今朝、目を覚ますと能代にいました。秋田県の北の方ですね。もちろん、拉致されて来たわけではありませんが、疲れた後に酔っぱらってビジネスホテルのベッドで寝てしまうと、明け方に「・・・ここはどこ?」になることが、昔より多いのです。
枕元に置いてあったペットボトルのウーロン茶を飲みながらようやく思い出す・・・レクイエムを弾きに来たんだった。
ということで、本日は能代での「レクイエム演奏会」に参加しました。モーツァルトです。
悪天候でしたが、聴きに来たたくさんのお客さんも、合唱団も主催者も一体になって、熱のこもった良い演奏会になりました。地方都市でのこういう活気に満ちたコンサートが、もっともっと増えると良いですね。
ところで、モーツァルトのレクイエムは、私にとっては思い出深い曲の一つです。学生時代は、大学のチャペルで毎年秋に演奏していました。聖歌隊と合同での「レクイエム奉唱会」です。今考えると、オーケストラも難しいし(特にトロンボーン)、歌のソロも大変なのに、学生だけでよくやっていたと思います。
すべての講義が終わった後に(私はだいたいサボっていましたが)、「ずいぶん日が短くなったなあ」などと思いながら楽器と譜面台を担いで、薄暗いキャンンパス内をチャペルへと向かいます。
チャペルの中はさらに暗い。いくら厳粛な場所とはいえ、もう少し明るくしても地獄に堕ちないだろうに、と思うほど、いつも暗いのです。あの頃は若かったからどうにかなりましたが、今だったら楽譜が見えないでしょうね。
モーツァルトのレクイエムは劇的な部分も多いので、どうしたって若者は燃えます。「キリエ」とか「ディーエス・イーレ」は、ふと気がつくと、死者も神もそっちのけで熱演してしまう。その中でも私が一番好きなのは「ドミネ・イエズ」。最高にカッコいい。たまらんですね。血沸き肉躍る・・・完全に「奉唱会」の意味を忘れて、弓の毛を切りまくる、バランス無視の勝手ヴィルトーゾ。そんな時代もあったのです。
もちろん今は「大人」になりましたからそういうことはありませんが(良くも悪くも)、それでも今日も、やはり良い曲だと思いました。
能代の合唱団は、この曲は初めてだそうです。新鮮な気持ちで感動した人もいたでしょう。その一助になったら嬉しく思います。
枕元に置いてあったペットボトルのウーロン茶を飲みながらようやく思い出す・・・レクイエムを弾きに来たんだった。
ということで、本日は能代での「レクイエム演奏会」に参加しました。モーツァルトです。
悪天候でしたが、聴きに来たたくさんのお客さんも、合唱団も主催者も一体になって、熱のこもった良い演奏会になりました。地方都市でのこういう活気に満ちたコンサートが、もっともっと増えると良いですね。
ところで、モーツァルトのレクイエムは、私にとっては思い出深い曲の一つです。学生時代は、大学のチャペルで毎年秋に演奏していました。聖歌隊と合同での「レクイエム奉唱会」です。今考えると、オーケストラも難しいし(特にトロンボーン)、歌のソロも大変なのに、学生だけでよくやっていたと思います。
すべての講義が終わった後に(私はだいたいサボっていましたが)、「ずいぶん日が短くなったなあ」などと思いながら楽器と譜面台を担いで、薄暗いキャンンパス内をチャペルへと向かいます。
チャペルの中はさらに暗い。いくら厳粛な場所とはいえ、もう少し明るくしても地獄に堕ちないだろうに、と思うほど、いつも暗いのです。あの頃は若かったからどうにかなりましたが、今だったら楽譜が見えないでしょうね。
モーツァルトのレクイエムは劇的な部分も多いので、どうしたって若者は燃えます。「キリエ」とか「ディーエス・イーレ」は、ふと気がつくと、死者も神もそっちのけで熱演してしまう。その中でも私が一番好きなのは「ドミネ・イエズ」。最高にカッコいい。たまらんですね。血沸き肉躍る・・・完全に「奉唱会」の意味を忘れて、弓の毛を切りまくる、バランス無視の勝手ヴィルトーゾ。そんな時代もあったのです。
もちろん今は「大人」になりましたからそういうことはありませんが(良くも悪くも)、それでも今日も、やはり良い曲だと思いました。
能代の合唱団は、この曲は初めてだそうです。新鮮な気持ちで感動した人もいたでしょう。その一助になったら嬉しく思います。