実一本を、人して入れたり。『暗くなりぬれば、まゐらぬなり。これ、かしこのなり。見給へ』となん言ふ。返りごとには、ただ、『生きて生けらぬ、ときこえよ』と言はせて、思ひ臥したれば、あはれ、げにいとをかしかなる所を、命もしらず、人の心もしらねば、『いつか見せん』とありしも、さもあらばれ、止みなんかしと思うふもあはれなり。」
◆◆気が弱くなってきたように感じられて、「惜しいからで…」という古歌を思い出して心細く思う夕暮れに、例の新邸からの帰りだといって、あの人が蓮の実を一本、使いに持たして寄こしました。「日が暮れたのでそちらへは行けぬ。これはあそこのだよ。ご覧」とあったので、返事にはただ、「生きてはいますが、死んだも同然です、と申し上げなさい」と侍女に言わせて、またくよくよと思いながら横になっている。あの新邸はすばらしい邸宅だというけれども、私の命のほども分らず、あの人の本当の心も知らないので、「すぐにでもあなたを住まわせよう」などと言っていたことなど、どうなろうとかまわないけれど、あの人との間もこれっきりになってしまうだろうと思うと、しみじみ悲しくなってしまう。◆◆
「<花にさき実になりかはる世をすててうきはの露と我ぞ消ぬべき>
など思ふまで、日をへておなじやうなれば、心ぼそし。よからずはとのみ思ふ身なれば、つゆばかり惜しとにはあらぬを、ただ、この一人ある人いかにせんとばかり思ひつづくるにぞ、涙せきあへぬ。」
◆◆(道綱母の歌)「花咲き実を結ぶ兼家の栄達に背を向けて、私は蓮の浮き葉の上の露のように、はかなくこの世から消えるのであろうか」
などと思うばかりで、一向日が経っても同じような状態なので、本当に心細い。あの人との仲が思うように行かない私の身ならば、命など少しも惜しくはないけれど、ただたった一人の息子道綱の今後のことばかりが案じられて、涙がこみ上げてくるのでした。◆◆
■芥子焼きのやうなるわざ=真言宗で病気平癒を祈り、護摩木・芥子を火中に入れて加持祈祷を行うこと。
■きよまはる=兼家、作者の潔斎にもとれるが、この場合作者の潔斎
■立ちながらなどものして=病気は穢れなので逢わないのだが、立ってならば良いとされている。
■惜しからで=「惜しからで悲しきものは身なりけり人の心のゆくへ知らねば」西本願寺本「貫之集」
■蜻蛉日記 (中)上村悦子著 から
「病は気から」というが、作者の病気の原因は、東三条邸の造営にかかわりがあるのではあるまいか。落成後はたして自分が道綱といっしょに迎えいれられるだろうか。それがはっきりしないのが苦しい。以前には兼家が東三条邸でいっしょに生活する夢をよく作者に語ってくれたが、最近は全然その話に触れない。兼家にすれば、先ほどの、時姫・作者両方の下衆のいさかいで手をやいた苦い経験から今では思い直し、時姫やその子女のみを本邸へ迎えいれることを中心にほぼ決めたが、それが何となく作者の耳にも入ったのであろし、その答えを聞くのも恐かったのであろう。この精神的苦悩が内攻して病臥したのであろう。…。
「つごもりより、何心地にかあらん、そこはかとなくいと苦しけれど、さはれとのみ思ふ。命惜しむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれど、見聞く人ただならで、芥子焼きのやうなるわざすれど、なほしるしなくてほどふるに、人は、かくきよまはるほどとて、例のやうにも通はず、あたらしき所つくるとて通ふたよりにぞ、立ちながらなどものして、『いかにぞ』などもある。」
◆◆月末ごろから、どんな病気なのかどことなくひどく苦しいけれど、どうにでもなれとばかり思っています。命を惜しんでいると人には見られたくないと、苦しいのをじっと我慢していますが、周りのひとたちは心配して、芥子などを焼く修法をするけれども、一向に良くなる気配もなく日が経っていくのに、あの人は私が潔斎中だからというのだろうか、いつものようには来てくれず、また新邸を造営のために行き来するついでに、立ったまま見舞って「どんな具合か」などと言ってくれる◆◆
「心地よわくおぼゆるに、惜しからでかなしくおぼゆる夕ぐれに、例の所より帰るとて、蓮の実一本を、人して入れたり。『暗くなりぬれば、まゐらぬなり。これ、かしこのなり。見給へ』となん言ふ。返りごとには、ただ、『生きて生けらぬ、ときこえよ』と言はせて、思ひ臥したれば、あはれ、げにいとをかしかなる所を、命もしらず、人の心もしらねば、『いつか見せん』とありしも、さもあらばれ、止みなんかしと思うふもあはれなり。」
◆◆気が弱くなってきたように感じられて、「惜しいからで…」という古歌を思い出して心細く思う夕暮れに、例の新邸からの帰りだといって、あの人が蓮の実を一本、使いに持たして寄こしました。「日が暮れたのでそちらへは行けぬ。これはあそこのだよ。ご覧」とあったので、返事にはただ、「生きてはいますが、死んだも同然です、と申し上げなさい」と侍女に言わせて、またくよくよと思いながら横になっている。あの新邸はすばらしい邸宅だというけれども、私の命のほども分らず、あの人の本当の心も知らないので、「すぐにでもあなたを住まわせよう」などと言っていたことなど、どうなろうとかまわないけれど、あの人との間もこれっきりになってしまうだろうと思うと、しみじみ悲しくなってしまう。◆◆
「<花にさき実になりかはる世をすててうきはの露と我ぞ消ぬべき>
など思ふまで、日をへておなじやうなれば、心ぼそし。よからずはとのみ思ふ身なれば、つゆばかり惜しとにはあらぬを、ただ、この一人ある人いかにせんとばかり思ひつづくるにぞ、涙せきあへぬ。」
◆◆(道綱母の歌)「花咲き実を結ぶ兼家の栄達に背を向けて、私は蓮の浮き葉の上の露のように、はかなくこの世から消えるのであろうか」
などと思うばかりで、一向日が経っても同じような状態なので、本当に心細い。あの人との仲が思うように行かない私の身ならば、命など少しも惜しくはないけれど、ただたった一人の息子道綱の今後のことばかりが案じられて、涙がこみ上げてくるのでした。◆◆
■芥子焼きのやうなるわざ=真言宗で病気平癒を祈り、護摩木・芥子を火中に入れて加持祈祷を行うこと。
■きよまはる=兼家、作者の潔斎にもとれるが、この場合作者の潔斎
■立ちながらなどものして=病気は穢れなので逢わないのだが、立ってならば良いとされている。
■惜しからで=「惜しからで悲しきものは身なりけり人の心のゆくへ知らねば」西本願寺本「貫之集」
■蜻蛉日記 (中)上村悦子著 から
「病は気から」というが、作者の病気の原因は、東三条邸の造営にかかわりがあるのではあるまいか。落成後はたして自分が道綱といっしょに迎えいれられるだろうか。それがはっきりしないのが苦しい。以前には兼家が東三条邸でいっしょに生活する夢をよく作者に語ってくれたが、最近は全然その話に触れない。兼家にすれば、先ほどの、時姫・作者両方の下衆のいさかいで手をやいた苦い経験から今では思い直し、時姫やその子女のみを本邸へ迎えいれることを中心にほぼ決めたが、それが何となく作者の耳にも入ったのであろし、その答えを聞くのも恐かったのであろう。この精神的苦悩が内攻して病臥したのであろう。…。