勝海舟は25歳のころ(嘉永2年1848か)、日本で最初の阿蘭陀(おらんだ)語写本辞書『ドゥーフ・ハルマ』を江戸のある蘭医から借り受けます。借り賃は10両(約100万円!!)。しかし貧乏学生だった勝麟太郎はそのような大金は持ち合わせていません。1年間がかりで58冊もの大冊から写本2部を作成し、1部は手持ちしもう1部は50両ほどで売ったといわれています。蘭医へは当然、後払いだったのでしょうね。
徳川幕府は200余年にわたって鎖国しました。例外は和蘭(オランダ)と支那・清のみ。当時は西洋語といえばオランダ語しかありません。蘭書の輸入がある程度許されるとともに、知識人のあいだで蘭学(洋学)がブームになっていきましたが、しっかりした辞書(オランダ語―日本語)がありません。
出島商館長のヘンドリック・ドゥーフは、蘭語日本語辞書作成の幕命を受け、長崎のオランダ通詞(長崎奉行所所属の日本人通訳)たちとともに編纂にあたりました。そしてドゥーフ帰国16年後の天保4年(1833)、ついに3000頁を超す大辞典が完成します。しかしこの大冊は手書き写本で、制作部数はわずか30部ほどといいます。勝麟太郎が写した辞書は、写本の写本、彼の作成本は原本の孫本だったのかもしれませんね。
ほとんどだれも手にとることのできないほどの貴重書『ドゥーフ・ハルマ』、別名長崎ハルマ・ズーフハルマ・道訳法爾馬・道富ハルマです。印刷本が当然望まれました。公許を得て桂川甫周が中心になって『ズーフ・ハルマ』改訂増補版が、印刷版『和蘭字彙』(おらんだじい)として安政2年(1855)に刊行されました。蘭学者の悲願が達成されたわけです。見出し語は実に5万ほどもあります。
オランダ語日本語辞典『和蘭字彙』に、語「幸福」があるかどうかみてみました。単語「GELUK」「ZEGEN」と類義語「VREUG」について、名詞・形容詞・副詞・動詞をあわせて日本語訳語を一行書きにしました。また熟語や例文用例もたくさん載っていますが、オランダ語原文は記さずに日本文のみいくらか抜粋列挙しました。なお字「幸福」は出てきません。
「GELUK」
幸・果報・無事・祝い・幸なる・幸に・首尾よくできる。
<用例>果報は見えぬものである。
彼に幸が笑いかかる(彼に果報が転びかかるという意味)
果報が彼に付き従っている。
おのれの婚礼に幸がない。
その事が左様になるという事は、智恵よりは幸の方が多い。
人に仕合をよくしてやる。
人に幸なる年頭を祝す。
実際の幸は天にあるものなり。
「ZEGEN」
天幸・恵・天幸を授ける・誉る・幸を祈る・幸を悦す・幸の祈り・清め祓うこと。
<用例>天より汝に幸を授く。
彼は商い事にはなはだ運がよい。
汝にあだなす者に幸を祈りて遣るべし。
「VREUG」
喜び・悦び・楽しむ。
横浜開港の後、しばらくしてから福沢諭吉は居留地を訪れました。安政6年(1859)のこと、諭吉はこれまで学んできた自信十分のオランダ語がどれほど通じるものか、試してみたかったのです。
「行ってみたところが、一寸も言葉が通じない。こちらのいうことも分からなければ、相手のいうことももちろん分からない。店の看板も読めなければ、ビンの貼り紙も分からぬ。何を見てもわたしの知っている言葉というものがない。」
苦心惨憺して習得したオランダ語が、さっぱり外国人に通じないことを知った福沢のショックはおおきかった。しかし彼は気付く。「これからは英語を知らなければ洋学者としては、お話しにならない」
江戸に帰った福沢は英語の習得を決意した。ところが困ったことに英語を学ぼうにも、どこで誰に学んでよいか、さっぱり分からぬので困惑したという。次回は幕末の英語を取り上げようかと思っています。
<2012年9月30日 南浦邦仁>
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