中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

昭和の日

2008-04-29 23:12:02 | 雑記
 「とばっちり」とは、もともと水などが「とびちった」しぶきの事だそうですね。それが近くにいた人にかかる様子から、現在使われている意味になったようです。

 昭和から平成になった時、自分は高校生でした。時の官房長官が、「平成」と書かれた色紙を持っているニュース映像をよく覚えています。最初はパッとしないネーミングだと思いましたが、20年目にもなると慣れるもんですね。

 その時、高校で隣のクラスにその官房長官の息子がいました。日頃あまり目立たないタイプの人でしたが、この時ばかりはみんなに声をかけられていました。

 「なんだよ平成ってー」「もうちょっとマシなのがあんだろ!」「ダセーんだよ、センスねー」など…。

 べつに官房長官が考えたわけじゃないのにね。しかも息子だし…。

 
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初練

2008-04-28 23:38:17 | 山形弦楽四重奏団
 今日はようやく山形Qが第28回定期に向けて始動しました。初合わせというものは楽しいものです。まだ何にも縛られてないですから。

 これが練習がすすんで来ると、そうも言っていられなくなります。約束事もふえるし、苦手意識のある場所も定着してくるし…。

 しかし本来、そのように考えるのはおかしな事です。音楽的な「約束事」は履行する事に意味があるのではなく、メンバーみんなで話し合ったものを、「自分のやりたい音楽として」実現するためのものですから。

 そういう意味で、積み重なっていく「約束事」に主体的に関わっていかなければ、本番での自由は無くなります。

 そのためには、「自分は何をやりたいのか」という事が明確でなければならないし、そのためには充分にその曲が自分のものになっていなければなりません。

 要は、しっかり自分の練習をしてから、きちんとその曲を自分なりに捉えてから、臨まないといけないという事ですね。初合わせのような、フレッシュな期待感を持って本番に臨むために…。

 (しかし四人いれば四者四様のイメージがあるものだと、あらためて感じました…)
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裏メン2

2008-04-27 23:49:25 | 音楽
 (写真)F.メンデルスゾーンの祖父Moses Mendelssohn

 「魂は広がりをもたない、すなわち空間的に合成されたものではなく、単純な実体である。合成されていない単純なものは分解されえない、すなわち消滅しない。ゆえに魂は不滅である。」

 意味わかりますか?「魂」の不滅を論証したものです。素人流に訳すと「魂はそれ以上細かくできないから無くならない」というような事だと思います(多分)。これはメンデルスゾーンの祖父の哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの言葉です。

 メンデルスゾーンの祖父は哲学の歴史に名を残す有名な人なんですね。しかし孫に比べてマイナーなのは、同時代にあの「カント」がいたからです。

 18世紀のドイツの大学の懸賞論文のテーマは「自然科学や道徳といった形而上学的真理の原理が、幾何学的真理のように証明されうるか否か」というものでした。再び、意味わかりますか?ややこしい言葉遣いですね。

 この懸賞で一位を取ったのがメンデルスゾーンの祖父で、次点がカントだったそうです。ちなみに、上の問いの答はメンデルスゾーンが「YES」、カントが「NO」だったわけですね。そうした「理性批判」でカントは偉業を遺しました。

 以上の事だけ見ても、メンデルスゾーンの祖父の「素直さ」が伝わって来るような気がします。その「知的で純粋」な所は孫のメンデルスゾーンにも、きっと影響していると思います。

 それは彼が敬謙なユダヤ教徒だった事とも関係があるでしょう。という事で、また今度…。 

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裏メン
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豪遊

2008-04-26 23:31:43 | 危機管理
「今日も休みなの?だったらどこか連れて行ってよ…」という圧力に負けて、山形が誇る遊園地「リナワールド」へ。

 さすがに土曜だから少しは混んでいるだろうと思いきや、素晴らしい!どのアトラクションも待たずに乗れるのはもちろん、ものによっては向こうが、人が来るのをじっと待っているとは!

 あまりの事にさすがの私もテンションが上がり、息子の手をひいて「瞬間冷凍 -20度」なる建物へ。

 コースターは無く、歩いて中に入ると…普通の倉庫みたいなフロアに野菜やら缶ビールやらの大きなオブジェが並んでいるだけ。そして、やたらと寒い…。他に誰も人がいなく、ガランとしていて余計に冷え冷えと…。

 親子で身も心も凍りついて外に出ましたが、同時に妙な懐かしさがありました。昔の遊園地にはこういう「見世物小屋」の延長のような、アトラクションとも何とも呼べないような物が結構ありましたよね。  

 鏡がたくさんあって出口がわかりにくい部屋とか、お面や血糊を付けたおじさんが脅かすだけのお化け屋敷など。

 そんな、ちょっと怪しげなB級っぽさが、何とも魅力的な感じがしたものです。それに比べると、今は何でも「よく出来過ぎている」ような気がします。

 子供の頃「お化けを覗いてやろう」と思って小屋の裏のベニヤ板の隙間に目をあてると、頭に三角のやつをつけて血しぶきのついた白装束の幽霊が、毛ずねを出してパイプ椅子に座り、疲れた顔で煙草を吸っているのを見ました。そういう姿を見て、少しずつ大人になるのだと思います。

 ディズニーランドの、現代の技術を駆使した完璧なアトラクションに何か足りないような感じがしたのは、これだったのかと気付きました。


 しかし昔の遊園地でもここまでは空いてませんでした。貸し切り状態なのがいくつもありましたから。調子にのってキティーちゃんのティーカップにまで乗ってしまいました…。
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不審者

2008-04-25 23:18:50 | 雑記
 当然の事ながら、家も共働きなので、まだ一歳の下の子も保育園に預けています。「こんなに小さい内から不憫な…(うだつの上がらない父を赦しておくれ)」とも思いましたがそれは逆で、幼い方が適応するのも速いものです。

 しかし、今までお世話になっていた保育園が閉園になってしまったので、この4月から新しい保育園に替わりました。まだ馴れていないようで心配でしたが、今日は初めて僕が迎えに行きました。

 予定の時間より早めに着いたので、車を停めてウロウロしていると、道に面した窓から中の様子が見える事に気付きました。どんな様子か気になっていたので、中を覗いてみるとみんなと楽しそうにしていたので安心しました。

 中の様子に見入っていると、先程から時折視線を感じていた事に気付きました。意識を向けると、通行人や他の迎えのお母さん達から、警戒するような目で見られている事に気付きました。

 考えてみれば、今日は平日。昼間に男が道から、夢中で保育園を覗いているのは危険極まりない…。

 うろたえて辺りを見回すと、お迎えの父兄はどこへ行ってどうすればよいのか聞いてなかった事に気付きました。取り乱して他のお母さんについて行くと、さらに警戒の視線が…。

 緊張感の中、戸口の前に並んでいると、中から娘が嬉しそうに走って来て、救われました。周囲の人達にもホッとした空気が漂いました…。

 一番ホッとしたのは僕かも知れませんが。 
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裏メン

2008-04-24 23:56:02 | 音楽
 次回の山形Qの定期演奏会の担当はらびお氏なので、取り上げる曲目についての正式な想い入れはそちらのページにお任せします。が、特にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は自分も大好きなので、見聞きして思う事などを補足的に「裏書」したいと思います。いつものんだくれの雑記では退屈でしょうから…。

 「ロマン派のすべての音楽は、劇場や大勢の聴衆の前以外の場所でも権利を保持できるほど十分に高級ではなかったし、十分に音楽と呼べるようなものではなかった。それは元来、真の音楽家の間ではほとんど考慮されないような二流の音楽だった。しかし、メンデルスゾーンの場合は違った。彼は、その軽やかで、純粋で恵まれた心のおかげで、すぐに崇拝されるようになり、そしてまた、同じようにすぐに忘れ去られた大家である。それは、ドイツ音楽の美しい突発的事象だった。」 ニーチェ

 ここまでぶった切られると、返す言葉もありません。すべての既製の価値を否定するニヒリズムの表れでしょうか。それでもニーチェはメンデルスゾーンの音楽に一目置いている感じはしますよね。それはやはりニーチェの言うように、誰が聴いても「純粋な」気持ちが伝わってくるからだと思います。

 シューマンも、「メンデルスゾーンは19世紀のモーツァルトだ」と言ったそうですね。その純粋さが若々しい、生き生きとしたものである事が共通しているのだと思います。

 フォーレとはだいぶ違いますね…。
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噛めば噛むほど

2008-04-23 23:26:30 | 音楽
 ファーストフードばかり食べていると、栄養バランスはもちろん、アゴが弱ってくるそうです。ハンバーガーは好きではありませんが、カレーライスは大好きなので、気を付けなければならないと思います。

 「柔らかいものばかり食べていると、アゴが弱る」というのはわかり易いですが、同じ事はいろいろな分野について言えるでしょう。大人はどこが弱ってもある程度は仕方がないですが、子供については特に深刻でしょう。

 最近の国語の教科書は、昔に比べると随分と簡単になってきている気がします。今の子供は読書量も少ないし、「ゆとり」のあるカリキュラムが大切でしょうが、良い事とは思えません。円周率も3では味気無いです。

 どんな事も、すべての事がわかる必要は無いと思います。「味のある、気持ちの良いわからなさ」というものがあるでしょう。よくわからなくても、難しい文章を読むのは、無駄な事ではないはずです。

 音楽もそうでしょう。一度聴いて全然わからなくても、何かが残り、後でそれが大きな意味を持つ事ってありますよね。きちんとした作品であれば「難しすぎて意味が無い」という事はないはずです。

 理解力という「アゴ」が退化してしまい、感じる心が無くなってしまってはどうしようもありません。

 というわけで、山形Qではかつて小学校の体育館で、ハイドンやベートーベンの初期の弦楽四重奏曲を、全楽章聴かせた事がありますが、意義のある事だったと確信しています。(自己弁護だけでなく)


 そう言えば牛丼も好きなので、気をつけます。(アゴよりも先に気をつけるべき所があるような気もしています…)。
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酒評

2008-04-22 23:48:22 | お酒の話(県外)
 頂きものというのは重なるもので、最近たまたまお酒をよく貰います。お菓子は苦手なので、ありがたい限りなのですが、美味しいと飲み過ぎますので困ります。その中の二つについて書きます。

 まずはこの間の東京公演で頂いた「麹屋伝兵衛」です。麦焼酎なのですが41度あり、上質のウイスキィのようです。

 裏書には、「300年ほど前、豊後の天領(今の大分県日田市)に美味しい甘酒と麦湯を出す茶屋があった。ある時、地震が起きて甘酒の中に煎り麦が落ちた事に、主人が気付かずにいると、甘酒の壷から何とも言えぬ華やかな香りがしていた。やがて主人の息子が、それを改良して美味しい焼酎に仕上げた。」とありました。何事もルーツは偶然ですね。

 確かに、味はウイスキィに近いものの、香りが強すぎるのが嫌いな自分にとっては、樽の香りが無いのが嬉しいです。(樽ファンの方すみません)。ウイスキィだったらこれ程柔らかで美味しいものは、なかなか無いと思います。

 もう一つは、らびお氏から頂いた、西郷隆盛の瓶に入った「白露」です。こちらは25度で芋焼酎ながら、淡麗なすっきりとした味で、「楽しむ」というよりは普通に飲みました。これ程軽い芋焼酎は珍しい気がします。

 最近、頂き物に酒が多くなりました。理解されてきているのでしょうか…。

 (西郷隆盛は酒瓶でも威厳があります。注ぎ口が背中の上の方で、グラスに入れにくいのが難点ですが…。けっこうこぼしました。)
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しだれ

2008-04-21 23:14:37 | 山形
 「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」  西行

 と、までは思いませんが、桜はやっぱりいいものですね。車のタイヤを冬用のものから、普通のに交換してもらっている間に(今頃!)、近くの神社に行くと、池の周りの桜が綺麗でした。

 「如月の望月」といえば2月15日ですが、これはお釈迦さまの命日で、仏教徒には大切な日らしいですね。実際に西行が亡くなったのは2月16日だそうですから、祈りが通じたのかも知れません。今風に言えば、「成功脳」のイメージの力でしょうか。

 ちなみに、その頃の2月16日は、今の暦の3月30日で桜月夜だったそうです。地球温暖化が進んでいると言っても、伊勢の方と山形ではやはり、季節がひと月近く違いますね。
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満開

2008-04-20 23:59:06 | 山形
 良い季節になりました。午前中は子供達を連れて文翔館へ散歩。観光バスで来た人達がたくさん居て「あら~、いい所ね~。写真写真!」

 「確かに」と思い、写真を撮りました。文翔館は最寄の公園にしては、綺麗で重宝します。(もちろんホールとしても近いのは助かります)

 
 ひがな一日、自宅で練習していて一服するためにベランダに出ると、裏の高校のグランドが見えます。そこに最近、大きな校旗がはためいています。よく見ると応援団の学生が踏ん張って支えています。

 次の曲をさらい終えてベランダに出るとまだ、はためいています。だいぶ風が強いせいもあって、竿も大きく揺れています。せんえつではございますが、応援してしまいました。

 以上、オフの日常でした。
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巨匠

2008-04-19 23:26:36 | 山形交響楽団
 「楽譜はそれ自体では音楽ではない。楽譜から音楽を創りだしていく事を楽しむ事を忘れないで欲しい。それが聴衆に伝わるのだ。」

 今日の山響定期の指揮者、ボッセ氏がゲネプロの前に語った言葉です。さらに、かつてフルトヴェングラーと共演(!)した時に彼がリハーサルの後に言った言葉を教えてくれました。

 「我々はリハーサルを充分にやった。あとは運が良ければ良い演奏会になるだろう…」


 非常に得るものが多い4日間でした。我々からは想像もつかないような、豊富な経験に裏打ちされた至言の数々は本当に得難いものです。本当に説得力がある音楽を持っていれば、大袈裟な身振りは必要無いですね。オーケストラも実力以上を発揮したような気がします。

 フルトヴェングラーの言葉もそうですが、極めた人は穏やかで独特の落ち着きがあります。とは言っても、本番にはプレッシャーは付き物ですし、まだまだそんな境地には至れないですが。そんな中で立派にソリストを務めた井上氏に拍手。
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歓迎会

2008-04-18 23:04:59 | 山形交響楽団
 山響の第2ヴァイオリンのパートでも、契約の首席奏者を迎える事になり、昨日はその歓迎会を開きました。



 ……というわけで、昨日は一緒になって飲みすぎました。そろそろ「ほどほど」という事を学ばなければいけない年齢になったのを自覚いたします。
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名人伝

2008-04-16 23:22:16 | 山形交響楽団
 土曜日の山響定期のため、今日は久しぶりのリハーサルでした。世の中の忙しい方々には申し訳ない事ですが、世の中が忙しいだけに音楽家は暇なのです。

 今回の指揮者は老巨匠、ゲルハルト・ボッセ氏です。そんなスゴい人だから、どれだけしぼられるのかと思いきや、リハーサルは不思議な温かいものでした。

 中島敦の小説に「名人伝」というのがあります(もちろん血縁ではありません)。弓の名手がその技を極めるために、さらに上の名人に次々と入門し、神的な境地にまで昇りつめる物語です。

 主人公の紀昌が最後に弟子入りする甘蝿という仙人のような老人は、「不射之射」の奥義を見せます。

「断崖絶壁の上にいる彼等のちょうど真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蝿が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月の如くに引き絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石の如くに落ちてくるではないか。
紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。」

 九年間、甘蝿のもとで修業した紀昌が帰ってきた時、人々はその顔が以前の高圧的なものから、晴れ晴れとした無表情なものに変わったのを見て驚くのです。

 長くなってしまいましたが、ボッセ氏の表情や身振りを見て、この話を思い出しました。極めた人特有の晴れ晴れしたような表情、それだけで音楽性が伝わって来るような身振りに魅入ってしまいました。

 なかなか彼の要求には応えられないのですが…。
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花見

2008-04-15 23:05:10 | 山形
 桜の季節になりました。まだ咲き始めですが、桜の花を見るとやはり春めいた気分になります。

 近所の神社の境内で「花見まつり」というのを開催しているのを見つけました。4~5軒の出店が出ていて、今日は平日の昼間のせいか閑散としている感じでした。東京ではあまり見ない「唐揚げ」の出店はこちらでは必須らしく、必ず見かけます。(少し重めの危険な香りが誘惑します)

 すると、どこからかにぎやかな歓声が。見ると、奥まった所の大きめのテントに20人程の人々が宴会中でした。出店の唐揚げや、焼きそばを肴にワンカップを…。危うく加わりそうになりました。

 山形は「芋煮会」がメインですので、花見は場所取りまでしてすることはありませんから、桜の名所も広々として人も多過ぎず、快適です。桜の木も健康そうな感じがしますし。

 今年はどこか、人口密度が最も低そうな所で花見でもしようかな…。まずはワンカップの準備ですな。(しかしワンカップって、なんであんなに美味しそうなんでしょうね…)
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生意気

2008-04-14 23:05:15 | 雑記
 家の近くには高校が三つもあるので、朝なんかは自転車が続々と集まってきて、車を出したりするのに苦労する事があります。今はまだ新学期なので自転車達も遠慮がちですが、あとひと月もすれば我がもの顔ですから。まあ、高校生は生意気なものですし、山形の子達はそうでもない方だと思います。

 それにしても、ほとんどの生徒が自転車で通学しているようですね。雨の日も雪の日も、その数はあまり減らないのがすごいと思います。確かに駅は遠いしバスも不便ですから当然なのでしょうが、聞けば30〓位までは自転車の通学圏内だと言うのには驚きました。さぞかし根性も付く事でしょう。

 とは思ったものの、自分の高校時代を思い出してみると、それはそれで大変でした。東京だから当たり前ですが、雨の日も晴れの日も満員電車ですから。梅雨の時期なんか最悪ですね。ムレた車内で、人の濡れた傘がビッタリとくっつきます。東京のみんなには申し訳ありませんが、そんな苦労すっかり忘れてました…。

 しかも高校は新宿区にあり、隣はロッテの工場で風向きの良い日以外は校舎内まで、ガムや飴をごちゃまぜにして煮詰めたような臭いがしてました。それが男子高特有の香りとあいまって…。

 
 それを考えれば、「空気の良い道をのんびりとサイクリングで通学」などとは、なんと健康的で贅沢でしょう。すぐ近くには川もあり、広々とした河川敷で部活なんかしてます。

(やっぱり、ちょっと生意気かな…)
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