中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

山形弦楽四重奏団第44回定期演奏会終了

2012-07-31 10:12:12 | 山形弦楽四重奏団
 毎日暑いです。特に昨日は演奏会場である文翔館に集合して、イスを並べたり舞台を作ったりしている時が最悪に辛かった。文化財だけあって、スイッチを入れてもなかなか冷房が効いてこない。炎天下の午後1時・・・熱中症になりそうでした。

 その後、夕方に雨が降ったりして気温は下がり、本番の頃にはすっかり爽やかで、お客様からは「冷房が強すぎて会場が寒い」という指摘を受けるほどでした。まずまず快適に聴いて頂けたのではないかと思います。


 さて、無事に終わりました第44回。平日の夜でしたが、予想よりたくさんのお客様に来て頂けて、ホッとしています。まさかアイアランド目当てではないでしょうから、ゲストのオーボエ齋藤さんの集客力にも感謝しなければいけませんね。

 そのオーボエを交えたブリテン「幻想四重奏曲」は、曲の力もあり、演奏していて楽しい曲でした。リスクを避けて通らない齋藤さんのエネルギッシュな音楽づくりに触発された面もあるかもしれません。弦楽器以外とのアンサンブルの面白味をあらためて感じました。

 そしてアイアランド。100%の人が初めて耳にした曲だと思いますが、終演後の評判はまずまずで、楽しんで頂けたようでした。気持ちの入れやすい曲で、我々も集中力が途切れずに演奏できたと思っています。

 そう考えると、やっぱりハイドンは難しい。これだけ回を重ねてもなかなか「手の内に入った」とはいかない。まだまだ修行が必要です。


 ということで、次回、第45回定期は10月13日(土)。ハイドン作品71ー1、幸松肇「日本民謡第3集」、モーツァルト第15番というプログラムです。メンバーの中での次回の「演奏会担当」は私の順番・・・。ということでこのブログも、本番の日まで練習日誌を含めて、今日から毎日更新いたします(たぶん)。


 とりあえず、昨日の終演後のビールは本当に旨かった。暑かった日の「大ジョッキ」は小さく感じますね。ご来場下さった方々に心から感謝したします。
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定期間近

2012-07-28 16:36:46 | 山形弦楽四重奏団
 暑いです。昨日も日中は35度以上の「猛暑日」になりました。こう暑いと、夏バテしてさらには熱中症に・・・なりそうになりながら仕事や部活動に勤しんでいる皆様、本当にご苦労様です。私は冷房の効いた部屋で練習をしているだけですので、何も言う資格はございません。「気持ち」設定温度を高めにして、皆様のご無事をお祈りしています。


 さて、明後日に迫った「山形弦楽四重奏団第44回定期演奏会」の準備をしています。今まで、プログラムについてあまり書かなかったので、ふれておきましょう。

 一曲目はもちろんハイドン。作品74ー3「騎手」です。もはやタイトル付きの有名な曲は残り少なくなってきていますが、そんななかで今まで温存してきた「大物」です。CDでは「騎士」と書いてあることが多かったように思いますが、最近では「騎手」とする方が一般的です。

 ・・・騎士の方がかっこいいのに。しかし、曲想としては勇壮というよりは、弾むような躍動感が特徴なので、やはり「騎手」が正解なのでしょう。演奏は、「皇帝」や「日の出」などの有名どころが入った作品76より難しい。馬から落ちないように、入念な練習が必要です。

 二曲目はオーボエ四重奏の編成で、ブリテン「幻想四重奏曲」。「オーボエ四重奏曲」と言わないだけあって、誰が主役ということもなく、四人が対等にアンサンブルします。

 この曲を聴いているといつも、クレイアニメを連想します。初めは何もない所に、目に見えないほどの小さい隆起ができて、それが少しずつまとまりだして、動き始める。さらに、しだいに色が加わって複雑な形になって踊り始める。原始時代のような粗野な感じの踊りから、ふと形が崩れて、不思議なワルツのようになり、爆発してまた元の姿に戻っていき、おしまいには最初のひとかけらになり、動きを止めて何もなくなる。

 そんな映像的な「幻想」が浮かぶような曲です。

 そして最後はアイアランド。前にも書いたように「あの頃は良かった」みたいな、若々しい叙情そのままの、安心して楽しめる美しい曲です。「健康的ロマン」が瑞々しい。


 30日も暑くなりそうですが、陽がかげると空気がスッと爽やかさを取り戻すのが山形の夏の良いところです。夕涼みがてら、是非お越し頂きたいと思います。さて、練習練習。
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北部まつり

2012-07-26 16:11:26 | 山形弦楽四重奏団
 昨日の献奏はしめやかに終わりました。地下水を循環させて道路の雪を融かす仕組みを発明した、山形が誇る偉人でしたから、大きな規模の「お別れ会」になりました。つつしんでご冥福をお祈りいたします。


 さて、今日は「夏の山形Qラッシュ」第2段。山形市北部公民館でのファミリーコンサートでした。担当の職員の方は「50人ぐらい集まるといいんですが・・・」みたいな弱気な発言をしていましたが、ふたを開けてみると、100人をはるかに超える大盛況でした。まさに子供から大人まで。・・・定期演奏会もこのぐらいの勢いがあれば、と思ってしまうほど。

 曲目も、「アンダンテ・カンタービレ」から「花笠音頭」まで、よく言えば各種取りそろえて(悪く言えばとりとめなく)演奏しました。会場の反応を見る限り、楽しんで頂けたのではないかと思います。


 さて明日の「夏の山形Qラッシュ」は・・・お休みです。少しは個人練習しないと。定期演奏会までもうあと4日です。良い演奏会になるように頑張りましょう。
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献奏

2012-07-25 08:55:53 | 山形弦楽四重奏団
 山響は今日から10日あまりの「夏休み」です。さあ、たっぷりとリフレッシュすべく、南の島へバカンスに行って真っ青な海を眺めながらヤシの木陰でトロピカルなカクテル片手に肌を焼き・・・。

 つまらない妄想をしている場合ではありません。山響は夏休みですが、山形Qは定期演奏会を含めて、小さいのもあわせると、この期間中に4回の本番があります。当然その間にはリハーサル。トロピカルな休暇はまだまだお預けです。


 ということで今日はまず1本目。先日亡くなった山形では著名な実業家の、「お別れの会」で演奏します。そろそろ「しめやかに」、会場へ向かうことにします。
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常識不足

2012-07-24 10:52:00 | 山形交響楽団
 他のジャンルの音楽には、めっぽう不案内で困ります。

 
 高校の頃、新しいクラスで席が隣になったやつにいきなり、
「ウインクの右と左、どっちが好き?」
と話しかけられて、わけがわからず硬直してしまいました。「右」と答えたらこいつに右目でウインクされてしまうのかと本気で怯えたのです。男子校でしたから、「その気がある」と噂されてる人も学年に数人はいましたしね。

 説明する必要もないでしょうが、「Wink」という二人組のアイドル歌手が人気あったんです。彼は自己紹介を兼ねて「えっ、右なの?気が合うなあ!」みたいな会話がしたかったわけです。変な誤解までして本当に申し訳ない。知らなかっただけなんです。

 有名な歌手の話題は、天気の話と同じぐらい、一般的なものなのだということを知りました。知らない方が悪いんです。


 塾に勤めて、新しい校舎に赴任した時に、人なつっこい中学生が話しかけてきました。
「先生、スピードの誰が好き?」
・・・ほらきた。しかしこの子は「誰が」と言ってくれて助かった。おかげでアイドルグループだということを察知できました。この子は自己紹介をしたいわけだから、「アイドルは興味ないんだ」みたいに水をさしてはいけない。私は、朗らかに答えました。
「ひだりっ!」
「・・・・・・。」

 ・・・4人もいるグループだったとは。「中島先生、そういう知識も大事だよ。」生徒が帰った後で、塾長に諭されました。


 
 さて、今日は「海の日コンサート」。かの有名な、渡辺真智子さんと山響のステージです。

 私でさえチラッと聞いたことのあるこの曲は、こういう人が歌ってたのか・・・

 あいかわらず不勉強で申し訳ない。これ以上、失礼のないように気をつけます。
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少数派?

2012-07-22 19:14:29 | 雑記
 あまりテレビを観る方ではないので、「毎週楽しみにしている」ような番組は、もう長いことありませんでした。

 ところが・・・NHK大河ドラマ「平清盛」にすっかりハマっております。しかも最近になってから。ああ、もっと前から観ておけばよかった。こんなに面白い大河ドラマは初めてだと思います。これなら受信料が引き落とされててもイラッとしない。しかし世間では評判が悪いようですね・・・やっぱり。私が心から気に入るようなものが流行ったためしはないのです。


 私が小学校六年の時、「歴史に出てくる人物の中で、誰かひとりを選んで詳しく調べなさい」という課題が出ました。その時、私がなぜ平清盛を選んだのかよく思い出せません。しかしやっぱり、誰ともかぶりませんでした。歴史の中ではかなりメジャーな人だと思うのですが、なんとなく悪役っぽく語られるからでしょう。「おごる平氏久しからず」みたいに。

 たぶん、だからこそ興味があったんだと思います。教科書とか学校の授業は、とことん毒がなく作られてますよね。でも本当は、特に歴史なんかは、人と人がぶつかって後世に残るような大事件(見方によっては大犯罪)を起こした記録であるわけですから、どちらかと言えば「悪い人」の方が多いはずなんです。

 「久しからず」が当たり前の歴史の中で、わざわざそこまで言われるのだから、一体どれだけ悪かったんだろう、どんなひどいことをしたんだろう?たぶん、そんな刺激が欲しかったのだと思います。


 調べてみたら結局、ちっとも悪くなくてがっかりしました。期待したような残虐なエピソードはちっとも無し。ふつうの、いや(違いますね)、すごく賢い政治家のようでした。

 先生に提出した時、
「あれっ、あんたなんで平清盛なんかにしたの?」(中年の女性の先生でした)
「べつに・・・」
「平氏にあらずんば人にあらず、とか、ひどい事を言った人なのに。」
「それは違います。それを言ったのは清盛じゃありませんでした。」
少し寂しい気持ちで清盛を弁護して、席に戻ったのを覚えています。


 ・・・さあ、今夜も観ないと。
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若かりし

2012-07-21 21:38:38 | 音楽
 二日間にわたる、マーラー「復活」の公演が終わりました。昨日は、震災で受けた損傷から「復活」した、宮城県民会館での演奏会でした。終演後は、仙台フィルのスタイルに従って、ロビーに出て「お見送り」をしましたが、良い表情で帰られたお客さんが多かったように思います。

 80分ほどの大曲(しかも休憩なし)ですが、やはりよくできた名曲です。冗長な曲では演奏している最中、楽譜をめくる時に、「まだこんなにあんのか・・・」とか「よしっ、もう少しだ!」などの雑念が走ることがままありますが(申し訳ない)、この二日間はそれがありませんでした。もともと、わりと好きだった曲だったからかも知れません。


 実は高校生の頃、一時期かなりハマっていました。その頃、世の中でもマーラーが結構流行っていたように思います。「大地の歌」なんかもCMで使われたりしてましたよね(たしかウイスキーだったような)。

 マーラーの何が気に入ったかと訊かれれば、もちろん「ガンガン鳴るところ」・・・(さすがの私も高校生の頃は多少若かった)。そして、わかりやすい「巨人」と「復活」が特にお気に入りでした。


 高校生ぐらいのガキは、自分の部屋にこもって、窓ガラスが振動するような大音量で音楽を聴きたくなる時期があります。これはきっと「習性」なんじゃないかと思います。音楽のジャンルを問いませんから。

 ということで、我が家にも隣の家から苦情が来ました。・・・仕方ないですね。でも、私はイヤホンやヘッドホンがどうしても嫌いでした。くすぐったくて集中できない。これは今もそうです。

 しかしこういう曲は大きな音で聴かないと意味がない。それで初めて、自分の意志で、コンサートを聴きに行くようになったのです。


 「復活」も、高校の帰りに詰め襟のまま、東京文化会館に行って聴きました。「俺、今日ちょっと用事あるから」と言って、いつも一緒に新宿へ出る友人達と別れて、反対回りの山手線に乗りました。酒を飲んだり麻雀をしたりする仲間はいましたが、クラシックを聴くような知り合いは学校にいませんでしたから、「上野まで復活に行ってくる」と言っても、ヘンな所に行くのだとしか思われなかったでしょう。ちなみに、読響の定期で、指揮はマゼールでした。

 その時の感動はいまだに忘れることができません・・・と書きたいのはやまやまなのですが、正直よく覚えていません。ただ言えることは、その時の東京文化の「学生席」はあまりに上の方でステージから遠すぎて、高校生が求めるような迫力を感じることはできなかったということです。自分達の方がバンダみたいな・・・悲。


 昨日、仙台からの帰り道にふと、忘れていたそんなことを思い出しました。
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復活

2012-07-20 10:55:41 | 山形交響楽団
 教会では「復活祭」の時期に、顔を合わせた人同士が「ご復活おめでとうございます」と声を掛け合うのを見たことがあります。「明けましておめでとうございます」みたいなものなのでしょう。

 しかし「年が明けた」のは誰にでもわかりますが、「復活」のことは、キリスト教になじみが無い者にはわかりにくい。私にももちろん、さっぱりわかりません。ですから「おめでとうございます」と、当たり前のように言い交わしている人たちを見て、違和感をおぼえるより、自分が礼儀と常識に欠けているような気がして、申し訳ないような居心地の悪い思いをしました。


 では「復活」とは、いったい何なのか?

 ・・・という問いについて考えるのは、深すぎるようなのでやめておきます。塾の先生は、こういう自分もわからないような難しい質問をぶつけられた時は、このようにして逃げます。

「この学年では、『復活=神の愛による救いの完成』と覚えておきましょう。はい、ノートに写しといて。」
そして「先生、神の愛って何ですか?」「救いの完成ってどういうこと?」
という質問が出る前に素早く、
「じゃあ、次のページいこう!」


 それはともかく、やはりクリスチャンでない日本人としては、ふつうの日本語としての「復活=元の状態に戻ること」も、正解としておきましょう。



 さて、山響と仙台フィルとの合同による定期、マーラー「復活」の山形公演が終わりました。「山響40周年」と「東北の再生を祈念する」イベントとしての意味合いが強いコンサートです。曲の規模の編成も、普段の山響の公演よりはるかに大きいので、その祝祭的な雰囲気は「ご復活」のように晴れがましいものになったのではないかと思います。

 今日の仙台公演も頑張ります。
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歯科今昔

2012-07-18 12:48:50 | 雑記
 もうひと月ほど前ですが、夕飯中に奥歯の詰め物がボロッと取れて、刺すような痛みが走りました。その時は「さあ麻酔、麻酔」とばかりに飲むペースを上げたら、痛みはすっかり良くなりました。

 しかし「百薬の長」にも、歯を治すという効用は無いらしく(当たり前)、その後、ふとした時に痛んで頭痛がしたり、首がやたらと凝ったりしていました。


 ということで今朝、仕方なく治療のためかかりつけの歯科へ。

 毎度思いますが、今時の歯医者さんは本当に優しい。「イス、たおしま~す」とか「はい、口あいてくださ~い」とか、あんた先生なんだから、そこまでソフトに言わなくても良いんじゃないかと思うほど。

 それに較べて、昔の歯医者は怖かった。聞き取りにくく「痛かったら手あげて」と呟くが早いか、ミシンみたいな機械でゴリゴリ削って、いくら手をあげてもお構いなし。しかたなく呻いてみせると、「ああ、よしよし」と独り言をいって、結局お構いなし。

 今は違います。ちょっとでも顔をしかめただけで「すこ~し麻酔のお薬使いますね~」「すみません、すこしチクッとしますよ~」。

 詰めるのも簡単になりましたね。昔は気持ちの悪いニチャニチャしたものを、ゆるく噛んだまま長いこと待たされて、えづきながら歯型を取られたものでした。そして詰め物ができあがるのはもちろん次回。今はその場ですぐに、当然一回で終わります。昔と使う材質が違うので費用も安い。


 今の子供は幸せですね。医学の進歩に感謝。
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六根浄(後)

2012-07-17 13:25:59 | お酒の話し(山形県)
 興味の無い方には申し訳ありませんね。昨日の続きです。


 私は日頃、この酒評で酒を好きな酒を誉める言葉として、「キリッと」「透明感のある」「造り手の美意識を感じる」という語彙をよく使います。それは、私が満足した酒を具体的に念頭に置いて、その味に言葉を当てはめたに過ぎず、「こういう酒が旨い」といえるような理想形を持っていたわけではなかった事に気づきました。


 さて「六根浄」、飲んでみると・・・まさにキリッとして透明感があり、それがすべて造り手がはっきり理想として意図してものであることがわかります。フワッと媚びたりせずに輪郭がはっきりとして、その中に澄んだ味わいが浮かび上がる。たまたまではなくて、しっかりと計算された酸度が、狙いすましたように美しい味を描いて消えていきます。

 何も言うことはありません。素晴らしく完璧な作品で、「お見事」という他はありません。


 しかし・・・ちょっと窮屈なのです。中に込められた「酒はこうあるべし」という美学が、雄弁すぎる。そしてそのメッセージを受け止める側にも「酒の道」に対する「六根清浄」を要求するような、厳しさがありすぎるのです。

 「ああ・・・今日も疲れた」と、冷蔵庫から取り出した酒瓶の栓を開け、安物ながら手になじんだグラスに注ぎ、それを一口すすって、ホッと安心する。

 そんな、ただの飲兵衛の私には、やはり「酒の道」に分け行っていく胆力が欠けているのだと思います。今までさまざまな酒を偉そうに語ってきましたが、本当のところでは、こういう「渾身の作品」を鑑評するような「六根」(研ぎすまされた五感プラス霊感)を持っていないのです。

 一日の疲れで「六根」が清浄でなくなってしまったからこそ、家に帰ってそれをズルッと(モツのように)とりだして、せせらぎでそそいで、「因幡の白兎」のごとく、がまの穂でくるんで涼しい風にあててやるような、そんな酒との付き合い方をしているのだということが、よくわかりました。


 芸術作品を、「鑑賞する」ことと「楽しむ」ことの違いについて考えさせられるような、深い逸品でした。(また「大げさだ」と叱られそうですが)
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六根浄(前編)

2012-07-16 09:28:28 | お酒の話し(山形県)
 (今日の「お酒の話」は、ややディープな酒論が展開されますので、興味の無い方や禁酒中の方にはおすすめできません。)


 「伊右衛門」のCMの雰囲気は良いですね。モックンと宮沢りえの、やたらと清潔感のある夫婦。亭主は「より旨いお茶」を探す(調合するのか?単なる仲買人なのか?栽培するわけではないみたい)という、よくわからない事に心血を注ぎ、それを遠くから貞淑な妻がじっと支えている。何をやっているのかは不明だが、「お茶の味」一筋に打ち込む、職人のような芸術家のような真摯な姿には、わけもなく好感が持てます。

 「茶道」というとお作法ですから違いますが、そういう、茶の味の「道」みたいなものは無いんでしょうかね?

 日本酒にはあります。作法とは無関係の、まさに酒の味の道、「酒道」ともいうべき道の達人こそが、杜氏でしょう。単なる「生産者」とは違います。できあがった酒は、杜氏の「酒道」、つまり酒に対する美意識や、それを世に問うメッセージが込められています。


 ということで、山形は天童の水戸部酒造「六根浄」。・・・珍しい酒を戴きました。私のこのつまらない酒評を読んで下さっている方から、「好みに合うと思います」と。なんともありがたいことです。しかしこれがとんでもない「挑戦状」だと、飲んでみてわかりました。

 水戸部酒造は「山形正宗」という銘柄で有名な蔵で、その作風は私の印象では、酸が強めの「男酒」です。線が太くて、くっきりばっさり・・・「正宗」という名がふさわしい。さらに言えば、大河ドラマ「平清盛」が持ってる刀みたいな感じ。もちろん変な臭みや刺激があるという意味ではありません。「純米酒」らしい、米だけで描いた「一筆書き」のような、素朴で純度の高い酒を造る蔵です。

 そこの蔵に特別に造らせたのが、この「六根浄」だそうです。酒通というより酒道の達人のような、酒店の店主が監修して、「これぞ純米酒」というものを作り上げた逸品だと。

 その割には、精米歩合は60%。価格も安い。逆に、みなぎる「自信」を感じます。

 さて開栓。

 ・・・これが、「酒を味わうということ」の根本的な意義を、自分に問い直す体験になりました。

 (と、期待を持たせて、次回につづく。・・・申し訳ない。勿体つけているわけではなくて、今日午後からのリハの前に、少しはマーラー「復活」を練習をしなくてはならないので・・・)
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梅雨の晴れ間

2012-07-14 23:59:59 | 危機管理
 ハヤの「ももららちゃん」です。娘が名付けて可愛がっています。素手でベタベタと…。

「生きてるおさかな、はじめてさわった~」、ということなので、魚もすごく迷惑でしょうが大目に見てやって頂きたい。


 今日は午後から時間が空いたので、息子と釣りに…行こうと思ったら、娘がどうしても一緒に行きたいと聞かないので、二人を連れて、梅雨の晴れ間の川へ。


 娘は初めての釣りにテンションが上がっています。竿を出し仕掛けをつけて川に投げてみる。ワクワクしながらウキを見つめます。

 そして5秒後。「ねえ、まだ?」

…短気な女だな。釣りには向いてないかも。


 結局、息子が釣り上げたハヤを「なでなで」などして遊んでました。

 その他は、釣りには飽きて、エサのミミズを手でちぎる作業を楽しんでいました…。


 蒸し暑い陽気でしたが、カッコウがうるさく鳴いている川原は、空気が良くて爽やかでした。こういう場所が近くにいくらでもある環境は、やはり恵まれています。…面倒がらずに連れ出してやらないと。
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ことばの窓

2012-07-13 13:56:53 | 雑記
 (例文)「先生からかけられた。」

 これは、どういう意味だと思います?

 「先生が最初にお座りになった。」だとしたら「古き佳き」日本語ですね。しかし、今どき先生に対して丁寧語ならともかく、尊敬語が用いられることはほとんどありません。ということは、「先生」は主語ではない。この文では、主語は省略されていると見るべきでしょう。

 (例2)「山田君は、先生からかけられた。」

 主語を補ってみました。・・・何をかけられたの?と思いますよね。ほとんどの人は、山田君が先生によって、液体もしくは粉末を付着させられたか、あるいは布状のものを被せられた様子を想像すると思います。この文が標準語なら、それは当然の解釈です。

 しかし、山形弁だと違うのです。そろそろこの文の意味をお教えしましょう。

 (解)「山田君は、先生によって(答えるよう)指名された。」


 授業なんかで先生が生徒を指名することを「かける」と言うんです。最近知りました。もしかしたら山形市だけなのかも知れませんが、まだまだ知らない言い回しがあるものです。標準語では「当てる」とか「指す」ですよね。

 息子が「今日、かけられたのに全然わからなかった」と言ったので、いったい何をぶっかけられた事に気づかなかったのかと思いましたが、そういうことなんです。

 「謎をかける」とか、そういうあたりから来てるのかも知れませんが、なかなか味わい深い方言です。


(用例)「なんだよ先生、なんで俺にばっかりかけるんだよ!」
(用例)「先生ひどい!どうして私にかけてくれなかったの?」

 ・・・やっぱりどうしても異常な感じがする。慣れるとそうでもないのかな。
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半ドン

2012-07-12 09:31:28 | 山形
 「半ドン」って死語ですかね?今は学校も会社も週休二日がほとんどですから、すっかり耳にする機会がなくなりましたが、なんとなくウキウキするような、好きな言葉です。ちゃんと義務を果たしているので負い目を感ずることもなく、午後の時間は自由に使える。


 昨日は天童で午前のスクールコンサートが1公演だけでしたから、まさに「半ドン」でした。ということで、体育館でかいた汗を流しに、早くも昼過ぎには温泉へ。これはかなりの解放感。

 昨日は30度を超える暑さでしたが、その後すぐにこうして、午後の陽がが射し込む広々とした明るい大浴場で汗を流せるなら悪くない。

 そして風呂上がりには、キンキンに冷えた生ビールをグイッと・・・やりません。半日の勤務でさすがにこれはやりすぎでしょう。罰が当たります。蕎麦を食べておとなしく帰りました。


 いいですね・・・夏の「半ドン」。満喫しました。
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アイアランド愛

2012-07-10 13:01:19 | 山形弦楽四重奏団
 昨日も山形Qの練習。ブリテンとアイアランドを仕上げにかかりました。


 さて、何度か書いてますように、今回のプログラムのメインは、アイアランド没後50年を記念して「弦楽四重奏曲第2番」ですよ!

 ・・・ふ~ん。

 としか思わないでしょうね。たぶん。「誰それ?」・・・みたいな空気で。


 アイアランドは名前からなんとなくわかるように、イギリスの作曲家です。「没後50年」とは言え、その作風は「現代曲」と対極にあるようなロマンティックなものでで、知らなければブラームスの若い頃の作品かと思うほどに聴きやすい。この「第2番」も、一度聴いたら耳に残るようなメロディーにあふれた、憂愁を帯びつつも情熱的な曲です。

 そう言われてもピンと来ないですよね・・・。こういう通りいっぺんの説明を聞いたところで、名前も聞いたことのない作曲家の「知られざる」作品に興味が湧くことはほとんどありません。私もそうです。それでは・・・


 私はこの職業に就いてから、純粋に「楽しみのためにCDを聴く」ことがあまりなくなりました。ほとんどは「次回弾くから、その勉強のため」です。しかし、そんな中にも、疲れた時やロングドライブのお供として、ふと聴きたくなる曲のラインナップがあります。フォーレの室内楽曲やバッハのオルガン曲、あとは弦楽四重奏がほとんどですが、アイアランドはもちろんその中に入ってます。若々しいリリシズムが、細かいストレスでザラザラした心を洗ってくれるのです。


 まだか・・・。曲の良さを、その曲を知らない人に言葉で伝えようとするのは難しいですね。私自身、心が偏狭なせいかも知れませんが、人から奨められて「ええっ?それなら是非!」と思うことはあまり無いんです。だから諦めて、「奨めよう」という気持ちを忘れて書いてみましょう。

 
 恐竜なんかの図鑑の後ろに、生物の進化の道すじを表した樹形図のようなものがありますよね。いろんな形の魚の中でも、胸びれとかエラがしっかりした形のやつが、その先で陸に上がって両生類になれてまたバリエーション豊かになって、そのうちの足が丈夫で爪とか歯がするどいやつだけが、その先の爬虫類になれて・・・ゴールというか、一番先に原始人がいる、あの図です。

 脇の方には「行き止まり」になってしまった生物がたくさんいます。恐竜のように絶滅してしまったものもいれば、「シーラカンス」や「ヤツメウナギ」のように、今もひっそりと生きている生物もいます。「進化するばかりが人生じゃないよ」とでも言うように、大昔から今のままなんでしょう。

 音楽史でも、似たような事があるんじゃないでしょうか。「音楽の進化」に功績がなかった作曲家は、「重要でない作曲家」(これはひどい表現ですよね)として、脇の方で「行き止まり」になる。もちろん音楽の場合は、重要でない人が教えたクラスから最重要な人が輩出されるということがよくありますから、実際は行き止まりということはないのでしょうが、進化の歴史から外される作曲家はたくさんいるでしょう。

 ・・・ちょっとだんだんアイアランドに対して失礼になってきているかも知れませんが、要するに、歴史の中で重要な作曲家が「良い」ということには必ずしもならないはずだと。シーラカンスやなんかと一緒にしては悪いでしょうが、ガツガツ新しいところに行こうとしないで、穏やかで懐かしい昔を懐かしみつつ、海の底で昔のままの純粋な気持ちを燃やしてひっそりただよっている、そんな作曲家や作品があっても、私は好きです。


 ・・・7月30日、山形Qは「良い曲」を弾きますので、是非おいで下さい。
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