2012. 10/31 1173
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その13
「人々まかでて、しめやかなるゆふぐれなり。宮、臥し沈みてのみはあらぬ御心地なれば、うとき人にこそ逢ひ給へね、御簾のうちにも例入り給ふ人には、対面し給はずもあらず」
――匂宮をお見舞いした人々が退出して、しめやかな夕暮でした。匂宮は、お寝みになっているばかりとでもご気分ですので、親しくない人々には対面なさいませんが、御簾のうちにいつもお入れになる方には、お会いにならぬでもありません――
「見え給はむもあいなくつつまし、見給ふにつけても、いとど涙の先づせきがたさを思せど、思ひしづめて、『おどろおどろしき心地にも侍らぬを、皆人は、つつしむべき病のさまなり、とのみものすれば、内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、げに世の中の常なきをも、心細く思ひ侍る』とのたまひて…」
――大将の君にはお会いになるのも、具合悪く気が退けますし、いざ逢われるにつけては、いっそう涙がとめどもなく溢れるであろうとはお思いになるものの、お心を鎮めて、「たいそう気分が悪いというほどでもないのですが、周囲の人々が皆、しきりに気をつけなければならぬ状態だと言うので、このようにしておます。帝も中宮もご心配下さるのがまことに心苦しく、世の中のはかなさも、しみじみ心細く思われます」とおっしゃって…――
「おしのごひまぎらはし給ふ、と思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、いとはしたなけれど、必ずしもいかでか心得む、ただめめしく心弱きとや見ゆらむ、と思すも」
――そっと拭いてお隠しになるつもりの涙が、そのまま留めようもなくこぼれ落ちますので、たいそう極まり悪いものの、まさかあの女(浮舟)ゆえとはお分かりになるまい、きっと女々しいくらいに見るであろう、とお思いのようですが――
「さりや、ただこのことをのみ思すなりけり、いつよりなりなむ、われをいかにをかしと、ものわらひし給ふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ、と思ふに、この君は、悲しさは忘れ給へるを、」
――(大将は)やはりそうだったのだ。ただひたすらに匂宮はあの浮舟のことばかりお思いになるのだ。浮舟との関係はいったい何時からはじまったのだろう。それと気づかない私を、さぞや間の抜けた男だと可笑しがるお気持で、この月日を過ごして来られたのだろう、と思うと、薫は悲しさも忘れてしまわれる――
「こよなくもおろかなるかな、もののせちに覚ゆる時は、いとかからぬことにつけてだに、空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ、わがかくすずろに心弱きにつけても、もし心を得たらむに、さ言ふばかり、もののあはれを知らぬ人にもあらず、世の中の常なきことを、しみて思へる人しもつれなき、と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、真木柱はあはれなり。これに対ひたらむさまも思しやるに、形見ぞかし、とうちまもり給ふ」
――(薫の様子を御覧になって匂宮はお心の中で)何とまあ薫は冷淡なことよ。悲しみの切なるときは、このような死別ほどのことでなくても、自然思いがそそられて悲しいものなのに。私がこうして無性に悲歎にくれているのを見て、もしそれが浮舟故だと気づいたならば、それほどものの哀れを知らぬ人ではないだろうに、人生の無常を深く思いこんでいる人ほど、表面は冷淡でいられるのか。と羨ましくも心憎くもお思いになるものの、今は亡き人が真木の柱と頼りに寄り添っていた男君かと思えばなつかしい。薫に対座したであろう浮舟の様子を想像なさるにつけ、薫は浮舟の形見だなあと、しみじみ見つめていらっしゃる――
◆11/1~11/4までお休みします。では11/5に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その13
「人々まかでて、しめやかなるゆふぐれなり。宮、臥し沈みてのみはあらぬ御心地なれば、うとき人にこそ逢ひ給へね、御簾のうちにも例入り給ふ人には、対面し給はずもあらず」
――匂宮をお見舞いした人々が退出して、しめやかな夕暮でした。匂宮は、お寝みになっているばかりとでもご気分ですので、親しくない人々には対面なさいませんが、御簾のうちにいつもお入れになる方には、お会いにならぬでもありません――
「見え給はむもあいなくつつまし、見給ふにつけても、いとど涙の先づせきがたさを思せど、思ひしづめて、『おどろおどろしき心地にも侍らぬを、皆人は、つつしむべき病のさまなり、とのみものすれば、内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、げに世の中の常なきをも、心細く思ひ侍る』とのたまひて…」
――大将の君にはお会いになるのも、具合悪く気が退けますし、いざ逢われるにつけては、いっそう涙がとめどもなく溢れるであろうとはお思いになるものの、お心を鎮めて、「たいそう気分が悪いというほどでもないのですが、周囲の人々が皆、しきりに気をつけなければならぬ状態だと言うので、このようにしておます。帝も中宮もご心配下さるのがまことに心苦しく、世の中のはかなさも、しみじみ心細く思われます」とおっしゃって…――
「おしのごひまぎらはし給ふ、と思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、いとはしたなけれど、必ずしもいかでか心得む、ただめめしく心弱きとや見ゆらむ、と思すも」
――そっと拭いてお隠しになるつもりの涙が、そのまま留めようもなくこぼれ落ちますので、たいそう極まり悪いものの、まさかあの女(浮舟)ゆえとはお分かりになるまい、きっと女々しいくらいに見るであろう、とお思いのようですが――
「さりや、ただこのことをのみ思すなりけり、いつよりなりなむ、われをいかにをかしと、ものわらひし給ふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ、と思ふに、この君は、悲しさは忘れ給へるを、」
――(大将は)やはりそうだったのだ。ただひたすらに匂宮はあの浮舟のことばかりお思いになるのだ。浮舟との関係はいったい何時からはじまったのだろう。それと気づかない私を、さぞや間の抜けた男だと可笑しがるお気持で、この月日を過ごして来られたのだろう、と思うと、薫は悲しさも忘れてしまわれる――
「こよなくもおろかなるかな、もののせちに覚ゆる時は、いとかからぬことにつけてだに、空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ、わがかくすずろに心弱きにつけても、もし心を得たらむに、さ言ふばかり、もののあはれを知らぬ人にもあらず、世の中の常なきことを、しみて思へる人しもつれなき、と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、真木柱はあはれなり。これに対ひたらむさまも思しやるに、形見ぞかし、とうちまもり給ふ」
――(薫の様子を御覧になって匂宮はお心の中で)何とまあ薫は冷淡なことよ。悲しみの切なるときは、このような死別ほどのことでなくても、自然思いがそそられて悲しいものなのに。私がこうして無性に悲歎にくれているのを見て、もしそれが浮舟故だと気づいたならば、それほどものの哀れを知らぬ人ではないだろうに、人生の無常を深く思いこんでいる人ほど、表面は冷淡でいられるのか。と羨ましくも心憎くもお思いになるものの、今は亡き人が真木の柱と頼りに寄り添っていた男君かと思えばなつかしい。薫に対座したであろう浮舟の様子を想像なさるにつけ、薫は浮舟の形見だなあと、しみじみ見つめていらっしゃる――
◆11/1~11/4までお休みします。では11/5に。