中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

十字架3

2008-08-30 23:18:34 | クァルテット
 この「十字架上のキリストの7つの言葉」はどの言葉につけられたソナタも、とても重くて集中力が試されます。言葉自体が重いので当然ですが。今日の練習でも間に何度も休憩をはさみました…。

 さて、3つめの言葉を見てみましょう。

 「女よ、汝の息子を見よ」

 イエスがはりつけになっているとき、その周りには近しい女達がいました。イエスの母マリアや、マグダラのマリアなどです。その他にもマリアがいました。聖書でややこしい事の一つは、名前のバリエーションがなくて、同じ名前がよく出て来て、誰が誰だかわからなくなることです。ヨハネとかヨセフもどのそれがどれか、わからなくなりやすくて困ります。ちなみに、イエスという名前も、ごくありふれたものらしいです。

 ヨハネ伝によると、「イエスは、母とそのそばにいる弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」とあります。

 これだけ見ると、「おい兄弟、おふくろの事たのんだぜ」みたいな感じですが、まったく違います。

 聖書の中ではもちろん、イエスは初めから神の子ですからマリアとも、いわゆる「親子」らしい関わりは持ちませんでした。(もちろんこれにもいろいろな説があって、「イエスはたくさんの兄弟がいて、30歳くらいまで家業の大工仕事を手伝っていた」というのもありますから、よくはわかりませんが)。

 つまり上の言葉は、母マリアの暮らしをよろしくという事ではなくて、今後「母マリアはキリスト教徒の母である」、「キリスト教徒はすべてマリアの子である」という宣言であると考えるべきでしょう。

 いわゆるマリア様はこうして宗教画などに描かれ、イエスにならぶようなキリスト教の象徴になったんですね。キリストが亡くなる時に「聖母」は「誕生」したんですね。

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銀色の道

2008-08-29 21:59:25 | 音楽
 昨日のギターの音がまだ耳に残っています。

 僕はギターが弾けませんが、昔は人並みに憧れた事があります。ヴァイオリンに比べると堅苦しい雰囲気が無くて、「だいぶ酒がまわってきたから歌うか」みたいな感じで弾けるのがいいですよね(ギター愛好家の方すみません)。

 一番憧れるのは「自由に伴奏が(適当に)できる」事です。この「適当に」というのがすごく大事だと思います。ヴァイオリンはどうしても、真剣さと堅苦しさがつきまといますから。もちろん、ラカトシュみたいな、ジプシー的な才能があれば別ですが…。

 だからギターでもケースから出すなり、いきなり一生懸命に「禁じられた遊び」とか「アルハンブラ」を弾くのはイマイチです。「さりげなく自然に楽器を演奏する」ところに憧れるのです。

 ギターといえば思い出すのは小学校の2年生の時です。その時の担任は「イカす」、若い「ハンサム」な男の先生で、人気がありました(とくにお母様方に)。

 教室にはギターが置いてありました。一日が終わり、「帰りの会」の時に先生が弾くためにです。基本的には「ポケット歌集」をみんなで歌い、先生はギターで伴奏をします。しかし、そのうちの3回に2回は「銀色の道」という歌でした。その先生がよほど好きな曲だったんでしょう。知ってますか?有名な曲なんでしょうか?

 フォークっぽい歌ですが、いかにもギターがよく似合う歌です。なんか時代を感じさせますが、担任の先生が自分の趣味で独自にこんなことを、しかも毎日やるというのは今では考えにくいですよね。

 しかもその先生は左利きだったので、ギターも弦が反対になっている「左利き仕様」のやつだったのが印象に残っています。

 ギターを見てふと、そんな事を思い出していました。
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ギターフェスティバル

2008-08-28 21:43:46 | 山形交響楽団
 今日は山響でギターフェスティバルの伴奏のため、庄内町の響ホールへ。一週間にわたってひらかれているギターの音楽祭です。

 一流のギタリストがいろんな国から来ていたので、ファンにはたまらないでしょうね。会場もオーケストラの演奏会とは違った熱気がありました。

 ファンの方々もそうですが、もちろんプレーヤーもノリが違います。細かいことは気にせず体から湧き出るリズムを感じてそれに乗るんですね。「いっとーにいとー」みたいな事は考えたことも無いようでした。それはそれですごく大切な事ですよね。

 プログラムはアランフェス以外はやりなれない曲ばかりで、特に日本初演の曲はかなりの難曲でした。ソリストを4人使ったりなど、面白い体験でしたが、だいぶ目が疲れたので今日はこれで失礼いたします…。
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秋風

2008-08-27 11:29:29 | 雑記
 8月なのに秋めいた陽気が続いています。急に涼しくなったので、我が家は私以外の三人とも風邪をひきました。やはり「適度な」酒は免疫力を高める、という事にしておきましょう。

 「秋」にまつわるというわけでもないのですが、芥川竜之介に「火星」というタイトルの短文があります。


 「火星の住民の有無を問うことは我々の五感に感ずることのできる住民の有無を問うことである。しかし生命は必ずしも我々の五感に感ずることのできる条件をそなえるとは限っていない。もし火星の住民もわれわれの五感を超越した存在を保っているとすれば、彼らの一群は今夜もまた、すずかけを黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかもしれないのである。」

 
 人間は目で見えるものしか信じないし、それを科学的だと思っているところがあります。かと思うと、「火星人」といえばあのタコみたいなのがシャンと立っている、月並みな絵を想像してしまうのです。

 見えないものが見えたり、聞こえない音が聞こえたりしたら危ないですが、五感を鈍らせない、さらに想像力を豊かにもつ事はつまらない知識以上に大切でしょう。


 さて、これからは本格的に忙しいシーズンに入りますが、目の前の慌ただしい事に縛られてイマジネーションが枯れてしまわないようにしないといけません。

 しかし「すずかけを黄ばませる秋風と共に…」という表現は、さすがですね。
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十字架2

2008-08-24 23:48:04 | クァルテット
 「いや、あれが救世主でなんかなかったことはわかりきってるよ、だってもし救世主だったらあの男をはりつけなんか絶対にできなかったはずだし、野郎共は地べたに叩きのめされたはずじゃないか。」
 「そうとも、間違いないさ。救世主だったら十字架から降りてきて、野郎共を皆殺しにしたはずだよ!」
 「だまってはりつけにされる救世主って!そんなの聞いたことないよ!」

 ラーゲルクヴィストの小説「バラバ」の一部分です。ご存知の通り、バラバはイエスの代わりに無罪放免になった山賊です。これはその彼を主人公にして、イエスの死後の人々の気持ちの揺れ動きを描いた小説です。昔読んだのですが、大好きな本です。

 上の会話はバラバの仲間達の山賊が、イエスについて話し合っている場面です。この小説がどこまで史実に基づいているかはわかりませんが、きっとこんな感じだったろうという気はします。「神が人に殺される」という事は、理解しがたいですから。

 ルカ伝を見ても、イエスが十字架にかけられた時に、野次馬達は「神の子なら自分を救ってみろ!」と口々に言ったそうです。しかしそれはただの罵倒ではなく、好奇心とわずかな期待が入り交じったものだったのではないでしょうか。

 イエスは独りで十字架に架けられていたわけではなく、両側に二人の死刑囚が同じように十字架に架けられていました。ごく普通の(?)犯罪者です。

 彼らも心の底にわずかな期待を持って、イエスをののしっていました。しかし片方の男が、ある時点からもう片方をたしなめて、「この方は悪い事はなにもしなかったのだ」と言うのです。そして「イエスさま、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出して下さい」とまで言うのです。十字架上のイエスに感化されたのでしょうか。

 そしてそれに応えた言葉が2曲目の言葉です。

 「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしと共に天国にいます」

 このように言うイエスも凄いですが、自分も同じようにはりつけになりながらイエスに対する信仰に目覚めるこの死刑囚も凄いですよね。

 
 イエスは朝9時にはりつけになり、午後3時過ぎに亡くなりましたが、両側の犯罪者はまだ生きていました。当時の法律で「はりつけは1日」と決まっていたので、なかなか死なない者は死期を早めるために、すねの骨を折られたそうです。この両側の男達もそうされました…。

 あいたたたた…。想像するのも痛いです。

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屋根牛

2008-08-23 22:48:18 | 山形交響楽団
             (写真)Jean Cocteau、1889~ 1963
 
 夏休み明けの山響定期が終わりました。聴きに来て下さった多くのお客様達には感謝しています。

 首席客演指揮者の阪哲朗氏の指揮は、演奏者に任せてくれるところが多く、一緒に音楽を創っている感じがします。しかしそれだけ、オーケストラの力が問われるような気もします。

 全てフランスもので慣れない曲揃いでしたが、個人的には好きです。モーツァルトやベートーヴェンはもちろん好きですが、「~でなければならない」というような強烈なウンチクを持った人が必ずいて、それにしばられるのが辛いのです。

 そういう点ではフランスものは自由な感じがして好きなのですが、その自由を活かせるだけの経験を積まなければいけませんね。まだまだ難しいです…。

 今日のプログラムの中のミヨーの「屋根の上の牛」はバレエを見た事がありませんが、面白そうですね。コクトーが書いた脚本はあらすじだけでも興味をひかれます。

 禁酒法時代のアメリカの酒場が舞台だそうで、いろいろな変な人達が踊っていると、警官が入って来たとたんにそこがミルクホールに変化したりなど、ブラックな感じもいいです。バーテンが扇風機のスイッチを入れると警官の首が吹き飛んで、それを男装した赤毛の女が拾い上げてサロメの踊りを踊るというのも、曲に合いそうですし、コクトーのセンスは凄いですよね。

 しかしこの曲の曲名を「やねうし」と略すのを聞いた事がありますが、「屋根牛」と漢字で書くとブランド牛肉みたいですね。
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十字架

2008-08-21 22:44:04 | クァルテット
 朝晩だいぶ涼しくなって、過ごしやすくなってきました。やはり山形では夏の暑さはお盆を過ぎると、ピークを越えて少しずつ秋の雰囲気がしてきます。暑いのは辛いですが、「折り返す」感じは理屈ではなく少し寂しいものです。

 さて、山形Qはちょうど一ヶ月後に米沢の教会で、演奏会をします。プログラムのメインはハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」です。内容もタイトルも重い…。1時間程の大曲です。

 これはイエスが十字架にかけられてから亡くなるまでに口にした、7つの言葉それぞれにハイドンが曲を付けたもので、初めの「序奏」と最後の「地震」を含めて9つの曲で構成されています。

 と、まあ基礎知識はこのぐらいですが、とりあえずその「7つの言葉」を知っておかないといけないだろう、ということで福音書を読み返してみることにします。

 実は福音書は「マタイ伝」しか読んだことがありません。しかしこの「7つの言葉」は、マタイから1つ、ルカから3つ、ヨハネから3つでできているのでした…。仕方なく(というと罰があたるかも知れませんが)、ルカとヨハネも探してみることに。

 まず1曲目の言葉はルカ伝から。

 「父よ、彼らを赦したまえ。彼らは自分が何をしているのか自分でもわかっていないのですから」

 これは「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」というマタイ伝の中の有名な教えを、イエス自らが実践しているわけです。

 当然の事ながら、十字架の刑はかんたんに言うと「すごくいたい」ものだそうです。杭を打つのは手の平ではなく、手首だそうですし(どちらにしても痛いでしょうが)、架けられる前にかなりの距離を炎天下で十字架を担いで歩かされるので、その時点でも死にかかっているわけです。

 イエスも途中で歩けなくなり、かわりにその辺にいたシモンが十字架を担いだそうですが、そんな半死半生の状態で杭で打ち付けられて、さらにそんな目に遭わせた奴らの為に祈るのですから、まさに神業ですよね。

 そしてイエスが息をひきとるまでの約6時間の間に語られたのが、残る6つの言葉です。長くなったのでそれはまた今度…。
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休み明け

2008-08-20 22:59:21 | 雑記
 山響は長い夏休みが終わって、今日から定期のリハーサルです。今回はフランスものばかりで、慣れない曲が多いので、少々疲れました。(休みボケもあるかも知れませんが…)。

 小学生の息子も今日から学校です。朝は眠そうで、帰ってからはぐったりしていました。やはり疲れるもんですよね。

 昔、自分が小学生だった頃、二学期の初めに夏休みの間の日焼け度を競う「くろんぼコンテスト」(今考えると凄いネーミングですが)というのがありました。

 各クラスで一人ずつ、一番黒くなった人を代表として選んで、クラス対抗で学年ごとにチャンピオンを選ぶのです。代表はクラスのみんなで決めて作ったコスチュームを着て、コンテストに臨むわけです。

 小さい頃、地黒だった私はこの行事が恐怖でした。夏の間に海にでも行ってしまうと必ずクラス代表の候補にノミネートされてしまうからです。日頃のおこないが良かったせいか毎年ノミネートされながらも、一度もコンテストに出場せずに済みましたが、二学期の初日は「もっと黒いやつがいてくれっ!」という気持ちで教室に入ったものです。

 何をそこまで怖がるかわからないでしょうね…。それは、クラスで決めるコスチュームです。毎年、絵本の中のアフリカの「原住民」をイメージしたものが基本なのです。偏見による人種差別もはなはだしい…。

 ヤリや鼻輪(骨のやつ)は基本中の基本で、教師が野放しにしているクラスでは、大きめの木の葉のを画用紙で作り、それで股間を隠すというものもありました…。実際に私のいたクラスでは、ボディペインティングの案まで出ましたから(それは「せっかくの日焼けが見えにくい」という理由で否決されましたが)。


 今思うと、何とものどかですね。オゾン層とか紫外線とか、ましてや温暖化などいう言葉はほとんど聞かなかったですし。

 今年は久しぶりに肩の日焼けが痛いです…。
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戦争と一人の女(後)

2008-08-18 22:11:20 | 読書
 「私は私の街の空襲の翌日、広い焼け跡を眺め廻して呟いていた。なんて呆気ないのだろう。人間のやること、なすこと、どうして何もかも、こう呆気なく終わってしまうのだろう。私は影を見ただけで、何物も抱きしめて見たことがない。」

 戦争中、混乱の中を逃げ惑うだけの暮らしは、人の魂を疲れさせたことでしょう。いつ死ぬかもわからない中で逆にリアリティが無くなっていき、何もかもどうでもいいような虚しさだけが残るのかもしれません。

 坂口安吾は「堕落論」が有名で、頽廃的な面が特徴づけられて言われますが、戦時中のこのような虚しさや無気力感は「堕落」という言葉のイメージとは程遠く感じます。純粋さの裏返しだと思います。

 さて、このように疲れ切った魂は、終戦をどう迎えたでしょう?主人公の周りの人達はかんかんに怒るのです。「ここでやめるとは何事だ!東京が焼けないうちになぜやめない!」と。これが戦争で多くを失った人達の実感だったのではないでしょうか?

 ラストシーンです。

 「私は彼と密着して焼け野の草の熱気の中に立っていることを歴史の中の出来事のように感じていた。これも思い出になるだろう。全ては過ぎる。夢のように。何物も捉えることはできないのだ。私自身も思えばただの影にすぎないのだと思った。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだろう、この影のように!私はなぜだかひどく影が憎くなって、胸がはりさけるようだった。」

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戦争と一人の女(前)

2008-08-17 22:07:18 | 読書
 「夜の空襲はすばらしい。照空燈の矢の中にポッカリ浮いた鈍い銀色のB29も美しい。カチカチ光る高射砲、そして高射砲の音の中を泳いでくるB29の爆音。花火のように空にひらいて落ちてくる焼夷弾…」

 日本人にとってお盆は夏休みであると同時に、戦争について考え、平和に感謝するべき時ですよね。

 坂口安吾の「戦争と一人の女」は、彼の小説の中で一番印象深い作品です。戦争とその混乱は人の心をだめにしてしまう事がよくわかります。主人公は女郎として売られてきた女で、頽廃的に生きながら世の中を憎んでいます。

 「そこには郷愁があった。父や母に捨てられて女衒につれられて出た東北の町、小さな山に取り囲まれ、その山々にまだ雪があった汚らしいハゲチョロのふるさとの景色が劫火の奥にいつも燃え続けているような気がした。みんな燃えてくれ、私はいつも心に叫んだ。町も野も木も空も、そして鳥も燃えて空に焼け、水も燃え、海も燃え、私は胸がつまり、泣きほとばしろうとして思わず手に顔をおおうほどになるのであった。」

 彼女や周りの人達は日本がいずれ負けるだろうと気付いています。そうなれば、日本人はあらかた殺され、良くても奴隷として連れて行かれるだろうと信じているのです。敗戦まぎわの当時は、実際にそう信じていた人が多くいた事でしょう。そんな中で明るい希望を棄てずに生き続ける事を諦めてしまう気持ちを責めるのは、今の我々にはできない事だと思います。

 「私は憎しみも燃えてくれればよいと思った。私は火をみつめ、人を憎んでいることに気付くと、せつなかった。」

 純粋な魂の言葉だと思います…。そして傷ついてしまった魂は、たとえ体が無事で終戦を迎えても、元に戻らないのですね。そのあたりは、また明日にします。
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ユネッサン

2008-08-16 22:50:53 | 危機管理
 家族で過ごす夏休みは、子供が主役でございます。だから子供が行きたがる所を避けて通ってはいけないのです。

 ユネッサンって知ってますか?小涌園にはもともと「湯~とぴあ」という、いろいろなお風呂(コーヒー風呂とか緑茶風呂とか)に入れるコーナーがあります。

 そこの、他の施設(客室とか宴会場とかカラオケルームとか)をすべて壊してできた、プールのような風呂のような、水着で遊ぶためのテーマパークのようなのが「ユネッサン」です。

 前からそれがあるのは知っていたのですが、知らないふりをしてきました。だって混んでるし…。しっかり泳げるような所もないし、ゆっくりあったまれるような所もないし…。初日にちらっと偵察して、「やっぱりここはやめとこう」と決心をしたのでしたが…。

 ちらっと見せたのがいけなかった…。子供にはとてつもなく楽しそうに見えたんでしょうね…。しかも親が行きたがってないのを感じて、遠慮がちに言われると、いやだとは言えません。

 「なに遠慮してるんだ!よしっ、朝一番のオープンから行こう!」と、昨夜に酔った勢いで約束してしまったのを、朝に思い出して愕然としつつも、うきわなどを抱え持って9時過ぎに受け付けへ。

 入場する前から長蛇の列…。ようやく7000以上あるロッカーの内の一つの鍵を受け取り、水着に着替え戦場へ。

 泳ぐ気が無くても、少年少女がガンガン泳いでぶつかってきます…。しかし「毒食わば皿まで」。次第にやけになって、ほとんどのプールや風呂、長ーい滑り台からワイン風呂まで。

 プールの長い滑り台は生まれて初めてでした。いい大人がすごい速さで、排泄物さながら水中にたたき落とされるのは、何か罰を受けているような気になります。

 
 とりあえずやれるだけの事はやった…という感じでこの夏はお開きにさせて頂きます。

 (彫刻もプールでぐったり…ではないと思いますが題名は忘れました。彫刻の森の有名な作品ですよね。)
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彫刻の森

2008-08-15 21:20:51 | 危機管理
 小涌園の近くに来たので、午前中からそこのプールに遊びに行きました。子供はとにかく疲れさせないとうるさいですから。

 行って見ると…狭い…。ローカルですが、行きつけの落合のプールの方がいいな…。人も少ないし。

 そんなつまらない事を言っても仕方がないので、芋洗い状態の中、ここでどっぷり遊んでから、歩いて近くの「彫刻の森」へ。

 こういう地味な所は人が多くてもたかが知れています。久しぶりに来ましたが、広々としているので、彫刻に興味がなくても気持ち良く過ごせます。

 すると「ピカソ館」の近くで、ピカソの絵の缶バッジのガチャガチャがありました。「こんなのどういう人がやるんだろう?」と思っていると、いました。マニアックな美大生みたいな男が、「大人買い」の勢いでひたすら200円を入れてはガチャガチャしてました。どこかのオケの缶バッジとは価値が違うようです。

 すでに持っているやつが出る度に「うわぁー!」とオーバーリアクションする彼を鑑賞したりして、そこそこ楽しく過ごしました。


 子供が遊ぶためのスペースもあり、なんとか「楽しい夏休み」の演出に成功。さて明日はどうするかな…。おじさんは久しぶりに少し泳いだだけですっかり疲れてしまいました。

 (彫刻も疲れています…というわけではなく「密着」というタイトルの芸術作品です。娘は怖がっていました。)
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てんかのけん

2008-08-14 20:08:13 | 危機管理
 ♪箱根の山はぁ神奈川県!♪

 という非常につまらない替え歌がありましたが、家族で箱根にやって来ました。親戚の別荘があるのでたびたび来ていたのですが、もうこの夏で人手に渡すという事なので最後の記念にと、混む時期ですが、負けずにやって来ました。

 箱根は、やはり標高が高いだけあって東京より風が爽やかです。

 小涌園の近くですが、この辺りも昔とは大分変わりました。小涌園には毎年、会社の忘年会で来ていたので、少しは懐かしさを感じます。

 泊まりがけでコンパニオン付きで忘年会をするのですから、今から考えるとバブルの余韻がありますね。

 進学塾とは言っても会社でしたから、社長や社長室長やら役員など、講師ではない、運営に携わる偉い人達もたくさんいます。こういう人種は特に偉ければ偉い程、品が無いのです。

 会社で顧問かなんかを頼んでいた、会計事務所かなんかの社長は今思い出しても最悪でした。ひたすらコンパニオンにセクハラまがいのベタベタぶりでした。

 そんな下品極まりない奴らにも、我々新入社員は酒を注ぎに挨拶に行かなければなりません。僕も仕方なく行きました。

 行くと、だらし無くコンパニオンを抱きかかえるようにしていて、「おい、どうだ?俺の新しい秘書なんだ。いいだろぉー。」

 まだ大学を出たばかりだった自分は、まだまだキャパが狭かったのです。思いきり軽蔑した表情で「ほぉー、そいつぁー良かったすね。」と言ってしまいました。

 一瞬そのテーブル(偉い人席)が凍りつきました。「なんだお前は!馬鹿者がっ!」と言われました。

 そういうお前はなんなんだ?、という顔つきをしてしまいましたが、後でたしなめられました。

 そんな小涌園もすっかり雰囲気が変わり、リゾートという感じになりました。あの時、おねえちゃん付きだった暗い二次会ルームも、もうなくなっていました。

 (写真は宿からの景色です。写真ではわかりませんが、右側の山には大文字焼きの「大」の字があります。)
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面影無し

2008-08-12 21:19:16 | 雑記
 東京に来ています。山形とは暑さの種類が違いますね。冷房のせいでしょうけど、街全体が暖房されているような感じです。毎年思いますが、こんなに不快でしたっけ?

 用事があって、さらに不快な新宿へ。帰省ラッシュが始まっているせいか、覚悟していたよりは人が多くなくて助かりました。新宿の一つ先の新大久保で電車を降りました。

 以前に書きましたが、新大久保は母校の高校があるところです。いまはすっかり田舎おやじになってしまって、東京に来る度に、暑い、混んでる、臭いなどと文句ばっかり言ってますが、高校の頃はまさにそのど真ん中に生きていたわけです。

 改札を出ると当然の事ながら、大分変わっていました。小ぎれいな店がずいぶん増えて、昔より明るい感じになりました。が、土地が拡がるわけではないので、前にもましてゴチャゴチャと狭苦しい。

 「ひしめき合う」という言葉がぴったりの、飽和状態です。そしてどこもかしこもハングルだらけ。どうなっちゃったんでしょうか?

 せっかくなので、用事を済ませてから母校の前まで行ってみました。昔は海軍の士官学校だったので、本館の木の床は戦艦の甲板に使われていたものだと、年寄りの先生が誇らしげに言っていたのを思い出します。

 しかし、その名物の本館は取り壊されて、近代的なマンションのような高い建物に変わっていました。新しくて無表情の校舎には、懐かしさを感じることもできず、炎天下をすごすご帰りました。

 やたらと校則の厳しい学校だったので(ゲームセンターに行っただけで無期停学など)、学校の近くでは遊ばなかったし、街のどこにも昔をしのぶ事はできませんでした。

 都会はそんなもんでしょうかね…。

 (写真は新しい校舎です…。)
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いわき公演

2008-08-10 14:31:41 | 山形弦楽四重奏団
 いわき市立草野心平記念文学館(正式名称は長い…)での演奏会は無事終了しました。いわき市の北の方の小川郷という所にあります。このあたりはまさに、草野心平の生地なのです。

 文学館は小高い丘の上にあって、緑に囲まれています。写真は屋上からの景色です。先入観なんでしょうが、蛙の鳴き声が聞こえてきそうな、静かで気持ちの良い場所です。

 開館してから10年ということでしたが、展示はどれも工夫が凝らされていて、さすがに近代的でおしゃれです。展示室そのものが一つの立体的な美術品のようでした。

 歩いていくと各所に設置されたテレビ画面に映像が流れ、詩の朗読が聞こえたり、心平がやっていた居酒屋「火の車」がそのまま実物大で再現されていたり…。思わずカウンターに座りそうになってしまいました。

 さて、演奏会の方もありがたいことに盛況で、多くのお客さんに来て頂きました。終演後に声をかけて下さる方も多くて、いわきの人の親しみやすい感じが伝わりました。

 そしてその後はもちろん、いわきの銘酒「又兵衛」でございます。新鮮な刺身はさすがの味で、家の近くのスーパーとは違います。ちなみに、いわきではカツオの刺身はショウガとニンニクをまぜて、一緒に食べます。

 いくらでも飲みたかったのですが、山形に帰らなくてはならなかったので、泣く泣く途中で切り上げました。運転手のらびお氏にも申し訳ないので…。

 また機会があれば、是非行きたいと思います。もちろん演奏にですよ。(ただし泊まりがけで…)
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