中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

ウインドウショッピング

2011-11-30 08:35:37 | 山形
 今週は山形市内の中学校の合同音楽教室なので、毎日、山形市民会館に通っています。やっぱり近いと楽です。徒歩でも20分かからないぐらいですから。朝9時に家を出て、演奏会を2回やっても、午後3時過ぎには帰ってこられる・・・省エネですね。地産地消ですね。人にも地球にも優しい。暇無しの貧乏人にも。

 
 ところで、我が家から市民会館へと徒歩で向かうと、山形最大の飲み屋街である、七日町を縦断することになります。

 朝の霧にかすむ繁華街を歩くのは好きです。「宴のあと」の静かな感じ。「クールダウン」を絵に描いたような。・・・まあ、東京だと、そこを不機嫌なサラリーマン達が駅に向かって行進しているので、そんな悠長な情緒は感じられませんから、「田舎の繁華街」特有の風景と言うべきでしょう。

 そこを、のんびり歩くのは楽しい。ウインドウショッピングをする人の気持ちがわかります。
「おっ、ここ新しい店になってる。どれどれ、飾ってある酒瓶のラインナップは・・・ほ~、悪くない。」
「むっ、こんなところにホルモン屋ができてるっ!」
・・・などなど。昨日は久しぶりに歩いたので、なかなかワクワクしました。


 ・・・朝っぱらから、よくそんなこと考えられるもんだ。

 まあ、そう言わずに。休肝日の翌日だったのです。ダイエット中の人と同じですよ。目にうつるすべての食べ物が輝いて見えるような。人間にはまったく見えないのに、喜々として虫が集まる誘蛾灯の明かりは、きっとこんなふうなんでしょう。

 
 さて、そろそろ出かけることにします。今朝は、娘を幼稚園に連れていかなければならないので、残念ながらウインドウショッピングは無し。・・・まあ、毎日するものでもないですが。
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口笛吹きと弁当

2011-11-28 23:35:56 | 音楽
 スクールコンサートでよく演奏する曲の一つに、プライヤーの「口笛吹きと犬」があります。ピッコロのメロディが楽しげな、あの曲です。当たり障りがなく、適当に陽気で、人畜無害な曲なのですが、どうも好きになれない。幼児体験のせいだと思います。私が年中児の時に通っていた幼稚園の、「お弁当の時間」に流れていた曲なのです。


 その頃の私はのろまで、とにかく、食べるのが誰よりも遅い子でした。みんながとっくに食べ終わって遊び始めても、ようやく中盤にさしかかるあたりで、自分では焦ってかなり急いでいるのに、お弁当がいっこうになくなっていかない。だんだん食べ続けるのが苦痛になってきます。

 残せば良いのに・・・と思うでしょうが、そうはいきません。その幼稚園では、お弁当を残す時には、いちいち先生の許可をもらわなくてはいけないんです。
「せんせー、のこしてもいいですか?」と、弁当箱を持って、見せに行かなくてはならない。
「まだこんなにあるじゃないの。もう少し食べなさい。」
すでに遊んでいる、他の子たちのわきを通って、自分の席まで、すごすごと帰ります。

 今考えれば、いちいちバカ正直に見せに行かないで、勝手にフタを閉めて片づければ良かった。でも、その頃は良い子だったので、少しパサパサしてきたご飯を、席に戻って一生懸命噛んでいました。その時に、エンドレスで流れていたのが、「口笛吹きと犬」だったのです。


 その時の悔しさをバネにその後、私は「噛まないで食べる」コツを習得して、小学校の中学年になる頃には、クラスの誰よりも先に給食を食べ終える子に成長してしまったのです。そして現在に至るわけですが、そんなことだから、胃のX線で毎年ひっかかるんでしょう。


 今でも「口笛吹き~」を弾くと、当時の幼稚園の教室が目に浮かびます。そんなはずはないのですが、天井が高くてすごく広い教室。今、ちょうど娘がその頃の自分と同じ歳ですが、やはり幼稚園の小さな教室と狭い園庭が、すごく広く感じられているんでしょうね。

 ・・・もちろん、遅くてもいいから、よく噛んで食べるように言い聞かせています。
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八つ当たり

2011-11-27 15:23:38 | お酒の話し(山形県)
 …立ち並ぶ、プレミアムワイン達。壮観ですな。目の毒とも言える。手前にあるカゴの中のやつは、試飲用です。


 友人を連れて、朝日町の「ワイン城」に来ています。そば、温泉、土産店、良い景色を網羅するのには、朝日町が最適なのです。

 
 しかし、このワイン城は本当に気前が良い。割と高い銘柄でも、試飲が「飲み放題」状態。今日も、日曜日とあって次から次から団体客がやってきては、飲むは飲むは…。

 …ああ、だんだんつまらなくなってきた。運転手で来てはいけない場所ですね。ちぇっ…そんな小さなプラスチックのカップで飲んでるくせに、もうご機嫌になってる奴らがいる。


 ああああ、精神衛生に悪いから、もう出よう。


 「…こらっ、いつまで選んでるんだ?もう行くぞっ!」
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「K」

2011-11-26 11:45:14 | 雑記
 大学時代からの友人の「K」が遊びに来ています。


 「友人のK」と書いてみて、その文字を見ると、どうしても漱石の「こころ」を連想してしまいます。主人公である「先生」が、青春時代に、その友情を裏切ってしまったKです。

 知的で腺病質で、青年独特の臆病な純粋さを持っている・・・。高校生の時に「こころ」を読んで、「こんな性格では、たとえ初恋が成就しても、その他のことですぐに傷ついてしまって、生きていけなかっただろうな」と思ってしまうほど。まあ結局は、「先生」もそうなのですけど。漱石の小説の登場人物は、みんなそういう傾向がありますね。


 今、我が家に来ている「K」は、だいぶ違います。昔から、しょっちゅう山形に遊びに来ているので、家の子供たちからは、実の叔父さん以上になつかれています。そして、顔が猿に似ているので「きいき!」と、パトラッシュかなんかのように、呼びつけられています。


 しかし、昔からの友人というものは、会うと自然にその頃の時代の自分に戻るのが不思議ですね。忘れていた、大学時代のことを思い出します。学生に戻るからでしょう。そういえば、夏に塾講師時代の仲間と会ったときは、「~先生」と呼びあってしまいました。

 残念なのは、同期の仲間の訃報にふれること。自分たちももう、そういう可能性のある世代に入ってしまったのか、と愕然とします。気持ちは大学生に戻っても、お互いに、すっかり「おやじ」ですから、仕方がない。両親の健康状態を心配する話題も多いですね・・・。


 「上喜元」を酌み交わしつつ、しばし若い頃に戻りました。
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冬を楽しむ

2011-11-24 17:37:30 | 山形
 月山道もすっかり、どんよりとした冬景色になってきましたね。今日は山響のスクールコンサートで酒田にやってきましたが、天気は大荒れ。山を下りると、まだ雪ではなくて雨ですが、とにかく風が強くて寒い。まさに冬の庄内です。


 とっくに刈り取りが終わった田んぼには、たくさんの白鳥の姿が見えました。こんなに寒いところに、寒さをしのぎに来るんですから、すごい生き物ですよね。彼らにとっては、この寒さが、どうってことないんでしょうか。

「やっぱ、この辺あったかくて過ごしやすいわ~。」
「うん、毎日ぽかぽかだねっ!」「涼風さいこー。」


 ・・・私たち人間のあいだでは、風邪がはやっているようですから、気をつけましょう。
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鏡子の家

2011-11-22 23:10:55 | クァルテット
 映画「MISHIMA」の中に出てくる、「鏡子の家」という作品の話をします。三島由紀夫の小説の中でも、この作品の評価は、特に真っぷたつに分かれています。「代表作・最高傑作」と、「世紀の駄作」とです。発表当時は後者の見方が主流だったようです。しかし、映画に「鏡子の家」のイメージを挿入した、制作のスピルバーグやコッポラは、前者だと見たはずです。


 映画の中では、この作品にまつわるカットが、もっとも病的です。

 ベッドに横たわる沢田研二(若い!)の裸の胸に、醜い中年女(そういう設定なんです)が、カミソリで傷をつける。驚く沢田研二。
「どうして?」
「あたし、あんまり美しいものを見ると、傷つけたくなるのよ。怖いの?」
「ううん・・・気持ちいい・・・」


 ・・・まあまあ、そうヒカずに。このシーンの背景を御説明いたしますと、沢田研二演ずるこの青年は、「鏡子の家」の主人公のうちの一人です。この作品には四人の主人公がいて、みんな男性です。鏡子という大金持ちの夫人のサロンに集まる、四者四様の男の生きざまを描いた作品なのです。

 四人の若者はどれも、社会の中に生き甲斐を見いだせない。朝鮮戦争が終わった後の、高度成長に疲れて退廃的な空気が満ちている社会に馴染めないのです。リアリティをもって信じられるものが見つからない。

 その中の一人である、先ほどの青年は、売れない俳優です。役者としては誰からも認められていませんが、非常に美しい容姿をしています。そのため、自分の外見だけの世界に生きている。やがて、顔だけではもの足りなくて、ボディ・ビルを始め、空虚な内面を覆い隠して、自堕落な生活を送るのです。

 しかし、そんなことでは当然、生活がたちゆかなくなります。そこで、先ほどの醜い中年女(サラ金の女社長なのです)に、借金のカタに「買われ」ます。

 青年は、女社長が、自分以上に自分の美しさを愛して、その外面の「物体としての」美しさのみに執着しているさまに、「これこそが、自分が捜し求めていた女なのだ」と、満足するわけです。そして最終的には、女社長の無理心中に身をまかせます。


 もちろん変態的ではありますが、「何事にもリアリティが感じられない」と悩む若者たちの姿は、現代に通じるものがあって、そこで見つけた「答え」は、ある意味では現代の若者よりも「健全」であるかも知れません。


 さて、そんな「観念の中で無理矢理見つけだしたリアリティー」のようなものが、三島の自決にはあるのではないか、というのが、この映画の制作者の解釈の一つなのでしょう。確かに、彼の自決には、彼の「ボディ・ビル」と通じる、前向きでない空虚さがあります。

 フィリップ・グラスの「Mishima」の第4楽章は、まさに「Body Building」という副題がついています。「ボディ・ビルなのに、この不吉な感じの音楽は何なんだろう・・・」と思っていましたが、映画を見て納得しました。


 その他の楽章にも、それぞれ副題がついています。その話は、また今度にしましょう。
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立山(純米吟醸)

2011-11-21 17:50:18 | お酒の話(県外)
 「旅に病んで 夢は荒れ野をかけめぐる」

 有名な、芭蕉の辞世の句ですね。「旅に生きた」凄味を感じます。もし私が旅先で病気したら、「ああっ・・・早く家に帰りたい。」としか思わないでしょう。ほんのちょっと風邪気味ぐらいでも、そう思いますから、大病などはとんでもない。「くそっ・・・旅行なんか来るんじゃなかった・・・」ぐらい思うでしょうね。「旅」への情熱と根性が無いんです。


 ということで、家にいながらにして、旅を楽しむことにしました。私の場合、結局のところ「旅の楽しみ」は、イコールすなわち「地酒」なわけですから、各地の銘酒を呑んで、その土地の風物に思いを馳せれば、自宅でも充分なのかも知れない、と。酒でイメージをふくらませて、ヴァーチャルな旅をするのも一興でしょう?・・・極めて堕落しきった考えですが、今年も、もうお腹いっぱい旅行しましたから、許して頂きたい。


 さて、やって来ました、冬の富山です。山形から新潟を越えて、日本海沿いに30本ちかくもあるトンネルを、うんざりしながら抜けていくと、そこはもう富山です。雪がちらつく冬の日本海は、波が荒れて険しい。見るだけで寒いのに、実際に猛烈に風が強いんです。

 少し前に映画化された松本清張の「ゼロの焦点」は、冬の日本海の寂しさが、人の心の淋しさをぴったり写していて感動しました。寂寥感が半端じゃないんです。まあ、あれは金沢でしたけど。東北の冬は雪だらけで、「寂しい」とか、そういう情緒も一緒に雪に埋まって無くなってしまう感じですが、北陸の冬は独特の、しんみりした感じがします。

 しかし、そういう寒い所だからこそ、海の幸はプリプリなわけです。富山の冬はやはり「ぶりしゃぶ」でしょう。脂ののった、厚切りの寒鰤を、アツアツの鍋にさっとくぐらせて、ネギやしょうががたっぷりの付けダレで頂きます。これは本当に素晴らしい。身も心も、あっという間に、ほくほくでございます。

(ここから現実。)

 そこで出てくるのが、銘酒「立山」。しかも、今回のは純米吟醸。これは、実際の富山の居酒屋では、なかなかお目にかかれない。先日戴いて、じっくりねかせてあった、「とっておきの酒」です。よく冷やして、いただきます。

 キリッとしながらも、線が細くて、純粋な飲み口。淡雪のようにキレていきます。「立山」は繊細すぎて「ふわっ」としてしまう酒が多いのですが、この純吟は、ほんのり芯が通って、美しい。完璧な食中酒ですね。(山形のスーパーで買った)ブリにも、本当によく合います。

 富山を堪能しました。


 以上・・・仮想旅行おわり。(ただの「酒の話」でした)
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どんが

2011-11-20 19:17:18 | 山形弦楽四重奏団
 本日の昼食は、きのこが入った旬の「おこわ」。秋らしい、やさしい味がします。昨日の昼に、河北町で貰ったものですから当然、冷えきっていましたが、手作りの温かみがありました。


 昨日は山形Qで、河北町のイベントに呼ばれて演奏してきました。「どんがホール」。「どんが」とは・・・物知り顔で解説したいところですが、どういう意味なのかわかりませんでした。たぶん、河北町の方言でしょう。「どんが祭り」という有名なお祭りがある、ということだけは知っています。

 ホールは、普通の音楽ホールではなく、町の集会場の「デラックス版」といった感じで、狭いながらとてもアットホームな空間でした。事前に頂いた、名産の紅花染めのスカーフをポケットに飾って弾きましたが、ぎっしりと集まったお客さんは、熱心な拍手を送ってくれました。

 演奏を終えて、控え室に下がる途中で、実行委員の主婦の方々が、手焼きせんべいやら、手作りのティッシュカバーやら、そして「おこわ」やらを、どんどんくれました。「もってって~」とか「食べてって~」みたいな感じで。こういう、まったく気取りのないもてなしは、嬉しいものです。


 河北町は天童市のすぐ北ですから近いのですが、山形Qで訪れたのは、初めてでした。こんな感じで、県内もっといろいろな所で、演奏できたらと思います。室内楽で演奏すると、オーケストラで訪れた時よりもお客さんが格段に近いので、我々の方も、より親しみがわきます。

 ふだん通過するだけの町でも、よく知れば、良いところがたくさんあるんでしょうね。
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鑑賞の楽しみ

2011-11-18 18:50:12 | クァルテット
 コンサートを聴きにホールへ足を運ぶ、というのは、やはり良いものです。「贅沢な時間をもつ」ことで、リッチな気分になります。少しだけ良い服を着て、明るく清潔なロビーで、開演前の時間を過ごす・・・ホールによってはグラスワインなんか飲んだりして・・・気持ちまで華やかになりますね。なかなか良いものです。同じ開演前でも、楽屋裏の殺伐とした雰囲気とは対照的です。

 昨日は久しぶりにコンサートに、一聴衆として足を運びました。しかも、酒田の「希望ホール」。山形県が誇るコンサートホールです。新しくて綺麗で響きが良い。もちろんしょっちゅう来ていますが、聴きに来たのは初めてでした。


 ベルリンフィルのメンバーによる弦楽四重奏のコンサートでした。弦楽四重奏のコンサートが、山形県内で催されるのは、貴重な機会。以前は文翔館でも、年に一回ぐらいは海外のカルテットが来たものでしたが、最近はなし。アルバン・ベルク四重奏団が来日したときには、福島の郡山まで聴きに行きました。

 プログラムは、シマノフスキの第2番、モーツァルトの「プロシア王第2番」、ベートーヴェンの「ラズモフスキー第2番」。「第2番つながり」なんでしょうか。とにかく魅力的なプログラムです。

 大ホールでのカルテットの演奏会は、曲が始まる瞬間が大好きです。メンバーがステージに登場して拍手を受けて着席すると、照明がしぼられて、舞台の中央の四人だけが浮き出るような明かりになります。ステージの明かりは暖色が基調ですが、スポットは白色ですので、周囲が暗くなって四人の席のあたりが白く照らされると、モノトーンになるのです。

 視覚的にも無駄や虚飾が削ぎ落とされていって、弦楽四重奏という内省的な世界に、聴衆を含んだホール全体が入り込んでいくような感じがします。

 そして始まったシマノフスキの冒頭・・・第2ヴァイオリンとヴィオラの繊細で過敏なキザミ。出だしからシビレました。


 天下のベルリンフィルですから、各人が一流の技巧をそれぞれに聴かせまくる・・・というのを想像していましたが、全く違う。四重奏団としての音のまとまり、各声部の積み重なりが本当に素晴らしい。それが全体としては、柔らかくて甘美な音色で融合しています。

 私は、一曲目のシマノフスキに、もっとも感動しました。やや感情のふれ幅が大きすぎる、鋭いカドのある曲だと思っていましたが、イメージが一変しました。刺激よりも歌が、硬さよりも生命感が、満ちていました。


 ああ・・・カッコよかった。コンサートの出だしから、あんな演奏ができるとは。尊敬してやみません。本当に素晴らしい。

 ホールまでは片道2時間の道のりでしたが、行って良かった。いやあ・・・コンサートって本当に良いものですね。我々も、来てくれるお客さんに、少しでもそう思ってもらえるように頑張らなくては。活力をもらって帰りました。
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大船渡にて

2011-11-17 13:38:08 | 山形交響楽団
 岩手県の大船渡に行ってきました。宮城から岩手にかけての、石巻・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石と連なる沿岸の都市名は、津波による災害の報道で頻繁に聞くようになりましたが、本来はどこも穏やかな気候の、静かな港町です。特に秋から冬にかけての寒い季節は、山形から峠を越えて太平洋に近づくにつれて、空が鉛色から青空へと変化していくのを見ると、なんとなく気持ちも晴れやかになっていくものです。

 しかし、今回は被災地での「支援コンサート」ということでしたから、「晴れやか」というわけにはいきません。


 会場の学校は高台にありました。湾が見下ろせる斜面の上にある体育館からは、穏やかな海が見えます。吹き上げてくる海風は冷たいものの、陽射しは明るくて、黒服の背を温めてくれます。

 しかし、体育館の反対側には、ぎっしりと密集した仮設住宅が、無表情にひろがっています。時おり、各戸に何かを配っている人の姿を見ましたが、他には人の出入りもなく、静まり返っていました。

 何となく気詰まりで、再び海に目をやると、美しい海のその穏やかな表情が、少し残酷に感じられました。


 中学生たちは心なしか、とても大人びた顔をしていて、軽々しく「頑張れ」という態度で接するのが、ふさわしくないような気がしました。すれ違うと、礼儀正しく挨拶をされたので、こちらも礼儀正しく挨拶を返しました。

 
 今回はこの一ヶ所だけの公演だったので、演奏を終えて、またすごすごと、曇り空の山形へと帰りました。我々の演奏が何か少しでも、「支援」と言うに値する影響を彼らに与えられていたら、嬉しく思います。
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奔馬

2011-11-15 14:09:11 | 山形弦楽四重奏団
 昨日の山形Qの練習は、まず今週土曜日に予定されている、河北町でのコンサートのプログラムから。親子で楽しむためのコンサートのようで、山形Qの出番は30分程度。

 コンサートの詳細はよくわかりません。どうも、コンサートを依頼する側は、出演者には必要が無いと思っているのか、あるいは失礼だと感じているのかわかりませんが、催しの内容を詳しく教えてくれないことが多いのです。どうせなら宣伝させれば良いのに・・・と思うのですが。とにかく、午後に河北町「どんがホール」で演奏します。


 さて、その後はフィリップ・グラスの「Mishima」。反復される細かい音符は、効果音的でありながら、旋律として音楽をリードしなければならない・・・これがかなり難しい。しかも美しくないといけない。キラキラした感じが必要です。

 「MISHIMA」の映画の中でも、特に第一楽章の細かい音符は、キラキラしたイメージで使われていたように思いました。「黎明」の輝きです。

 映画の中で「豊饒の海」第二巻の「奔馬」が、イメージとして使われていましたが、朝日の輝きの映像はそこからきていると思いますので、少しだけ「奔馬」の話を。


 「豊饒の海」は、四巻からなる大作です。輪廻転生が大きなテーマになっています。脇腹に3つの黒子がある主人公が親友に、「きっとまた逢うぜ・・・滝の下で」と、転生の予言のような言葉を残して、20歳で夭折してしまう。これが「第一巻」。二巻からは、その親友が主人公になり、信じられないながらも、転生の神秘にひきつけられて、のめり込んでいく。

 第一巻では恋に生きる侯爵の息子が、第二巻では愛国心に燃える青年剣士、第三巻では謎めいたタイの王女、第四巻では暗い目をした海の若者・・・に転生したのではないか、という傍観者の疑いは、それぞれの3つの黒子を見る度に確信に変わっていき、その神秘を確かめたいという執念に溺れていく物語です。評価はいろいろですが、私は三島由紀夫の最高傑作だと思います。時代錯誤であるとか、右っぽいとか、ゲイっぽいとか・・・そういう低劣で短絡的なくくりでは言い表せない、壮大な芸術的妄想です。

 その最終章を書き上げて、市ヶ谷駐屯地に向かうわけです。そのシーンも、映画の中にあります。


 ところでその第二巻の「奔馬」は、ひたすらに愛国のために命を捧げたいという若者の物語なのですが、言われているように、三島の「切腹賛美」が強く現れています。国賊に天誅を与え、山の上から昇る朝日を仰ぎ見て、自害して果てるという、「夢」をひたすらに追い求める主人公の姿を、異様な美しさで描いた小説です。

 そのクライマックスで、自決しながら仰ぎ見る「朝日」(実際には日の出まで間があって見ることはできないので幻覚)の輝きが、映画の冒頭なのでしょう。


 ・・・こんな風に書くと、ヒイてしまうばかりかも知れませんね。自決はともかく、幻覚の中の美化された朝日のキラキラ感と、グラスのサイケデリックな音型が、本当によくマッチしていると思います。


 「いい曲」と言えるかどうかは疑問ですが、楽しみたいと思います。
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夢うつつ

2011-11-14 10:28:43 | 雑記
 月曜日の朝は、NHKーFMのクラシック番組と決まっています・・・行きつけの整体院では。

 ということで、今朝もラジオを聴きながら、体の随所にたまった疲れからくる「ねじれ」を、とってもらいました。もともと腰が悪いですし、姿勢も悪いんでしょう(生活習慣も)。定期的にメンテナンスしてもらうことで、ここ数年は、ぎっくり腰などの大事に至らずに済んでいます。


 初めは、肩の凝りなどをほぐすために、指圧をしてくれます。弱めからスタートするので、実に気持ちが良いものです。早朝なので、ウトウトとしてきます。・・・昨日も外で12時過ぎまで飲んでたからでもありますが。

 ラフマニノフの「交響曲2番」の第3楽章が流れています。実にわかりやすい甘さのある楽章ですが、やっぱり名曲です。ウトウトしていると、映画かなんかの感動的なシーンが浮かんでしまいます。

 戦争で生き分かれた若いふたりが、奇跡的に再会する。焼けて崩れた建物にかこまれた、ヨーロッパの街角で抱き合う。二人は幼なじみで、ともに無邪気な幼少期を幸せに過ごして成長するが、青年になり、互いの恋心に気がついたときには、暗い戦争が始まってしまっていて、離ればなれに。もう逢うことはできないものと悲嘆にくれながら、ボロボロの服で遠くを虚ろに見つめていた、その視界の先には・・・

 ・・・などと曲にしたがって、夢がすすんでいると・・・激痛。指圧の方も、かなりクレッシェンドしていました。そのツボは痛すぎる!肩甲骨の裏あたりを、肘でグリグリ。確かにそこは、疲れがたまりやすい所なんです。


 指圧が腰に移ってまたソフトになり、ホッとすると、再びまどろんでしまいます。

 今度はフォーレの「レクイエム」。ソプラノのソロが入っているあの曲です。いつ聴いても素晴らしい。静かな眠りにさそわれて・・・

 ・・・あれから50年後。すっかり年老いたかつての少女は、「フランダースの犬」のおじいさんのように、質素な木造家屋の二階の窓の近くのベッドで、息をひきとろうとしています。そう、さっきの、若い時の二人が抱き合うシーンは、おばあさんの回想だったんです。口元のしわが、幸せそうな微笑みをかすかにたたえて、閉じたまぶたからひとすじの涙が。その時、窓から射し込んできた光が、その涙をキラッと輝かせて・・・

 ・・・ぎゃっ、もう少しお手柔らかにお願いします!気づくと、腰のサイドのツボに、ドリルのようなエルボーが刺さってる。


 とまあ、こんな調子で、疲れもとれてすっかり体が軽くなりました。本当にここの整体の先生にはお世話になっています。

 さあ、元気になったところで、今日はこの後、山形Qの練習。定期の練習の他に、今月も演奏会の依頼が入っています。張り切って頑張ります。
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楽器の気持ち

2011-11-13 19:21:04 | ヴァイオリン
 二日間にわたる、山響定期が終了しました。二日目の今日は、ゲネプロなしの、いきなり本番。これは指揮者とオーケストラの互いの信頼感が確立されていないと、なかなか怖くてできないものです。しかし、指揮者の力量でしょう、本番まで安心して、ゆっくりと過ごすことができました。


 さて、昨日の本番終了後に、お客さんと話す機会がありましたが、「オケの音がいつもの2倍ぐらい、よく響いているように聞こえた」と言って下さった方がいました。これは、嬉しくもあり、驚きでもでもありました。今回はリハーサルを通じて、「大きすぎる、もっとリラックスして」という指示が一番多かったからです。

 やはりオーケストラも「一つの楽器」。力んで大きな音を出そうとしても、かえって響かないのは同じことなんですね。才能のある指揮者は、それをよくわかっているんです。


 非常にストレスの少ない演奏会でした。自分も、もっと楽器をいたわってやらないといけないな、と反省。
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胆汁?

2011-11-12 09:07:09 | 山形交響楽団
 さて、今日と明日は、山響の定期演奏会です。指揮はポーランド出身のドヴォジンスキ氏。プログラムはニールセンの交響曲2番がメインです。

 ニールセンの2番(こういう、あまりやらない曲は「ニル2」みたいに短縮して呼ばないものですね)は、演奏するのは初めてですが、大学の頃、オーケストラの選曲で候補に挙がったことがあるので、聴いたことはありました。その時は解説を先に読んでしまったので、「ずいぶん気持ちの悪い曲なんだな」と思ったものです。


 ご存じの通り、この交響曲には「四つの気質」という副題がついていて、四つの楽章には四分類の気質が割り当てられています。第一楽章は「胆汁質」、第二楽章は「粘液質」、第三楽章は「憂鬱質」、第四楽章は「多血質」です。訳された日本語のせいなのかも知れませんが、なんとも不気味な感じがしませんか?猟奇犯罪者のプロファイリングかなんかみたいで、どれにもあてはまりたくない。

「あなたの性格は胆汁質のようですね。」と言われたら、意味はわからなくても、喜ぶ人はいないでしょう。どう考えても誉められているとは思えない。
「あんたって、どこまで粘液質なのっ!」
・・・生理的にひどく嫌われたとしか思えない。


 しかし、曲だけを聴くと、そういう感じは全然しません。普通のロマンティックな交響曲です。「胆汁質」はカッコいいし、「粘液質」は美しい。「憂鬱質」は感動的で、「多血質」は爽快です。わざわざ副題をつけなくても、そのほうが良かったような気がします。


 そして、2回目の登場のドヴォジンスキ氏の指揮は、素晴らしい。リハーサルは英語ですが、棒も言葉も実に明快でわかりやすい。自分の英語のヒアリング能力がアップしたのかと思ってしまうほど。ダメな日本人指揮者の日本語より、はるかによく理解できます。要求が自然で的確だからでしょう。こういう良い指揮者のもとで、ストレスなく演奏ができるのは、オーケストラプレーヤーとして幸せな経験です。


 良い演奏会になると思います。
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団欒

2011-11-11 09:48:01 | お酒の話し(山形県)
 昨晩は、久しぶりに家族で外食をしたいという希望があったので、お気に入りの中華へ。「竜馬」さんです。我が家では非常に人気が高い店なんです。子供たちが「竜馬のチャーハン食べたい!」と言うので決まりました。

 私ももちろん、ここの味は大好きなのです。惜しむらくは、紹興酒など、良い酒がないこと。まあ、食事をする店だから仕方がない。

 じゃあ飲まないのか、というと、もちろんそういうことはありません。美味しい料理を、ただ食べるだけ、というのは失礼。礼儀と風流心が許しません。


 ということで、餃子と熱燗。慣れてきたせいか、これがなかなか合う。もちろん、この店の餃子が美味しいからですが、山形市の地酒「秀鳳」の熱燗は、気取らない力強さがあって、味が濃い料理には相性が良いのです。もちろん、店主はそこを計算して置いているのではないと思います。ここで日本酒なんて飲んでいる人を見たことありませんし。

 ニンニクの利いた熱々の餃子に、醤油とラー油をたっぷりとつけて、熱燗をぐいっと・・・これまた至福のひととき。


 すると、ときどき「ボワッ」と火が上がって良い香りを漂わせる厨房から、珍しくマスターが出てきて近寄ってきました。この店には、昔から家族で来ているので、店主も我々の顔を覚えてくれています。何かと思ったら、
「これ、飲むか?旨いのかまずいのか、俺はさっぱり知らないんだけど・・・」
と冷酒の1合瓶をくれました。いつも日本酒を旨そうに飲んでいるので、プレゼントしてくれたのでしょう。無愛想ですが、良い親父なんです。

 これは嬉しい。礼を言ってラベルを見てみると、なんと「八海山」の純米吟醸!新潟の銘酒「八海山」の中でも、私が一番好きなスペックのものです。


 ・・・ああ、いろいろとウンチクをたれましたが、やっぱり旨い酒は旨い。そして、なんだかんだ言っても、私は「冷や酒」の方が好きなのです。普通、これほどの銘酒は、中華などとは合わせないものですが、濃厚な油を、清水でさっぱりと洗い流すような、この組み合わせも最高に素晴らしい。


 そのおかげもあって、家族みんなで大満足するほと食べて飲みましたが、お会計は、外で飲んだら私一人でも簡単に到達してしまう額以下。やっぱり山形の名店は安くて美味しい。そして何より、あたたかいです。
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