無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「音楽を評する時に"カッコいい"と形容するのはダサい」と熊泡第1回の時に頻りに言った私。という訳で今回のエントリはダサいぞ。

どうにも、光の場合英語で歌っている時の方がカッコよくて困る。どうせなら何を歌ってるか聞き取れた方が嬉しいので日本語で歌ってくれて何の問題もないのだが、こと"カッコよさ"という点では英語で歌ってくれた方がずっといい。

デビュー当時『いいオンナ演じるのはまだ早すぎるかな』と歌っていた15歳(収録時)が今30歳。15年近く経つ訳だがそもそもこのコはいいオンナを演じようという気がサラサラない。寧ろ人としてカッコ悪い事を敢えてさらけ出して人に親近感を持って貰おうとしてきた、とすらいえる。その気になれば、どの女性シンガーよりカッコよく振る舞えるだろうに。

それは人となりの話だが、音楽も大体おんなじだ。日本語の歌でも、どうしたって妙ちきりんなフレーズを挟み込んでしまう事が多い。『甘えてなんぼ』とかどうよ。そこらへんを狙っているという意図はわかるが、つまり直球ど真ん中のカッコいい曲はなかなか書かないのだ。

英語の歌も、内容は情けないものも多いのだが、それは別にして、そういう、"妙ちきりんな言い回し"の類いが殆どないのである。語られるストーリーは兎も角、局所的なフレーズ単位で聴いていれば、したがって、非常に耳に心地よい。

それの何が嬉しいって、光の絶品の歌唱力を心ゆくまで堪能するのがより容易になる点だ。日本語詞の場合、歌詞の面白さについつい耳がいってしまって、微妙な節回しや緩急の付け方といった"歌唱"自体の妙味を味わうには些か情報量が多すぎる。これが英語詞だと、そこまで歌詞の内容や言い回しが気にならないから、光の"声"に焦点をあてることが出来る。したがって、光の"歌"、或いは光の"声"を聴きたい時にはついついUtadaの2枚のアルバムの方に手が伸びてしまう。

いや、日本語の歌でも光の歌唱を堪能できるケースがあるな。それはカバーバージョンだ。尾崎豊や井上陽水の歌はもう日本語曲のスタンダード。今更日本語詞がどうのこうのとは思わない。いやそれでも井上陽水の書く詞にはどうしたって気をとられるけどね。それはあるけど、日本語でありながら歌詞の存在感がそこまででもなかったり、歌詞がしっかりカッコよかったりすれば、光の歌もそれに合わせてカッコよく在れる、という面はあると思う。実際、"I Love You"を歌う光はいつもよりカッコいい。"男役"を演じなければならないからかもしれないけれど。

これが英語曲のカバーともなれば言うことなし、、、かと思ったが、案外そんなに数がないな。Greendayなどは本家が\アッカリーン/してしまう位決まっていたと思うが、それ位か。Take On Meはキーが合ってないしなぁ。Save the best for lastのフルバージョンがあれば…。それをいうならPart Of Your Worldも…。取り敢えずFly Me To The Moonがあってよかった。

あれ、何の話だっけ。パフォーマーとしても、英語で歌う光の方がステージでカッコよく振る舞ってくれる印象がある。The Bitter Endも歌はそうでもなかったが、あの曲でステージに立っている光は妙にカッコよかった記憶がある。



結局何が言いたかったかといえば、そういった諸々の事を実際にこの目で見直して確認してみたいのでIn The Flesh 2010 live footageを早よ、という最早見飽きた言い飽きたお馴染みの要望なのだった。あれだけ出す出すと言っていて年単位で引っ張るなんて、全然カッコよくないぞ!

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「あれ?今日KUMA POWER HOURじゃないの?」と訊く人が今日は多発する。すっとぼけてるのか勘違いしてるのかわざと言っているのか、どれもある。第3火曜、というからには月に入ってから必ず2週間、即ち14日より多く経ってないといけないので必ず毎月15日以降21日以前の放送となる。14日以前や22日以降に第3火曜はやってこない。先月が16日と早めの放送だった為何となくで勘違いしている人も、多いのかもしれない。今月は5月21日の放送が予定されている。

勘違いでなくても、つい「今日は放送ないの?」と訊いてしまうのは単に待ち切れないからだ。まぁそう焦るな、とは思うがこればっかりは仕方がない。あと一週間、ガマン、ガマン。


とはいえ、"世間的"にはもう第2回の放送はそれほど注目を浴びないだろう。特定の、「あんたファンでしょ?」と思しいライターさん以外は記事も書かないんじゃないか。出来れば、ネタになるようなフリートークも欲しい所だが第1回のスタイルのままではそれも覚束ない。何とも歯痒い、というとヘンか。

InterFMに溶け込むスタイルを選んだのは、どういう意図なのか。やってみたら自然とそうなった、という事もあるか。しかし、実際にInterFMの他の番組を聴いてみるとかなり好き勝手に振る舞っているケースも結構みられる。世間的には、宇多田ヒカルはそっちを期待されてたのかもしれない。

とはいえ、ピーター・バラカン氏を執行役員に据え、"Real Music Station"としてリニューアルするその看板番組のひとつとして登板を要請されたのだから、氏の意向を最大限に汲もうとするのはある意味当然の事か。こちらとしては普段邦楽しか聴かない、いや、邦楽すら聴かない層が第1回でかなり脱落したんじゃないかというのはかなり勿体無い気がしているのだが、それも百も承知であのスタイルを選んだのだとすれば全き成功ではある。

ひょっとしたら、14年前のイメージで、InterFMって関東ローカルの、しかもバイリンガル相手のニッチな局だからあんまりリスナー多くないんじゃないの、という意識でスタートしていたのかもしれない。だとすると、時代が違う。今はインターネットを駆使して世界中のあらゆる場所から熱心なファンがアクセスして何とかしてラジオを聴こうとするのだ。それを、どうとるか。その反響は、どれくらいだったか。第2回に、その影響の反映がどれくらいみられるか、みられないか。そこらへんのところに注目して聴いてみるのもいいかもしれない。

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