中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

植木市

2023-05-09 23:01:00 | クァルテット
 コロナも落ち着いてきたということで、「日本三大植木市」のひとつ、「山形薬師まつり」が久しぶりに開催されています。我が家の周辺も、昔のように露店で埋め尽くされて、車は出入りできないし、昼間から「唐揚げ」臭が充満しております。

 それでも「元通りになって良かった」という感慨の方が大きい。

 高校生たちも喜んでいます。うちの娘ももちろん。家の前も、そこらじゅう高校生だらけです。ゴミなどでその辺を汚すので、近隣住民としてかつては鬱陶しく思っていましたが、久しぶりの通常開催ですから、心から「良かったね!」という気持ちになる。

 今日は、そんな中を黒服で楽器を肩にかけ出勤。

 祭礼の真っ只中を抜けて護国神社へ。

 山響から派遣されたフルート四重奏で1時間、本殿での公演でした。

 祭りの中心地に来ながら、それを避けて、こんな静かなイベントにくる人などいるものかと思っていましたが、予想に反し、たくさんのお客様、ありがとうございます。

 モーツァルト「フルート四重奏」を中心に聴いていただきましたが、いかがだったでしょうか。

 神社は通常営業中なので、演奏中も時折り、お賽銭だとかの音が聞こえる、不思議な空間でした。

 演奏を終えた帰りはもちろん、露店で夕飯を買って帰りました。自宅の前に出ている露店で、お好み焼きと牛串。

 やはり「待ちに待った」ということなのか、かつてよりも人出が多くて、かなり並びました。ウチの前でやっているんだから、ファストパスでも出してくれてもいいものを。

 この植木市がなければ、お好み焼きで日本酒は無いのですが、年に一度なら、なかなか良いものだと思える。ゴールデンウィーク明けの風物詩です。
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クリスマスイブ

2022-12-24 21:46:00 | クァルテット
 いよいよ千秋楽が近づいています。忙しかった今年の山響も、明日の「第九」公演で大団円。

 いろいろあっても、よく覚えていないので、とりあえず最後まで無事に終われば「今年も良い年だった!」ということになるものです。嫌なことは思い出そうとせず「水に流す」日本文化が、私も大好きです。

 ということで、今日はリハーサル。

 しかしその前に、山響からの依頼で、午前中に天童のショッピングモールでフルート四重奏の演奏をしてきました。

 おりしも山形は大雪。今朝は、挫けそうになるぐらいの積雪で、車を掘り出すまでにもなかなかの労力でした。都会にいた頃なら「災害だから行けません」と勤務先に電話しようか迷うぐらい。

 しかし山形人は、そういうことは考えない。山形に来た頃は、どんな大雪の日も、苦労して出勤してみるとみんな普通の顔をしてすでに来ているので、すごいと思ったものです。

 今日はクリスマスイブですから、大型ショッピングモールは朝から賑わっていました。…この災害級の大雪でも、何も変わらずに朝から家族で楽しく出かける感覚には頭が下がる。私はまだまだひ弱なのです。

 30分間の「クリスマスコンサート」でしたが、少し並べられた客席以外にも多くの人が足を止めて聴いてくれました。

 小さい子供を連れた家族など。…大切なクリスマスイブの1ページにわずかでも花を添えられたなら本当に嬉しい。と同時に、「我が家にもこんな頃もあったな」と遠い昔を思い出しながら弾いていました。大人になると雪を「災害」としか思わない。でも小さい子供がいて、雪を喜んでいるのを見ると、それも自然のプレゼントだと思えるのです。

 こんな雪の朝に出かけるとは災難だと思う、そんな年の瀬の大人の心が、客席の幼い子供を連れた夫婦を見て、少し浄化されました。

 明日の仕事納めの「第九」も、楽しみに聴きに来るお客様のために、良い演奏会になるよう頑張ります。
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BGMとして

2022-05-17 23:04:00 | クァルテット
 昔、恵比寿ガーデンプレイスができて間もない頃、よくビアホールに飲みに行きました。実家の目黒からひと駅ですので。

 「ビール園」のような感じで、広くて豪華な割に安い。

 とくにビールが好きと言うわけではありませんでしたが、あの空間は好きでした。

 そこで、時々、生演奏がある。主に金管アンサンブルでしたが、私などはむしろ、生演奏があると落ち着かない。そこに演奏している人がいると、酒に集中できないというか、演奏がなっているのにろくに聴きもしないで飲んで喋っているのが申し訳ないような気になってしまうのです。

 …やっている方は、そうでもないんですけどね。

 ということで、今日も山形の経済をリードする方々のパーティーに派遣され、クァルテットで祝奏やBGMをを演奏しました。

 こういう会は名刺交換や歓談こそがメインなので、「静かに聴いてほしい」とは思いません。むしろ、山形の経済を活性化するために、大いにやっていただきたい。山響への援助もお忘れなく。

 …などと思いながら弾いていたら、久々にやってしまいました。

 曲の繰り返しを間違える。

 皆さんが聴いてなくて助かりました。演奏会では許されないことです。

 演奏している方は、そんなものです。たまに、前の方で歓談もせずに演奏会のようにきちんと聴いてくださっている人がいることがありますが、だからと言って我々が喜ぶわけではありませんので、パーティーではその趣旨通りに遠慮なく飲食・歓談していただきたいと思います。
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市役所

2021-02-10 22:06:00 | クァルテット
 「役所」というと、仕方なく行く・待たされる・感じ悪い…などのイメージがありましたが(私だけでしょうか?)、最近ではずいぶん変わりましたね。

 窓口の人も丁寧だし、面倒くさそうにせずに親切に対応してくれるようになりました。

 考えてみれば、昭和の昔は、切符切りの駅員でさえも随分偉そうでしたよね。「お上」から言いつかった仕事をしているんだぞ的な…。私はあれが嫌いでした。切ってない時までカチカチ鳴らして、ほら早く出せよみたいな態度でいる。紙にパンチ穴開けるぐらい幼稚園児にもできる仕事なのに、と小学生の時に思っていました。…多少ひねくれた子供だったかもしれません。

 さて、昨日は山形市役所へ。手続きのためではありません。

 市役所内にある、市議会の議場で演奏するためです。フルート四重奏。

 山形市は、コロナで苦労している山響のためにクラウドファンディングを立ち上げて、先頭に立ってたくさんの寄付を集めて下さいました。そのお礼を兼ねての演奏です。市長をはじめとする市議のみさなんと、希望者から抽選で集まってくださった一般の方60名ほどが対象でした。

 たくさんの方が集まって下さるのは、私達にとっては、もちろんありがたい事ですが、市役所にとってもそうだと思います。

 いわゆる「役所」のイメージと違う親近感を持っている市民が、たくさんいるということの表れでもある。

 日頃の市政や、職員の方々の努力のたまものでもあるでしょう。

 …良い街なのです。


 あらためて、山形市に感謝。
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カフェ「ウーピー」にて

2019-03-02 23:59:59 | クァルテット
 週末の土曜は、大江町のカフェ・レストラン「ウーピー」にて、室内楽のコンサート。山形Qとはまた違ったメンバーで、弦楽四重奏やテルツェット(ヴァイオリン2本とヴィオラの三重奏)などを演奏しました。

 こじんまりと落ち着いた店内に、35名のお客さんがぎっしりで大盛況。人気のあるお店なのです。パスタやカレーが本当に美味しい。


 山響の新しいアシスタント・コンサートマスターの平澤氏を第1ヴァイオリンに迎えて、私は室内楽では久しぶりの第2ヴァイオリンを担当しました。新鮮で楽しい。

 山形Qでも何度か演奏したモーツァルトのニ短調の弦楽四重奏曲など、違う角度から味わうことができました。


 平澤氏は24歳。…若い。私より何歳下なのか数えるよりも、息子の5歳上と言えば、世代の違いが伝わるでしょう。


 午後と夜の2回のコンサートで、午後は子供向け、夜は大人向け。午後も盛況で、たくさんの子供ととの親御さんが来てくれました。

 気になるのは、どうも最近、小さい子供が親しみを込めて寄ってくるようになったこと。終演後などに、何人もの幼児とハイタッチ。昔は、むしろ怖がられたものなのに、どうしたことなのか。

…やはりメンバーで、私が明らかにもっとも歳上で白髪だからでしょう。いつのまにか、親しみやすい「おじいさん」と思われるようになってしまったようです。

 これも、世代の違いが伝わったということでしょうか。


 平成に変わった時、私は高校生でした。そして平成が終わる時には好々爺。

 …時代が変わるとはそういうことですな。
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室内楽のこころ

2017-10-28 23:59:41 | クァルテット
 関東に滞在してる間に、コンサートをひとつ聴きに行きました。昔の仲間が組んでいる弦楽四重奏団の定期演奏会。

 アマチュアで、きちんとまっとうな仕事をしながら、室内楽の自主公演をするというのは並大抵のことではない。応援するためにも一度聴きに行きたいと思っていましたが、ようやく叶いました。


 「第7回」ということでしたが、堂々としたプログラム。前半はモーツァルトのハイドン・セットから「14番《春》」「18番」の2曲。そしてメインはシューベルト「死と乙女」。

 立派なのはプログラムだけではなく、演奏も素晴らしかった。トップレベルのアマチュアの凄さを改めて感じ、誇らしく思いました。それは、テクニックでプロに引けをとらないことだけではなく、プロが忘れて暮らしている「何のために演奏しているのか」という問いかけにさらされた「切実さ」が生み出す迫力です。

 「そこまでして表現したいもの」が、ステージからビンビン飛んできて、ワクワクするやらニヤニヤしてしまうやらで、批評などする余裕を与えてもらえない。悔しくなるほど楽しい演奏会でした。


 「収入になってない」という意味では、アマチュアの皆さんに一歩も引けをとらない山形Qです(残念)。しかし、カルテット愛を表現することにおいても、忘れてはならないものがもっともっとあると気付かされた夜でした。
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華麗なる

2017-10-11 23:59:14 | クァルテット
 先日、山形Qとは別のメンバーで、とあるパーティーで演奏して来ました。農協の関連の人を祝う会のようでしたが、偉い人が大集合しているのに驚きました。

 ホテルの一番大きな宴会会場で、山形選出の現職国会議員や元国会議員が勢ぞろい。普段は地元にいないような大物も来ていました。…やはり国会の解散があると違いますね。


 BGMだったのでクラシックはほどほどに、映画音楽から演歌まで、聴きやすい曲ばかりを選びましたが、それでも名刺交換やご挨拶に忙しい会場は、誰も聴いてない。

…まあ、よくあることです。

 演奏に手を抜くことはありませんが、それでも、ここまで「路傍の石状態」だと手持ち無沙汰(もちろん弾いてますが)なので、壇上から会場を観察しておりました。


 議員さんたちは挨拶に余念がない。豪華な料理にもまったく手をつけていません。特に若い議員は酒瓶を持って各テーブルを回っています。そして結構すげなくされていたりする。身分の保証がない、地元の支援者あってこその、なかなか厳しい商売なのだということがよくわかりました。


 そして放置される豪華な料理と高価な日本酒…そして私たち。華を添えるのがその役割なので一向に構わないのですが、政財界のトップの皆様には、これからも豊かで平和な日本を守るために頑張っていただきたいと願うばかりです。
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市議会コンサート

2017-08-18 23:59:03 | クァルテット
 山形市議会の議場にて、弦楽四重奏を演奏してきました。山響の支援拡大(実際は継続ですが)要請のためです。

 県庁の県議会でも感じましたが、議事堂という所はとにかく、じゅうたんが厚い。赤っぽくてフサフサしていると確かに高級感はありますが、響きは吸われます。弾いている本人としては、やりにくい。

 ただ不思議なのは、客席ならぬ「議員席」や「傍聴席」では、良い感じに響いて聞こえるらしいということ。天井が高いせいでしょうか。議論が聞こえやすいように設計してあるのだとすれば、なかなか凄いことです。


 普段、議会と言えば、テレビで国会の様子が報道されるのを見るぐらいです。ヤジを飛ばしたり、記憶を失ったりと、残念なシーンが多くて、あまり良い空間には見えません。少なくとも、親しみは持てない。

 
 しかし、地方は違います。今回の議場コンサートにも、たくさんの一般の方々が来ていました。中には高校生の姿も。夏休みに議会を見学するとは素晴らしい。山形市議会は、市民に親しまれているようです。コンサートがその一助となっていれば、嬉しいかぎりです。


 山形県議会や市議会の皆様は常日頃、有意義な議論を重ねていることとは思いますが、さらに頑張っていただいて、文化の発展にも力を貸してほしいと願っております。
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バルトークはお好き

2017-01-17 23:59:23 | クァルテット
 さて、山形Qの「第62回定期」まで、あと2週間。リハーサルに余念がありません。


 今回のメインはドヴォルザーク「アメリカ」。

 ではありますが、目玉はやはり、バルトーク「第3番」でしょう。生で聴く機会はそうそうないはずです。


 しかし、抵抗がある人も少なくないようで…。

 これまで山形Qは、バルトークを番号順にとり挙げてきているので、今回が3曲目。

 山形Qのお客さんは、ありがたいことに常連さんが多いので、今までバルトークに全く興味がなくても、四重奏曲の2曲だけは聞いたことがあるという方もいるのです。…わが山形Qの功績ですね。

 それですっかりバルトークの魅力にハマってしまい、朝な夕なに耳にせずにはいられない体になってしまった…

…というお便りは、残念ながら届いておりません。どちらかというと、チラシを渡した時に、
「ああっ、またバルトークやるんですか…」
空気がもれた感じのトーンで言われることがありました。「実はその日はちょっと急用が」とまでは言わないものの、という感じです。

 これはバルトークのせいではない。今までの山形Qの演奏のせいです。だって難しいんです。

 しかし、私たちも3曲目となると、少し違います。もっと曲の良さが伝えられるはずです。


 それに、朗報か悲報かわかりませんが、「第3番は短い」。CDだと15分ぐらいで終わってしまいます。

 その短い中にバルトークらしさが、もっとも凝縮していると言われているのがこの「第3番」なのです。全6曲中、第3番がイチオシだという人も多い。


 ぜひこの機会にいかがでしょうか?ビターで時おりザラザラした食感ですが、とにかくカッコいい曲です。


 これから仕上げの追い込みですが、良い演奏になるように頑張ります。
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名作にドラマあり

2016-07-13 21:08:40 | クァルテット
 今度の山形Q「第60回定期」は私の担当なので、演奏会で配布するプログラムの曲目解説を書くという役目がありました。長い九州旅行中に書くつもりでしたが、すっかり馬刺と焼酎に明け暮れてしまい、一昨日の深夜にようやく上程したのでした。

 毎回、図書館で本を借りてきてきちんと読んでから書くことにしているので、せっかく調べたことを、あの短いパンフには書ききれないのがもったいない。


 ということで、こぼれ話を。まず、今度の一曲目のハイドン「作品64-2」。作品64は有名な「ひばり」を含む名作です。

 ハイドンも58歳。長年、雇われ楽長として期待された以上の仕事をしてきましたが、人生の残り時間もうっすら見えてきて、「ここで終わりか…本当にこれでいいのか?」という葛藤があったと思います。

 ウィーンでは、モーツァルトが好き放題に才能を爆発させている。フリーの奴は、生活は安定してなくても、やっぱり自由です。ああいう姿を見ると、堅く勤め上げてきた自分の人生は、本当に正しかったのだろうかと。

 それはもちろん、これだけの経験と実績を積んできたわけですから、仕事はたやすくできるし、評価も高い。それなりに納得がいく曲も、昔より短時間で書けます。でもこれが本当に、自分の到達点なのだろうか。…定年が近づいたサラリーマンは、多かれ少なかれ思うことではないでしょうか。今も昔も一緒なのです。

 ハイドンのオーケストラにいた、名ヴァイオリニストのヨハン・トストが言います。
「俺はこんな田舎にいてもつまらないから、ここ辞めてパリに行きます。おやっさんの曲、ほんとにスゲえからパリでも弾きますよ。絶対ウケるから。だから餞別のつもりで、何曲か適当に書いて俺に下さい」
 
 …とまあ、想像するにこんな感じで「第1トスト曲集」は作曲されたのではないかと。ちなみに今回の作品64は、「第2トスト作品集」です。

 「第1トスト」の後、公爵の夫人が亡くなった時に、宮廷のこまごましたことを取り仕切るためにある女性がやってきました。彼女はハイドンたちから「女将」のような扱いを受けるわけです。これがなかなかできた女性らしい。しかしこれが、なぜかその後なんと、あのトストと結婚する。

 またしても、ここを離れて華やかなパリに行く知己に、ハイドンは再び餞別を与えた。これが作品64ではないかと言われています。


 作品64は、美しいしよくできてはいるものの、ふとしたところで場違いな感傷が入るところがあります。「ひばり」でさえ、その明るさは、地に足がついていないというか、充実感がない。そこが結果的に独特の浮遊感につながって、名作になっているような気がします。やはり作品76にみなぎる自信とは違う。ただようのは不安でもない、諦めのようなもの。「せめて、私の作品だけでも、遠く華やかなパリに行って羽ばたいておくれ」。

 「64」のなかで、そういうものが一番感じられるのが、今度の64-2です。若干の「喪失感」があるロ短調。

「私はいつまでこんなところにいて、みんなの世話をしているのだろう。これが本当に私の望んだ生き方なのだろうか…と思っているうちに58歳にもなってしまった」

 結果的には、その年に公爵が亡くなって、予想していなかった自由の身になるハイドン。高齢だからというモーツァルトの反対を押し切ってロンドンへ。名声と富を得るとともに、さらなる名曲を数多くのこすことになったわけです。


 人生にはドラマがありますね。その一場面の、本当に内面の部分を切り取って映し出しているのが、作品の面白さです。味わって演奏したいと思います。
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キルシェ弦楽四重奏団

2016-06-01 22:24:52 | クァルテット
 昨日は山形Qのパーティー仕事の後、急いで文翔館へと向かいました。コンサートを聴くためです。

 山響には最近、我々の他に二つのクァルテットが誕生しています。そのうちの一つが「キルシェ弦楽四重奏団」で、この度、第2回目の定期演奏会を開きました。

 1回なら、頑張って演奏会をする事は簡単なのです。客も集まるし、勢いだけでいける。難しいのは継続です。立ち上げては頓挫して、また新しいのを立ち上げて…みたいな暮らしをしている人がいますが、新団体のチラシでおなじみの顔写真を見るたびに、残念な気持ちになります。

 そういう意味では自主演奏会を重ねてこそ、本当の活動が始まったと言えます。「草分け」としては、ぜひ応援したい。


 プログラムは、モーツァルト「第14番」、ハイドン「五度」、メンデルスゾーン「第1番」。名曲盛りだくさんですね。やる気と若さが感じられます。

 私の他にも、山響の楽団員がたくさん聴きに来ていました。期待度が高いことの表れでしょう。


 モーツァルトは山形Qでも何度も弾いている曲ですが、活き活きして良い演奏でした。フィナーレの息がよく合っていて停滞しない感じは、山形Qも見習うべきものがありました。

 「五度」はやはり難しい作品ですが、守りに入らず、冒頭のハリのある感じが良かった。

 そしてメンデルスゾーン。何度聴いても素晴らしい曲ですが、これも、曲が持つ若々しい勢いをなくさずに最後まで弾ききったのは、この四重奏団にそういうエネルギーがあるからだと思います。ぜひ、維持してほしい。


 普段、自分たちが演奏しているような曲を、同じホールで、同僚が演奏するのを聴くことができるのは勉強にもなるし、良い刺激になります。そして何よりも、そういう団体が生まれたこと、それをまた楽しみに聴きに来てくれるお客さんが山形にはたくさんいることがわかるのも嬉しい。

 良い演奏会でした。惜しみない拍手とエールを贈りたいと思います。先輩面している余裕はありません。私たちも頑張らないと。
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バルトークと共に

2015-11-25 19:31:45 | クァルテット
 山形Qの次回定期のために、バルトーク「第2番」を練習しています。バルトークは過去の演奏会で「第1番」を弾いたのに続いて2曲目。

 その時にも感じたことですが、バルトークの音楽はやはり、とっつきにくい。どこへ行くのかわからない和音の移り変わりのせいでしょう。「明るい」とか「暗い」という分類もできない。機嫌がいいのか悪いのかわからない人のような、とっつきにくさがあるのです。


 全部で6曲あるバルトークの弦楽四重奏曲ですが、私が初めて聴いたのは小学生の頃でした。実家に母親がLPの全集を持っていたのです。埃をかぶっていましたが、布ばりの立派な箱に入っていました。

 ワクワクして針を落とすと…なんじゃこりゃ。不吉な環境音楽にしか聞こえません。

 中学に入って、忘れた頃に再チャレンジ。…やっぱりよくわからない。それでも所々、耳に入ってきました。知らない外人が、わからない言葉で、すごく真剣に語りかけてくるような感じを受けました。

 高校時代。この頃になるともう、ヴァイオリン協奏曲などは一応聞いたことがありましたから「バルトーク」というと「カッコいいものである」という認識は少しはありました。しかし…クァルテットのそのレコードは、やっぱりよくわからなかった。

 ところが、受験勉強などでイライラしたしたある時に聴いてみて、初めて変わりました。難解な曲が理解できたというわけではありません。不吉だなと思っていた所が、妙に心にしみる。ゴチャゴチャにしか聞こえなかった所に凄い高揚感をおぼえました。


 やはり人生経験が必要だということでしょうか。とにかく、聴き続けるとある時、心にフィットするようになってくる不思議な曲です。

 じっくり味わいたいと思います。
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コンサートの後はコンサートへ

2015-06-12 14:58:40 | クァルテット
 本日はコンサートのため仙台へ。演奏するためではありません。そちらは山形市民会館で、午前と午後、2回やりましたので、夜は聴衆として仙台のイズミティ・ホールにコンサートを聴きに行ったのです。

 ライプツィヒ四重奏団。去年も聴きに行きましたが、今夜もため息が出るほど素晴らしい演奏でした。

 プログラムのメインはベートーヴェンの「ハープ」…のはずが、第1ヴァイオリン奏者が代役だったため、急遽変更でシューマン「第3番」。シューマンの方がベートーヴェンよりも簡単ということは絶対にない。それは身をもって知っております。ではなぜ?

 きっと、いろいろと複雑で込み入った、高度に専門的な事情があるのでしょう…「シューマンだったら、この前弾いたばっかだし」とか。実際に今日の演奏では、シューマンが一番良かった。

 この四重奏団は、独特の柔らかさと繊細さがある音が持ち味ですが、代役の人も、それに輪をかけてソフト。しかし伸びやかで艶やか。

 あんなに「ちゃんと弾いてない」のに、何故そういう音が出るのか?「ちゃんと弾かない」のがコツなのか…これは、真似するとヘンな方向に行ってしまいかねないので保留。夢中で凝視し続けてわかったことは、「真似できるようなものではない」ということです。


 とにかく客席で、良い体験、贅沢な時間を過ごしました。コンサートを聴きに行くというのは、やっぱり良いものですね。


 …私たちも、聴きに来てくれたお客さん達に、こういう贅沢なひと時を提供できるように頑張りたい。

 週の終わりで疲れていましたが、前向きなエネルギーをもらいました。
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呪縛を越えて

2015-04-10 23:31:26 | クァルテット
 山形Q定期のプログラムノートを書いていますが、調べてみると、ベートーヴェン以後の作曲家たちが弦楽四重奏曲を書こうとする時に感じる「ベートーヴェンの呪縛」の凄さには、いつも驚かされます。

 いざ作曲しようとすると、やっぱりベートーヴェンがちらついてきて「あれ以上の作品が自分なんかに書けるはずがない」みたいな気持ちになってしまうのです。他のジャンルでは意気揚々と新作を発表して、世に認められてもいるのにです。


 ほとんど全ての作曲家が、苦しげな言葉を残しています。今回の作曲家、フランス人のオネゲルやフォーレも例外ではありません。

 オネゲルは自分の「弦楽四重奏曲」について手紙の中で書いています。

「私はいくつかの『力作』を書きました……とりわけ危険な試みを、こういうふうに言うものですが…。自分ではそれらの曲をベートーヴェンの下手な模作みたいなものだと考えています。貧しき者のベートーヴェン、とおっしゃるでしょう!そうです、だが、私の本当の性格が表れているのはそこなのです。この分野で私は、いつも好評を得たとはいえないあるいくつかの作品がに対して、ひそかな好みを抱いているのです。弦楽四重奏がそれです。中でも第1番が。」


 フォーレが意を決してようやく弦楽四重奏曲に取り掛かったのは、78歳。死の前年です。それでも奥さん宛ての手紙の中で、まだこんなことを言っています。

「ベートーヴェンによって代表されるジャンルであり、ベートーヴェンのもの以外は全て不完全に見えるのです。あなたは私が自分の番になってとまどっていると思うかも知れませんが、誰にもそのことは話していないのです…書いているのですか、と尋ねられたら、いいえ!とずうずうしく答えています。だから人には話さないで下さい…。」

…パリ音楽院の院長まで務めた78歳の大家がこれです。そして結局、フォーレは四重奏曲の完成に全ての力を使い果たし、完成のふた月後に、初演を聴くこともなく世を去るのでした。それでもなお、こんなことを言い残しています。

「私はこの『弦楽四重奏曲』が、いつも最初の演奏を聞いてくれるデュカ、プジョー、ラロ、ベレーグ、ラルマン等のいく人かの友人達の前で試演された後に、出版、演奏されることを望みます。私は彼らの判断を信頼していると共に、この『四重奏曲』が刊行されるべきか破棄されるべきかの決断も彼らに委ねます…」

確かにフォーレは謙虚で慎ましい性格なのですが、それ以上にやはりこれが「ベートーヴェンの呪縛」なのだと思います。とりかかる前にさんざん躊躇したあげく、書き上げたら書き上げたで、「こんなものは破棄した方がいいのでは?」と悩まされる。恐ろしい呪縛です。

 
 …オネゲルもフォーレも、ベートーヴェンにひけを取らない、素晴らしい傑作ですよ、と声を大にして言ってあげたい。そのためには、まず我々が良い演奏をしてあげなければなりませんね。頑張ります。
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オネゲル

2015-03-14 21:29:41 | クァルテット
 先週の山響定期では、ボロディンの交響曲を弾きました。ボロディンと言えば「ロシア五人組」のひとり。

 「ロシア五人組」…全部言えますか?

…言える必要もないのですが、受験勉強の影響か「五人組」とか言われると覚えないわけにはいかない気がしてくる。

「日本三景」「四大公害病」「五大湖」「六歌仙」…セットにされると試験に出そうで、言えないと不安になる。


 そこで、ロシア五人組は覚えました。キュイなどは、それでしか知らない。曲も聞いたことがありません。…意味が無いですね。

 さて、では「フランス六人組」は?

 …言えません。が、一応正解だけ見ておきましょう。

 ミヨー、プーランク、デュレ、オーリック、タイユフェール、そしてオネゲルだと。オネゲル、ミヨー、プーランクしか知らなかった。


 ということでオネゲル。1892年生まれです。ミヨーとは同期。仲が良かったようです。

 1892年生まれといえば…日本では、芥川龍之介。というと随分むかしの人のような気がしますが、「きんさん・ぎんさん」も同じらしい。…混乱してきますね。

 生まれ年だけで、その人物を特徴づける時代性を探し出そうとするのは無理があるようです。オネゲルと「きんさん」の共通点探し出して考察する意味は無いでしょう。

 ただ、やはりこの時代の人にはみんな、二度にわたる世界戦争の影響はあると思います。


 オネゲルの「弦楽四重奏曲」にも、戦争を思わせる不吉なとげとげしさを感じる箇所があります。そしてそれが混乱して破綻し、最後に「祈り」へとつながっていく。…これがいいんです。

 もう少し、オネゲルについて調べてみることにします。
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