永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(154)

2016年12月08日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (154) 2016.12.8

「廿日はさて暮れぬ。
一日の日より四日、例の物忌みと聞く。ここに集ひたりし人々は南ふたがる年なれば、しばしもあらじかし、廿日、県ありきのところへみな渡られにたり。心もとなきことはあらじかしと思ふに、わが心憂きぞまづおぼえけんかし。かくのみ憂くおぼゆる身なれば、この命をゆめばかり惜しからずおぼゆるに、この物忌みどもは柱に押し付けてなど見ゆるこそ、ことしも惜しからん身のやうなりけれ。」

◆◆二十日は、あの人の訪れもないまま日が暮れてしまった。二十一日の日から四日間、例の物忌みということです。ここに集まっていた人々は、南の方角が塞がっている年なので、しばらくも留まることができないのか、二十日に、地方官歴任の父のところに、みな移ってしまわれた。あちらなら不安なことはないであろうと思うにつけ、私の所では充分な世話ができないと思うと、情けなさが一番に感じられたことだった。このように全く情けない身の上だから、命など少しも惜しいとは思わないけれど、このもの忌みの札を何枚も柱に押し付けているのなどが目に止まると、まるで、命を惜しがっているみたいであった。◆◆




「その廿五六日に物忌みなり。果つる夜しも門の音すれば、『かうてなん、固う鎖したる』とものすれば、倒るるかたにたち帰る音す。」

◆◆その二十五日と二十六日が(私のほうの)物忌みでした。ちょうど物忌みが終わる最後の夜に門をたたく音がするので、「このとおり物忌みで、門を固く閉めております」と言うと、仕方なさそうに帰って行く音が聞こえました。◆◆



「又の日は例の方ふたがると知る知る、昼間に見えて、『御さいまつ』といふほどにぞ帰る。それより例の障り繁くきこえつつ、日へぬ。」

◆◆次の日は、例のように方角が塞がっていると知りながら、あの人は昼間に見えて、
「松明を灯す」というころに帰っていきました。それ以降、さまざまな差し障りがあると耳にしながら、日が経ってしまいました。◆◆


■わが心憂きぞ=兼家が夫として十分な経済面での面倒をみてくれないので、避難者に対して、種々世話がしてやれないわが身の情けなさ。

■ことしも=こと・し・も=強調。全く、本当に。


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