五節の起源と名称
五節舞は、天武天皇が吉野宮へ行幸し、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れ、降りてきて「乙女ども、乙女さびすも、から玉を袂にまきて、乙女さびすも」と詠じて袖を5度翻して舞ったとの故事を起源とされます。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられます。別名五節田楽ともいい、農耕の繁栄を祈る地方芸能が根底にあると考えられますが、朝廷の年中行事となったことが確認されるのは嵯峨天皇の弘仁五年(814)です。
五節舞は、天武天皇が吉野宮へ行幸し、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れ、降りてきて「乙女ども、乙女さびすも、から玉を袂にまきて、乙女さびすも」と詠じて袖を5度翻して舞ったとの故事を起源とされます。袖を振るのは呪術的であり、新嘗祭の前日に行われる鎮魂祭とも同じ意味があると考えられます。別名五節田楽ともいい、農耕の繁栄を祈る地方芸能が根底にあると考えられますが、朝廷の年中行事となったことが確認されるのは嵯峨天皇の弘仁五年(814)です。