永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1259)

2013年05月25日 | Weblog
2013. 5/25    1259

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その51

「『年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸はいと久しうおとづれきこえ給はざめり。え待ちつけ給ふまじきさまになむ見え給ふ』とのたまふに、わが親の名、と、あいなく耳とどまるに、また言ふやう、」
――(尼君は)「年月が経つにつれて、何となく悲しいことばかりがつのって参ります。常陸のほうは長らくお便りがないようです。大尼君の御容態では、あの方のご上洛までは、とても生きてはいらっしゃれないでしょう」とおっしゃるのを、浮舟は、ご自分の親の名と同じなので、はっとして聞くともなく聞いていますと、紀伊守はさらに続けて――

「『まかり上りて日ごろになり侍りぬるを、公事のいと繁く、むつかしうのみ侍るに、かかづらひてなむ。昨日もさぶらはむと思う給へしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕うまつりて、故八の宮の住み給ひし所におはして、日くらし給ひし。故宮の御女に通ひ給ひしを、先づ一所は一年亡せ給ひにき』」
――「上洛しましてからは、かなりの日数が経っていますが、公の御用がいろいろと立てこんでいまして、面倒な事ばかりが多く、それにかかり合っておりました。昨日も伺おうと存じましたが、右大将の宇治にいらっしゃるお供をいたしました。故八の宮のお住みになっていらした所で、一日お過ごしになられたのです。故宮の姫君にお通いになっておいででしたが、まずお一人の方は先年、お亡くなりになりました」――

 さらに、

「『その御おとうと、また忍びてすゑたてまつり給へりけるを、去年の春また亡せ給ひにければ、その御はてのわざせさせ給はむこと、かの寺の装束一領調じ侍るべきを、せさせ給ひてむや。織らすべきものは、いそぎせさせ侍りなむ』と言ふを聞くに、いかでかはあはれならざらむ。人やあやしと見む、とつつましうて、奥に向かひて居給へり」
――「そのお妹君を、また密かにそこに住まわされてお置きになりましたところ、その方も去年の春に亡くなってしまわれました。その一周忌のご法要をなさるので、あちらの寺の律師にすべてのことをお言ひつけになって、私もそのための女の装束を一そろい調えなくてはなりません。こちらで誂えていただけないでしょうか。織るものは急いで織らせましょう」と言っていますのを聞いて姫君は、どうして心が騒がずにいられましょう。浮舟は、はたの人が自分の態度を怪しみはしないかと気が引けて、奥の方を向いて座っておいでになります――

「尼君、『かの聖の親王の御女は、二人と聞きしを、兵部卿の宮の北の方は、いづれぞ』とのたまへば、『この大将殿の御後のは、おとり腹なるべし。ことごとしくももてなし給はざりけるを、いみじうかなしび給ふなり。はじめのはた、いみじかりき。ほとほと出家もし給ひつべかりきかし』など語る」
――尼君は、「そういえば、あの聖の僧とおっしゃられた親王(八の宮)の御姫君はお二人と聞いておりましたが、兵部卿の宮(匂宮)の北の方はどちらの御方でしょう」とおっしゃると、「この大将殿の、後にお通いになられたというのは、妾腹の娘でしょう。大将殿はあまり大切におもてなしになられなかったのですが、その亡くなり方に対して、今となっては、ひどく悲しんでおられるそうです。始めの姫君の時も大変な悲しみ方でしたが、今度も、ほとんど出家でもなさりそうなご様子で」などと話しています――

では5/27に。


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