永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(765)

2010年06月14日 | Weblog
2010.6/14  765回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(26)
 
老女はつづけて、

「この頃、藤大納言と申すなる御兄の、右衛門の督にてかくれ給ひしは、物のついでなどにや、かの御上とて聞し召し伝ふる事も侍らむ、すぎ給ひて、いくばくも隔たらぬ心地のみしはべる、その折の悲しさも、まだ袖のかわく折はべらず思う給へらるるを、かくおとなしくならせ給ひにける御歳の程も、夢のやうになむ」
――近頃では藤大納言(紅梅大納言)とおっしゃる方の御兄君で、右衛門の督(故柏木)とおっしゃる御方がお亡くなりになりましたことは、何かのついでに、お身の上のお噂など、お聞き及びのこともございましたでしょうか。亡くなられて幾らも経たない気がいたしますが、その時の悲しさがまざまざと目に浮かんで参りまして、未だに袖の乾く折とてもございませんのに、あなたさまがこの様にご立派に成人なさった御歳からの年月を思いますと、全く夢のようでございます――

「かの権大納言の御乳母に侍りしは、弁が母になむ侍りし。朝夕に仕うまつり馴れ侍りしに、人数にも侍らぬ身なれど、人に知らせず、御心よりはた余りけることを、折々うちかすめ宣ひしを、今は限りになり給ひにし御病の末つ方に、召し寄せて、いささか宣ひ置くことなむ侍りしを、聞こし召すべきゆゑなむ一事侍れど…」
――その亡くなられた権大納言(柏木=死後の加階によって権大納言となった)の御乳母という人が、弁(べん=この老女の名)の母でございました。そのような次第で私も明け暮れお側近くにお仕え申しておりましたが、督の君(かんのきみ=柏木)は人にもお話になれず、といって御自分のお胸ひとつにも包みかねる御事などを、折にふれて数ならぬこの私に、それとなくお洩らしくださるのでした。ご病気が重くなられて、いよいよご臨終近いときにも、私をお召し寄せになりまして、いささかご遺言がございました。そのことで、是非あなた様のお耳にお入れしたいことが一つございまして…――

「かばかり聞こえ出で侍るに、残りを、と思召す御心侍らば、のどかになむ聞し召し果て侍るべき。若き人々も、かたはらいたく、さし過ぎたりと、つきじろひ侍るも道理になむ」
――これだけ申し上げました上で、さらに後の話も、とのお望みになりますならば、いずれゆっくり、全部お話しいたしましょう。ほら、若い女房たちが私のことを苦々しく、出過ぎているとかげ口し合っていますのも尤もでございましょうから――

 と言って、そのまま口をつぐんでしまいました。

◆おとなしく=大人しく=大人びて。思慮分別がある。しっかりする。

◆薫の年齢=22歳。柏木が亡くなって22年経ったことになる。

◆つきじろひ=突きしろふ=互いに膝などをそっとつつき合う。

ではまた。


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