中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

浦霞

2009-06-29 15:48:31 | お酒の話(県外)
 「夏の雲  朝からだるう  見えにけり」 (一茶)

 まだ6月なのにずいぶん暑くなりました。体育館でのコンサートには辛い時期です。家を出ると朝なのに爽やかさがなくて、正直「だる…」と感じてしまうこともあります。

 こう暑くなってくると、キリッと冷えたやつが美味しいですよね。ビールももちろん良いのですが、キリッとした味の日本酒を冷やして飲む方がたまりません。

 ちょうどこの前の東京公演の時に、昔からの友人がプレゼントしてくれた日本酒があったんだ!宮城の銘酒「浦霞」の純米吟醸『禅』でございます。学生の頃「浦霞」が好きだった時期があって、それを覚えていてくれたんです。ありがたいもんですね。東京で演奏して良かった。さっそく前日から冷蔵庫へ。

 よく冷えた冷酒は、飲む前から美味しいです(重症)。味は…昔の浦霞のイメージより濃厚な感じ。生意気な大学生の頃と違って、これだけ東北を飲み歩いた今となっては、いろんな意味で「宮城の酒」らしさがわかります。「マイルドな濃厚さ」といった感じでしょうか。良い酒でした。あっという間に空いてしまいましたが、寒い季節の方が合ってたかも知れません。

 
 さて、今日も蒸し暑い一日でしたが、午後は昔山形Qで演奏しに行った、東根の高崎小学校でした。体育館も新しくなり、昔とはすっかり様子が変わりましたが、明るくて素直な子が多いのは昔と同じでした。真剣に聴いてくれているので、暑いだるいとは言ってられません。冷房のきいた部屋でごろごろした日よりも、頑張った後のほうが冷酒もおいしいですし。

 「大の字に  寝て涼しさよ  淋しさよ」 (一茶)
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レクイエム 4

2009-06-28 23:20:41 | クァルテット
 「趣味はヴァイオリンです」と言うと、「良い趣味をお持ちですね(裕福で生活にゆとりがあるんですね)」という反応が返ってくるのが普通です。しかし「仕事はヴァイオリンです」と言うと、「すごいですね(でも大変でしょう?ちゃんと食べていかれるんですか?)」という反応が返ってきます。社会的な地位が高いのは、間違いなく前者なわけです。事実その通りではあるんですが。

 つまり、裕福であれば音楽は(特に演奏は)趣味でやるものなんですね。「それもそうかも知れないな」とは思いますし、演奏家の立場が不安定なのはその辺に理由があるのでしょう。


 「ミセス・ヘンゼルが貧しい男の娘だったとしても、ミセス・シューマンやミセス・プレイエルと並んで、超一流のピアニストとして世界中に有名になっただろう。弟と同様に、彼女は自作の曲の中にあの南国の快活さの息吹を持っている。それはドイツ人にはきわめて稀なものだ。彼女の演奏は弟のそれよりは女性的だった。しかしその情熱、明確さ、そして連帯感の点で弟のそれと似ていた。弟と同様彼女も多方面にわたって完璧な、しかもとりわけ才能豊かな人物だった。」

 メンデルスゾーンの姉、ファニーが初めて公の場で演奏した時に、当時の音楽批評誌に書かれた文章です。この時ファニーは宮廷画家のヘンゼルと結婚していて、裕福で何不自由ない暮らしをしていました。もともと家は銀行家ですから、なおのことです。だから神童だったにもかかわらず、家庭音楽会でしか演奏したことがなかったのです。

 それがクララ・シューマンとファニーの一番の違いだったわけですね。シューマンは作曲家ですから貧乏で、「共稼ぎ」をしないといけませんでしたから、クララがプロのピアニストであっても、世間は納得するのです。「すごいですね、でも生活が大変でしょうね」というわけです。

 しかも当時は、女性が世に出て働くこと自体が珍しかったようですから、資産家の娘として育ったファニーがプロの演奏家としてやっていくということは、本人にとっても考えにくいことだったのです。

 それほどの才能があったにもかかわらず、その活動が「趣味」の範囲を出ることがなかった、というのは「不遇」なんでしょうか?それとも「幸せ」なことなんでしょうか?

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2009-06-26 17:59:42 | 危機管理
 「メルちゃん」です。娘の愛娘です。つまり、私にとっては「孫」にあたるわけですな。…うーん。

 昨日は午前午後のスクールコンサートを終えて帰宅してからは、子供と留守番。共働きですから、こういう日はちょくちょくあります。息子は友達の家に遊びに行きましたから、娘と二人でした。

 私には女の兄弟がいませんから、「おままごと」の面白さというか、楽しみ方がよくわかりません。だから「素」では上手く相手できないので、「メルちゃん」を操縦します。

 「ママー、どこか連れてってよー」
 「いいよ。おかいものいく?」
 「わーい、どこに行くの?」
 「コープよ。」
 「(リアルだな…)。コープで何買うの?」
 「たまごとブロッコリーとぎゅうにゅうよ」
 「(生活感あふれてるな…)。お菓子買ってよー。」
 「いいわよ。でもひとつだけね。おかしばっかりはだめ。ちゃんとごはんたべなさい。」
 「(…芸が細かいな)。ひとつじゃやだー。いっぱいがいいよー!」
 「わがままばっかりゆわないのっ!」
 (あんたの親より厳しいんだね…)

 息子もそうでしたが、男の子の「ごっこ遊び」は、冒険に出かけたり悪い怪物をやっつけたりする「基本ストーリー」があるのですが、女の子のはストーリー性より、あくまでもリアリティーを追究するんですね。いきなりコープの店員が襲いかかったりすると、男の子はのってきますが、女の子は怒ります。


 「ママこれから、だいじなおしごとにいかないといけないから、おりこうさんにまっててね。」
…言い残して、隣の部屋に行っちゃった…。どこまでリアルなんだろう?

 じゃあメルちゃんと遊ぶか…。
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暖房か?

2009-06-24 22:15:02 | 危機管理
 「市役所の滝」です。…いや、市役所の喫煙所にある噴水なんですけどね。

 今日はスクールコンサートが午前中に2本終わったので、午後はこまごました用事を片付けにあちらこちらと。例えば「児童手当現況届」を提出するために市役所に行ったりとか。

 今日はなかなか夏らしい日差しで、外を歩いていると汗ばんできます。銀行など何ヶ所か歩いて回って、市役所にたどり着いたときにはだいぶ暑くて、「キンッ」と冷えた冷房の冷気を期待していました。しかし、自動ドアが開くと「ムワッ」と…。時代はエコですな。良い事だとは思いますが、外よりも暑くてジットリしているのは、ちょっとやり過ぎと言うか、わざとらしいような気がします。

 さてこの「現況届」は、毎年きちんと提出しなければいけないものなのです。毎回、高圧的な通知が来て、速やかに出さなければ児童手当が頂けなくなる、恐ろしいものです。それほどの額が頂けるわけでもないのですが、少子化対策のありがたい政策です。もう少し、支援してくれても良いように思ってはいますが。


 ところで、自分が小学生の時は、高校野球を見て「やっぱり高校生は大人みたいですごいな」と思ったものです。それが自分がその世代になると「なんだこいつ、生意気そうなやつだな」などど思うようになり、さらに今では「高校生ってこんなにあどけないんだな」などと感じるようになります。

 次第に「プロ野球選手」や「大相撲」の力士に対してもそう感じる世代になってきました。いずれは「国会中継」なんかを見ても、そうなってしまうんでしょうか?それはよほど健康でないときびしいでしょうけどね。

 とにかく、いずれは自分よりもかなり幼い世代に、世の中を任せなければいけなくなるわけですから、やっぱり人材不足になる「少子化」は、言われている以上に深刻な問題だと思いますし、「教育」についても制度だけではなくて真剣に考えなければいけないのだと思います。子供がいるいないにかかわらず。


 さて、提出窓口は若いお母さんで混雑していました。平日の日中に男がこれを提出しに来てるのは、若干目立ちます。居心地が悪いと暑く感じますよね。もう少し、冷房の設定温度を下げて欲しかった…。
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東洋医学

2009-06-23 16:52:02 | ヴァイオリン
 東京公演やら何やらで、だいぶ全身がねじれた感じがしたので、今朝はスクールコンサートの前に整体へ。腰やら肩やらに「凝り」がべったりと張り付いているようでした。

 ここの治療院では、指圧による整骨のほかに「お灸」を使います。今日も腰周辺に10発以上食らわされました。もっとひどい時は直接「もぐさ」を乗せて、線香で点火する「直接灸」ですが、今日は「せんねん灸」で済みました。直接のやつは、かなり悶絶しそうになります。普通にやけどになりますから。そのぐらい、こんがり焼かないといけないほど、重症だということなんでしょうけど。

 考えてみれば、30歳を過ぎるまで「肩凝り」というものは経験したことが無かったのです。それが少しずつ重くなってきて、今では「何が乗っかってるんだろう」と思うほどに凝るようになってしまいました。しかも、朝起きてもまだいる…。

 「肩とのど」はつながっているらしいですね。…いや、文字通りでは当たり前のことなんですけど、そういうことではなくて、東洋医学ではのどの調子が悪いと肩凝りもひどくなるらしいです。つまりタバコも良くないようで…。なんだか右を向いても左を向いても「タバコの害」ばっかり耳に聞こえてきますね。

 「腰と腸」もつながっているらしいです。だから、お腹を冷やすと良くないと言います。東京で、ビールやアイスコーヒーをたくさん飲んだしな…。そういうつながりって、体のいろんな所同士にあるんでしょうね。

 もしかすると、床に落ちているおもちゃを踏んづけて痛い思いをしても(我が家ではよくあります)、実はその刺激で十二指腸が良くなったり、胆のうが活発になったりしてるのかも知れません。

 プラス思考も大切ですな。
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全般的連関

2009-06-22 17:35:32 | 山形弦楽四重奏団
 「さらにいっそう詳しく考察すると、肯定と否定というような対立の両極は、対立していると同時にたがいに分離することのできないものであり、まったく対立しているにもかかわらず、相互に浸透しあっているということがわかる。
 同様に、原因と結果とは、これを個々の場合に適用するときだけにあてはまる観念であって、個々の場合を世界全体との全般的連関のなかで考察するやいなや、両者は重なり合い、普遍的交互作用という見方に解消してしまうのであって、そこでは原因と結果とはたえずその位置を取替え、今またはここでは結果であったものが、あちらまたは後では原因になり、またその逆にもなるということがわかるのである。」   (エンゲルス 「空想から科学へ」)

 さてさて、山形に帰ってのんびりと温泉などにつかっているヒマはありません。今日も山形Qの練習です。もう次の定期まであとひと月ほどですから。

 同じ4人で長いことやってると、「この人とは、趣味も考え方もまったく合わないんだな」ということが、強く感じられる時があります。夫婦なんかも、もちろんそうであるわけですが、特にひとつの曲を仕上げようとするとそれがさらにはっきりしてしまって、どうして良いのかわからなくなることがあります。「僕には白く見えるものが、相手には黒く見えているらしい」ぐらいの開きを感じてしまうと、「共通語」というものが信じられなくなってしまいますから。お互いに、つまらないプライドなんかもあって、それも邪魔するんでしょうね。

 しかし「誰かの言う通りにしてあげる」では良い結果が出ないこともわかってきています。対等に主張しあわないと。しかしまた、

 「俺は右に行きたい」
 「私は左に行きたい」
 「じゃあ、中をとってどこにも行くのやめるか」
 …これでは、何も生まれません。(こういうことも実際にありました)

 「俺とお前は合わないみたいだ」と言って、別れてしまうのは非常に手っ取り早いのですが、そんなに何もかも分かり合える他人なんているはずがありませんから、また同じことの繰り返しでしょう。
 
 …では、どうするのか?これを10年近く考え続けてきたような気もします。

 
 そこで最近思うようになったのは、「真逆である」ということはそれだけ「同じものに対して同じ位の強さで反応している」ということでもあるのかなと。エンゲルスも言うように、例えば「表」と「裏」は絶対に相容れない反対のものですが、「表しかないコイン」などは存在しないし、「S極だけの磁石」も存在しないわけです。そういう「対立しつつ、浸透し合っている」ような関係を探るべきなんじゃないかなと。それはまさに、全曲を通じての「全般的連関の中で考察する」事で可能になるんでしょう。

 とまあ、難しい言葉で言うとそういうことなんでしょうが、簡単に言えば
「スコアをよく読んで、相手を信頼しろ」
ということに過ぎないかも知れません。(…はい、気をつけます。)

 
 
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復路

2009-06-21 14:54:08 | 旅の空
梅雨時の地下鉄…。うーん、じっとり。

昨日の山響「さくらんぼコンサート」は、本当にたくさんのお客さんが来て下さって、嬉しいかぎりです。友人も例年より来てくれましたが、抽選のさくらんぼは誰も当たらず。なんだか申し訳ない。来年は頑張ります。

昨夜は新宿の街で楽しいひとときを過ごすも、きちんと終電より前の電車で帰宅。年齢にふさわしい、品格と落ち着きが出てきたね。最大の原因は、ラストオーダーが割と早い店に入った、ということですけれども。

というわけで、今朝はすっきり目覚めるも、外は大雨。梅雨だから仕方ない。
実は先日遊びに行った友人宅で、例によってしっかり飲んで忘れ物をしたのです。帰りの新幹線に乗る前に取りに行かないと…。

楽器と荷物とカサを持って、地下鉄に。田舎者にはつらい…。しかし最近の地下鉄は、延び放題ですね。延びた路線が、他の路線とつながって、もう訳がわからない。めちゃめちゃ地底のホームにたどり着いたと思えば、行き先がどっちも知らない地名ばかり。それ何県ですか?東京駅はどっちですか?

「つばさ」に乗り込んで、ホッと一息。東北新幹線はさらにスピードアップするらしいですけど、東京は私からどんどん離れていくような気がします。(地下鉄でもビビることなくSuicaが使いこなせるようになったのが、せめてもの救いでしょうか)。
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刺さります

2009-06-19 23:23:03 | 旅の空
 実家に泊まっています。写真は実家近くの「すずめのお宿公園」のオブジェです。この公園は、僕が小学生の時に、その辺の大地主が土地を寄付してできた、新しい公園なんです(僕が小学生の頃だから、よく考えるとちっとも新しくないですね)。

見た通り、竹やぶを公園にした感じで、できた当初は斬新だったんです。小学校の頃、「すずめのお宿公園のタケノコを採らないように」と、わざわざ6年生の時に集められて、注意されたぐらいですから。「あの竹やぶに入れたらタケノコが採れるのに…」と思っていた人は多かったんですね。 考えてみると、もう四半世紀以上前の話です。今の小学生は竹やぶを見ても「おいしいタケノコが採れそうだ!」なんて思わないでしょうね。

実は今朝、昨日飲み過ぎた二日酔いを回復させるために、近所を散歩していたのです。実際に歩いてみると、忘れていた記憶が蘇ります。

竹やぶだけに、やぶ蚊が多いんです。缶けりなんかで隠れていると、ずいぶん刺されたものです。高おになんかで、「ここはずるいからなし」と決めた場所とか、今も昔と同じようにありますから 、不思議な気分になります。

ふとかかってきた電話を取ると、娘から。
「さっき遊んでたら、蚊にささった」
「刺された」でしょ…?

上の息子もそう言いますから、多分山形弁なんだと思います。家の子達は、将来どこで暮らすようになっても、「小さい頃、蚊にささった」故郷として、山形の事を思い出すんでしょうね。
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上京

2009-06-18 16:00:11 | 旅の空
 新幹線に乗り込むと…おっ、座席が新しくなってる!頭上に読書用のライトもついたし、横には携帯の充電用のコンセントもある。山形新幹線もどんどん未来的になってきたね。未来的に、充電でもしてみようかな。(「おのぼりさん」みたいなので、気が引けて遠慮。変にいじって壊しても悪いし)

毎年恒例となった、山響の「さくらんぼコンサート」のため、東京へ。集中豪雨に遭いませんように。楽器とカサを持って人混みを歩くのは辛いですから。そんなのは都会では当たり前のことなのですが、すっかり田舎んぼになってますので。


「自分を深くかえりみている暇がないからですよ、いつも忙しすぎて。仕事だの、社交界の交際だの、健康だの、芸術だの、子供たちの健康だの、教育だのとね。あの客、この客を迎えたり、だれとだれのところへ行ったりせにゃならぬかと思えば、この女優の舞台を見たり、あの歌手な女流歌手をきく必要もあるという具合でしてね。なにしろ、都会ではいつどの瞬間にも、絶対に見逃すことのできぬスターの舞台が一つか、時には二つも三つも一遍にありますからね。」 (トルストイ 「クロイツェルソナタ」より)

忙しい中、さくらんぼコンサートに「ご指名ご来場」して下さるお客さんのために、頑張らなければいけませんね。
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行く河の

2009-06-17 09:31:20 | 雑記
 文学史クイズ

 1、古典の「三大随筆」と呼ばれているものは、「枕草子」「徒然草」ともう一つは何?

  (答…方丈記)   〈この3つの中では一番出てきにくい〉

 2、その作者はだれ?

  (答…鴨長明)

 3、そのテーマを漢字三文字で表すと?

  (答…無常観)   〈ちなみにこれは「無常感」と間違えやすい〉 


 塾ではこんな感じで覚えさせたものですが、こういう「知識」はあまり意味がないなぁ、と思ってはいました。でも大人も子供も「クイズ」って言うとのってきますからね。どうしてなんでしょう?「クイズ番組」もやたらと多いですし。深く考えずに、パッパと進んでいくのがいいんでしょうね。

 「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」

 方丈記の冒頭のこの文も暗記させましたが、暗記するのは簡単ですがこの言葉にこめられた哲学を考えるのは本当に難しい。どうして「しかし」ではなくて「しかも」なのか?それが「無常感」ではなくて「無常観」になるわけです。

 本当はこういうことを考えてみないと、「方丈記知ってる」ということにはならないはずなんですが、そういう時間は現代人にはなかなかありません。

 私も、「方丈記」は好きなので、もうちょっと「うんちく」をたれてみたくなるところではありますが、あと5分で家をでなければいけないので、やめておきます。

 (写真はこの間、携帯を落とした場所です。形あるものはすべてはかない。これは無常感ですね。)

 
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銀貨とシャンパン

2009-06-16 06:14:17 | 音楽
           (写真)Hans Theodor Woldsen Storm

 「客の集まりはまだ少なく、ウエイターたちはなすこともなく壁の柱に寄りかかっていた。この地下室の片隅に、バイオリン弾きの男と、ジプシーらしい顔立ちの琴弾き娘とが腰かけていた。二人は、楽器を膝に上にのせたまま、所在なさそうにぼんやり前の方を見ている様子だった。
 学生たちのテーブルではシャンパンをぬく音がして、貴公子風のひとりの青年が、
 『飲みたまえ、わがボヘミアのいとしの君よ!』
と叫びながら、なみなみとついだコップをその娘に差し出した。
 『ほしくないの』
と娘は姿勢を変えないで言った。
 『じゃ唄いたまえ!』
と貴公子は叫んで、銀貨を彼女の膝に投げ入れた。娘は指を黒い髪の中へ入れて、ゆっくり掻き上げながら、バイオリン弾きが何か耳にささやくのを聞いていたが、やがて昂然と頭をそらせ、琴の上にあごを支えて言った。
 『あの人のためになら、弾くのは嫌!』」    (シュトルム 「みずうみ」より)


 …かっこいい。「カルメン」のような、美しくて気が強い感じなんでしょうね。こういうのは男にはまねできません。

 演奏家というものは社会的に、芸術家でありながら芸者でもあるような曖昧なポジションですから、場所によって扱われ方がずいぶん違うのは確かです。プライドは大切ですがその「保ち方」というのは結構難しいものです。

 演奏家も分類としては「サービス業」と言うべきなのでしょうが、「芸術というサービス」というのはどうもよくわかりません。演奏者が出す音がそのサービスなのだとしたら、それは出した瞬間にそのコンサートの主催者とかお客さんのものになるわけでしょうか。であれば確かにがやがや騒いだりして「聞かない」自由もあるはずですね。でもそれも違うような気がします。

 「バイオリン弾きの男」は現実主義者でしょう。『なあ、金くれてるんだから何か1曲ぐらい弾かないと。気に入られればもっとはずんでくれるかも知れないんだからさあ…』みたいな事を言っているのでしょう。よくわかります。私もその立場だったらそうするでしょう。家のローンだってあるんだし…。

 でもきっと、この勝気な娘の方がバイオリンの男より「良い演奏」をするに違いありません。「報酬の対価として弾く」よりも「相手のために弾く」演奏の方がいいに決まっています。そういう「プライド」を保ちつつ、社会人として業務に忠実であるということは、難しいことだと実感します。特にこれからの、暑い体育館での演奏が重なってくる時期には。

 
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父の日

2009-06-14 22:24:14 | 危機管理
 今日は山形Qの練習の後、「父の日」ということで、家族で外食。我が家の「父」が一番喜ぶのはネクタイなどのプレゼントではなく、「飲みに行く」ことですから、必然的に外食になります。ということで家族連れですので、「焼き鳥屋に」というわけにもいきませんから、イタリアンレストランへ。たまにはワインをたらふく飲むのも良いでしょうし。ポリフェノール。
 
 そこは大きな水槽があって、海水魚が泳いでいます。特に目立つのは、このエイ。青い斑点とはね。エイひれにはできなそうだね。殺気を感じたのか、砂に隠れています。

 いや、何も食べるのとは無関係に、「エイ」という魚を見るのが好きです。何とも言えない自由な感じがすごく良いです。「水の中で前に進むため」に泳いでいるのではなくて、好きに「漂っている」ような感じにあこがれます。鳥より、はるかに自由な感じがします。ああいう自由さはいいですね。

 「わたしの自由は、他人のためにもおなじ自由を要求する」 (メルロ=ポンティ)

 今日の練習でも感じましたが、アンサンブルにおいても、「お互いに」好きに漂っているような自由が理想です。「あなたが楽しい時、わたしはその分楽しくない」ようなのは、やっぱり嫌です。よくあることですが「自分の自由のために他人を束縛する」ようなのは、真の自由とは言えません。こういうことをするのは、中途半端な指揮者にはすごく多いんですけどね。

 最近、「ワイン1本」がちょうど適量です。昔だったら…、そんなことはどうでもいいですね。なかなか美味しいイタリアワインでございました。(名前は忘れました…この間も飲んだやつなんだけど)。そもそも、「父の日」は第三日曜日だから来週でしたね…(帰ってくるまで気が付きませんでした)。

 
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世代交代

2009-06-13 08:02:02 | 雑記
 金曜の夜といえば、子供がいる家では「ドラえもん」ですよね。我が家ももれなく金曜になると「あっ、今日ドラえもんだ!」という声があがります。昔とちがって学校も土日が休みですから、サラリーマンと同じように、金曜日の夜はテンションが上がるんですね。

 しかし声優さんがみんな変わったのには、いまだになじめません。もうイメージが確立され過ぎていましたからね。キャラクターがしゃべりだす前に、以前の声が耳によみがえってくるので違和感が消えないんです。子供の頃から知っている人と同じようなもんです。しかも実在の人間とは違って変化しないので、イメージもどんどん固まって動かなくなってしまっています。

 この間、のび太の両親の結婚記念日で二人が若かった頃のことを思い出す、というお話がありました。二人が結婚する頃にタイムマシンで行ってみたりする、はっきり言って「バックトゥーザフューチャー」のパクリなのですが、なんとそれが「12年前」というのには驚きました。結婚して12年とは…うちと同じか…。

 考えてみれば、たしかのび太は小学校の中学年なんだから、もう家の息子と同世代ということになるんですね。だからその両親である我々と、のび太の両親も同世代なのは当然です。知らないうちに追いついちゃってたのか…。夫婦ともども愕然として、食卓がしばし暗くなりました。

 当たり前ですけど、歳をとるのは見ている人だけです。「声優さんが変わった」以上の変化がこちら側にはあるわけですね。

 なんだ、のび太のパパってまだまだ若いんだね。(開き直りと親近感)
 (次のターゲットは波平か…!?)

 

 
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レクイエム3

2009-06-11 07:41:48 | クァルテット
     「青き両つ(ふたつ)の君が眼の」

 青き両つの君が眼の  ほのぼのわれを見つむれば
 心そぞろに夢みつつ  ことばも出でじ我が口ゆ。

 青き両つの君が眼は  わがまなかいに漂いて
 濃青の夢の海となり  わが心にぞ打ち寄する。    (ハイネ)


 …ロマンティックな詩とは、こういうものかも知れませんが、正直なところちょっと「かゆい」ですよね。例えばこういう詩を、贈られたら女性はうっとりとするんでしょうか。男性の私に言わせれば「くさっ!こんなのを書いてよこす奴は、ろくなやつじゃない」と思ってしまいますが。

 上の絵はメンデルスゾーンの妹、レベッカです。このレベッカに会うために、ハイネはメンデルスゾーンの家によく出入りしていたそうです。メンデルスゾーンの家は銀行家でしたから、たいへんな豪邸で日曜日ごとに本格的なコンサートがひらかれていて、多くの文化人が集まるサロンになっていました。そこでメンデルスゾーンとその兄弟たちも、子供のうちから著名人たちを前に演奏をしていたんですね。子供に指揮をさせるために、平気でフルオーケストラを雇ったりするんですから、銀行家ってすごいですね。レベッカも美しいソプラノを聴かせたそうです。

 「ハイネがここに来ていますが私は彼がまったく好きになれません。彼はとりすましているのですもの。もしハイネが好き勝手にやったら、彼は羽目をはずしてばかりの、とても愛すべき、お行儀の悪い人にちがいありません。
 もし彼がまじめに自制したら、真剣さも彼にはきっと似合うでしょう。というのもハイネは真剣さを持ち合わせているからです。だけど感傷家を気取っているのです。彼はとりすました態度を示し、自分のことをあまり話さず、そのくせ自分が注目されているかどうか気になって、周りの人たちを見つめるのです。」

 メンデルスゾーンの姉のファニーは、手紙のなかでこう書いています。まあ、詩人というのはこのぐらい自意識過剰でないと、できない仕事でしょうからね。少々ナルシストなのは仕方がないような気もします。もちろん才能があればの話でしょうが。ファニーは次のようにも書いています。

 「たとえハイネを十回軽蔑しても、十一回認めざるを得ないでしょう。彼こそ詩人だ、正真正銘の詩人だ、と。彼には言葉がなんとよく鳴り響いていることでしょう。自然は彼になんと活き活きと話しかけていることでしょう。自然は詩人にしかあのように話しかけることがないのです。」

 ファニーもそのコンサートでは、ピアニストとしてメンデルスゾーン以上の天才ぶりを発揮したようです。文章を見ても勝気な感じがしますし、メンデルスゾーンにとっては、姉としても音楽の先輩としても、頼りになる存在だったようです。それは彼女が亡くなるまで変わることはなかったんですね。

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鳴く鹿

2009-06-10 06:45:56 | 山形交響楽団
 「夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は
       今宵は鳴かず 寝ねにけらしも」  (「万葉集」 岡本天皇)

 (いつも夕方になると小倉の山で鳴く鹿が今夜は鳴かない。寝てしまったらしい。)


 <…それがどうした?シカだって寝るし、鳴きたくなければ鳴かないでしょ。和歌にするほどの内容なの?
大丈夫か岡本!>
 と、思いませんか?私はそう思いました。しかし、解説書の但し書きにはこうあります。

 《斎藤茂吉はこの歌を「万葉集のなかで最高峰の一つ」と激賞している。》

 そう言われると、なんだか味わい深いような気もしてくる。だいたい、詩歌では嗅覚や聴覚に訴えかけるものは芸術性が高いんです。この和歌はしかも「聞こえない」ということで、夕暮れの静寂を活き活きと伝えている。なるほどたしかに、素晴らしい歌なのかも知れない…。さすが岡本さん!


 評判って大事ですね。とくに大多数の人や、権威ある人の評価は、すごい影響力を持つものです。「私の感じ方が浅かったのか?」と、自分の方を修正してしまうこともあるぐらいですから。

 最近の山響は「おくりびと」にはじまって、「この間もテレビに出てましたね」と言われる機会が多くなって、「評判」という意味ではとてもありがたいことです。感謝しないといけませんね。

 岡本天皇も斎藤茂吉に感謝していることでしょう。
 
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