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◆中将という源氏の役職
近衛府(このえふ)
「さゆうこんえのつかさ」「このえづかさ」「さゆうのちかきまもりのつかさ」ともいう。
六衛府の一つで宮中の警護や行幸の警備にあたる役所。そこの役人を近衛という。
左右二つの近衛府(左近・右近)があり、大将を長官とし、中将、少将、将監、大尉、少尉.....という官職がある。
◆太政官(だいじょうかん)
東西五十六丈(約170m)、南北40丈(約121m)で、正庁は南門の正面にあり、官の庁・曹司・曹司の庁・庁事・上庁・官の曹司等といった。
南面を表とし、北と南にそれぞれ3つの石階(いしのきざはし)があった。
東庁は東堂ともいい、西庁は弁官庁・朝庁ともいった。
正庁から東西にのびている廊下を卯酉廊(ぼんゆうろう)、そこから南へのびている廊下を子午廊(しごろう)という。
敷地内の石階は全て3段のものだった。
律令官の最高機関で、 八省及び諸国を司り、政治を管理する所で、現在の内閣のような場所。
オオイマツリゴトノツカサ・カンノツカサともいう。
大宝令(701年)の規定では、どの役所も四部官といって役人を四等に分け、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)に割り当てた。
太政官も大臣を長官、納言を次官としたが、政務が多く忙しいことから、官内を三局に分け、少納言・左右弁官を判官とし、外記・左右史を主典とし、納言・参議以上がこれを司った。(一般に参議以上を公卿と呼ぶ)
この少納言局・左弁官局・右弁官局の三局の役人をカンノツカサ・上官ともいった。
◆中将という源氏の役職
近衛府(このえふ)
「さゆうこんえのつかさ」「このえづかさ」「さゆうのちかきまもりのつかさ」ともいう。
六衛府の一つで宮中の警護や行幸の警備にあたる役所。そこの役人を近衛という。
左右二つの近衛府(左近・右近)があり、大将を長官とし、中将、少将、将監、大尉、少尉.....という官職がある。
◆太政官(だいじょうかん)
東西五十六丈(約170m)、南北40丈(約121m)で、正庁は南門の正面にあり、官の庁・曹司・曹司の庁・庁事・上庁・官の曹司等といった。
南面を表とし、北と南にそれぞれ3つの石階(いしのきざはし)があった。
東庁は東堂ともいい、西庁は弁官庁・朝庁ともいった。
正庁から東西にのびている廊下を卯酉廊(ぼんゆうろう)、そこから南へのびている廊下を子午廊(しごろう)という。
敷地内の石階は全て3段のものだった。
律令官の最高機関で、 八省及び諸国を司り、政治を管理する所で、現在の内閣のような場所。
オオイマツリゴトノツカサ・カンノツカサともいう。
大宝令(701年)の規定では、どの役所も四部官といって役人を四等に分け、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)に割り当てた。
太政官も大臣を長官、納言を次官としたが、政務が多く忙しいことから、官内を三局に分け、少納言・左右弁官を判官とし、外記・左右史を主典とし、納言・参議以上がこれを司った。(一般に参議以上を公卿と呼ぶ)
この少納言局・左弁官局・右弁官局の三局の役人をカンノツカサ・上官ともいった。