中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

イスの足跡

2010-06-30 22:26:06 | 危機管理
 昨日は娘の誕生日。もう4歳か・・・あっという間です。本人はこの間、友達が先に4歳になったのをひどく悔しがっていたので大喜びです。親としては3歳ぐらいがまだ扱いやすくて良いんだけど。


 だいぶ前の事ですが、乳幼児用の「イス」を粗大ゴミに出しました。普通のイスに座れるようになる前に、食卓で使うイスです。高さが調節できてリクライニングもできるしキャスターもついていて、とても便利でした。上の息子が生まれた時に、山響の楽団員のみんなからお祝いとして集めて頂いたお金で買ったものです。もう10年前のことです。

 息子がさんざん使って、それから少しの間は、郵便物やら洗濯物やらおもちゃを置いておく「たな」のような使われ方をして、その後で娘のものになりました。備え付けの「テーブル」の役目を果たすトレーは、角度や形がすっかりゆがんで、キャスターのタイヤにもホコリがつまって回らなくなっていましたが、それでもずっと役立ちました。

 そして娘もすっかり皆と同じテーブルで食事ができるようになったので、さすがにもうお払い箱だと思っていたのですが、なかなか捨てる決心がつかなかったのです。こういう「家具」のようなものは、生活空間の一部になってしまうものですから、愛着があるというより「必要な構成要素」のような感じがして、あるべき物がなくなってしまうのが寂しいのです。

 しかし、昔のビデオを見たり、写真を整理したりすると、本当に多くのシーンにこのイスも写っていて、古い写真では新しく、最近の写真ではすっかり古くなっています。もう充分、足跡を刻んでいました。子供達が座らなくなってしまった以上、このイスにふさわしい場所は居間の隅っこではなくて、アルバムの中なのだろうと、そんな気がしました。


 それにしても映像という物は恐ろしい。自分も全然このイスのことを言っていられないほどに歳をとったのがわかります。自分では大して変わってないつもりでも、経過した時間をリアルに突きつけられます。特に白髪の増え方が半端じゃない。案外苦労してるのかな?自分自身も「ご先祖様」みたいに古びた写真に収まってしまう前に、やれることはやっておかないと。
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地方ルール

2010-06-29 08:36:55 | 危機管理
 そういえば息子が小学校にあがってしばらくした時に
「ねえ、ウィーンじゃんけんしよう!」と言われてびっくりしたことがあります。

 ・・・ウィーン流のじゃんけんが世界の子供達の間で流行してるのか?
「ウィーンじゃんけん!?うん、やりたいやりたい!教えてっ!」

 どんなにお洒落なじゃんけんなんだろう、と思っていると
「せーの、さいしょはグー・・・」えっ、ウィーンでも最初はグー?
とりあえず普通に出してみると、息子がパーで私がチョキ。勝ちました。
「なんだよ、ただのジャンケンじゃ・・・」と言いかけた時に息子が
「うい~ん」と言いながら自分のパーをグーに変えていました。・・・仕方なく、私も自分のチョキを
「うい~ん」とパーに変えると、息子も喜んで
「うい~ん」とチョキに・・・。
しばらくヤケになって一緒に「うい~ん」「うい~ん」とやっていました。未だにそのルールはわかりませんが、ウィーンフィルの人たちが待ち時間にこんなことをやっているとは思えない。

 「音楽の都ウィーン」とは無関係の、山形の、息子の小学校の、しかも低学年に流行った遊びなのでしょう。「6~7歳児なんてそんなもんだ」と思いましたが、その地方独特のものは面白い。


 ちなみに「どちらにしようかな天の神様の言う通り・・・」の後は、どう続けますか?
私の常識では「あべべのべ、柿の種が落っこちた、鉄砲うってばんばんばん」なのですが。

 息子は「じっちゃんばっちゃん腰抜けた・・・」と続けます。山形ではみんなそうなんでしょうか?こういう「地方ルール」は方言とはまた違った面白さがあります。いつまでも大事にしてもらいたいものです。
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週明け

2010-06-28 07:31:08 | 山形
 そうしてまた山形の我が家へ。「東京は蒸し暑いから早く山形に帰ろう」と思っていたら、山形に降り立ってもほぼ同じ。不快指数が高い季節がやってきました。身も心も湿気と疲れでベッタベタ。

 こういう時に「不快だから」といって除湿やら冷房をかけすぎると本当に体が冷えてしまって大変なことになります。すでに寒くなっているのに、冷房を止めた瞬間に体の表面がカアッと火照るような感じがしてまたスイッチを入れてしまうんです。するとさらに寒くなって、またスイッチを切ると今度はさっきよりもカアッとなる。

 これがいわゆる「冷房病」なんでしょうか?体の芯は冷えてるのに暑くてしかたがない。どんどん内蔵(特に腸)がひんやりと鈍くなっていくのがわかります。するとそのまわりの血行が悪くなるので、筋肉も硬くなってしまいます。そしてふとした瞬間(ちょっとゆがんだイスから立ち上がるとか、ちょっと離れた皿に箸を伸ばすとかの、ほんのささいな動作)に「ボリッ」と筋肉の繊維に亀裂が走るのです。これがぎっくり腰ができあがるまでの道筋です。今まで何度となく通ってきた道です。やはり夏場が多いんです。


 これを防ぐには軽い運動と温泉です。ということで、さっそくこれから温泉に寄ってからスクールコンサートに行くことにします。演奏旅行と東京の疲れ(飲み疲れ?)をお湯に流して(反省はせず)、新しい一週間に臨みます。こういうことができるのが山形の良いところです。やっぱり東京にむかないない体になってしまったのかな。
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首都

2010-06-27 12:19:15 | 山形交響楽団
 なんだかバタバタと、あっと言う間に今年の「さくらんぼコンサート」が終了しました。さて、このコンサートの主役は私達ではなくて、「とれたてのさくらんぼ」ですから毎年当然、この時期になります。ゲネプロが終わってホールの外に出た時「オペラシティに来るといつもすっきりしない天気だな・・・初台は雲がかかりやすい地形をしているのかな?」とチラッと思いましたが、毎年きちんと梅雨の時期に来ているんだから当たり前です。

 しかし毎年たくさんのお客さんが来てくれるのは嬉しいかぎりです。すみだトリフォニーでやる「地方オーケストラフェスティバル」は何年かに1回なのに客席は閑散としていますが、「さくらんぼ」はいつもびっくりするほど盛況です。どうしてなんでしょう?やっぱり、さくらんぼが当たるからですかね。もちろんそのせいではないと思いますが、普通のクラシックコンサートとはちょっと違う「熱気」のようなものを毎年、客席に感じます。「山形のオーケストラ」だということで、聴くというよりは応援してくれている人も多いのでしょう。ありがたいことです。

 特に今年は大盛況で、文字通りの満員御礼。山形物産市と化すロビーは、まるで闇市のような人だかりだったようです。「漬け物を買うのがやっとだった」という声も聞きました。もちろん「首都」東京ですから、デパートに行けば全国の名産品が簡単に手に入るでしょうから、皆さん「ご祝儀」的な意味で買ってくれているのでしょう。


 終演後はもちろん、聴きに来てくれた友人達とホール近くの居酒屋へ。考えてみれば、「首都」東京ですからコンサートなどはいつでもでこでも、国内外の大オーケストラの公演が聴けるわけです。それでも毎年このように聴きに来てくれているのは、同じような理由によるものでしょう。感謝しつつ、やはりプレーヤーは「間違えずに音だけ出していればよい」というものではないんだな、ということを再認識しました。


 そして飲んだのは、結局「田酒」やら「八海山」。・・・これもまたさすが首都。
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雑踏にて

2010-06-26 11:24:56 | 旅の空
 久しぶりに新大久保の駅に降り立つと、すごい混雑。混雑を見て「何かあったのか?」と本気で辺りを見回してしまうのは真性の田舎者になった証拠です。何もありはしません。繁華街にふだん通りの金曜日があるだけです。

 昨日は山響のリハーサルが大久保であったので、懐かしの新大久保から歩いて行ったのです。新大久保は私の母校の高校の最寄り駅ですから、感慨深いものがありますし、大久保駅までどの位歩けばいいかもわかっています。

 いろいろと、すっかり変わってしまいました。一言で言えば、大久保の奥の方にあった韓国人街が広がってきて、新大久保もそれに飲み込まれてしまったような感じ。昔は奥の方にかたまっていたハングルの看板が、そこらじゅうに見かけられるようになりました。

 それでも懐かしいままの所もあります。駅の近くの「吉野家」は帰り道によく寄りました。少し歩いた所にある薬局は「本当なんだろうな?もし違っていたらあそこの薬屋でコンドームを買ってこい!」という言い回しによく使われていた頃と同じでした(すみません、男子校だったものですから)。

 学校帰りに仲間達と吉野家で腹ごしらえをしてから道々、歩きながら制服を脱いで(詰め襟でした)カバンにしまって新宿まで歩いて、学校にバレたら退学になってしまうようなことをしに行ったものです。そんな、すっかり忘れていたようなことを、思い出しました。


 そういうことはみな、「いなかの思い出」なのです。この場合の「いなか」は「田舎」という漢字をあてられないかも知れませんが、環境の違いはあっても、「ふるさと」なのです。帰り道にさくらんぼを盗み食いしたとか、山形だったらそういうことがあるのかどうだか知りませんが、そういうたぐいの思い出がある場所のことなのです。

 新大久保の雑踏(こんなに狭くてごちゃごちゃしてたかな?)を歩きながら、そんなことを考えていました。生まれ故郷に帰って山間を流れる川を、「この川はこんなに小さかったかな?」と眺めるのとまったく同じなんです。「いなか」という言葉は不思議なものです。それは自分で選ぶことのできないものなんです。


 リハーサルの後は大学時代からの友人と飲みましたが、その道すがら久しぶりに満員電車に乗りました。・・・夏場の満員電車はやっぱり辛いものですね。こればかりはちっとも感慨深くありません。
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さくらんぼ

2010-06-25 11:54:17 | 旅の空
「山形のさくらんぼ、ひとパック500円。お土産にいかがでございますか?」

 新幹線の中でも、車内販売のお姉さんが売り歩くようになりました。まさにさくらんぼの季節なんですね。私はまだ食べてないので実感していませんが、収穫している光景は、車の中からよく見かけるようになりました。今年は、去年や一昨年に比べて豊作らしいです。

 シャキーンとした初夏の陽射しを照り返して輝くさくらんぼは、やはり美しい果物です。ところで「果樹王国」山形に暮らしてながら残念なことですが、私はあまり「くだもの」が好きではありません。しかし、洗いたてで、皿の上でつやつやとひかっているさくらんぼを見ると美味しそうな感じがして、ついつい一つ二つは口に入れます。

 そんな調子ですから、さくらんぼに種類があるということを実は、山形に来て初めて知りました。昔子供の頃によく見かけた赤のどぎついやつに比べると、「佐藤錦」は確かに見た目も味も素晴らしい。初々しい感じがします。「ブリッ」とはじけるような食感も良いですしね。


 というわけで、山形が誇るさくらんぼのPR活動でもある「さくらんぼコンサート」今年も頑張ります。ご来場のお客様にもたくさん「さくらんぼ」が当たりますように。(入場券の末尾ひと桁で決まってるんだから10分の1か。それは私が祈っても変わりませんね)。
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帰宅そして出発

2010-06-24 15:10:58 | お酒の話し(山形県)
 さて新潟旅行は、湯沢から津南と十日町を経て最後は燕三条に宿泊。そして夜は例のごとく痛飲。〆張鶴に始まって越乃寒梅、清泉やら八海山・・・後は忘れました。せっかく新潟に来たわけですから、思い残す事のないように(また来月も来るんですが、先のことは考えず)。今年は好むと好まざるとにかかわらず、旅行三昧なんです。なのでどうせ旅行するならと、開き直って「地酒めぐり」を楽しむことにします。

 さすが新潟。やっぱり酒どころです。どれにしてもサラッとした味わい。さらさらさらさら飲み過ぎて、翌朝はちょっとドロドロ。これが新潟の醍醐味(?)です。


 しかし・・・山形の我が家へ戻ってきて楯野川(雄町)を飲むと、やっぱり旨い。もちろん家族と一緒にくつろいで飲む酒は、製法や原料米や精米歩合の違いを超えた良さがあるのは当たり前です(一応きちんと言っておきます)。ですがそれと同時に、最近は山形の酒の良さを心から感じます。もちろん日頃から、選び抜いたやつを飲んでいるせいでもありますが、サラッとしているだけではなくて、透明感とツヤがあるんです。もはや自分の中では、総合評価で新潟を超えました。


 いつでもどこでも「飲んでばかり」のようですが(実際そうなのですが)、やっぱり帰ってくるとホッとします。「山形の良さ」を再確認することが一番の「旅の価値」かも知れません。


 ホッとするのもつかの間。さて、そろそろ「さくらんぼコンサート」のために、東京へ向けて出発することにします。
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鶴齢

2010-06-22 17:52:38 | お酒の話(県外)
 上越から小千谷を経て、昨日は湯沢のロッヂに宿泊しました。ここのロッヂはスキー場なので夏でも涼しいし、温泉はあるし、とにかく食事が美味しい。近くに来るときには必ずお世話になってます。こういう「行きつけの宿」は有り難いです。ホッとして疲れがとれます。

 さて、小千谷から湯沢へ行くには途中には六日町を通過します。「六日町」は何と言っても銘酒の産地。「聖地」と言っても過言ではない(・・・いやちょっと過言か)。とにかく素通りは許されません。

 ということで、来る度に必ず買う銘酒「鶴齢」です。「鶴齢」は一般的には知られていないマイナーなブランドですが、とにかくサラッとしていて、「さすが新潟」を感じさせるきれいな酒です。新潟の酒ではイチオシです。今回は夏らしい「発泡にごり」と、豪華な「大吟醸生原酒」を。


 ・・・素晴らしい。特に大吟醸。やわらかい甘みと透明感。美味しい料理と共に堪能しました。

 旅行はこうでないと・・・でも例によって少々飲み過ぎました。
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父の日

2010-06-21 08:19:12 | 危機管理
 昨日は山形Qの練習をしてから、演奏旅行のために上越に移動。そのスケジュールは前から決まっていたので、娘の運動会がその日に行われることになったと聞いた時、「観に行けないな・・・残念」と軽い気持ちで思っていました。

 しかし運動会のプログラムを見てびっくり。「父の日」ということで、お父さんと一緒にやる競技やら体操(という名のおゆうぎ)やらが中心になってる。・・・これは「ごめんね、お仕事だからしょうがないでしょ。」では済まされない。しかもそのまま旅行で家を空けるというのは、後々まで何か不吉なものを残してしまうに違いない。

 ということで、山形Qメンバーには事情を説明して午前中だけ休みをもらい、運動会に参加することに。突然の雨で急遽、近くの小学校の体育館が会場になりました。この体育館は落成の時に山響で演奏しにきました。自分もだいぶ、ここ山形という「地元」で歴史を重ねてきてます。

 さて年少組の「親子競技」とは・・・ニンジン運び競争。事前に娘から「ウサギさんになって、にんじんをうめてそれをおとうさんとはこぶの」とは聞いていましたが、さっぱりわからない。年少の園児とその父親に召集がかかったので、やや緊張しつつ言われたとおりに整列して、説明をうけ、見本を見せられました。

 子供にウサギの耳の帽子をかぶせて手をつないで走り、紙をビニールに詰めて作られた大きなニンジンをダンボールで作られた枠につめて落ちないようにし、その両側を親子で持って走ってコーナーを回って元の場所にニンジンと枠を戻して親は子供をかかえて走り、次の子供にバトンとして耳の帽子を渡す。・・・わかりにくいですよね。見本を見てもわかりにくい。娘の説明は正しかった。

 さて、張り切っていくか。前の子から渡された耳を急いで娘にかぶせる。すでにかなり崩れてしまっている三つ編みを気にするあまり手間取る。ダッシュでニンジンを枠に突っ込んでコーナーへ・・・向かうも、詰め方が雑でニンジンがボロリ。大慌てで詰め直し、コーナーを回って再びニンジンを引き抜き、人さらいのように娘をかかえて走り出すと今度は耳がポロリ。かぶせ方が丁寧すぎた。娘をかかえたまま引き返して耳を拾い上げ再び走る。「急いては事を仕損じる」ということわざをパントマイムで表現したような感じになってしまった・・・。


 しかし、お父さんの出席率は100%。またしても危ないところだった。行かなかったら母子家庭だと思われかねない。来年、再来年もドキドキです。そして親子競技は年中・年長と過酷さを増していくし。体も鍛えないと・・・。

 親子ものがあらかた終わったところで早退。急いで練習に向かいそのまま上越へ。何だか一日が障害物競走みたいだった・・・。
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旅支度

2010-06-20 07:40:34 | 危機管理
 昨日は手帳に「つり」と書いてあったので、息子を連れて近くの川へ釣りにでかけました。

「ねえ、また今度釣りに行こうよ。」忙しいさなかに、こういうことを言われると
「うん。今度時間がある時にな。」と答えてそのままにしてしまいがちです。するとしばらくして
「ねえ、いつになったら行けるの?」
「時間がある時って言っただろ。今は忙しくてムリなのっ!」
ということになる。これでは初めから「行こう」なんて言わない方がましです。

 だから、実現する気がある場合は、手帳に書いてしまうことにしています。ずっと先になってしまっても大丈夫です。スケジュールに入れてさえしまえば、その日はあっという間にやってきます。逆に「近いうちに…」などとぼんやり思っていると、何年も経ってしまいます。

 ということで今回も、手帳の昨日の欄の午後に「つり」と書いてあるのを、驚きをもって発見し、気が進まなくても粛々と遂行することに。


 しかし実際に川に行ってみると気持ちの良いものです。曇りがちな天気も、暑すぎなくてちょうどいい。流れる川を見ていると、のんびりとした気持ちになります。普段はちきんと聞いてやってない話に耳をかたむけます。

「ねえ、サーマルラチェルタのメタルウィールって攻撃力がすごく強いんだよ。」
「ふうん。そうなんだ。」
…ベイブレードの話です。まだまだこんなことばっかり考えてるのか。


 結局、3時間ほどでフナを中心に5匹ずつ釣れて、上出来。その中で活きの良いフナを2匹、カマツカを1匹持って帰って家の水槽に入れてできあがり。

 
 これでよし。そして今日はこれから娘の運動会にできるだけ参加して、山形Qのリハをしてから、心置きなく旅行にでかけることにします。
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風格

2010-06-18 22:10:10 | 山形交響楽団
 やっと二日間にわたる「プレミアムコンサート」が終了しました。二日間まったく違う演目なので少々疲れましたが、たくさんのお客様に来ていただいて感謝しております。

 特に今日は随分前からチケットが完売だったそうで、さすがは中村紘子ですね(もはや偉人なので敢えて敬称略)。ショパンの協奏曲第一番を弾きました。デビュー50周年だそうですが、まったく衰えを見せない演奏には圧倒されます。

 考えてみれば半世紀にもわたって、日本のピアノ界の頂点に君臨し続けているというのは本当に凄いことです。それも自分の腕一本、いや腕二本だけ、まさに実力だけでですから、ある意味で西太后なんかより凄いわけです。適切な喩えかどうかわかりませんが。

 さすがにそれに相応しい貫禄というか風格があります。この暑さにもかかわらず、出番の前に舞台袖でホカロンをもみもみしている姿にも、威厳がありました。


 さて、来週は新潟演奏旅行とそれに引き続き東京公演。疲れを残さないように、早々と休むことにいたします。
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駅西都

2010-06-17 09:05:39 | 山形
 今日と明日は山響の「プレミアムコンサート」。山形テルサホールのオープン10周年の記念企画です。

 10周年…ちょっとびっくりしました。テルサができてから、もう10年も経つんですね。あっという間です。ゲストにラローチャが来て、モーツァルトのコンチェルトとファリャ(だったかな)を演奏した「こけら落とし」が、もう10年前なのか…。

 ラローチャは白人のやや小柄な、普通のおばあちゃん(失礼)でしたが、ステージに上がってピアノに向かうとそのオーラは本当にすごくて、のみこまれるような感じがしました。黒岩英臣指揮の山形交響楽団は残念ながら、完全に喰われてました。


 さて、山形テルサホールは山形駅の西側にあります。駅の西側もこの10年ですっかり変わりました。昔は本当に何もありませんでしたからね。家の車のカーナビは古いので、今でも山形駅の西側は道もまばらで、ほとんど真っ白です。そんな所にホールができて、ホテルがいくつもできて、マンションもスーパーも…すっかり「都市」になりました。

 何も無かった頃、資材置き場みたいで閑散とした土地がひろがっていた駅西側を「活性化させよう」みたいな動きは、昔からあったんですね。看板が立っていたのを覚えています。
「駅西都」と書かれていました。…読めますか?「エキサイト」、とルビがふられていました。
荒涼として人の気配のないところにあったこの看板はかなりシュールで、まさに世紀末的でした。


 そう言えば家の息子がちょうど10歳です。あっという間のようですが「10年」という月日は、すべての人やすべての場所に、確実に流れたんですね。それは、生まれたての新生児を小学5年生に変えてしまうほどに、確かなものなんです。漫然とやりすごしている場合じゃないですね。頑張らないと。
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アサリ

2010-06-15 08:46:02 | 雑記
「われわれは、泥棒だって美しい足をもっているなら、そう言ってほめてやったらいいではないか。彼女は夜の女であるからといって必ず臭いときまったものではない。いまの人たちは、代言人が憎いとなると、翌日はもう彼の雄弁までも訥弁にしてしまう。私ならば断然こう言う。
『彼のこの行いは悪いが、あの行いは徳にかなっている』と。」(モンテーニュ 「随想録」より)

 
 子供は誰でもある程度そうだと思いますが、特に私は幼少の頃かなり偏狭な考え方をしていました。味噌汁のシジミやアサリが嫌いだったのです。理由は簡単。「初めて食べたやつに砂が入っていたから」です。「砂を噛むような思い」という言葉の通り、ジャリッという感覚は嫌なものです。それで「自分はもう一生、味噌汁の貝は食べない」と決めていた時期がありました。もちろん今は違います。大人ですから。

 でも、大人でもこれと似たような偏狭な考え方にとらわれてしまうことがよくあると思います。カツ丼のカツの下あたりに、たった一度だけ「髪の毛が一本入っていたから」というだけで、肝心な味も見ないで「あの店には二度と行かない」と決めてしまうような。生理的なものだと言っても、これはやはり愚かなことだと思います。

 それが他人の資質や人格に関わることなら、なおさらでしょう。完全に正しい人がいないのと同じく、完全に間違っている人というのもいないはずです。それをたった一言「気に入らないことを言った」というような理由で「あいつの言う事はもう何も聞かない」と決めてしまうのは愚かです。確かに、上に立つ人間を「あいつ嫌い」と切り捨てたり、「何も考えずにあいつについて行こう」と決めるのは何となくスッキリして気持ちの良いものです。しかしその挙動一つをとって、全否定したり全肯定したりを繰り返すのは情けない気がするのです。


 総理大臣にも社長にも指揮者にも、もちろんしっかりしてもらわなければ困りますが、まずついて行く我々がもっとしっかりしないといけないと、少し大人になった私は思うのです。砂は嫌いですがアサリは好きです。
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讃仰

2010-06-14 22:58:49 | 山形弦楽四重奏団
 昨日は夏日なのにもかかわらず、まだ冷房が入らない公民館の一室で、山形Qの練習でした。こういう暑さで「根性だっ!」「おおおっ!」みたいな気分になるのは、若い頃の話。こまめな休憩と水分補給の合間をぬうように、練習はすすみます。


「彼の嗜好が主として弦楽四重奏曲、ソナタ、ピアノあるいは小管弦楽のための小品などの、いわゆる純音楽的作品に向けられていたので、彼の名はシェーンベルクやストラヴィンスキーほど華やかではないが、新しい音楽の諸問題に関心を抱く人々にとって、彼は永遠の讃仰の的である。」 (オネゲル)

 オネゲルがバルトークについて書いている文章の一部です。しかし読んでいると、これはハイドンにもベートーヴェンにもあてはまるものです。弦楽四重奏というジャンルに軸足を置いて、音楽の新しい可能性を切り拓いて行った作曲家です。その業績は「永遠の讃仰の的」ですが、「華やかではない」のです。…確かに。

 ということで、昨日の練習はまさに、ハイドン・ベートーヴェン・バルトークでした。もちろん作風はそれぞれですが、実際に弾いてみると、通じるものがあるような気がしてきます。新しい世界にたどり着こうとしている感じです。公民館の下の大きな部屋からは、アマチュアオーケストラがメンデルスゾーンの「スコットランド」を練習している音が聞こえてきました。…確かに、我々の方が明らかに「華やかではない」。


「たしかに、彼の作品は誰にでも演奏できるというわけではないから、それを直に理解することはむずかしい。その特長をなしているリズムの異常な精緻さは古典音楽には見られないもので、それは演奏家に正確さへの努力を要求する。」(同上)

 リズムに関してはそうかも知れませんがその他いろいろな面で、ハイドンやベートーヴェンもバルトークに劣らず(いやそれ以上に)、「演奏家に正確さへの努力を要求」してます。

 暑さのため、その「要求」に応えられなくなりそうになってきたところで、練習は終了。

 
 もっともっと「華やかでない努力」を続けていくことに致します。
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かどで

2010-06-13 08:52:54 | 山形弦楽四重奏団
 実家の近くにある「サレジオ教会」は都内では有名な結婚式の名所です。僕が中学生の頃には、松田聖子がそこで結婚式を挙げました。その日は平日でしたから学校にいましたが、授業中も学校の上空をヘリコプターがブンブン飛んでました。松田聖子の熱烈なファンだった数学の教師が「ったく、うるさいなぁっ!」と窓の外を憎々しげに見上げていたのを覚えています。

 その教会の正面にある「目黒駅行き」のバス停をよく利用するのですが、バスを待つ間に教会の扉が開いて、新郎新婦がライスシャワーを浴びる光景を目にすることがよくありました。ウエディングドレスを着て幸せそうにしている新婦は、確かに輝いて見えるものです。実際にその周囲が明るく見えるほどです。「バスのやつ、また遅れやがって!」と不機嫌に腕時計を見ていた我々も、思わずあたたかい表情になります。


 昨日は山形Qで結婚披露宴にでかけてきました。演奏もしましたが、BGMのお仕事ではなく、珍しく出席してきたのです。新婦は、だちゅ女史の後輩で、家にヴァイオリンを習いに来ているフリーのヴァイオリニストで、そのつながりで山形Q定期の受付などを手伝ってくれています。会社の跡取りとなる新郎の関係で、かなり人数の多い、盛大な披露宴でしたが、華やかな衣装に身を包んだ新婦はやはり輝いていて、宴の主役でした。練習不足で家にやって来て、ぎこちなく楽器を弾いている姿とはえらい違いで、感動しました。幸せそうな花嫁というのは圧倒的に主役です。

 ということで、結婚式というものはやはり女性のためのものです。自分の結婚式における自分のことを思い出しましたが、式が終わってみんなを送り出して、タキシードを脱ぐために着替えの部屋に入って独りになった時の「やっと終わった!」という安堵感しか覚えていません。

 ケーキ入刀などもしましたが、アルバムのための撮影のポーズ作りで苦労した記憶しかありません。
「はい新郎様、左の手は新婦様の腰のあたりにお願いします。はぁいそうです。あと右のつま先はもう少しこちらに向けていただいて…ああっ、ちょっと行き過ぎました。はいOKです。それではカメラの方を見て…新郎様リラックス!また表情が硬くなってしまいました…」

 全てが終わって式場を後にするため、ハイヤー(日産のプレジデント)に乗り込んでそのドアが高級な音をたてて「バタムッ」と閉まった時の解放感は忘れられない。その日初めてのリラックスを味わいました。車が音も無く滑り出した時に、「かどで」の喜びを感じました。


 …おっとっと、愚痴みたいな回想になってしまいましたが、要するに結婚式において、新郎はどうでもいいんです。花嫁が幸せならそれで。いつまでもお幸せに。
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