中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

田園交響曲

2016-07-30 21:02:58 | 音楽
 明日は山響の新潟、新発田での公演。去年から始まったシリーズです。

 今回は指揮者に山下一史氏を迎えて、ベートーヴェン「田園」、クラリネットのソリストに山響首席の川上氏を立ててウェーバー「クラリネット協奏曲2番」、頭にモーツァルトの「ディヴェルティメント3番」という、古典でまとめつつも変化に富んだプログラムです。


 ところで「田園」は言わずと知れた名曲ですが、有名なのはやはり冒頭でしょう。「田園に着いた時の愉快な気持ち」と、ベートーヴェンも楽譜に書いています。慌ただしい都会をしばし離れて、のんびりとした田舎での滞在が始まるウキウキ感…これは時代や国籍を超えたものなのです。

 今の慌ただしい世の中から考えれば、ベートーヴェンの時代のヨーロッパに、慌ただしさなど存在したのかと疑問に感じますが、そういう問題ではない。慌ただしさとは心情的な問題なので、数値では測れない。実際、田舎でも仕事のスケジュールに追われることは、東京と変わらない。私たちが身をもって断言いたします。

 …田舎方面に旅行したからウキウキしたんでしょ。

 それも違います。山形と比べてどうだというつもりはありませんが、旅行で佐賀に行っても対馬に行っても、心の中に「田園のテーマ」は鳴らなかった。


 ハッキリ言いましょう。田園交響曲の「愉快な感じ」は…「オフの始まり」の気持ちなのです。つまり田園は、地理的には存在しない。しかし同時に、どこにでも出現し得る。ベートーヴェンがこれを「絵画的描写ではない」としつこく言ったのは、そういうことに違いない。これは「オフを迎えた人」の心理的な描写なのです。

 例の、鳥が鳴き交わすところも、実際の鳥の鳴き声を模したものにあらず。ああいう音がノリノリで聞こえてしまうほどに、ベートーヴェンは郊外で過ごす「オフ」が楽しみだったのです。ちょっといじらしい。そして現代人の我々にも、痛いほどわかる。


 私は何が言いたいのか…そう、皆様と同じ気持ちです。

 夏休みが待ち遠しい…。


 以上、明日の「田園」も心を込めて演奏したいと思います。
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丸真正宗(辛口吟醸)

2016-07-28 22:15:49 | お酒の話(県外)
 この間の山形Q60回定期を、わざわざ東京から日帰りで聴きに来てくださった方がいらっしゃいました。本当にありがたいことです。本来なら、せっかく来た山形の美味しい酒と料理でもてなさなければいけないところを、逆に、お土産までいただいてしまい、恐縮の限りです。遠方から足を運ぶ価値のある演奏会を、今後もしっかりやっていかなければならないと覚悟を新たにした次第です。

 ということで、お土産にいただいたのは、なんと東京の地酒。東京には奥多摩の澤乃井しかないと思っていましたが、23区内にもあったんですね。知りませんでした。北区、赤羽近くの「丸真正宗」。なんとも珍しいものをいただきました。

 …故郷の、それも知らなかった地酒をいただくというのは、生まれ年のワインをプレゼントされたよりも嬉しい。この場を借りて、粋な心遣いに深く感謝いたします。

 心して、開栓の儀。「江戸の地酒」と銘打ってありますが、どんなものなのか。

 …ひと言で言えば、「都っぽい」味。これが、伝統的な意味での都会的な味なのでしょう。武骨さが加わってはいますが、あきらかに、京都や灘の酒をイメージしているように感じました。

 現代において「都会的」というのは、イコール「新しい」とか「スタイリッシュ」みたいなニュアンスを含みます。しかし、考えてみればそれは偏っている。やや「新興国」的な発想ではないでしょうか。

 都会にこそ、由緒正しい伝統がいまだに守られている…ということがあってもおかしくないはずです。ヨーロッパなどは、あきらかにそうですね。しかし日本は残念ながら、都会には古き良き日本がほとんど残っていない。日本で日本らしさを探すのが一番困難な地域が首都だというのも、本来はおかしな話です。

 そう考えるとさすが、日本酒は日本の文化の核。流行りにまどわされない日本酒らしい日本酒がきちんと、首都や古都に残っていると言えるのかもしれません。

 江戸の地酒の、武骨で古風な香りを堪能しました。
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弦楽合奏の夕べ

2016-07-26 22:15:26 | 山形交響楽団
 さて今週の山響は、まず明日本番の「山響ストリング・シリーズ」。今年初めての企画で、指揮者なしの弦楽合奏の演奏会です。

 場所はかみのやま温泉の有名旅館「古窯」。夏休みの観光客で賑わっているところに、格調の高い弦楽合奏をプレゼントするとはおしゃれな企画です。


 プログラムはチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」をメインに、あとはグリーグ」ホルベルク組曲」、モーツァルト「ディヴェルティメント」。

 弦楽器奏者は休みがないのは辛いところですが、なかなか充実したリハーサルのもと、良い演奏会になりそうです。

 まだまだ夏休みは遠いですが、もうひと頑張り。
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山形弦楽四重奏団第60回定期演奏会終了

2016-07-24 22:01:29 | 山形弦楽四重奏団
 昨日、ついに「第60回」が無事に終わりました。夏休み前の何かと忙しい時期にもかかわらず、ご来場くださった皆様に、心から感謝いたします。

 個人的に一番嬉しかったのは、メインのドビュッシーを弾き終わって感謝の言葉を述べた後に、アンコールとして「ラヴェルの弦楽四重奏から第2楽章を」と言った時に、客席から思わず「おおっ!」という声が聞こえたことです。

 さすが「ウチのお客さん」は、山形でも稀に見る「通」ぞろいです。よくもアンコールなんかで、あんな大変な名曲をやるもんだ…ということを即座に理解してくれる。それでこそ、やりがいがあるというものです。

 決して一般ウケするとは言えない「弦楽四重奏」のコンサートを、こうして16年、60回も続けてこられたのは、本当にそういう熱いお客様方のおかげです。

 恩を返す気持ちも込めて、また、今日からも70回80回を目指して頑張ります。応援していただけたら嬉しく思います。

 さて、次回は10月30日。またしても秋の忙しい最中になりますが、頑張ります。

 本当に、ありがとうございました!
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いよいよ明日!

2016-07-22 22:05:36 | 山形弦楽四重奏団
 今日、「第60回」に向けた最後の山形Qリハーサルを終えました。

 今回は長期にわたる山響の演奏旅行など、かつてないハードルがありましたが、4人とも無事に、充実した気力を持って明日の本番が迎えられそうなことを、まずは喜びたい。

 身体が資本の肉体労働者なのだということを思い知らされますね。どれだけ貧乏だろうと、まずは元気でなんぼ。細かいことを言えば不満もお互いあるでしょうが、そういう丈夫な心身を持つ仲間に巡り会えたことにも、感謝するべきでしょう。


 明日は記念すべき「第60回」を、応援してくれる皆様と一緒に楽しみたいと思います。
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フランチャイズ

2016-07-21 22:26:13 | 山形交響楽団
 本日は、山響の「アフィニス音楽祭」のPRイベントのため、フルオーケストラで文翔館で演奏しました。


 そもそも文翔館でオーケストラの演奏会をすることが、最近では珍しい。昔…と言ってももう10年以上前の話になりますが…定期が年6回だったので、その裏で文翔館コンサートも年6回やっていたこともありました。


 「裏」定期だった文翔館では、いろいろな制約がない分、自由な企画でコンサートをしたものです。団員がソリストを務めるコンチェルトシリーズや、「山形の作曲家シリーズ」などなど。

 その流れで、若手だった私も、チェロとの二重協奏曲を弾かせてもらったりしたのでした。懐かしいことです。文翔館でのコンサートは、いろいろな意味でプレッシャーがありましたが、楽しかった。


 最近では、今日のようなアフィニスがらみのPRイベントでしか、文翔館を使ったオーケストラの本番はありません。もっぱら「練習場」となっていますが、会場の綺麗さと音の良さ、客席と舞台の近さなど、いろいろな利点はあると思います。…採算はどうかわかりませんが。


 特に私たち山形Qにとっては、16年来の「本拠地」ですが、オーケストラのリハーサルだったり本番だったり…そのシチュエーションによって全然違う場所のように感じられるのが不思議です。

 今日は、「いつもの場所」なのに懐かしい感じがしました。あらためて、良いホールだと思います。

 明後日の、山形Q定期でも、、良い演奏をしたいと思います。
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印象派

2016-07-20 20:57:44 | 山形弦楽四重奏団
 「海の日」には大沼デパート催事場で山形Qの演奏会をしたり、翌日には山響のスクールコンサート午前午後の後に、山形Qのリハーサルをしたり…演奏旅行が続いた分、熱中症になる暇もないほどハードなスケジュールに見舞われています。

 山響でも故障者が続出する中で、我が山形Qのメンバーは元気です。日頃の節制のたまもの…とは言えない悪行の数々にもびくともしない強い心身を持った四銃士を誇りに思います。…まあ、私と一緒にされては心外かとも思いますが。


 ということで、今週の土曜日に迫った「第60回定期」。メインは再演となるドビュッシーです。


 ドビュッシーと言えば「印象派」。しかしこの「印象派」という言葉は、きちんと調べてみると奥が深い。自民党の人たちのような「私は〜派」みたいなものとはだいぶ違うのです。恥ずかしながら、ドビュッシーに関する本を読んで、今回初めて知った部分がけっこうあります。

 まず、「印象派」というのは、当時のフランス絵画における、新しい作風の人たちを馬鹿にして悪く言う言葉なんですね。これは、モネの「印象・日の出」という絵が衝撃的だったからです。

 わざと稚拙に書いたようなタッチで、ぼんやりと、そこらへんにある日常の風景を描く。しかもそれに「印象」などという、なんとでも言えるようなタイトル。

「印象かぁー。確かにわしもそう思った。わしも印象を受けたんだから。つまり、その印象が描かれているというわけだなぁー。だが、何という放漫、何といういい加減さだ! この海の絵よりも作りかけの壁紙の方が、まだよく出来ている位だ」

 モネの絵を見た当時の批評家が、茶化して書いた有名な文です。

 この気持ちはちょっとわかる気もする。公園にある、わけのわからないオブジェに「印象」というタイトルがついていたら「そんなこと言ったら、幼稚園生の落書きだって立派な印象だし芸術じゃん」と言いたくなる。「おたくの坊ちゃんも、なかなかの印象派だ」みたいな。そういう文脈でできた言葉なんですね。

 
 だから言われた当時の芸術家たちは、この言葉を嫌がった。しかし意外なことに、一般大衆が「印象派最高っ!」「…やっぱ印象派っしょ」と盛り上がったために、最先端のオシャレな芸術という意味になってしまう。このあたりが実に面白い。


 芸術の流れというのは、芸術家たちだけで決まるものではないんですね。それを受け入れる大衆が大きな力を持っている。それを無視したものは正しくても消えていくし、しかし迎合したものもすぐに飽きられて残らない。

 その時代を生きる者として、敏感に感じとったものを、独自の目線で表現する…それが、普遍性を持つレベルまで深く達したものが、芸術として伝えられていく。そんなところでしょうか。


 それを別の時代に再現する演奏家の役割は……酔った勢いでつまらないことを言うと自らの首を絞めるのでこの辺でやめておきましょう。

 とにかく、大好きなドビュッシー。来てくれたお客様と一緒に楽しめればと思います。
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山響第254回定期

2016-07-17 23:26:25 | 山形交響楽団
 二日間にわたる山響定期が終わりました。夏休み前の貴重な三連休という、コンサート向きでない日どりにもかかわらず来てくださったたくさんのお客様に感謝いたします。


 池辺晋一郎「小交響曲」、シューマン「ピアノ協奏曲」、ベートーヴェン「英雄」という、かっちりしたプログラムで聴いていただきましたがいかがだったでしょうか。

 新進気鋭の女性指揮者、田中祐子氏と日本を代表するベテランピアニスト、伊藤恵氏のおかげで、名曲を飽きることなく聴いていただけたのではないかと思っています。

 ベテランはベテランの良さを、新人は新人の良さを、充分に発揮していたと思いますし、我々もそれに大きくのせられて、良い刺激を感じながらの本番でした。


 個人的には、伊藤恵さんの素晴らしいピアノと久しぶりに一緒に演奏できたのを嬉しく思います。私が長らく在籍していたアマチュア・オーケストラで何度もソリストとしてお招きした方なのです。

 癖のある人間が集まったマニアックなオケでしたから、、お願いした曲も、プーランクやスクリャービンなど。

 今回、ご挨拶した時にも、そのオケのことは覚えていてくださいました。
「ずいぶん珍しい曲を弾かせていただいて…」
…ご苦労をおかけしました。


 今回はシューマン。十八番だけあって、本当に素晴らしかった。山響に入ってから何度か演奏しましたが、これほど安心して、この曲の良さを感じながら弾いたのは初めてです。


 ピアニスト・指揮者、そしてお客様…またの機会をお待ちしています。ありがとうございました。
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白露垂珠「夏酒」

2016-07-16 23:03:31 | お酒の話し(山形県)
 九州にも良い酒がたくさんありました。特に、福岡と佐賀。「鍋島」や「東一」など、全国区になっているものもたくさんありますね。焼酎だけではないのです。それらはまたいずれ。


 山形に戻ったからには、とりあえず、山形の夏の酒を。

 こうして「夏酒」などと銘打って、キンキンに冷えた冷蔵ケースに陳列されると、手に取らないわけにはいかない。虫だったら、ウツボカズラに落ちるタイプの自覚あり。


 羽黒の銘酒「白露垂珠」から、幻の酒米と言われた「改良信交」を44%まで磨いて造った上に氷温熟成をしたという、困りものです。手の込んだ、高級「ひやおろし」ですね。


 …これはまいった。「熟成もの」にはそれほど興味のない私ですが、その良さがはじめてわかりました。

 凝縮された旨味が、舌に触れた瞬間にほろっと崩れて広がるような感じ。やや甘めですが、その甘みがシャーベットのように引き締まっているので、ベタッとひろがらずに輪郭もはっきりしている。そのあたりが「夏酒」なのですね。

 正直言って「白露垂珠」シリーズは、割高感があって自分の中ではあまり評価してきませんでしたが、見直しました。

 
 やっぱり山形の酒は、素材の良さに加えて、その技術力が本当にすごい。どこへ旅行に行っても、全然負けてないのを、いつも感じます。
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新進気鋭

2016-07-15 22:26:12 | 山形交響楽団
 今週の山響は、明日明後日の定期演奏会のリハーサル。

 今年度のベートーヴェンシリーズの第3回となる今回は「英雄」。指揮は新進気鋭の女性指揮者、田中祐子氏。他には、ベテランのピアニスト伊藤恵さんを迎えてのシューマン「ピアノ協奏曲」、そして池辺晋一郎「小交響曲」。


 指揮者というのは大変な仕事だと思います。上手くなるためには実際に演奏してみなければなりませんが、楽器はオーケストラそのものなので、個人練習というものができない。しかし、オーケストラの公演というもの自体が大きな興行なので、未熟な人は使ってもらえない。

「…じゃあ、いったいどうやって上達しろというのか?」

 まったくその通りです。さらに運良く、オーケストラを指揮することができても、相手は一癖も二癖もある器楽奏者がズラリと数十人。他人に命令されるのが嫌でこの仕事に流れ着いたような連中が、素直に言うことをきいてくれるはずなどありません。これでは、自由に才能を発揮することなど、できようはずがない。

 実際に、良い音楽を持っていても潰れていってしまう人を何人も見ました。私の身内が「指揮者になりたい」と言ったら、体を張って止めますね。


 しかし、そんな断崖絶壁をくぐり抜けた人はすごい。今回の田中氏も女性であるというハンデ(昔ほどはないと思いますが)をものともせず、オーケストラを動かして、きびきびした音楽を創っています。

 ぜひたくさんの人に聴いてもらいたいと思います。明日は19時から。明後日は15時から、テルサホールにて。お時間のある方は是非!
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名作にドラマあり

2016-07-13 21:08:40 | クァルテット
 今度の山形Q「第60回定期」は私の担当なので、演奏会で配布するプログラムの曲目解説を書くという役目がありました。長い九州旅行中に書くつもりでしたが、すっかり馬刺と焼酎に明け暮れてしまい、一昨日の深夜にようやく上程したのでした。

 毎回、図書館で本を借りてきてきちんと読んでから書くことにしているので、せっかく調べたことを、あの短いパンフには書ききれないのがもったいない。


 ということで、こぼれ話を。まず、今度の一曲目のハイドン「作品64-2」。作品64は有名な「ひばり」を含む名作です。

 ハイドンも58歳。長年、雇われ楽長として期待された以上の仕事をしてきましたが、人生の残り時間もうっすら見えてきて、「ここで終わりか…本当にこれでいいのか?」という葛藤があったと思います。

 ウィーンでは、モーツァルトが好き放題に才能を爆発させている。フリーの奴は、生活は安定してなくても、やっぱり自由です。ああいう姿を見ると、堅く勤め上げてきた自分の人生は、本当に正しかったのだろうかと。

 それはもちろん、これだけの経験と実績を積んできたわけですから、仕事はたやすくできるし、評価も高い。それなりに納得がいく曲も、昔より短時間で書けます。でもこれが本当に、自分の到達点なのだろうか。…定年が近づいたサラリーマンは、多かれ少なかれ思うことではないでしょうか。今も昔も一緒なのです。

 ハイドンのオーケストラにいた、名ヴァイオリニストのヨハン・トストが言います。
「俺はこんな田舎にいてもつまらないから、ここ辞めてパリに行きます。おやっさんの曲、ほんとにスゲえからパリでも弾きますよ。絶対ウケるから。だから餞別のつもりで、何曲か適当に書いて俺に下さい」
 
 …とまあ、想像するにこんな感じで「第1トスト曲集」は作曲されたのではないかと。ちなみに今回の作品64は、「第2トスト作品集」です。

 「第1トスト」の後、公爵の夫人が亡くなった時に、宮廷のこまごましたことを取り仕切るためにある女性がやってきました。彼女はハイドンたちから「女将」のような扱いを受けるわけです。これがなかなかできた女性らしい。しかしこれが、なぜかその後なんと、あのトストと結婚する。

 またしても、ここを離れて華やかなパリに行く知己に、ハイドンは再び餞別を与えた。これが作品64ではないかと言われています。


 作品64は、美しいしよくできてはいるものの、ふとしたところで場違いな感傷が入るところがあります。「ひばり」でさえ、その明るさは、地に足がついていないというか、充実感がない。そこが結果的に独特の浮遊感につながって、名作になっているような気がします。やはり作品76にみなぎる自信とは違う。ただようのは不安でもない、諦めのようなもの。「せめて、私の作品だけでも、遠く華やかなパリに行って羽ばたいておくれ」。

 「64」のなかで、そういうものが一番感じられるのが、今度の64-2です。若干の「喪失感」があるロ短調。

「私はいつまでこんなところにいて、みんなの世話をしているのだろう。これが本当に私の望んだ生き方なのだろうか…と思っているうちに58歳にもなってしまった」

 結果的には、その年に公爵が亡くなって、予想していなかった自由の身になるハイドン。高齢だからというモーツァルトの反対を押し切ってロンドンへ。名声と富を得るとともに、さらなる名曲を数多くのこすことになったわけです。


 人生にはドラマがありますね。その一場面の、本当に内面の部分を切り取って映し出しているのが、作品の面白さです。味わって演奏したいと思います。
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故郷の池

2016-07-12 22:01:38 | 雑記
 最近、恐ろしいニュースが多くて、嫌な気分になります。「目黒」と言っただけで猟奇的なものが連想されるのはとくに寒心に堪えない。


 碑文谷公園の池といえば、まさに私の生まれ故郷の原風景になくてはならないものです。すぐ近くが東横線のガード下なわりには、なかなか大きな池で、冬以外は貸しボートの賑わう素敵な場所なのです。休日にはポニーなども出てきて、その背中に乗ったことのない子供はいない。もちろんうちの子供達にも乗らせました。そしてボートにも。

 私も子供の頃から貸しボートには、本当によく乗りました。小学生も高学年になるとひとりで乗れますから、すいている平日には、仲間で1人一艘ずつ借りて、よく鬼ごっこをしたものです。ヒートアップしてくると、派手にぶつけ合ったり、仲間の船に飛び移ったり…当然、落ちる奴もいて、監視員にひどく怒られる。カップルにも迷惑がられました。

 そしてみんな年頃になると、ひっそりと彼女を連れてきて乗せる。バシャバシャと暴れるガキを、余裕を持った懐かしい目で見つつ、昔の鬼ごっこでつちかったオールさばきでゆったりと、彼女に水しぶきがかからないようにする。

 さらに時が過ぎると、子供にボートの漕ぎ方を教える若いお父さんの姿が…。


 …そんな地域の微笑ましい通過儀礼スポットを血に染めるような若者が、近所から輩出されるとは、恐ろしい世の中になったものです。池の隅々まで目に焼き付いているので、報道以上にリアルに想像してしまって最悪に嫌な気分になります。

 一日も早く、平穏が戻りますように。
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他人の顔

2016-07-09 22:03:20 | 映画・ドラマ
 山形Qのプログラムノートを書いています。今回の初登場は武満徹。


 プロコフィエフもショスタコーヴィチもそうですが、新しい時代の作曲家は、やはり映画音楽に携わることが避けられない。


 ということで、わざわざ観ました。安部公房の名作を映画化した「他人の顔」。もともと大好きな小説でしたが、映画は見ていませんでした。音楽を武満が担当しているとも知りませんでした。

 実験の失敗により、顔に大きなやけどを負ってしまった主人公の科学者が、顔についてのコンプレックスをなくすべく精巧な仮面を作り一時的な安息を得るものの、やはりどこにも出口がないばかりか、人間がいかに「顔」(外見・表層)というものに縛られていてそこから逃れられない存在であるかということに気づくという、逃げ場のない物語です。

 実に面白い。シリアスかつグロテスクSFに見えて、最後には夫婦の純愛が浮かび上がってくる構成は、安部公房の神業とも言える傑作です。


 映画の方は…なかなかよく頑張っている。とは言うものの、顔の無い男の異常に鋭い独白がメインの小説なので、映像ではその良さは伝わりにくい。仲代達矢と平幹二朗はさすがです。

 音楽は…と思っていたら、重要な議論が交わされる酒場でのシーン。グロテスクで出口の無い感じを思わせるワルツが、武満作品のようです。背景にいる客として、なんと作曲者が出演もしている。盛り上がっている混雑したビヤホールに、宇宙人的な広い額が、ちょっと場違いで不必要な存在感あり過ぎ。音楽はぴったりなのに…。まあ、映像的には貴重ですね。


 映画音楽としては、実に分かりやすくて素晴らしい。武満らしいかと言われればどうかわかりませんが、シーンの格調を高めていることは間違いない。

 
 今度の「ア・ウェイ・ア・ローン」にはなにも結びつきませんでしたが、楽しめました。
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長い家路

2016-07-08 20:25:18 | 旅の空
 長かった演奏旅行シーズンも、ついに大団円。今日の久留米で全ての公演が終わり、自宅へとたどり着きました。

 長い旅の中で、九州の元気な子供達に音楽を届けられたのは、本当に良い経験でした。

 しかし、これだけ家を空けたのも初めて。奥さんには迷惑をかけ、娘の10歳の誕生日を祝ってやることもできなかった。

 山形Qの練習もままならないうちに、第60回定期が2週間後に迫っています。

 日常の安息と、日常的の忙しさの中に戻ります。
 
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終盤

2016-07-07 21:47:28 | 旅の空
 今週は、対馬〜佐世保〜熊本と演奏旅行が続いています。

 中でも熊本は、大地震があったところなので、無事に公演ができるかどうか心配な面もありましたが、子供達も元気で嬉しく思いました。

 山形新聞にも記事な掲載されたようですが、山形でのいろいろな公演で、観客の皆さまからお預かりした義援金は、きちんと熊本県庁に届けることができました。

 山形Qの定期でも、たくさん集まった募金は、山響のものと合わせてきちんと届けましたのでこの場を借りてご報告しておきます。総額、40万円ほどになったようです。ありがとうございました。


 さて、残すはいよいよ、あと1公演。長かった旅も、終わりが近づいています。明日は天気が悪いようですが、家に帰るまでが演奏旅行。最後まで気をぬかずに頑張ります。
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