「解釈の自由というものは、技術が表現の手段として完全にマスターされた時、はじめて意味を持ち、健全に成り立つものである。」 (ガラミアン)
・・・ガラミアン先生のおっしゃることは、本当に素晴らしく、何もかもごもっともなのですが、少々厳しすぎる。この人の言う通りだと、音楽を楽しむ権利を持つ前に一生を終えてしまう人の方が多くなってしまうような気がするのです。もちろん音楽家が「ひとりよがり」に走らないような警句としては大変にありがたいものだとは思います。こういう権威ある人に言ってもらわないと、音楽家みたいな自己中心主義者は手に負えませんからね。
さて、今日も山形Qのリハーサル。モーツァルトの五重奏を中心に。
ところでこの曲は、家にウィーン弦楽六重奏団の映像を持っていて、それが頭から離れません。特にその第1ヴァイオリンのヘーバルトの大ファンなのです。本当に音色が伸びやかで押しつけがましいところがなく、まさに天真爛漫、天衣無縫という感じで、見る度にため息がもれます。ああいう演奏がしたいなぁ、と思ってやみません。
しかし、こればかりはガラミアン先生のおっしゃる通り。雰囲気だけ真似してもちっともそれらしくならない。見た感じだけでは、そうとう簡単そうにやっているので、「要するに細かいことにとらわれずに、楽しそうにやればいいんだ」と思っていましたが、そんな大ざっぱなことでは到達できません。それに楽しくない。相変わらず必死だし。
まず、それを裏付けるだけの「技術」の確立が先だということですね。本当にシビアな曲です。
「優秀な演奏家とは何かと問うならば、雄弁家の特質は何かを考えればよい。この両者にはきわめて密接な関係があるからである。雄弁家とはまずよい声を持ち、正しい発音、巧みな弁舌、語るべき内容を持ち、しかもそれを誰にもわかるように堂々と行う。同様に、優れた音楽の演奏者は熟練したテクニックと、誰にとっても理解でき、信頼できるような解釈との結びついた演奏をするものである。」
(ガラミアン)
・・・何もかもおっしゃる通りです。頑張ります。
・・・ガラミアン先生のおっしゃることは、本当に素晴らしく、何もかもごもっともなのですが、少々厳しすぎる。この人の言う通りだと、音楽を楽しむ権利を持つ前に一生を終えてしまう人の方が多くなってしまうような気がするのです。もちろん音楽家が「ひとりよがり」に走らないような警句としては大変にありがたいものだとは思います。こういう権威ある人に言ってもらわないと、音楽家みたいな自己中心主義者は手に負えませんからね。
さて、今日も山形Qのリハーサル。モーツァルトの五重奏を中心に。
ところでこの曲は、家にウィーン弦楽六重奏団の映像を持っていて、それが頭から離れません。特にその第1ヴァイオリンのヘーバルトの大ファンなのです。本当に音色が伸びやかで押しつけがましいところがなく、まさに天真爛漫、天衣無縫という感じで、見る度にため息がもれます。ああいう演奏がしたいなぁ、と思ってやみません。
しかし、こればかりはガラミアン先生のおっしゃる通り。雰囲気だけ真似してもちっともそれらしくならない。見た感じだけでは、そうとう簡単そうにやっているので、「要するに細かいことにとらわれずに、楽しそうにやればいいんだ」と思っていましたが、そんな大ざっぱなことでは到達できません。それに楽しくない。相変わらず必死だし。
まず、それを裏付けるだけの「技術」の確立が先だということですね。本当にシビアな曲です。
「優秀な演奏家とは何かと問うならば、雄弁家の特質は何かを考えればよい。この両者にはきわめて密接な関係があるからである。雄弁家とはまずよい声を持ち、正しい発音、巧みな弁舌、語るべき内容を持ち、しかもそれを誰にもわかるように堂々と行う。同様に、優れた音楽の演奏者は熟練したテクニックと、誰にとっても理解でき、信頼できるような解釈との結びついた演奏をするものである。」
(ガラミアン)
・・・何もかもおっしゃる通りです。頑張ります。