中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

孝行

2008-06-30 23:50:41 | 危機管理
 甘いものは苦手ですが、今日は久しぶりにケーキを食べました。

 昨日が娘の2歳の誕生日だったので、東京からおばあちゃんも来てのお祝いだったのです。

 ケーキに立った二本のローソクは、本人が吹き消せる最少ですよね。完全に親のためのイベントです。

 「子供は物心つく前に親孝行を完了する」と皮肉めいて言われますが、きっとその通りでしょうね…。女の子は特に、あっという間に生意気になるんでしょうから。

 今はまだ澄ました顔で「ジュースわよ。」なんて言ってますが。
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観音さま

2008-06-28 23:45:59 | 山形
 度重なる長距離移動で、さすがに疲れがたまっています。しかし今日は山形Qの練習と、依頼演奏があるのでウダウダするわけにはいきません。

 疲れているのに集中力を高めなければいけない時は、ギリギリまで寝るのもありかとは思いますが、自分の場合は逆に早起きします。「あー疲れたなー。でももう準備しなきゃ…」みたいだと、上手くいかないのです。

 という事で、早朝から山形蔵王インターの近くの「唐松観音」へ。理由はありません。前から気になっていた「非日常」な所へ行きたくなったのです。

 少し遠い所に車を停めて、川沿いを20分ほど歩きます。夏の日差しが暑いですが、日陰は朝のひんやりした冷たさが気持ち良く、体が起きる感じがします。

 ようやく到着したものの、由来などの看板はありますが建物が見えません。と思ったら、頭上の工事現場の足場のような上にありました。「清水の舞台」を縮小したような、人の気配の無い本堂だけの建物です。

 鉄製の「カン、カン」という足音がする、古いアパートによくあるような階段をのぼり、本堂へ。御本尊の観音さまは小さく、地味でしたが、天井の絵や装飾は派手で、東南アジアの寺院のようでした。


 ここまで会った人は一人もなし。訪れる人も少ない、静謐な山あいの観音堂は、浅くなった呼吸を整えてくれるような気がしました。

 おさい銭を入れて祈る事はもちろん「つまらない不運に逢いませんように…」。
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眠い町

2008-06-27 23:08:17 | 読書
 ある日、彼は不思議な町にきました。この町は『眠い町』という名がついておりました。見ると、なんとなく活気がない。また音ひとつ聞こえてこない、しんとした町であります。また建物といっては、いずれも古びていて、壊れたところを修繕するではなく、煙ひとつ上がっているのが見えません。それは工場などがひとつもないからでありました。」

 昨日は八幡、今日は遊佐と連続で庄内の奥地で、スクールコンサートでした。どちらも発展しているとは言いにくい、多少ひなびた町です。新しい大型スーパーはありますが、昔からあるような町並みは、さびれた感じがします。

 上に引用したのは、小川未明の「眠い町」という童話の始まりです。ひなびた町に来ると、いつも思い出します。

 旅人はこの「眠い町」に来ると、みんな眠くなり、寝てしまうので誰も近づきません。主人公もこの町に入るなり眠りこんでしまいます。すると、しばらくして大きな袋をかついだ老人に起こされます。

 「私は、この世界に昔からすんでいた人間である。けれど、どこからか新しい人間がやってきて、私の領土をみんな奪ってしまった。そして私の持っていた土地の上に鉄道を敷いたり汽船を走らせたり、電信をかけたりしている。こうしてゆくと、いつかこの地球の上は、一本の木も一つの花も見られなくなってしまうだろう。私は昔から美しいこの山や、森林や、花の咲く野原を愛する。いまの人間はすこしの休息もなく、疲れということも感じなかったら、またたく間にこの地球の上は砂漠となってしまうのだ。私は疲労の砂漠から、袋に疲労の砂を持って来た。この砂を少しばかり、どんなものの上にでも振りかけたなら、そのものはすぐに腐れ、もしくは疲れてしまう。で、おまえにこの袋の砂を分けてやるから、これから歩くところは、どこにでも少しずつ、この砂をまいていってくれ」

 主人公は各地で、工事の機械を腐らせたり、現場監督を眠らせたりします。そしてついに砂をまききって、言われた通り「眠い町」に戻るのです。

 あくせくと地球を破壊する愚かさがよく表されています。多少さびれてても、豊かな自然に囲まれている方がずっといいです。原始時代に戻れと言ってるんじゃないんです。のんびり休み休みするだけで、人も自然も「そこそこ」豊かでいられるんじゃないでしょうか。失礼にあたるのかも知れませんが、ひなびた町はそんな感じがして好きなのです。

 いえいえ、わかっています。だれも好きであくせくしてるわけじゃないですよね。あくせくしてもしても、暮らすのがやっとなんですから。今の社会では、休み休みなどという自由はありません。誰にも止める事はできないのでしょう。

 この童話の結末です。

 「幾日かの後『眠い町』にきました。けれども、昔見たような町並みは跡形もありませんでした。のみならず、そこには大きな建物が並んで、煙が空にみなぎっているばかりでなく、鉄工場からは響きが起こってきて、電線はくもの巣のように張られ、電車は市中を縦横に走っていました。
 この有様を見ると、あまりの驚きに、彼は声をたてることもできず、驚きの眼をみはって、一生懸命にその光景を見守っていました。」

(写真は遊佐のホールの近くの風景です)
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胎教

2008-06-25 22:40:08 | 山形弦楽四重奏団
 今日は胎教をしました。

 これだけ書くとちょっと不気味な日記ですね。今日は山形Qで寒河江の産婦人科医院から依頼を頂いて、妊婦さん(特に小さい子供連れの)のためのコンサートをしたのです。 

 こういう事を企画するだけあって、とても人気のある医院だそうで、遠くからも出産のために来るそうです。


 我が家の下の娘も、もうすぐ2歳なので、2年前の今頃は毎日のように(胎教はしていませんが)、息子と一緒に産婦人科病棟に見舞いに行った事を思い出します。

 息子は小学校に上がったばかりで、いろいろ慣れなくて不安定でしたが「もうすぐ家に赤ちゃんが来る」という事を楽しみに、母親が帰らないのを我慢していました。父親には甘えにくいのでしょう。眠くなるとつい「ママは?」と何度も訊きます。

 ふと、いろいろなシーンを思い出しました。今日お腹にいた子供達も、きれいごとではなく、本当に健康で幸せに生まれてきて欲しいと思います。

 家族のそういう思いが一番の胎教でしょうね。
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a-moll 其の四

2008-06-24 23:11:22 | クァルテット
 メンデルスゾーンは言うまでもなくロマン派の作曲家ですが、ヴィヴァルディやバッハ、そしてベートーヴェンを強く尊敬していました。それらの作曲家の音楽をすみずみまで研究していた事は、彼の作品の中にもよく表れています。

 例えば、このa-mollの第二楽章の中間部のフーガの所なんかは、バッハのオルガン曲のようでもあり、ベートーヴェンの「セリオーソ」のようでもあります。それらが若くて、健康的な理想にあふれた青年のなかで融合したよたうな感じがします。

 ところで、メンデルスゾーンは同時代のロマン派の作曲家達の事を、どう思っていたのでしょうか?初めにお断りしておきますが、実は彼は、けっこう口が悪いのです。

 「パリ風の絶望的欲望、情熱にのみ心を煩わし、拍子と休止、まさしく音楽的なものをあまりにも無視し過ぎる」

 ショパンの事です。「拍子と休止」というあたりで、メンデルスゾーンが「キチッとした拍節感」こそが音楽的だと感じていた事がわかります。

 「彼の管弦楽法はひどく汚く、ごちゃごちゃとなぐり書きされているので、かれのスコアを一度手に持ったら、手を洗わずにはいられないくらいです。それに、殺人、苦悩、悲惨だけから音楽を構成するというのは、恥ずべき事です。」

 ベルリオーズの事です。メンデルスゾーンの純粋な透明感とは、水と油でしょうね。特に「幻想交響曲」は嫌いだったようです。しかし、きわめつけは次です。

 「指は多いが、頭脳は足りない」

 …誰かわかりますか?ごめんなさい、リストさんです…。これはリストの作品ではなく、演奏の事です。リストの演奏は、効果を狙って楽譜の指示を明らかに無視したものだったようです。過去の偉大な先人を強く尊敬するメンデルスゾーンには、それがどうしても許せなかったのでしょう。

 これらを見ても、メンデルスゾーンの音楽はロマンティックですが、それは決して感情的だったりショッキングなものではなく、古典的な精神で創られたものだという事がわかります。

 同業者に厳しいのは世界中誰でも、いつの時代も一緒ですが…。

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年の功

2008-06-22 23:22:42 | 山形交響楽団
 山響の「さくらんぼコンサート」、無事終了しました。今回も聴きに来てくれた、たくさんのお客さん達に感謝しています。(逆に、すみだトリフォニーの「地方オケフェスティバル」は、どうしていつもお客さんが少ないんでしょう?)。

 オペラシティは、ステージ上でお互いの音が聞きにくいという欠点はあっても、やはり良いホールだと思います。ピアノコンチェルトの時も、普通に弾けるだけのスペースがありますから。そんなホールは山形市内にはありません…(泣)。


 終演後はもちろん新宿の街へ。飲み過ぎず、ほどほどでしたが終電は逃しました…。(乗ろうという気が無いのが大きな問題か)。

 ちなみに今回は、僕の母親も友人達と聴きに来ましたが、やはり新宿で終電まで飲んだようです。血筋でございますね。(終電に間に合うところは年の功か)。


(写真は山形駅のさくらんぼの鉢植えです。生き生きとしています。)
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ふるさと2

2008-06-21 18:14:24 | 雑記
 いかにも「東京の梅雨」という感じの気候です。気温自体は大して高くないのに、街を少し歩いただけでも、じっとりと汗が吹き出ます。

 せっかく東京に出て来たので、ゲネプロの前に楽譜やCDを見に渋谷へ。最近はインターネットで注文すれば良いのでしょうが、自分の場合は直接行ったほうが、それでも早いのです…。

 渋谷は自分にとって「ふるさと」の大きな部分です。子供の頃は「お買い物」といえば渋谷だったし、若い頃は「遊びにいく」といえば渋谷でしたから。

 昔、人混みをかきわけながら速足で上った道玄坂を、今は人に押し流されてヤマハへ。

 山形に来た頃、「東京はすごいね!みんないつも走ってるんだってね!」とお年寄りに言われて、かなりウケましたが、20~30年後に来たら本当にそう感じるかも知れないと、本気で思いました。

 懐かしい店がみんな無くなってしまったのが寂しいです。そのほとんどは飲み屋ですが…。とにかく流れの速い街なんですね。 
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ふるさとは

2008-06-19 23:10:24 | 雑記
「さくらんぼコンサート」のために東京へ。車だと追いはぎにあうといけないので、新幹線での移動です(恨みがましい)。

 東京に帰る度に思う事ですが、つくづく個性の無い街ですね。いや、個性と言うより、アイデンティティーが無いのでしょうか?

 懐かしい建物は古くみすぼらしくなり、新しい建物は当然、見覚えがない、つまらないものとして映ります。

 いろいろな思い出のある店などが、明らかに老朽化して色褪せているのを見ると、自分が歳をとった事を見せつけられる感じがして、寂しいものです。(遺っているだけマシですが)。

 そんな事を感じた時に、昔からいつまでも変わらない、例えば山とか川が故郷としてある人を羨ましく思います。

 (写真は実家の近くの中島さんちのアジサイです。家は古くなってもこの季節に、塀から顔をのぞかせるアジサイは昔のままです。よく間違って郵便物が届きます。)
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a-moll 其の三

2008-06-18 23:43:31 | クァルテット
 18歳のメンデルスゾーンが書いた、この弦楽四重奏曲の持つ「みずみずしさ」について考えています。若い時に特有の精神の透明感、感動の新鮮な感じは、なかなか想い起こすのが難しいものですね。もう「おやじ」でございますから。

 そこで、ル・クレジオの「海を見たことがなかった少年」を読み返しました。

 不遇な少年、ダニエルは学校を脱走して、憧れの「海」を見るために旅に出ます。「昼も夜も走り続けた貨物列車」から飛び降りて、ようやく海にたどり着いた感動は、圧倒的です。

 「彼は幾度となくこの瞬間を想像してきた。海をとうとう実際に見る日、写真や映画でのようにではなしに、本当に、海全体を、自分のまわりに広げられ、膨れ上がり、重なり合っては砕ける波の大きな背中、泡の雲、太陽の光を浴びて埃のようなしぶきの雨が、そしてとりわけ、遠くに、空を前にした壁のように湾曲したあの水平線がある海を見る日を幾度となく想像してきたのだ!実に幾度となくこの瞬間を待ち望んできたので、彼はまるで死にかけるか、眠りかけてでもいるように、もはや力がなくなっていた。」

 このような、新鮮で、それまでのつまらない人生観や、それにともなう自意識や根性とかに汚されていない感動は、魂のみずみずしさ特有のものです。

 メンデルスゾーンのこの曲のロマンティシズムは、そんな所にあるような気がしています。そして音楽への「純粋な憧れ」が、バロックや古典を大切にする気持ちにつながるのでしょう。

 本当に何度聴いても、結晶のように美しい曲です。日常の(最近の)怒りや恨みを忘れます…。

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くれてやる!

2008-06-16 23:11:36 | 雑記
 ……燦然と輝く違反キップと振込み用紙でございます…。

 最近はすっかりおとなしく、スピード控えて死んだように運転しております。今日、いきなり警官に止められた時も、全く動揺せず「何ですか?」(捜査かなんかだったら協力しますよ、みたいな感じで)聞きました。

 「速度超過です。」
 「誰が?」
 「免許証を持ってあっちへ行って下さい。」
 「なんで?」
 「速度超過です!」
 「…えぇっ?違う違う、違いますよっ!」
 「いいから降りて、あっち行って!」

 ……見通しの良い直線の道路を時速57kmで走るのが犯罪なの?あそこから40km制限だって、そんなの知らないよ…。

 はいはい…すみませんでしたね。みんな私が悪いんですよ…。印鑑も無くてごめんね。はいっ、左手の人差し指!いらないよ、ティッシュなんか!

 
 <悪法もまた法なり> ソクラテス

 ゴールド免許は遠きにありて思ふもの…号泣。
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父の日

2008-06-15 23:17:10 | 雑記
             (参考写真)

 「おふくろの味」という言葉はありますが、「おやじの味」という言葉は聞いた事がありません。 これは「男女同権」に触れるかもしれませんが、そういうもので、いいんじゃないでしょうか。

 自分はまったく料理はしませんが、僕の父親もそうです。それは「分担がうまくいってない」からではなく、「分業がうまくいっている」からだと思います。

 一度だけ、父親の手料理を食べた事があります。母が病気のときです。僕が小学校の低学年の頃でした。

 僕と弟が「ごはん、どうすんの~」と、(どうせ出前だろ)と思いながら聞くと、無言で台所に入っていきました。

 だいぶ時間が経ってからできたのは、チャーハンでした。かなりしっとりして無気味でしたが、食べてみると母親のとは全然違う、「体に悪そうな美味しさ」にあふれて、夢中になりました。

 濃い味でバターや青のりやソーセージの缶詰など、小技をふんだんに使ったチャーハンは、「やれば出来るじゃん父ちゃん」と思わせるに充分でした。

 その後はいくら頼んでも作ってもらえませんが、その味は今でも覚えています。


 一回ぐらい何か作ってみようかな…。
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復興祈願

2008-06-14 23:50:21 | 雑記
 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」

 これは新潟が誇る、江戸時代後期の名僧、良寛の言葉です。1828年、新潟で大地震があり、死者1500人に及ぶ大災害になりました。71歳の良寛は無事でしたが、安否を気遣う手紙に、上の言葉を書いたそうです。

 その手紙は「全ては神様の思し召し」という達観したものではなく、「こんな風に思っているような自分が生きながらえて、多くの人が死んでいくのを見るのは何とつらい事だろう」というものだったようです。


 今日の地震は山形も結構揺れましたが、たいした事はありませんでした。しかし、何が起こるかわからないものですね。

 「今日はたまたま、揺れが少ない所にいた」という事だけです。そして先日はたまたま秋葉原にいなかったという事です。

 自分が個人的に無事だった事を、神仏に感謝する気になれない良寛の複雑な気持ちが、なんとなくわかるような気がします。

 (写真は先日、旅行中に立ち寄った神社です。建物は新しいのですが西暦472年にひらかれたそうです。境内に中越地震復興祈願と書かれた石碑がありました。良寛の時代の大地震も経験した神社なのでしょうね…。)
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玄関にて

2008-06-13 23:03:57 | 旅の空
 そしてまた、やっと我が家へ帰って来ました。さすがに、旅行にも飽きました。

 こう書くと、「何を贅沢な!」と怒られそうですね。しかし、旅の本当の良さは「旅に飽きる」事ですよ。

 「人は二度と同じ河に入れない」 ヘラクレイトス

 どういう事かわかりますか?「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という、鴨長明の言葉と同じような事です。

 河はいつも同じようにゆったり流れているが、流れている水は常に違う水であり、したがって「同じ河」ではない、という事です。


 旅の良さは「繰り返されるつまらない日常から離れて、新鮮な感動を得る」事でしょう。しかし同時に、旅に飽きる事によって日常が「繰り返される」ものではなく、「常にかけがえのない」ものだという事に気付きます。


 家に着いて玄関に入ると、息子がとんできて、僕がいない間にあった事を夢中で話してくれます。後から走ってきた娘も、競うように違う事を話します。子供達の話が終わるまで重い荷物を持ったまま、靴を履いたままでした。
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白髪

2008-06-11 23:37:49 | 旅の空
 今日は以前に地震があった辺り、新潟県柏崎市の小学校でスクールコンサートでした。今ではすっかり、元ののどかさを取り戻したように見えます。

 子供達は本当に素朴で、こちらが癒されます。開演前に練習していたら、興味津々の視線を感じたので「ヴァイオリン見るの初めて?」と声をかけたら、周囲を取り囲まれました。

 「すげぇ!」「きれ~!」「ぜんぶ木でできてんの?」…などなど。すれてない反応がいいです。

 ずっとジィーッと黙って見ていた女の子がやっと「ねえねえ」と話しかけてきました。「ん?なあに?」と、気さくなお兄さんモードで応えると、「しらが、そめないの?」

 ……そんなに目立ちますか…?

 (写真は新潟らしいと感じている風景です。山形より広い平野に立派な新幹線が通っています。)
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キープボトル

2008-06-10 21:27:29 | 旅の空
 またしても、旅の真っ最中でございます。昨日の福島につづき、今日から新潟をまわります。

 という事で、長岡のお気に入りのお店へ。実は先月も来ました。去年からだと何回も来ています…。

 新潟といえば日本酒ですが、最近は有名な酒造会社が焼酎を造るようになりました。ブームの力はすごいですね。

 そういうわけで、吉乃川の純米焼酎「氷柱」です。先月に、勢いでボトルキープしたものです。スッキリとして、ひんやりした喉越しが疲れを癒してくれます。

 しかし旅先で普通にボトルキープできるほど、今年は旅行が多いのです…。
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