永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1172)

2012年10月29日 | Weblog
2012. 10/29    1172
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その12

「かの宮はた、まして二三日はものも覚え給はず、うつし心もなきさまにて、いかなる御物の怪ならむ、など騒ぐに、やうやう涙つくし給ひて、思ししづまるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられ給ひける。人には、ただ御病の重きさまをのみ見せて、かくすずろなるいやめのけしき知らせじ、と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、『いかなることにかく思しまどひ、御命もあやふきまで沈み給ふらむ』と、言ふ人もありければ…」
――さて、かの匂宮は、それにも増さって、二、三日は正気も失っておしまいになったようです。生きた心地もないご様子で、どのような御物の怪(おんもののけ)であろうかなどと、側近の人々が騒いでいるうちに、次第に涙も出なくなられて、気が落ち着かれると、かえって浮舟の生前の姿が恋しく、耐えがたいまでに、まざまざとお思い出しになるのでした。他人にはただ、ご病気が重いだけのことのように見せかけて、このような分けのわからぬ涙顔を見せまいと、健気にも人前を繕っていらっしゃいますが、自然とその悲歎さ目立つものですから、「どういうことで、このようにお悩みになって、お命も危ないほどに沈みこんでいらっしゃるのだろう」と、言う人もいますので…――

「かの殿にも、いとよくこの御けしきを聞き給ふに、さればよ、なほよその文通はしのみにはあらぬなりけり、見給ひては必ずさ思しぬべかりし人ぞかし、ながらへましかば、ただなるよりは、わがためにもをこなることも出で来なまし、と思すになむ、焦がるる胸のすこしさむる心地し給ひける」
――薫もよくよく匂宮のご様子を耳にされるについて、やはりそうだったのだ、何でもない御文のやりとりだけではなかったのだ、あの浮気な匂宮が御覧になれば、必ず御執心なさるような浮舟ではあったから。もし浮舟が生き長らえていたならば、匂宮と自分は身内なだけに、自分にとって人聞きの悪いことにもなったであろう、とお思いになりますと、恋い焦がれる胸の暗さも、少し醒める心地がするのでした――

「宮の御とぶらひに、日々参り給はぬ人はなく、世の騒ぎとなれるころ、ことごとしき際ならぬおもひに籠りゐて、参らざらむもひがみたるべし、と思して参り給ふ」
――匂宮のお見舞いに日々参上せぬ人はなく、世間が騒いでいるこの折に、それほどの身分でもない女一人の喪に引き籠もってお伺いしないのも、すねた態度であろうと、薫は参上なさる――

「その頃、式部卿の宮と聞こゆるも亡せ給ひにければ、御叔父の服にて薄鈍なるも、心のうちにあはれに思ひよそへられて、つきづきしく見ゆ。少し面痩せて、いとどなまめかしきことまさり給へり」
――その頃、式部卿の宮と申し上げた方もお亡くなりになり、薫の叔父にあたりますので、その御喪で、薄鈍色(うすにびいろ)のお召物でいらっしゃるのも、心の内には浮舟の喪服に添えられて、折も折とて、似つかわしくいらっしゃいます。少し面やつれして、いっそう美しくお見えになります――

◆かくすずろなるいやめのけしき=かく・すずろなる・いやめ・の・けしき=こんな訳もない涙っぽい素振り。いやめ=目つき

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