永子の窓

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源氏物語を読んできて(1209)

2013年01月29日 | Weblog
2013. 1/29    1209

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その1

薫(右大将)   27歳3月~28歳4月
浮舟       22歳~23歳
中の君      27歳~28歳
明石中宮     46歳~47歳
匂宮(兵部卿の宮)28歳~29歳
夕霧(右大臣)  53歳~54歳
横川僧都(よかわのそうず)
大尼君(横川僧都の母)
妹尼(横川僧都の妹、尼君)

「その頃横川に、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり。八十あまりの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、長谷に詣でたりけり。むつまじくやむごとなく思ふ弟子の阿闇梨を添へて、仏経供養ずること行ひけり」
――その頃、比叡山の北谷の横川(よかわ)に、なにがしの僧都とかいう、まことに尊い聖が住んでいました。八十過ぎた母と五十歳ばかりの妹とがありましたが、ある時母と妹が、昔立てた願をのお礼参りに、初瀬寺に参詣したのでした。かねてから親しくしている高弟の阿闇梨をお供に付けて、仏像や経文を供養を営ませることにしました――

「事ども多くして帰る道に、奈良坂といふ山越えける程より、この母の尼君、心地あしうしければ、かくてはいかでか、残りの道をもおはし着かむ、ともて騒ぎて、宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるにとどめて、今日ばかりやすめたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり」
――一行が願解きの供養などを行って帰る道、奈良坂という山を越えるあたりから、母の尼君の具合が急に悪くなり、このような容態では、この先の遠い道のりをどうして帰れようかと、娘の尼もひどく心配して、宇治のほとりにある知り合いの家に留まって、一日だけ様子を見ることにしました。しかし、相変わらずひどく苦しみますので、ともかくも事の次第を横川にお知らせししたのでした――

「山籠りの本意深く、今年は出でじ、と思ひけれど、限りのさまなる親の、道の空にて亡くやならむ、とおどろきて、いそぎものし給へり」
――(横川の僧都は)今年は山籠りの念願が深く、里へは下るまいと思っていましたが、危篤だと聞く母親が旅の途中で亡くなっては大変だと驚いて、急いで宇治に駈けつけました――

「惜しむべくもあらぬ人のさまを、みづからも、弟子の中にも験あるして加持し騒ぐを、家あるじ聞きて、『御嶽精進しはべるを、いたう老い給へる人の重くなやみ給ふは、いかが』とうしろめたげに思ひて言ひければ、さも言ふべきこと、と、いとほしう思ひて、いとせばくむつかしうもあれば、やうやう率て奉るべきに、中神塞がりて、例すみ給ふ所は忌むべかりければ」
――母君は死んでも惜しくはないほどの老齢ですが、僧都自身もまた弟子の中で効験のある者に命じて、加持祈祷をさせたりしてしきりに立ち騒ぎますのを、休養に立ち寄った家の主人が聞いて、「私は今、御嶽精進(みたけしょうじ)しているのですが、大そうお歳を召した方が御危篤だそうで。万一のことがありましては迷惑ですので…」と、死者が出て穢れはしないかと心配そうに、気ぜわしく言いますので、尤もな言い分だと僧都も気の毒に思われて、またその家は大そう狭くむさくるしくもあるのでした。そこでぼつぼつとお連れして帰ろうかとも思うのですが、横川の方は、生憎方角が塞がっていて避けなければならず――

◆御嶽精進(みたけしょうじ)=吉野の金峯山に詣でるため行う千日の精進のこと

◆中神塞がり(なかがみふたがり)=天一神ともいい、この神の居る方を塞がりとして、この方角に行くことを忌む。

では1/31に。

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