中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

雄弁家

2010-08-31 23:10:43 | ヴァイオリン
「解釈の自由というものは、技術が表現の手段として完全にマスターされた時、はじめて意味を持ち、健全に成り立つものである。」 (ガラミアン)

 ・・・ガラミアン先生のおっしゃることは、本当に素晴らしく、何もかもごもっともなのですが、少々厳しすぎる。この人の言う通りだと、音楽を楽しむ権利を持つ前に一生を終えてしまう人の方が多くなってしまうような気がするのです。もちろん音楽家が「ひとりよがり」に走らないような警句としては大変にありがたいものだとは思います。こういう権威ある人に言ってもらわないと、音楽家みたいな自己中心主義者は手に負えませんからね。


 さて、今日も山形Qのリハーサル。モーツァルトの五重奏を中心に。

 ところでこの曲は、家にウィーン弦楽六重奏団の映像を持っていて、それが頭から離れません。特にその第1ヴァイオリンのヘーバルトの大ファンなのです。本当に音色が伸びやかで押しつけがましいところがなく、まさに天真爛漫、天衣無縫という感じで、見る度にため息がもれます。ああいう演奏がしたいなぁ、と思ってやみません。

 しかし、こればかりはガラミアン先生のおっしゃる通り。雰囲気だけ真似してもちっともそれらしくならない。見た感じだけでは、そうとう簡単そうにやっているので、「要するに細かいことにとらわれずに、楽しそうにやればいいんだ」と思っていましたが、そんな大ざっぱなことでは到達できません。それに楽しくない。相変わらず必死だし。

 まず、それを裏付けるだけの「技術」の確立が先だということですね。本当にシビアな曲です。


「優秀な演奏家とは何かと問うならば、雄弁家の特質は何かを考えればよい。この両者にはきわめて密接な関係があるからである。雄弁家とはまずよい声を持ち、正しい発音、巧みな弁舌、語るべき内容を持ち、しかもそれを誰にもわかるように堂々と行う。同様に、優れた音楽の演奏者は熟練したテクニックと、誰にとっても理解でき、信頼できるような解釈との結びついた演奏をするものである。」
(ガラミアン)

 ・・・何もかもおっしゃる通りです。頑張ります。
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家庭科

2010-08-30 09:08:53 | 危機管理
 昨晩、寝しなに息子がいきなり騒ぎだしました。
「やばいっ、洗濯すんの忘れた!」
「何を?」
「何でもいい」
「は?」
「今から洗濯するっ!」
「だから何を?」
「何でもいい」

 ・・・何か悪いものでも食べたのかと思いましたが、そうではなくて、「洗濯をして、その感想を書いて提出する」という家庭科の宿題を忘れたということでした。

 たしかに週末をまたぐと、そういうものは忘れがちなのはわかるけど、まったくしょうがないなあ。もっとしっかりしなさい。


 昔はそんな宿題無かったな・・・そもそも家庭科の記憶はほとんど無い。中学校では男子は家庭科は無かったし、小学校でも調理実習ぐらいしか覚えてません。

 ん?調理実習といえば・・・


「やばいっ、いま豚肉ある?」
「さっき食べたからもう残ってないわよ。」
「生の、生のやつだよ!」
「もう全部使っちゃったけど、何なの?」
「明日調理実習だから持って行かなくちゃいけないのに・・・今から買いに行く!」
「日曜日のこんな夜遅くに開いてるお肉屋さんあるわけないでしょ」

 昔は夜遅くまで開いてるスーパーなんてありませんでしたからね。結局、電車に乗って親戚の家に行って、分けてもらったのを思い出しました。

 
 そして今朝、息子は6時前に起きてタオルを洗濯し、感想文を書いていました。・・・えらい。
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手ぬぐい

2010-08-29 10:52:21 | ヴァイオリン
 手ぬぐいです。両方とも別々に頂いたものです。「酒」の文字はともかく、やはりこんな感じの「しぶい」イメージが、私のイメージなんでしょうか?確かにね・・・爽やかな色はどうも似合わないし、アフィニス音楽祭の時に着用を義務づけられたTシャツ(特にオレンジ色)にいたっては、「誰だかわかんなかった」とまで言われましたからね。


 さて、それはともかく、この手ぬぐいたちは非常に重宝しています。私はヴァイオリンに「肩当て」を付けないので、左肩の辺りの上着の下にタオルなどを折り畳んで入れています。これが素材によっては弾いている最中によれてきたり、ずれてきたりしてしまうので困ります。

 「肩をケガでもしたんですか?ずいぶん肩を気にされていたようですが」と終演後にお客さんから訊かれたことがあります。それは、ずれてくる肩布を、長い休符のたびに無意識に直していたのだと思います。

 しかし、さすがは日本の工芸品。日本手ぬぐいのフィット感は本当に素晴らしい。ゴワゴワしてないのに摩擦がしっかりして、折り目もよれてこないし、服の下でずれてきたりしないんです。


 快適に使わせていただいてます。ただ、夏場の体育館では上着が無しになるので、Yシャツの下に手ぬぐいを入れなければなりません。「酒」の文字が透けて見えないように気をつけないと・・・。
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近松

2010-08-27 11:59:29 | 読書
「なつの雲暑くろしとて駕籠をはや。をりはのこひ目。三六の。十八九なるかほよ花。今咲き出しの。はつ花に笠は着ずとも。召さずとも。照る日の神も男神。よけて日負けはよもあらじ。」 
(夏雲の下、暑苦しがって、早くも観音廻りのかごを降りようとしているのは愛嬌のある目つきをしている十八、九ばかりの、かきつばたのように美しい女お初である。今咲いたばかりの初花のような美しさに、笠はかぶっていなくとも、男神の太陽も遠慮して、日焼けするようなことはよもやあるまい。) (近松門左衛門「曽根崎心中」より)


 しかし毎日毎日、よくもこう暑い日が続きますね。と言っても、今週はスケジュールに余裕があるので、涼しい部屋で練習したり本を読んだりして、のんびり過ごしています。家族は仕事や学校や幼稚園に行っていますから、家の中も静かですし。「みんな暑くて大変だろうな~」などと人ごとのように思ったりしています。すみません。まあ、あと一週間もすればまた体育館でのスクールコンサートが始まりますから、「おあいこ」ということで。

 ということで、近松の世話物三部作「曽根崎心中」「冥土の飛脚」「心中天の網島」を、あらためて読みました。このあたりは、あらすじは知っていてもきちんと読んだことがなかったのです。あらすじだけだと、「お金がない男と遊女が心中する」でどれも終わってしまいます。日本が誇る古典ですからもう少し味わいたいなと思っていました。

 しかし冒頭の引用をみればわかるとおり、近松の原典はかけ言葉なんかが多すぎて、本当に読みにくい。私程度の古文の能力ではまったく読めないんです。浄瑠璃ですから言葉遊びみたいな部分もあって、こうなると完全にお手上げ。だから角川から数年前に出た「現代語訳」つきのやつを。註だけでなくて、丁寧な訳がありがたい。

 江戸時代の粋が伝わってきます。

「茶の湯、俳諧、碁、双六などの遊芸もたしなみ、鼻紙にしたためる字もあざやかなくずし字で、性格もすっかり世慣れてきた。酒も三、四杯はいける口で、五つ紋のついた紋羽二重の羽織もみごとに着こなしている。」(冥土の飛脚)


 ・・・やっぱり三、四杯ぐらいが「粋」の範囲なのか。
(それにしても「冥土の飛脚」と入力して変換を押したら「メイドの飛脚」と出たのには驚いた)
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基礎練

2010-08-25 10:10:28 | ヴァイオリン
 さて昨日も山形Qの練習でした。庄内公演のプログラムから、特にベートーヴェンの2番を中心に。前にも書いたかも知れませんが、この曲は奏者にとって、とにかく「基礎力」が問われる、本当にシビアな曲です。弾く度に「自分はこの程度しか積み上げて来てないんだな・・・」ということを思い知らされるようで、やや精神衛生に良くない。瑞々しくて純粋なその美しさに、容赦がないんです。

 これは四重奏団としても個人としても、基本にしっかりと立ちかえる良いチャンスです。ではさっそく、「基礎練習」をすることにします。


 まずは走り込みから。そしてウサギ跳び、それから腕立て腹筋・・・。「巨人の星」みたいな感じで、黒目にボワッと炎を燃やしつつ。血の汗流せ涙をふくな・・・。

 どうもあらためて「基礎練」と言うと、ひたすら反復する筋トレ的な練習を「根性を持って」長時間やり続ける感じのイメージをしてしまいがちですが、それは危険です。自分もそういう「修行」をマゾヒスティックに積んだことがありますが、かけた時間ほどの効果はありませんし、精神的にも肉体的にも「硬直」してしまうような気がします。

 美しく正確な音で弾くための基本フォームを、「落ち着いて確認する」作業が、本来の「基礎練習」の意味でしょう。

 いきなり楽器をもってがむしゃらにやるのではなくて、まず何がしたいか、何のためにどういう方針で練習するのかを、考えてはっきりさせてから練習に向かうことが大切です。


 ・・・と、何かの本にかいてあったので、私も今これから練習をする前に、このように確認いたしました。とくに今日は時間があるので、じっくり練習することにします。その前にタバコ1本吸ってから・・・。
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十四代(酒未来)

2010-08-24 23:45:20 | お酒の話し(山形県)
 洋服などを買うときに店員から「今こちら大変な人気となっておりまして非常によく売れております」と言われたら「じゃあ自分もそれを買おう」と思いますか?そう思って買っていく人が多いから言うんでしょうね。でも私は「じゃあ別のにします」と言いたくなります。ひねくれていますでしょうか?

 もっとも私の場合は、流行の洋服などを手にとることはありませんので、こういうシチュエーションにはなりません。むしろ「~なやつを探してるんですけど、ありますか?」と聞いて「そういうのはもう、うちの方では扱っておりません。今はどこにもないんじゃないでしょうかねぇ・・・」と言われてしまうことが多いです。 

 また「限定品」「今だけ」という文句にも心ひかれません。「何もそんなにしてまで買わなくてもいいや・・・」と思ってしまいます。

 しかし酒となると話は別。「どれ、そんなに売れてるなら一度飲んでみよう」とか「なにっ、今だけしか無いのなら買っておこう」とか・・・。こういう時だけ無駄にアクティヴなのも困ったもんです。


 ということで、滅多に手に入らないいわゆる「激レア」な「十四代」が、たまたま定価で出ていたので即買いしてしまいました。「十四代は評判の割に大したことない」と、けなしていたのにもかかわらず。まあ、飲んだことがないバージョンなので一応味を見ておくか・・・(言い訳)。

 「酒未来」という十四代が独自に創りあげた酒米を使った純米吟醸(50%精白)です。これも普通一升2万円近くで取り引きされてます。定価は3300円なのに。

 味は・・・おおっ、かなり旨い。今まで飲んだ十四代の中ではダントツ。他のより軽めで柔らかい。ほのかな甘みにも品があって、スッと消えていく感じはかなりレベルが高いです。

 爽やかな、良い酒でした。
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御来光

2010-08-23 09:55:36 | ヴァイオリン
 休日はゆっくりと昼過ぎぐらいまで寝て過ごす・・・ということが昔からできません。寝る前に「明日は休みだ!」と思うと必ず早く目が覚めてしまうんです。しかもただでさえ最近は早起きになってきているのに・・・。

 ということで今朝は夜明け前に起床。昨晩はアフィニスのヴァイオリンパートの飲み会で帰りは午前様だったのにもかかわらず。合同オケによる「英雄の生涯」の演奏会の打ち上げを兼ねての会は、和やかな雰囲気でした。プルトを組んだ四方恭子先生にも温かい言葉をかけて頂きました(一緒に日本酒を飲みつつ)。良い経験です。

 「参加者の人たちは今日も朝から室内楽のセミナーがあるのに大変だろうなー」と思いながら、外の空気が気持ち良さそうだったので散歩に出ました。

 昼間はまたガンガン暑くなるんでしょうが、そこはお盆過ぎの山形。夜明け前は確実に秋の爽やかさです。やっぱり冷房より断然気持ちいい。馬見ヶ崎川の河原では、もう秋の虫の声が聞こえています。

 少し歩いたところで「御来光」。元旦じゃなくても、ちょっとだけ敬虔な気持ちになりますね。


 さて、そろそろ約一ヶ月後に迫った「山形弦楽四重奏団~庄内演奏会vol.2」に向けて、新しい気持ちで本格的に練習を始めます。
(その直前に2週間の旅行があるので、今月が勝負です)
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肉食系

2010-08-22 09:12:07 | 山形交響楽団
 山響とアフィニスの講師および参加者による合同オーケストラの初日が終わりました。やはり「英雄の生涯」みたいな曲はこのぐらい大きな編成でないと、曲が必要とする迫力が出ませんね。

 講師として来ている方々はドイツの一流オケの首席が多く、確かにさすがと思わせるものがあります。実力はもちろん、人格的にもスケールが違います。

 そして体格も・・・。やっぱり日本人って小さいんですね。オケに入ると、ジュニアオーケストラにゲストで来た「プロのおとな」という感じになります。向こうのオケは最前列から最後列までデカいんでしょうから(当たり前ですが)、音の厚みが違うのは無理もないことでしょう。さすがは元祖「肉食系」です。


 しかし・・・山形県民会館の舞台には大きすぎ。聴きに来てくれたお客さんにも開口一番「ちょっと窮屈そうでしたね」と言われました。今日はこれから二日目ということで酒田へ向かいます。希望ホールのステージはもう少し良い環境でしょうから、サウンドとともに楽しみです。
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こなぷん

2010-08-20 17:18:10 | 危機管理
 カレーライスです。なかなか美味しそうじゃりませんか?4歳の娘が作ってくれました。

 しかし最近のおもちゃは本当にすごいですね。これはご存じ「こなぷん」というおもちゃです。おままごと用の料理をつくるいろんな粉があって、それを「こなぷん」と呼ぶのです。

 昔、デパートのレストラン街に並んだ店の前に展示してある、にせものの料理に手を触れてみるのが好きでした。古い喫茶店なんかのやつだと、ホコリがたまっててリアルじゃなくなってしまいますが、デパートのやつは本当につやつやとして美味しそうだった記憶があります。とくにコーンスープはぷにぷにとして、触り飽きなかったものです。

 ところがこの「こなぷん」はその上をいってます。手触りは楽しめませんが、そんなことよりも「料理する課程」までリアルなんです。

「いまごはんたいてるから、ちょっとまっててね」
娘が小さなおもちゃの炊飯器を大事そうに持っていたので、他愛もないと思って中を見せてもらうと、本当に白いものと水が少々入っていました。何を入れちゃったんだろうと思っていると
「もうすこししたらたけるからね」
・・・ごっこ遊びにしては手が込んでるな、とは思いましたが
「じゃあできたら持ってきてね」と行って部屋へ行って練習していました。


 さて山響は昨日からアフィニスとの合同オーケストラで「英雄の生涯」のリハーサルが始まりました。山響ではまずやることのない、編成の大きな曲です。なので学生の時に弾いた以来で、懐かしくてしみじみしてしまいます。しかしやっぱり難しい。

 
 などと練習しながら思っていたら、カレーライスが運ばれてきた。さっきの白いのがきちんとツブツブになって、しかもカレーの「こなぷん」を水にといて上からかけてある。このカレーが視覚的にもトロッとしたツヤが本当にリアルで、思わずにおいをかいでしまったほど。ちなみに無臭です。

 関心しているとデザートのプリンまで。この「ぷるぷる感」は、昔のデパートの喫茶店を超えてます。プリンが嫌いな私でも、食べてみたくなるほどでした。

     

 聞けば、スパゲティーや揚げ物の「こなぷん」もあって、本当に水の中で茹でたり、油のように見える水の中で揚げたりするらしいです。こんなに何もかもリアルじゃ、夢中になるでしょうね。説明書に、数え切れないほどの箇所に「たべられません」と書いてあるのにも納得がいきました。  何でも進化してますね。
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あら玉(改良信交)

2010-08-19 09:34:26 | お酒の話し(山形県)
 「寒河江女に谷地男」という言葉があります。読み方は「さがえおんなにやちおとこ」です、念のため(「やぢお」ではありません)。もちろん山形の内陸でしか言いませんが、意味は「気だてが良いといえば寒河江の女性、男らしいといえば谷地(河北町)の男性で、カップルとして最も良い組み合わせである」ということらしいです。真偽のほどはわかりませんが、結構いろんなところで耳にしたことがある言葉なので、昔から言われていたことなのでしょう。

 寒河江と河北は隣町で、車ですぐの距離です。たいして変わらないような気もしますが、昔は気質に違いが出るほど別々の「文化圏」だったんでしょうね。またそれぞれ出身地を大切に誇りに思うから、こういう言葉が今でも残っているのでしょう。私は東京都目黒区の出身ですが、別に目黒を誇りに思ったことはありません。ついでに言うと、うちの奥さんは隣の杉並区出身ですが、「目黒の美点」や「杉並のアイデンティティー」が二人の会話にのぼったことはありません。


 ということで、谷地の銘酒「あら玉」です。その中でこれは「改良信交」という酒米を60%まで磨いた純米酒です。この「改良信交」という堅い感じの名前の米はブランドとして重宝されていますが、実際に味も硬いように思います。しかし、香りは控えめでとにかく「キレ」があるイメージ。

 トータルな味としては、素朴で潔い感じの「男酒」です。なるほど「谷地男」のイメージが、なんとなくわかりました。たしかに「男らしい」。
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1ポンド

2010-08-17 10:43:52 | ヴァイオリン
「銅貨の五六枚も出せば買える1ポンドの鉄から、何十万グロッシェンもする、何千という時計のばねができる。神から与えられた1ポンドの才能を、大切に利用すること。」(シューマン)

 良い言葉です。閉じこもって練習していると
「なんでこの程度しかできないんだろう・・・」とマイナスな気分におそわれることがあります。こういうときに自虐的に根性を発揮しても、よい結果にならないことが多いものです。第一、楽しくないので音が荒れてしまいます。

 自分の才能(量的にはたいそう不満でも)を、「大切に」思うという観点は、気持ちをプラスにさせますね。シューマンは、エキセントリックにピリピリしてるばかりの人じゃなかったんです。シューマンの音楽を練習するときも、こういう気分でいきたいものです。


 シューマンのあたたかいお言葉を、もう一つ。

「音楽の勉強につかれたら、せっせと詩人の本を読んで休むように。野外へも、たびたび行くこと!」
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科学の力

2010-08-16 11:25:00 | 危機管理
 世代のせいでしょうか?「科学」という言葉のイメージは「ボタンを押すと電気の力で手間が省ける」というものなんですが、これは私だけでしょうか。

 だから、科学の最たるものはテレビのリモコンです。コタツから外に這いだしてスイッチをひねって、さらにその「ひねり具合」で音量を調節して、「ガチャッガチャッ」とチャンネルのツマミを力を込めて回して、一つおきの映らないチャンネルの騒音を我慢しつつ選局し(さらにUの場合、ラジオのように砂嵐の中からポイントを探す)、コタツへと這い戻る。戻ってから「ちょっと音が大きかったな」といってはまた這いだして調節し、「なんだこりゃ、もっと面白い番組はないのか?」といってはまた這いだしてチャンネルを回す・・・この作業がリモコンのボタン操作ひとつで、コタツから出ることなく、スピーディーにできる。これこそまさに「科学の力」です。

 当たり前のことですが、今の子供たちは、これを何とも思わない。家の息子も、顔色一つ変えずにリモコンで録画予約してます。こういう世代に「科学のすごさ」を感じさせるにはどうしたらいいんでしょうね?どんどんすごい機能のついた電気製品が出てますから、そういうものにもあっと言う間に慣れてしまうんでしょう。なんだかキリがないし、生活の中で「科学」が実感からかけ離れていってしまうような気がします。


 そういう問題意識があったからでは全然ないんですが、息子と甥をつれて、科学技術館に行ってきました。ただ何となく、外は暑いしどこかへ連れ出さないとエネルギーが余って実家がこわれそうになるという理由だけです。涼しくて放し飼いにできそうな所を探してたどり着きました。車をとばして皇居の近くの、日本武道館の辺りです。

 昔は、科学博物館や「宇宙博」みたいなところでも、何か展示してある前についているボタンを押すと、簡単な実験のようなものが目の前で「自動で」始まるようなコーナーが人気でした。聞けば科学技術館とは、そういうのを特化したような博物館だそうなので、まさにうってつけかと。


 行ってみると・・・さすがに夏休み。子供であふれかえってる。カオス状態。

 しかし展示のほうはさすが。1階から5階まで、子供の興味をひくようなコーナーが無数にあって半日では回りきれないほど。どれもが「ただ説明を読む」のではなくて、触ったり動かしたり、要するに「いじれる」ようになってます。滑車が組み合わせてあるひもをひっぱると車が持ち上がったり、強力な吸盤でぶら下がることができたり、中にはいると錯覚で床が動くように感じられる部屋があったりと、とにかく飽きさせない。

 でも・・・やっぱり今の子供はこういう「科学」には慣れっこになっています。「うわっ、すげぇ!」という驚きはそれほどなくて、パッパとうまくいじってすぐに次へ走って行きます。一番ながいこと夢中になるのはやはり、テレビゲームに近い作りになっているやつです。

 「あまり心に残りそうもないか・・・」とあきらめかけた時に、フロアのかたすみで「ワークショップ」が始まりました。白衣を着て青白くもっさりした、理科系の学生みたいなのが出てきて、実験を見せてくれたのです。メタノールを爆発させてロケットを飛ばすという、エンジンの仕組みを簡単にして見せるという企画でした。

 やはり実際に目の前で「はい、次は火が出るから下がって。あぶないよぉ。」などと脅かして実際に炎を見せたりすると違います。あっと言う間に黒山のひとだかりができました。またその青白い学生がなかなか上手い。
「これからやるのは、すごく危険な実験です。だから、僕の話をきちんと聞ける人だけに手伝ってもらいます。そして一人ずつ実際に火をつけて爆発を起こします。すごく大きな音が出ます。怖がってやり方が悪いとケガをしてしまうかも知れません。だから勇気のある人だけにやってもらいます。」
などと、今時の飽きっぽい(小賢しい)子供たちをひきつけます。さっきまで無秩序にそこらじゅうをいじりたおしていた子供たち(餓鬼どもと言いたくなるような)が、固唾を飲んで見守っています。

 
 やっぱり、子供に感動を起こさせるのはボタン一つの「科学の力」ではなくて、結局大人がかけてやる「手間ひま」なんです。特に今の子供はそうでしょう。空き缶のなかで起こる爆発に、いちいち本物の歓声があがりました。息子もこの日の「日記」に、この実験のことを書いていました。心に残るものは、手間をかけて作ってやらないといけないものなんです。

 「まったく最近の子供は・・・」と言う前に、もう少し大人が頑張らないといけませんね。
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東京の麓

2010-08-15 14:11:00 | 雑記
 まさに東京にて、お盆休みを過ごしています。声楽家の伯父夫妻が金婚式を迎えるということで、親戚一同で東京タワーの麓(?)にあるホテルの宴会場で盛大に祝うことになりました。ちなみにそのホテルは私の弟の勤務先です。黒服のホテルマンのみなさんと
「いつもお世話になっております」「いえいえこちらこそ」
というあまり一般的でない挨拶を交わしつつ、特に手厚いサービスのもと、40人ほどのパーティーになりました。

 しかし母方の親戚一同だけで40人超。87歳から1歳までバランス良く集まりました。「少子高齢化」社会を感じさせない一族なんです。

 余興も、歌からピアノ、オーボエ、そしてヴァイオリンとさまざま。ちなみにヴァイオリンは私が免除してもらうかわりに、息子に弾かせました。身内のパーティーの余興にも「世代交代」は必要でしょうから。思えば昔から、親族の結婚式などでは、音楽の余興はすべて親族自ら「自前」でまかなってきました。私ももようやく、晴れて「お役御免」かなと。

 しかし、お盆のような時にこうして「法事」ではなくて「慶事」で集まるというのは良いものです。元気なうちに盛り上がっておかないと、いくら盛大な会を催しても、楽しく飲めませんからね。一族らしく、良い会になりました。


 せっかくなので昼のパーティーが終わった後に、増上寺の境内を抜けて、東京タワーまで歩きました。東京タワーは何となく懐かしい感じがします。故郷の風景の一つだからでしょうか。

 しかしそう言えばこちらも、世代交代が近いんでした。そのせいでしょうか、展望台に上るエレベーターは長蛇の列で「50分待ち」。現役のうちにその苦労をねぎらうのは良いことだと思います。ウチは子供たちが疲れていたし、子供たちはもちろん東京タワーに思い入れもありませんから、上らずに見上げただけで帰ってきました。
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墓参

2010-08-13 17:46:44 | 雑記
 「お盆」といえば、やはり墓参りでしょう。本来はそのための休日なわけですから、そこは一応。別にオールシーズン、いつ参ろうが関係ないはずですが、すりこみですかね。墓地には、じっとりした暑さとセミの鳴き声が似合うような気がしてなりません。真冬に墓石に水かけて凍らせるのも良くないでしょうし。

 ということで、友人の墓前に缶ビールなど供えて、しばししみじみと。

 別に「千の風に~」に言われるまでもなく、死んだ人間の魂が墓石の下に収納されていると思っているから、その前でしんみりと手を合わせているわけではありません。いつでもどこででも、故人の冥福を祈って、また生前の想い出を懐かしんで、静かな気持ちでグラスを傾ける(これは欠かせない)時間を持てば、それが何よりの供養だと思います。そういうときには、そこに故人の魂が来てくれると思います。

 では何故このように、年に一度だけ墓石に水をかけに行くのか・・・それはまさに「そこに墓があるから」そして「帰省中だから」というだけのことなんです。かえって形式的なものになってしまうような気もしますね。
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お盆間近

2010-08-12 10:03:43 | 山形
 いよいよ昨日の山形Qの練習をもって、お盆前のスケジュールはすべて終了。

 山形もだんだん「お盆らしく」なってきました。やはり帰省してくる人達で、明らかに人口が増えてきてます。それも観光名所じゃないところ(普通のスーパーとか)が混雑するようになるのが、他の行楽シーズンと違います。

 
 おととい、床屋に行きました。最近行きつけの床屋は、昔ながらのしぶくて愛想のない店ですが、手際に無駄がなく、しかも年中無休なので気に入っています。「そろそろ床屋に行こうかな」と、なぜか月曜日に思いつくことが多いので助かるのです。そして古い店ですから、理容師はかなりの年輩で、客のほとんどはお年寄りなので、雰囲気が静かです。手際が良くてスピーディーなのに、慌ただしくないのが良いんです。

 しかしおとといは店に入ってびっくりしました。こんなに混んでるのは初めて。昔の病院に置いてあるような黒の古いビニール地のベンチに、先客が4人も。「いったい今日は何の日だっけ?」と思いましたが、わかりました。もうすぐ息子やら娘やらが孫たちを連れて帰省してくるから、気合い入ってるんです。いつもは雰囲気まで病院の待合室に近いのに、なんだか違います。よく見ると、かすかにテンションが上がっているのが感じ取れます。

 
 そういえば、お盆の時期は、温泉の男湯の雰囲気も変わります。いつも真っ黒に日焼けして厳めしい顔で湯につかっている、「お年寄り」と呼ぶにはたくましすぎる農家の男達が、孫をつれて入って来るんです。久しぶりに会うんでしょう。すっかりデレデレして、完全にただの「おじいちゃん」の顔になっています。

 脱衣所では馴れない手つきで幼い孫にパンツをはかせようとしていますが、孫のほうも初めての大きなお風呂やら何やらで興奮しているので、言うことを聞かずに走り回ったりします。
「ほら早く着ないとカゼひいちゃいますよ・・・」
ふだん一緒に暮らしてないことが、その嬉しそうな表情と甘やかし方ですぐにわかります。


 家の子供たちもひと足先に東京に行っていますが、すでに祖父母に甘やかされていることでしょうね。さて、私もこれから帰省することにします。
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