南院の近くにあるのが徳川家霊台。
ここも久しぶりの参拝となります。
【徳川家霊台】
【概要】
徳川家霊台とは徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。
この場所は本来、聖派の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、
大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので霊台だけが残りました。
大徳院は代々徳川家との関係が深い寺院で、
後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、
大徳院と改められたともいわれています。
大徳院に東照宮を勧請することを、
早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、
造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、
同20年に竣工し4月17日には落慶法要が行われました。
拝観料200円を支払い中へ。
徳川家康霊屋。
うお、今回は普段閉められている門が開いている。(^^
めっちゃラッキー。
これは中に入るしかないでしょ。
美しい。
透塀の間から見るのとは大違い。
実に素晴らしい建築美が見れます。
是非とも扉が開いて時期に訪れていただきたいです。
徳川秀忠霊屋。
こちらも美しく素晴らしい。
そりゃ、建築に10年はかかりますわな。(^^
10月の2週間ほど、内部特別公開がされるそうです。
とても煌びやかな内部ですね。
その時期になったらまた訪れるとしよう。
御朱印。
【五坊寂静院】
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山684
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・1198年(建久9年)
開山:伝・明寂上人
開基:伝・八条女院
【歴史】
寺伝によると妙法蓮華経に因む妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、
これらを一心院としたのが明寂上人であるという。
その後、行勝上人が相伝し貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。
後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇・後柏原天皇などの
歴代天皇より綸旨を賜り勅願寺となった。
平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、
相当な有力寺院であった。
日蓮聖人が若い頃に真の仏教・お釈迦様の真髄を求めて、
高野山のここに学びに来られた地である。
まさか、この高野山で南無妙法蓮華経のお題目碑を見るとは。
よく見ると日蓮聖人遊学之旧蹟と刻まれている。
ほ~、あの日蓮聖人が高野山に来られていたんですね。
このお題目碑の先に山門が見えた。
金輪塔の近くにもかかわらず、
こんな所にお寺があることすら知らなかったよ。
山門。
本堂。
境内はさすがに日蓮聖人所縁の地らしく、
よそ者を受け付けない、殺風景な雰囲気。
一瞬、廃寺かと思うほど。(^^;
それでも怖いもの見たさじゃないけど、
勇気を振り絞って境内に入ってみた。
閉まった本堂と庫裏があるだけ。
何の見所もありません。(苦笑)
というか、
この五坊寂静院って真言宗だったのね。
参拝した時は確実に日蓮宗と思ってたよ。(^^;
しかし、真言宗の寺院でありながら日蓮聖人の御尊像が安置されているという。
そんなお寺は他にあるの?
本当に不思議でレアなお寺ですね。
御朱印の有無は不明です。
ここも久しぶりの参拝となります。
【徳川家霊台】
【概要】
徳川家霊台とは徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。
この場所は本来、聖派の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、
大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので霊台だけが残りました。
大徳院は代々徳川家との関係が深い寺院で、
後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、
大徳院と改められたともいわれています。
大徳院に東照宮を勧請することを、
早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、
造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、
同20年に竣工し4月17日には落慶法要が行われました。
拝観料200円を支払い中へ。
徳川家康霊屋。
うお、今回は普段閉められている門が開いている。(^^
めっちゃラッキー。
これは中に入るしかないでしょ。
美しい。
透塀の間から見るのとは大違い。
実に素晴らしい建築美が見れます。
是非とも扉が開いて時期に訪れていただきたいです。
徳川秀忠霊屋。
こちらも美しく素晴らしい。
そりゃ、建築に10年はかかりますわな。(^^
10月の2週間ほど、内部特別公開がされるそうです。
とても煌びやかな内部ですね。
その時期になったらまた訪れるとしよう。
御朱印。
【五坊寂静院】
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山684
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・1198年(建久9年)
開山:伝・明寂上人
開基:伝・八条女院
【歴史】
寺伝によると妙法蓮華経に因む妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、
これらを一心院としたのが明寂上人であるという。
その後、行勝上人が相伝し貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。
後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇・後柏原天皇などの
歴代天皇より綸旨を賜り勅願寺となった。
平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、
相当な有力寺院であった。
日蓮聖人が若い頃に真の仏教・お釈迦様の真髄を求めて、
高野山のここに学びに来られた地である。
まさか、この高野山で南無妙法蓮華経のお題目碑を見るとは。
よく見ると日蓮聖人遊学之旧蹟と刻まれている。
ほ~、あの日蓮聖人が高野山に来られていたんですね。
このお題目碑の先に山門が見えた。
金輪塔の近くにもかかわらず、
こんな所にお寺があることすら知らなかったよ。
山門。
本堂。
境内はさすがに日蓮聖人所縁の地らしく、
よそ者を受け付けない、殺風景な雰囲気。
一瞬、廃寺かと思うほど。(^^;
それでも怖いもの見たさじゃないけど、
勇気を振り絞って境内に入ってみた。
閉まった本堂と庫裏があるだけ。
何の見所もありません。(苦笑)
というか、
この五坊寂静院って真言宗だったのね。
参拝した時は確実に日蓮宗と思ってたよ。(^^;
しかし、真言宗の寺院でありながら日蓮聖人の御尊像が安置されているという。
そんなお寺は他にあるの?
本当に不思議でレアなお寺ですね。
御朱印の有無は不明です。
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