Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

岩間寺(2012年4月21日参拝)

2012-05-26 | 西国三十三ヶ所
所在地:滋賀県大津市石山内畑町82
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:千手観音
創建年:(伝)養老6年(722年)
開基:(伝)泰澄
正式名称:正法寺
札所:西国三十三箇所12番、ぼけ封じ観音4番





元正天皇の勅願で創られた寺院です。

さて、拝観料を支払いいざ参る。




まずは巨木がお出迎え。


【鐘楼】





【ぼけ封じ十楽観音】



【白姫龍神】



【風景】





【参道】


うん?
前にはこんな仁王像は無かったと思うけど。





【大師堂】


岩間山を開かれた泰澄大師と、
真言宗を開かれた弘法大師空海が並び祀られています。


【稲妻龍王社】





【本堂】







【芭蕉碑】



【不動堂】




不動明王が祀られ不動明王両童子は重要文化財に指定されている。

現在のお堂は平成9年に再建されたもの。


【護法龍王拝殿】





【境内】









【八大龍王堂】





【宝篋印塔】



【桂谷白龍龍王遙拝殿】







遙拝殿がある崖下に小さな祠がありました。


【五社権現堂】





【御朱印】




駐車場に戻ると、
そこに何やら必至に看板を立ててる人がいた。

何をしてるのか、
その時は興味なかったけど帰宅してから調べてみた。


醍醐寺の言い分として仲田順和管長は「岩間寺は醍醐寺と山続きにあり醍醐寺の塔頭で、
代々醍醐寺が管理している」と主張。

また前住職は本山の醍醐寺から独立しようとしていたらしく、
本山とすればそれは当然認められるわけもないわけで。


岩間寺の言い分は岩間寺は醍醐寺の塔頭ではなく、
醍醐寺の塔頭は醍醐寺の寺院規則に明記されており、
そこに岩間寺の名前はなく塔頭になった歴史的事実もありません。
山続きであるから…云々はこじつけにすぎません、との事。


そんな最中に前住職が亡くなると本山の醍醐寺が裁判を起こし、
前住職の家族を追い出して乗っ取ったようで、
それを不服とした檀家さん達が醍醐寺から来た僧侶や事務員と揉めているらしい。

そのおかげで檀家さん達は本堂にも参ることが出来なくなったようだ。

酷い話だ。


こんな揉め事をおこしているようでは、
御本尊様や先人の偉人達はさぞや嘆いていることでしょう。

長田神社(2012年4月14日参拝)

2012-05-25 | 神社
ひさしぶりに長田神社へ。

この近くには酒の取り扱いでは関西No.1の店があるんでよく通るんですけどね。


所在地:兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1
主祭神:事代主神
社格:名神大社、官幣中社
創建:伝・201年(神功皇后摂政元年)


【由緒】
神功皇后摂政元年春2月、皇后が新羅より御帰還の途中、武庫の水門に於て
「吾を御心長田の国に祠れ」とのお告げを受けて、山背根子の女・長媛を奉仕者として
創祀された全国有数の名大社である。

古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく延喜式の制では名神大社、
更には祈雨八十五座に列し、神戸41戸もって奉祀護持され、
今日の神戸発展の守護神と仰がれている。
神戸の地名はこの神戸(かんべ)に由来する。



【神門】





【拝殿】



【蛭子社】





【御朱印】


般若林 八王寺(2012年4月14日参拝)

2012-05-25 | 福原西国33か所
所在地:兵庫県神戸市兵庫区羽坂通2-1
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
開山:覚巌
札所:福原西国三十三箇所 第22番札所


【寺暦】
慶応3年(1867年)兵庫随一の巨商北風家の別家、喜多二平翁の寄進により、
山田村(北区山田町原野)の成道寺末寺・無住の福昌寺を移すという形で建立し福昌寺と称した。

2世柏巖の代に宗風興振し明治元年(1866年)には有栖川宮家の祈願所となる。
大正9年(1920年)火災により国宝普賢菩薩・文殊菩薩及び本尊千手観音像を失う。
大正13年(1924年)大和法隆寺の中宮寺より、
大楠公守本尊十一面観世音像を請じて札所の本尊とした。

昭和20年(1945年)3月、戦火に遭い、本尊及び諸堂が灰燼に帰した。
昭和27年(1952年)福昌寺を八王寺と改める。

昭和33年(1958年)再建し、九善石油(現コスモ石油)の
和田完二社長・まき子夫婦秘蔵の「十一面観世音菩薩尊像」を勧請して本尊とした。
昭和56年(1981年)、パゴダ風仏舎利塔建立。


【山門】



【本堂】


内陣は撮影禁止でした。


【般若林道場】




剣道の道場みたいです。


【仁王像】




道場の入り口に仁王像が仁王立ち。


【稲荷大明神】



【御朱印】



来迎寺(2012年4月14日参拝)

2012-05-24 | 福原西国33か所
所在地:兵庫県神戸市兵庫区島上町2-1-3
宗派:浄土宗西山派
御本尊:阿弥陀如来
別称:築島寺
開基:平清盛
札所:福原西国三十三箇所 第29番札所


【寺暦】
平清盛が経ケ島を築造する際、竣工直前に暴風雨によって二度にわたって破壊された為、
陰陽博士に占わせ人柱をたてることになりました。
この時、身代わりとなったのが「松王丸」という清盛の小姓で、
その犠牲によって無事に経ケ島が築造されたと謂われています。

二条天皇は多いに感動し松王の菩提を永く弔う為に当寺を建立し、
念仏の道場とされた。

来迎寺はもと三川口にありましたが湊川合戦や太平洋戦争で焼失し現在の地に建立。


【山門】



【本堂】



【松王丸 供養塔】





【白拍子妓王・妓女 五輪塔】



【稲荷社】



【お地蔵さん】



【木化石】





【御朱印】


書置きをいただきました。

金光寺(2012年4月14日参拝)

2012-05-24 | 福原西国33か所
所在地:兵庫県神戸市兵庫区西仲町2-12
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:承安3年(1173年)
開山:隆真
開基:平清盛
札所:摂津国八十八箇所霊場 第84番札所、福原西国三十三箇所霊場 第31番札所


【寺暦】
伝承によれば治承4年(1180年)に平清盛が都を京都から兵庫県福原(福原京)へ
遷都しようとした際に、まず運河の開鑿を行おうとした。
ある夜、童子が平清盛の枕元に現れて
「兵庫の海中に霊仏があるのでに探し出すように」との夢告があり、
早速、兵庫大輪田の海(大輪田泊)に網を下ろしたところ海中から黄金の薬師如来像が出現した。
平清盛はその霊験に感心し、
「これぞ当地の守護仏ならん。永く、地を定め、一宇を起こして安置し祈願せん。」と言い、
当地に大伽藍を建立したのが金光寺の草創とされる。

寛政12年(1800年)楠公祭りの際に太平記軍書講談が行われた。
当初の予定の50日間を25日間延長したという記録が『北浜総会所日記』に記載されている。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で本堂、庫裡が全壊したが再建された。


【遠景】


境内に入るといきなり墓地が。(^^;

あんまり一般の墓地には近寄りたくないのよね。


【本堂】


この日はちょうとお通夜が営まれるということで、
葬儀屋も来ていていろいろ準備されていましたので、
本堂には入りませんでした。

御本尊の黄金薬師は拝見したかったのだが。


【御朱印】


まさかの横書きでいただきました。(^^;