中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

リサイタル

2009-04-30 10:50:01 | ヴァイオリン
 二日前から東京に来ていますがこちらは、もうすっかり初夏でツツジがきれいです。爽やかで良い季節ですね。「最近、妙に体調が良いな…日頃の摂生のせいで少し若返ったのかな?」と思ったりしてましたが、単に花粉症の時期が終わったというだけみたいです。

 昨日は東京で小さなリサイタルを開きました。50人ほどの小さいホールでしたが、学生時代の友人など懐かしい顔がたくさん聴きに来てくれました。山形に引っ込んで(「引っ込んで」っていう言い方は良くないな…「狭苦しい上に禁煙区域の広がる東京を後にして」)からもう10年以上になりますし、もともとマメなタイプではないので、すっかりご無沙汰してしまっていましたから、自分としては「久しぶりのご挨拶」の意味もこめた会でした。

 大学に入ってからの友人は「ご学友」ではありません。大学で「勉強」などした覚えはありませんから。みんなオーケストラの仲間です。そういう人達を前に一人で演奏するのは、日頃の仕事としての演奏とはまた違った緊張感があるものです。みんな結構厳しいし…。

 終演後は、荻窪で楽しく飲みました。たっぷり飲むつもりでも、ちゃんと電車があるうちに帰れるようになったのが最大の成長かな…。
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県内ニュース

2009-04-27 11:34:33 | 山形
 「新聞記事も相変わらずだった。どこに一週間の空白があったのやら、ほとんどその痕跡さえ見分けられない。これが、外の世界に通ずる窓なら、どうやらそのガラスは、くもりガラスで出来ているらしい。
 《法人税汚職、市に飛び火》……《工業のメッカに、学園都市を》……《相次ぐ操業中止、総評近く、見解発表》……《二児を絞殺、母親服毒》……《頻発する自動車強盗、新しい生活様式が、新しい犯罪を生む?》……《三年間、交番に花を届けた匿名少女》……《東京五輪、予算でもめる》……《今日も通り魔、二女切られる》……《睡眠薬遊びにむしばまれる、学園の青春》……《株価にも秋の気配》……《テナーサックスの名手、ブルー・ジャクソン来日》……《南ア連邦に再び暴動、死傷二百八十》…
 欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実はうっかり手もふれられない、危なっかしいガラス細工になってしまう…要するに、日常とはそんなものなのだ…だから誰もが無意味を承知で、我が家にコンパスの中心をすえるのである。」   (安部 公房 「砂の女」より)


 「砂の女」は昭和37年に発表された小説ですが、新聞記事というものがいつもほとんど変わらないものだということが、よくわかります。これに、酔って失態を演じてしまったのがたまたま有名芸能人だった事とか、地球温暖化の事あたりが加われば最近の新聞として通用します。世の中、めまぐるしく変わっているようで、そうでもないものなんでしょうかね?

 もともとあまりテレビをよく観る方ではないので、ニュースはほとんど、車で移動中にラジオで、「○時のニュースです」みたいなのを聞いて知ります。ラジオで聞くと想像力が増しますから、どこかで子供が殺されたニュースなどを聞くと、すごく嫌な感じがします。

 ラジオではわりとすぐに「県内ニュース」に切り替わるのですが、そのトップニュースで、「今日、山形市内の小学校で…」などと話し出されると、ドキッとします。なにか恐ろしいことが起こったのかと思ってしまいます。しかし「地元名産のぶどうを味わってもらおうと付近の農家がプレゼントした百箱あまりのぶどうが、給食で子供達にふるまわれました」とか、およそトップニュースとは思えないような、のどかな「話題」が流れることが多くて、いまだに新鮮です。

 つまり、ニュースらしいニュースは無いってことか…それが一番ですね。
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酒席にて

2009-04-26 08:48:36 | クァルテット
 恵比寿のガーデンプレイスがオープンした時に、「せっかく近くにできたから」という単純な理由で、ビールを飲みに行きました。「ビヤホール」というものにはあまり行った事がなかったので特に思い入れはありませんでしたが、天井が高くて明るく広いスペースが賑わっていて、両手に大ジョッキをいくつも持った店員達が忙しそうにしているのは、活気にあふれていて良い空間だなと感じました。店員さんたちは大変そうでしたけどね(ああいうアルバイトはちょっとできないな。みんなが飲んでいる横で重労働をするのはつらい)。混んでいる所は嫌いなのですが、あれだけ広いと悪くないです。逆に閑散としてたら寒くてビール飲めません。

 飲んでいると、生演奏が始まりました。ブラスアンサンブルでした。広い空間ですし、大勢の人が盛り上がっていてひどくざわざわしてる中でしたから、ブラスでちょうど良い感じでした。歌なんかをマイクであまり大きくしすぎるのを聴くのは耳が疲れますからね。曲はジャズっぽいものばかりで、正直言って普段だったらそれほど良いと思わないようなものでしたが、ああいう雰囲気の中で聴くともなしに聴くと、なかなかいいものです。華やかになりますね。

 
 さて、昨日は新山形Qで「山形ライオンズクラブ50周年記念」のパーティーに招かれて演奏してきました。いわゆるBGMです。「聴くともなしに聴く」には、弦楽四重奏は音質的に(見た目的に?)、パーティーに合っているのではないかと思います。ビヤホールみたいなのだとちょっと違うと思いますが。どっちかというとフルコース系の食事ですかね。

 酒席で演奏するというのは「流しの~」みたいにちょっとしがない感じに思ったこともありますが(みんなが飲んでいる横で働くのがつらいだけか)、尊敬する名ヴァイオリニストである、ジャック・ティボーもカフェで演奏していたのが評判になって認められたらしいですね。カッコ良かっただろうな…。「しがない」という言葉とは対極にあるような「華麗な」感じに想像してしまいます。弾く人によるのだということですね。 

 パーティーで演奏している弦楽四重奏といえば、映画「タイタニック」を思い出します。船がぶつかって傾いても、みんなを落ち着かせるために演奏を続ける…。あれもカッコ良いシーンでした。

 どんな場所でもカッコ良く弾けばカッコいいし、そうでなければそうでない、ということですな。華やかに弾けばその場が華やかになるし、そうでなければそうでない。シビアでもありますが、最近はパーティーでの演奏も好きです。
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花束

2009-04-24 09:36:21 | 山形弦楽四重奏団
 むかーし、中学生ぐらいの頃か、家に花束があふれて(母が自作の曲の演奏会をやったりすると時々こうなる)、「友達ん家行くなら花束一つ持って、おうちの人にあげて来て」と言われて花束を持って出たことがありました。しかしなぜかそのまま「卓球でもやりに行くか」ということになって、近くの卓球場へ行ったのでした。

 中学生の男の子です。あちこち花束を持って移動するのが嫌になってきました。
 「お前の母ちゃんにやるんだから、お前持ってろよ」と言っても
 「何で母の日でもないのに自分の母ちゃんに花束なんて渡さなきゃいけないんだよ。それにうちにはそんなゴージャスな花束にあわねえよ」
 「じゃあ卓球場のばあさんにあげちまうか?」

 卓球場は公園の裏に昔からある旧い木造の建物で、多分その家のおばあさんが一人で管理していました。別に意地悪ではないのですが「いじわるばあさん」みたいな顔の、あまり愛想が良くないおばあさんでした。「両面のラケットがいいんですけど」と言うと、「あ゛いよ」と面倒臭そうに取り替えてくれる。

 「番台」と呼んだ方がしっくりくるようなカウンターへ行って、
 「あの…これ、もらってくれますか?」とおばあさんに花束を差し出すと
 「……まあ……、わたくしに…?…よろしいの……?」

 あまりにも表情が劇的に変化したので、ビビッて後ずさりしてしまいました。初々しい、まさに「少女のような」顔になったのです。目の前で一気に60年位タイムスリップしたのを見たような思いでした。いきなり「よろしいの」って…。でもちょっと感動しました。


 前置きが長くなりすぎました。昨日は老人ホームで短い演奏会をしたのですが、車椅子のおばあちゃん達が本当に喜んでくれて、演奏するこちらもあたたかい気持ちになりました。いつも驚くことですが、特に音楽が好きな感じがする人なんかは、演奏する前に見た顔と、後に見た顔が明らかに違います。光が戻ったというか、活性化したというか、覚醒したというか…要するに若返って見えるのです。何か懐かしいものが蘇ってくるのでしょうか?

 人の中には現在のその人だけでなく、子供の頃からのその人がすべて「同時に」生きているんですね。不思議な感じがしますが、感動的です。


 「現在は未来をはらみ、未来は過去の中に読まれ、遠いものは近いものの中に表出されている。もし各々の精神のひだをことごとく開けて見ることができるとすれば、各々の精神の中に宇宙の美をみとめることができるだろう。」  (ライプニッツ)


 
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金次郎さん

2009-04-23 08:58:45 | お酒の話し(山形県)
 早朝の、ちょっとフォーマルでない格好(寝巻きに上着をはおっただけとも言う)でゴミを出しにいくことがありますが、家の前の通りはその時間は通学の高校生達が多いので、居心地の悪い思いをします。きちんと着替えてから行けばいいだけの話なんですけどね。

 この間「燃やせるゴミ」を持って、伏し目がちで控えめに集積場へ向かって歩いていくと、いきなり図体のでかい男子高校生がぶつかってきました。「朝からオヤジ狩りか?」と身構えるも、そうではなくて、参考書を読みながら歩いていた勉強熱心な(?)男の子でした。高校生のうちからそんなに勉強すると体によくないな。


 「翌日は二日酔いで頭が痛く、とても三角関数や間接話法どころではなかった。午前中は教科書の陰で吐き気を堪えて過ごし、四時間目の体育を乗り切ると、ようやく人心地がついた。弁当は中庭でアキと一緒に食べた。噴水の水しぶきを見ていると、また気分が悪くなりそうなので、ベンチを動かして池に背を向けて座るようにした。」     (片山 恭一 「世界の中心で愛をさけぶ」より)


 これこれ、高校生はこうでないと。よくありました。二日酔いの体育は本当につらいんですよね。学校にたどり着いただけでも自分をほめてあげたいぐらいですから。ホームに入ってくる電車を見ただけでも気持ち悪くなります。満員電車に乗るのが嫌だとか、そういう正常な思考じゃないんです。「電車みたいに大きくて長いものが動いている」のを見ると、吐き気がしてくるんです。よく朝の渋谷駅でくじけそうになったものです。男子校だから「中庭で女の子とお弁当」みたいなのが無かったのが残念でしたが…。

 山形の高校生は真面目ですよね。高校生御用達のイメージがある「○さ来」なんかに集まってる感じもしないですし。健全で良いと思います。でも二宮金次郎じゃないんだから、勉強は座ってやりなさい。
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メフィストフェレス

2009-04-22 07:31:49 | 雑記
 皇帝 「ではこの紙切れが金貨として通用するのか。軍隊、帝室の費えがこれですべて賄えるのか。奇怪至極のことと言わざるを得ぬが、よしとせずばなるまいなあ。」

 宮内卿 「飛び散ったものを回収はできませぬ。あっという間にちらばってしまったのでございます。両替屋の扉は一杯に開かれっ放しでございますが、と申しますのも、むろん割引の上で、紙幣を金貨や銀貨に換えて、払い出しをしておるからでございます。金を手に致しますと肉屋、パン屋、居酒屋へと足を向けます。おいしいものを食べようと思う者、服を新調して鼻をぴくつかせようとする者、生地屋は生地を売り、仕立て屋が針を運ぶ。地下の料理屋では『皇帝万歳』と気勢をあげております。皿ががちゃがちゃ鳴って、ご馳走がさかんに作られております。」

 メフィストフェレス 「黄金や真珠の身代わりを勤める紙幣と申すものは、至極便利なものでございまして、計算も容易でございます。値踏みをさせるの、両替するのという手間も要りません。これさえ持っておりますれば、色恋のこと、酒をたのしむこと、万事が手軽に運びます。」

 皇帝 「わが帝国はその方たちのおかげで大層な福を得た。直ちに論功行賞を執り行いたく思う。」                                             (ゲーテ 「ファウスト」より)


 この間から「妙に市役所の周りが混んでるな」と思っていたら、我が家にも来ました「定額給付金」の申請用紙。さあ、どこに飲みに行こうかな…というわけにもいきません。私の分などは二人のお子様の分の「つけあわせ」みたいなもんです。将来、有効に活用して頂きましょう。

 しかし、もう受け取った人もいるんでしょうか?銀行振り込みらしいから時間がかかるんですかね?世の中あまり盛り上がっているようには見えないですけど。それほどの金額じゃないせいかも知れません。ヴァイオリンの弦1セットも買えませんから。「皇帝万歳!」みたいな感じにはなりません。

 経済のことには詳しくありませんが、お金が動くだけで世界が裕福になったり貧乏になったりするのって不思議ですよね。なんだかヴァーチャルな感じがしませんか?メフィストフェレスにだまされて一喜一憂しているような気がしてしかたがないのですが。

 さてと、申請用紙に添付するための通帳のコピーでもとって来ようかな…。
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祭なの?

2009-04-20 06:43:22 | 雑記
                 (参考写真)

 黒服が擦り切れてきたので、紳士服屋さんの「礼服祭」へ。黒服、特に黒ズボンは我々にとってまさに「作業服」ですから、消耗が速いのです。軍手とか足袋みたいに「5足セット」かなんかで買いたいぐらいなんです。

 「夏タイプでダブルの4つボタンのやつを見せてください」と、いつも通り頼みましたが、今回は探すのに時間がかかった上に「それですと、こちらだけですね」。えっ、それだけ?選べないの?礼服祭なのに?
 「今はシングルが主流ですし、ダブルのものですとほとんど6つボタンになっちゃうんですよぉ」
 …6つボタン?6つボタンなんて結婚式かなんかで、田舎から出てきたおじいちゃんがナフタリンの臭いさせて着ているイメージしかないのに…。
 「最近は若い方に人気ですね」
 …はい。もう発想が若くないようですね。それにしても時代は変わるもんです。中学生ぐらいの頃に親にスーツを買ってもらうために、やっぱり紳士服屋さんに行って、「6つボタンのやつがいいな…」といったら「今どきそれはないですよぉ」と笑われたものですが。こんどは4つボタンが絶滅しそうだとは…。

 仕方なく、そのわずかな一つをお買い上げ。「そうとう頑固な人だな…」という視線を感じつつ…。流行のものしか買えないっていうのは、なんだか気分悪いなあ。また店員の「これが常識ですよぉ」みたいな態度はどうにかならないのかね。

 堂々と「田舎の4つボタンのおじいちゃん」になってみせますっ!
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レクイエム

2009-04-19 13:52:51 | クァルテット
 「次の週から少し働こうと思います。作曲するつもりです。でも、できたらの話ですが。今まで、私の頭の中には寂しく悲しいことばかりが映るのです。だからスケッチに彩色しなくてはなりませんでした。私が今一番やりたいことは、パウルと一緒に美しい山を眺めながら散歩し、彼との会話を通して、彼女を忘れることです。」 (メンデルスゾーンが1847年に妹に宛てた手紙より)

 さてさて、今年はメンデルスゾーンの生誕200年ということで、次回の山形Qの定期演奏会では、「弦楽四重奏曲第六番」をとりあげます。メンデルスゾーンの最後の四重奏曲です。それにしてもメンデルスゾーンは絵が上手いですね。上の写真が、手紙の中に出てくる、メンデルスゾーンの絵の一枚です。彼の画集が図書館にあったので見ましたが、普通に歴史に残るいわゆる「名画」のようです。もちろん風景画ばかりで写実的な作品しかないので、偏っている感じはしますが、十分に天才の作品だと思います。この絵は悲しみを癒すために来たスイスの風景です。美しい絵ですよね。

 そして、悲しみの中なんとか力を振り絞って書いた曲が、「弦楽四重奏曲第六番」なのです。たしかに激しい悲しみが感じとれる部分がたくさんある、悲劇的な曲です。

 しかし、何がそんなに悲しいのでしょう?手紙の中に出てくるパウルとはメンデルスゾーンの弟の名前です。そして忘れるべき「彼女」とはメンデルスゾーンの姉のファニーのことなのです。1847年の5月にこの姉が急死してしまい、彼は精神的に激しいショックを受けたようです。ファニーの死を知らせる手紙を受け取った時、彼は「わっ!」と声を上げて卒倒し、回復に長い時間がかかり、葬儀に出席できなかったほどだったそうです。

 僕には女の兄弟がいないのでわからないのかも知れませんが、ちょっと普通以上のショックの受け方ではないでしょうか?そしてなんとメンデルスゾーンは、悲しみから癒えることなく衰弱し、半年後に脳卒中で亡くなってしまいます。これはすごいことだと思います…僕が亡くなってしまったら僕の弟はもちろんショックを受るでしょうが、それがもとで死んでしまうことは無いと思いますし、死なれても困ります。

 この「第六番」はファニーへのレクイエムであるとも言われます。どうも曲の背景を知るには避けて通れなさそうなので、また今度メンデルスゾーンの兄弟関係について考えてみることにします。 
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脳に酸素

2009-04-18 07:42:56 | 山形交響楽団
 「オーケストラの指揮者であれば、気の利いた人なら誰でも練習の初日、最初にほんの少し音を出しただけで、そこにある『成功の素』をすかさず見抜きます。
 まずそれを褒め、(…私と一緒に演奏していれば、必ずこの『成功の素』が大きく育って、素晴らしい演奏になりますよ…)という安心感を、その場にいる全員に持たせていきます。
 ヘンなお世辞ではなく、プロがきちんとわかる信頼性の高いノウハウでそれをみんなと共有する。そうやって美点を伸ばしながら、問題点も少しずつ克服していき、本番まで解決しない問題点については、極力それが目立たないようにする。それらすべてに、本人自身が自身と確信を持っている。きちんとした基礎のあるプロの指揮者なら、すべてこういう手順を踏みます。」  (伊東 乾  「『笑う脳』の秘密」より)

 最近はやりの脳科学の本です。不安や恐怖を感じると、脳の中の理性を司る部分に酸素が行かなくなり、人間らしくものを考えることができなくなってしまう、だからそれぞれのプレーヤーの実力をフルに発揮させるために指揮者は楽員に「安心感」を与えることが最大の成功の秘訣であるということです。

 確かにそう思います。舞台上ではいろんな不安にかられる場面があります。「あれっ、ここどうするんだっけ?」とか「あっ、ずれた!」とか…。「あっ!」と右往左往してしまうような時は確かに、頭がショートしたような感じがするものです。酸欠だったんですね…。実際、呼吸も浅くなるし。

 すると、「食べられるぞ!逃げろっ!」みたいな「原始的な脳」しか動かなくなってしまうのだそうです。…これもよくわかります。「人より遅いと食べられて」しまうかのように、オーケストラが急いでしまう現象は、よくあります。災害時のパニックと本当に同じです。曲が終わった後に嫌な気分だけが残る、辛い体験です。スメタナの「売られた花嫁」序曲みたいな曲は、こういうパニックと隣り合わせです。


 昨日は今年度最初の山響定期でした。指揮は6年ぶりの下野竜也氏。一曲目は「売られた花嫁」。初日のリハーサルが始まる前から「どんなテンポなんだろう?」みたいな緊張感が漂います。しかし、下野氏が振りはじめた時から、少しずつ安心感が広がって行き、それはリハーサルを経るごとに「うまく行きそうだ」という確信と余裕に変わっていきました。こうなると本番も失敗するわけがありません。何かあっても余裕がありますし、「指揮と一緒にいれば間違いない」と思えるのです。こういう経験はめったにありません。

 まさに冒頭に引用した通りの現象がおきた4日間でした。「きちんとした基礎のあるプロの指揮者なら、すべて」と書いてありますが、なかなかできるものじゃないと思います。ノウハウだけでなくて、人柄や集団の心をつかむ才能が必要ですからね。下野氏は是非また登場してもらいたい指揮者です。楽しい定期演奏会でした。 
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さば味噌

2009-04-16 06:50:28 | 読書
 「僕は下宿屋や学校の寄宿舎の『まかない』に飢えをしのうでいるうちに、身の毛がよだつほど厭な菜ができた。どんな風通しの良い座敷で、どんな清潔な膳の上に載せて出されようとも、僕の目が一たびその菜を見ると、僕の鼻は名状すべからざる寄宿舎の食堂の臭気を嗅ぐ。」
 「そしてそれが鯖の味噌煮に至って窮極の程度に達する。」     (森鴎外 「雁」より)

 昼食を外でする時、「今日は何を食べようかな」とあれこれ考えるのも楽しいことなんでしょうけど、自分は「日替わり定食」が結構好きです。考えるのが面倒だというわけではないですし、栄養バランスを考えてるわけでもありません。「自分では思いつかなかったものが食べたい」のです。だから「今日の日替わりは何ですか?」とかは、訊きません。「運を天にまかせる」というと大げさですが、「ランダムにまかせる」のが好きなのです。食べ物も好き嫌いが無いですし、執着が足りないのかな?

 考えてみれば大学を受検する時、法学部を選んだのもほとんどそんな感じでした。高校の時、検事にあこがれていた仲の良い友達に、たのみもしないのに希望に燃える熱い思いを話されて、「一緒に法学部を受けよう」ということになってしまったのです。こう書いているとまったく主体性が無いようですが、「これも何かの縁だろう」と思って法学部に決めたのでした。しかしありがちな話ですが、その友人は合格できずに浪人し、しかも次の年には別の大学の社会学部に入りました。結局、僕よりいい加減ですよね。でも、そんなものでしょう。

 人の一生は「出逢い」に左右されるものですが、この「出逢い」とは完全にランダムですよね。ということは、結局のところは「ここが運命の分かれ道」というポイントはいたるところにあり、そしてそれは完全にランダムです。

 貧しい家に生まれ育った無邪気で美しい娘の「お玉」は、結婚に失敗して自殺をはかるも果たされず、高利貸しの「末造」の妾になります。しかし、末造が来るのを待つだけの生活にも疲れていた頃、いつも家の前を通る大学生の「岡田」とふとしたことから知り合いになり、しだいに惹かれていきます。ところがさまざまな偶然が重なって、二人は結ばれることなく終わってしまいます。

 名作の「あらすじ」を簡単に書いてしまうのは良くない事なのですが、森鴎外の「雁」のあらすじでございます。主人公は岡田の友人なのですが、さばの味噌煮が嫌いだったために、それが下宿で出された晩に岡田を誘って外に食事に行きます。しかしその日は、お玉が「今日こそは岡田さんに思いを打ち明けて、かなうことなら駆け落ちしよう」と計画していた日だったのです。結局チャンスを失ったお玉は岡田に思いを伝えることができず、その翌日に岡田は海外へ留学してしまいます。

 すべては「ふとしたこと」と「さまざまな偶然」のつながりなのだ、というのがテーマでしょう。後から見れば「人生の転機」と言えるような瞬間があるものですが、それはほんのふとした偶然に過ぎない、ということです。

 そうかも知れませんね…。でも好き嫌いはよくないな…。
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全開

2009-04-15 09:04:00 | 雑記
「いち早く来た春」

 喜びの日よ。早くも来たか。
 暖かい太陽はわがそぞろ歩きのために、丘と森を返してくれるか。

 小川は雪解けの水をうけて、いともゆたかに流れる。
 これが去年の秋見た草原か、これが去年の秋見た谷か。

 青い色のみずみずしさ!空よ丘よ!
 金色に輝く魚は、みずうみに群がる。

 色とりどりの鳥が森の中で羽音を立て
 いとも妙な歌がその間に響いて来る。

 いきいきともえる緑の花やぎわたるなかで、
 みつばちがうなりながらみつを吸い取っている。

 かすかな動きが大気の中にふるえて、
 うっとりする気配、眠りを誘うかおり。

 やがてやや強いそよ風が起こるが、
 すぐにまた茂みの中に消えうせてしまう。

 だが、そよ風はわが胸に帰って来る。
 詩の女神よ、この幸を歌い伝える力をかし与えよ。

 言ってごらん、きのうから何がわが身に起こったか。
 わが姉妹たちよ、いとしい人が来たのです。        ゲーテ


 山形もようやく桜が満開。ずいぶんあったかい日が続いたので、三分咲きとか五分咲きが無くて「いきなり全開」という感じです。散る花がなくて全部が咲いているので、本当にそこらじゅうが明るくなったように見えます。

 上の写真は、そこらへんの小さいお寺の桜ですが、「桜の名所」みたいに見えます。いつも車でその前を通っていましたが、失礼ながらそこにお寺があったことに初めて気がつきました。桜が咲くと、そこにスポットライトが当たったように見えますから「こんな所あったんだ…」と、初めてしげしげと見たりします。見慣れた風景が新鮮に感じられるのは、そのせいかも知れません。

 野球のユニフォーム姿で歩いていた小学生3人組が
 「あっ、さくらさいてるじゃん。みてく?」
 「いいねえ」
と入っていきました。桜は人を風流にするもんですね…。

 

 
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ドレミファ寄席

2009-04-13 06:48:48 | 山形弦楽四重奏団
 前日の疲れ(特に肝臓の)を味わいながら仙台へ行くと、桜がきれいでした。やはり山形より早いんですね。山形はちょうどこれからが見頃でしょう。お花見でしょうか?高速道路は車が多くて、サービスエリアなんかごった返してました。1000円効果でしょうね。

 さて仙台も仙台、ど真ん中の一番町の東北電力本社の「電力ビル」へ。東北電力と服部公一氏による「ハム先生のドレミファ寄席」というコンサートに、山形Qをゲストで呼んで頂いたのです。一階の、ガラスばりのホールは、ステージから外を行き交う人や車やバスが見えて「やっぱり仙台は都会だなあ」などと感心しました。みんなの動き方が都会です。「ちょっと忙しそう」なんです。

 自分も東京に行く度に、「世の中の人の足が速くなってる!」と思うことがあります。自分がゆっくりになってきてるだけなんでしょうけどね。山形に来たばかりの頃、「東京から来ました」と言ったら、「東京の人はみんな走ってるらしいなっす。こないだ東京さ行ってきた○○が驚いて帰ってきたっけ」と真顔で言われたので驚きました。もう何年かすると自分もそう感じるようになるのかも知れません。

 「本社ビル」っていう響きがまた都会的です。東北電力はやはり大企業ですから、その重みも違いますね。案内してくれる社員の方々の「キリッ」とした感じが、それを表してます。優しくて感じの良いお姉さんも、それだけで採用されたのではなくて「有能な」感じが伝わって来ます。スチュワーデスさんみたいでした。

 そしてコンサートの方は、二百人くらいでしょうか、並べた座席が一杯になる盛況ぶりで、人気のある企画のようでした。ハイドンの作品33から「冗談」、前日も演奏した服部公一氏の「弦楽四重奏のための二楽章」、同じく氏の「モーツァルティアーナ」を演奏しましたが、服部氏の解説も含めて、楽しんで聴いて頂けたようで一安心。

 
 充実した二日間が終わりました。山形Qの次回定期は7月26日です。今度は大曲ぞろいなので、今まで以上にじっくり取り組まないと。とにかく、いつも聴きに来て下さるお客様方に感謝。

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第31回定期演奏会終了

2009-04-12 07:24:27 | 山形弦楽四重奏団
 あたまいたたたた…。軽い二日酔いでございます。今日はこれから仙台で山形Qの演奏会があるので、やっと起きました。委員長の運転だからいいものの、完全な酒気帯びですな。さすがに、飲み終わってから4時間半じゃ代謝できないようです。衰えたかな…。だから控えめにする予定だったのに。

 昨日の山形Q定期には、新年度のばたばたした中、たくさんのお客さんに来て頂き、本当に感謝しています。いつも思う事ですが、拍手が温かいです。心がこもっているというか、応援してくれている感じがつたわる音がします。勇気づけられますね。

 並び順を変えたこと(チェロが外側に出た)、それぞれが今までよりエスプレッシーヴォ感を増して弾くようにしたこと(それぞれがちょっと勝手に弾いた)、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの奏者を固定したこと、などが新しい試みでしたが、いかがだったでしょうか?

 いろいろと新しい課題もありますが、また次回に向けて頑張っていきます。もう家を出なければいけないので、取り急ぎお礼まで。…われながら酒くさい…。
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山形Q練習31-vol.11

2009-04-11 07:04:02 | 山形弦楽四重奏団
 「はげしく動かんよりは、むしろ方針を正しくせよ」(イギリスのことわざ)

 さていよいよ最終回。前回の録音を聴いて、良くなかったと思う所を手直しする感じで、最終チェックを。簡単に言うと、うまくいってない所というのは「気が抜けてる」ことがほとんどだということです。「こう弾きたい」という意志も無く、自分でも「自分がなんでそう弾いているのかわかってない」ところがあるんですね。そういう時は、たいてい迷惑をかけてますし、音も良くない。逆に「やりたいように」して失敗してるところ、自覚がある箇所の方が上手くいってたりするんです。

 昨日は服部公一氏も練習場の公民館に来てくださって、あらためて曲のイメージなどを聞くことができました。「ずいぶん昔に書いた曲だから、わすれちゃったよ」とは言っても、作曲者本人から、自作の曲についての話を聞くことができるのは貴重なことだと、あらためて感じました。いわゆるクラシック音楽ではそういう機会は無いわけですから。

 
 さあ今日は良い天気にも恵まれているようです(今のところ)。「終演後の酒をおいしく飲む」というのを「正しい方針」として頑張ります。
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最後の詰め

2009-04-10 06:38:32 | 山形弦楽四重奏団
「夜が明ける前に、和尚が帰ってきた。すぐさま裏手の縁側に上がると、何かねばねばしたものを踏みつけて滑り、ぞっとしながら声をあげた。ちょうちんの明かりで、そのねばねばしたものが血であることがわかったからである。
 見れば、芳一はそこの座禅の姿勢のまま、座っていた。傷口からは、なおも血がだらだらと流れていた。和尚はびっくりして叫んだ。
 『おお、かわいそうに。芳一、これはみんな私の手落ち、私の失敗だった。…お前の体中に残らずお経の文句を書いたのだが、ただ耳だけを書き落としてしまった。そこのところは、小僧にまかせたのだ。だがあれがちゃんと書いたかどうか確かめなかったのは、かさねがさね私が悪かった。
 しかし、それはもう何とも仕方が無い。この上はただ一時も早く、傷を治すことだ…元気を出すんだよ、芳一。危難はもう去ったぞ。もう二度と、あんな亡者どもに悩まされることは無いのだよ。』」

 有名な、小泉八雲の「耳なし芳一」の一部分です。この和尚は、とにかく「詰めが甘い」ですね。もともと、この日も自分は法事があって出かけちゃうし、途中から自分でしないで小僧にやらせるし、その後に確認もしない…。それで「元気を出すんだよ」って言われても…。

 でも、芳一は聴力を失ったわけじゃないし、この事件がもとで有名になって、「お金持ちになった」とあるので、結果オーライなのかも知れませんけど。

 「詰めが甘い」と言えば、ギリシャ神話のアキレスのお母さんもそうです。アキレスが不死身になるように、そういう特別な川の水に赤ん坊のアキレスの全身をつけるんですけど、足首を持って逆さにして(!)つけたために、その持っている所だけが水につかずに、急所になってしまう。いわゆる「アキレス腱」のいわれです。これも、結果的にはちょうど良い加減で「強く」なったわけなので、これで良かったのかも知れません。

 
 明日はいよいよ、山形Q第31回定期本番です。今日はこれから「最後の詰め」を。神経質にならない程度に、しっかり行きますか…。結果オーライが一番、ということで。
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