中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

山形Q練習31-vol.9

2009-04-03 08:30:58 | 山形弦楽四重奏団
 「僕は一人になり、バスを使い、それから食堂に行って食事をした。再び自分の部屋に戻って、ぼんやりとラジオをつけてみた。音楽が聞こえて来た。それは病院で聞いたのと同じような、奇妙な旋律を持ったシンフォニーだった。僕が奇妙というのは、その曲はバッハやモーツァルトのような古典音楽ととそっくりみたいに似ていながら、しかもまったく別のものだったからだ。それは古典音楽をいわば『合成した』という感じだった。」

 「あなたはこの音楽をどう思います?」
 「さっきからこれが不思議だと気になっていました。古典音楽のようでまるで違った…。いったい誰の作曲ですか?」
 「これじゃインタヴューになりませんね。この音楽は、主として当市の芸術大学を卒業した、音楽部員の共同作曲によるものです。合成音楽と呼ばれています。音楽は最高芸術で精神衛生とも関係がありますから、実際には音楽部員だけじゃなく、衛生部員や哲学部員も協力していますが。しかしあなたは、ずいぶん旧式な芸術観をお持ちのようですな。」 (福永 武彦 「未来都市」より)

 たとえば理想的な未来においては芸術も、多くの学識者達がきちんとした話し合いのもとで、協同してひとつの作品をつくりあげるとしたらどうでしょう?ただ一人の個人的な価値観で創られたものよりも、良いものができるでしょうか?

 なんとなく、ダメそうですよね。つまらないものができそうな感じがします。

 これも室内楽の難しさです。アンサンブルだから勝手なことばかりをしても何もできないが、初めから調整してしまって、合わせよう合わせようとしては、つまらないものができてしまう。個人的には最近そういう傾向が強くなってきてしまっていたかも知れません。…むずかしいな。ちょっと、シラフでい過ぎたかな?

 「その描きかけの絵は、前景に小道と樹々とがあり、教会の白い意志の壁が左端を占め、右にひろがって街の屋根屋根が、そして背景には空と海とが眺められた。大してうまいとも思わなかったが、部分的には素晴らしいタッチがあった。特に教会の壁のざらざらした物質感は、感動的だった。しかし全体としては、未完成のせいもあるが、ちぐはぐで、構成が常識的な上、画家の個性というものがほとんど感じられなかった。
 『壁の所がとてもいいですね』と僕は呟いた。
 『あなたもそう思いますか?普通ならここはユトリロで行くところでしょう、私は特にルオー的なテクニックを採用したんだが、これは成功でしたね。』
 なるほど、ルオーの絵のタッチが、この壁の部分に更生されていた。
 『屋根のところはマチスで行くつもりです。海と空はどうしたもんですかね、やっぱり印象派がいいでしょうか、それともぐっと超現実派ふうに処理したもんですか?ボナールの描いた空も…』」

 「『ここでは芸術派すべて合作です、その方がいいものが出来上るにきまってますからね。』
 『しかし、それなら個性というものはどうなるんです?』
 『一人の個性よりは、十人の個性を合わせた方がはるかに未来的ですよ。』
 僕はまた、老人の描いている絵の方に眼を移した。それはどう見ても全体的な没個性を、つまりちっとも未来的でない平板さを、示していた。」
コメント
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