金剛峰寺参拝後、いよいよ聖地の高野山壇上伽藍へ。
今回は金堂から左回りでいろいろ巡ってみました。
【金堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a0/65a78c8659885fde2946e10b305533ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/77/cb445f85763418a93f10cb76ebcc46e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/52/4b6ffa5d3feb9fbf601cb958db2d6a8d.jpg)
新しい建築物ではあるがかなり良い出来であるので、
あと数百年も経つと渋い味が出てくるでしょうね。
当然私は生きてませんが。(苦笑)
【六角経蔵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/cd/bc4f53b0be854150e813ac954d36666c.jpg)
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔う為、
紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。
こちらも新しい建築物でした。
【山王院】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b7/8085510779465243e5689f8663542df2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6b/264a136e995920cade0b83a7992106d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/64/4cf00467ef73837cb6fe75af23edbfa4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/06/02208a4f39097a6056bb108674680ce4.jpg)
山王院は御社の拝殿で山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味。
現在の建物は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財となっています。
実に渋いです。
ここは凄く落ち着く場所です。
【御社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f3/38be5f5188f265b142f4ab905d84fa3f.jpg)
弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、
高野山の鎮守とされました。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、
三宮は十二王子・百二十伴神が祀られています。
現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。
【西塔】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a9/83454bbf6074d36d72b6dfb8b247b576.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/58/4e719d4c2fd4171329086e625e2ab2bb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/d600bd7419b194049d62ee1171130856.jpg)
仁和2年(886年)に建立。
現在の塔は天保5年(1834年)に再建された擬宝珠高欄付多宝塔で、
高さは27.27メートル。
素晴らしい。
なんという存在感。
根来寺の大塔も凄かったけど、
この西塔を目の前にすると別格と感じる。
宗教的意義を別にすると個人的にはベストスポットかも知れない。
【鐘楼】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/85/f6362171838d5886ee975848efbeefda.jpg)
【孔雀堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/05/e90ce71348e945548ba55d2fd71d3914.jpg)
昭和元年(1926年)金堂より出火した大火によって焼失しましたが、
昭和58年(1983年)には弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として再建。
御本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、
現在は霊宝館に収められています。
【准胝堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d1/76358c1f08b9798bf08141c1d4dc67cf.jpg)
御本尊の准胝観音は弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として
自ら造立されたと伝えられています。
【御影堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ea/9cb16ee1164fbff418c8712379a25a0a.jpg)
お大師さまの持仏堂として建立されましたが、
後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し御影堂と名付けられました。
【大塔】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/6e/4efc12d1077f8c86ccf095bde3b6f213.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/db/a674183c6bf801c735330b3ae9bb3664.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7f/f9ce15464f841e9f288fc714ccf81be3.jpg)
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、
御本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、
北側に安置されている二体の仏様はもともと中門に安置されていたもので、
火災から奇跡的に免れて多聞天と持国天で江戸時代の作といわれています。
でかいです。
昭和12年に再建されたもので朱色が目立つだけに、
建築物としては個人的に好みではないのですが、
中に入ってみると仏様の数々は素晴らしかったです。
写真撮影禁止なのが残念ですね。
【大塔の鐘・高野四郎】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/02/26c468cf6c4a505d61af9912414f3c8b.jpg)
現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもの。
直径2.12メートルの大鐘で日本で四番目に大きな鐘であったことから
高野四郎と呼ばれるようになりました。
【愛染堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/19/5d6955a6c7a7ca3419ded7b48a4c9b95.jpg)
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、
玉体安穏を祈るために建立されました。
御本尊は愛染明王で後醍醐天皇の御等身といわれています。
【大会堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f4/8205e5b00449083de649aafeab4d44ea.jpg)
鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王というお方が、
父帝の追福のため建立されました。
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂で、
御本尊は阿弥陀如来が奉安され脇侍として観世音菩薩、勢至菩薩が
ともに祀られています。
【三昧堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/b2/2d5c550996d5c3f830ff22e74a74ddba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cd/c4af7a569d7fda63dde87bb5fb700389.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/66/21711dce102cc109cf2297f17c553e6a.jpg)
済高座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、
もともと総持院境内に存在していました。
済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、
三昧堂と呼ばれるようになりました。
後に壇上伽藍へ移されるのですが、
修造にかかわったのが西行法師だと伝えられています。
三昧堂の前の桜は西行法師手植えの桜として西行桜と呼ばれています。
伝説にはこのお堂を修造した記念に植えられたそうです。
現在の建物は文化13年(1816年)の再建です。
【不動堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/63/4e285bbf63901ce2bfa9d687e351c653.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/57/cec87a01cb7b229d85899ab862e5501f.jpg)
国宝。
建久8年(1197年)鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、
行勝上人によって建立。
【東塔】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3a/ec6a19c957315e3b288a2ba77f17cb1b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/25/8d5c97466ab70b4377c84bdfe07ca5a8.jpg)
大治2年(1127年)白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建。
当初は上皇等身の尊勝仏頂尊が本尊として奉安され、
不動明王、降三世明王の二体も脇侍として祀られていました。
天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、
140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/35/4870b74f7b2b81c26cda93495a79e549.jpg)
見所満載の壇上伽藍でした。
さすがスーパースター空海の聖地ですね。
三昧堂や山王院、大会堂は建築物として素晴らしいものでしたが、
西塔の素晴らしさは群を抜いている。
日本全国のお寺の多宝塔は当然ながら全部見ていませんが、
恐らく、いや間違いなくNo.1かと。
今回は金堂から左回りでいろいろ巡ってみました。
【金堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a0/65a78c8659885fde2946e10b305533ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/77/cb445f85763418a93f10cb76ebcc46e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/52/4b6ffa5d3feb9fbf601cb958db2d6a8d.jpg)
新しい建築物ではあるがかなり良い出来であるので、
あと数百年も経つと渋い味が出てくるでしょうね。
当然私は生きてませんが。(苦笑)
【六角経蔵】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/cd/bc4f53b0be854150e813ac954d36666c.jpg)
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔う為、
紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。
こちらも新しい建築物でした。
【山王院】
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6b/264a136e995920cade0b83a7992106d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/64/4cf00467ef73837cb6fe75af23edbfa4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/06/02208a4f39097a6056bb108674680ce4.jpg)
山王院は御社の拝殿で山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味。
現在の建物は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財となっています。
実に渋いです。
ここは凄く落ち着く場所です。
【御社】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f3/38be5f5188f265b142f4ab905d84fa3f.jpg)
弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、
高野山の鎮守とされました。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、
三宮は十二王子・百二十伴神が祀られています。
現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。
【西塔】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a9/83454bbf6074d36d72b6dfb8b247b576.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/58/4e719d4c2fd4171329086e625e2ab2bb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/d600bd7419b194049d62ee1171130856.jpg)
仁和2年(886年)に建立。
現在の塔は天保5年(1834年)に再建された擬宝珠高欄付多宝塔で、
高さは27.27メートル。
素晴らしい。
なんという存在感。
根来寺の大塔も凄かったけど、
この西塔を目の前にすると別格と感じる。
宗教的意義を別にすると個人的にはベストスポットかも知れない。
【鐘楼】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/85/f6362171838d5886ee975848efbeefda.jpg)
【孔雀堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/05/e90ce71348e945548ba55d2fd71d3914.jpg)
昭和元年(1926年)金堂より出火した大火によって焼失しましたが、
昭和58年(1983年)には弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として再建。
御本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、
現在は霊宝館に収められています。
【准胝堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d1/76358c1f08b9798bf08141c1d4dc67cf.jpg)
御本尊の准胝観音は弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として
自ら造立されたと伝えられています。
【御影堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ea/9cb16ee1164fbff418c8712379a25a0a.jpg)
お大師さまの持仏堂として建立されましたが、
後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し御影堂と名付けられました。
【大塔】
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/db/a674183c6bf801c735330b3ae9bb3664.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/7f/f9ce15464f841e9f288fc714ccf81be3.jpg)
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、
御本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、
北側に安置されている二体の仏様はもともと中門に安置されていたもので、
火災から奇跡的に免れて多聞天と持国天で江戸時代の作といわれています。
でかいです。
昭和12年に再建されたもので朱色が目立つだけに、
建築物としては個人的に好みではないのですが、
中に入ってみると仏様の数々は素晴らしかったです。
写真撮影禁止なのが残念ですね。
【大塔の鐘・高野四郎】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/02/26c468cf6c4a505d61af9912414f3c8b.jpg)
現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもの。
直径2.12メートルの大鐘で日本で四番目に大きな鐘であったことから
高野四郎と呼ばれるようになりました。
【愛染堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/19/5d6955a6c7a7ca3419ded7b48a4c9b95.jpg)
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、
玉体安穏を祈るために建立されました。
御本尊は愛染明王で後醍醐天皇の御等身といわれています。
【大会堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f4/8205e5b00449083de649aafeab4d44ea.jpg)
鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王というお方が、
父帝の追福のため建立されました。
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂で、
御本尊は阿弥陀如来が奉安され脇侍として観世音菩薩、勢至菩薩が
ともに祀られています。
【三昧堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/b2/2d5c550996d5c3f830ff22e74a74ddba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/cd/c4af7a569d7fda63dde87bb5fb700389.jpg)
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済高座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、
もともと総持院境内に存在していました。
済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、
三昧堂と呼ばれるようになりました。
後に壇上伽藍へ移されるのですが、
修造にかかわったのが西行法師だと伝えられています。
三昧堂の前の桜は西行法師手植えの桜として西行桜と呼ばれています。
伝説にはこのお堂を修造した記念に植えられたそうです。
現在の建物は文化13年(1816年)の再建です。
【不動堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/63/4e285bbf63901ce2bfa9d687e351c653.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/57/cec87a01cb7b229d85899ab862e5501f.jpg)
国宝。
建久8年(1197年)鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、
行勝上人によって建立。
【東塔】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3a/ec6a19c957315e3b288a2ba77f17cb1b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/25/8d5c97466ab70b4377c84bdfe07ca5a8.jpg)
大治2年(1127年)白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建。
当初は上皇等身の尊勝仏頂尊が本尊として奉安され、
不動明王、降三世明王の二体も脇侍として祀られていました。
天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、
140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/35/4870b74f7b2b81c26cda93495a79e549.jpg)
見所満載の壇上伽藍でした。
さすがスーパースター空海の聖地ですね。
三昧堂や山王院、大会堂は建築物として素晴らしいものでしたが、
西塔の素晴らしさは群を抜いている。
日本全国のお寺の多宝塔は当然ながら全部見ていませんが、
恐らく、いや間違いなくNo.1かと。
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