プレゼント貰える訳じゃないが折角なので何か書いておこう。当時入り浸ってたBBSはどちらかというと洋楽優位で、邦楽の、特にチャートにいるアーティストはシリアスに捉えられていなかった。ソレを見かねた私は「では宇多田のFirstLoveなんかどうですか」といったら途端に「アレは素晴らしい。別格。世界レベル」と絶賛された。当時の空気では音楽を聴く人なら全員がジャンル世代問わずヒカルを称賛せずにはいられなかった。その決定打となったのがバラードFirstLoveだったのだ。絶品の歌唱力と美しいメロディライン、誰もが彼女は世界に羽ばたくと思わせた、国民的名曲にして光の代表曲である。
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もの凄くもったいない事をしたと今更ながら、、、
あ?これ日記にすればいいのか?!
「思い出がない」事も「思い出」には違いないから。
・・・・だめか、やっぱりw
そのとき自分が何をしてたか、っていうのを考えれば、
「もしそのときにヒカルくんのこと追っ掛け始めてたらなぁ」っていう仮定との比較で、
自分の人生がどういうことであったのか、より理解が深まると思うよ。
ちょっと哲学的になりすぎはするだろうけどね(^^;
んでも、実際いろんなファンのひとたちと接してくるようになって、
彼女をおっかけたり離れたり、っていうのは、
ホント見事にひとりひとりの人生のフェーズと合っているように思う。
ていうか、そういうのが眺めやすい位置が宇多田ヒカルなんだと思うよ。
だから、odysseyがファンになったタイミングにだって、
それなりに、いや、とてもとても意味があるはずなんだよな。
それがどういうことだったのか、もっと何十年後に
「そういうことだったのかぁ」ってわかるんじゃあ、ないかなぁ。
NETで彼女のメッセ観るようになったのも
「オフ会」で沢山の仲間と出会えたのも
みんな線で繋がっている。
これらは決して偶然ではなく、あるのは必然。
そしてそれはボク自身にとってもの凄い意味をもたらしてくれる、
今はどういう事か判らなくてもね^^
その必然を必然にする為には、
僕らが未来に向かって進まなきゃいけないんだなぁ。
その為には、日々の偶然を総て繋げ切って全体として必然にできるだけの
感性のアンテナの鋭さが重要になってくるんだと思うよ。