Sightsong

自縄自縛日記

マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く

2013-05-30 23:57:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

名ピアニスト、マルグリュー・ミラーが脳卒中で亡くなったとの報。まだ57歳だというのに。

目立って尖ったプレイをしたわけでもなく、わたしも別に熱心な聴き手ではない。ファンであるともいえない。それでも、トニー・ウィリアムスがブルーノートに吹き込んだ爽やかな諸作も、リーダー作『Wingspan』も、気に入って散々聴いていた。どっしりとして、軽やかで、常に新しい感覚があって、よくわからないが大変な技量だったのだろう。

トニー・ウィリアムスが亡くなる直前、マルグリュー・ミラー、アイラ・コールマンとのトリオで来日した際に、BN東京に聴きに行った。わたしの席は、ミラーの大きな尻の真後ろだった。その時の演奏曲メモが、演奏後にはらりと落ちて、つい拾ってしまった。誰が書いたのかわからないが、いまも大事に取ってある。

 
トニーのライヴメモ(表と裏、1996年拾う)

そんなわけで、帰宅してから、個人的な追悼のつもりで、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』(Sweet Basil、1997年)を聴く。

Charnett Moffett (b)
Mulgrew Miller (p)
Louis Hayes (ds)

リーダーがウルトラ・テクニシャンのモフェットであり、その技術をひたすら顕示する演奏群である。嫌味を通り越して、もの凄くカッコ良い。このとき、モフェットはなんとまだ30歳。わたしはいちどだけ、「GM Project」というグループで来日したモフェットを目の当たりにした。大きなダブルベースとエフェクターを意のままに使う姿に仰天したのだったが、そのときは20代だったということか。

そんな中でも、ミラーはいつものミラーであり、素晴らしい。冒頭の「Moon Light」ではモフェットのテクに圧倒され、3曲目のミラーのオリジナル曲「The Eleventh Hour」(『Wingspan』にも収録されていた!)では、華麗なミラーのピアノ世界を少し開陳してくれる。そして、かなり年上のルイ・ヘイズは、風圧ということばを想起させるドラミング。

亡くなってから気がついたように聴いているわけだが、どうしても惜しむ気持ちになってしまうのは仕方がない。

●参照
トニー・ウィリアムスのメモ
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』


ファスビンダーの初期作品3本

2013-05-26 23:14:35 | ヨーロッパ

体調が悪く、土日は引きこもり。そんなわけで、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが短い創作期間の初期に撮ったギャング映画を、3本まとめて観る。オーストラリアの会社が、ファスビンダーの作品をまとめたシリーズものDVDをいくつか出しており、その中から、この『The Gangster Films』を入手しておいたのだ。すべて、ミュンヘンが舞台となったモノクロ作品である。

『愛は死より冷酷』(1969年)

ギャング組織に属さない男ふたりが、友人になる(そのひとりはファスビンダー自身)。ひとりの女(ハンナ・シグラ)を含めた、友情と奇妙な三角関係。やがて女は若い男に飽き、彼らが強盗をするときに密かに警察に通報する。

はなから、やさぐれたような様式美を意識する展開であり、白壁をバックとした抽象的な構図や、長回しが続く。だからといって、スタイルの模倣臭があると言いたいわけではない。むしろ、寂寞たる時空間のなかで、鬱屈して決して結実することのない「愛の不毛」のようなものが漂っており、奇妙に惹きつけられる。

『悪の神々』(1969年)

刑務所を出所したばかりの男。恋人(ハンナ・シグラ)のもとへ戻るが、彼は、何人もの女友達のところを行き来する。嫉妬に狂った女は、スーパーマーケットの襲撃計画を、事前に、やはり懇ろにしている刑事に密告してしまう。

人生に絶望した男女が次々に登場する、救いようのない物語である。それにしても、『愛は死より冷酷』といい、ハンナ・シグラの、ごく微かな笑みを浮かべた顔は、観るほうがおかしくなってしまいそうに魅力的。

『アメリカの兵士』(1970年)

ベトナム帰りのドイツ人。ダブルのスーツを着こなし、だらしなくてワイルドであり、片手にはバランタインの瓶。警察と結託し、よくわからぬ理由で、手相を診るのが上手いジプシーの男や、いわくのありそうな娼婦や、寝返った刑事らを、ピストルで殺し続ける。

いや、物語はないに等しい。ただひたすらに、パルプフィクション的なネタが増幅されカリカチュア化されたイメージを、確信犯として、つなぎ続ける。いまの目で観ても凄まじい覚悟っぷりである。緊張は最後まで保たれるのだが、ラストシーンにいたり、緊張は決壊し、スラップスティック・コメディに転じる。

男は警官に射殺される。それを目撃した男の母の若い恋人は、男を憎み、また同時に、同性愛的な感情を持っていた。そして、母が見守る前で、既に死んだ男を抱きしめ、激しく愛撫する。しかも、延々と、寝返りをうち続けて。何なんだ!

このあまりの脈絡のなさで、果たして観客は口をあんぐりと開けて茫然と観続けたのだろうか、それとも、爆笑したのだろうか。ちょっと驚愕した。怪作というだけでなく、傑作と評価されて良いのではないか。

●参照
ジャン=リュック・ゴダール『パッション』(ハンナ・シグラ)


溝口健二『雨月物語』

2013-05-26 00:22:01 | 関西

久しぶりに、溝口健二『雨月物語』(1953年)を観る。ブックオフに韓国版DVDが500円で置いてあったのだが、もう著作権も切れたということだし、本屋のワゴンにでも廉価版が売っていたりするのかな。

戦国時代、琵琶湖の北の畔。窯で器を焼いて生計を立てる男とその妻子。隣には、侍になりたいと妄想する馬鹿男とその妻。戦のどさくさで焼き物が売れに売れ、あぶく銭を手にしてしまった男たちは、金と欲に目が眩む。かたや、成仏できずにさ迷う亡霊に憑りつかれ、かたや、手にした銭で武具を買い、出世を狙う。

溝口健二は、妥協を知らない職人だったという評価をどこかで読んだ記憶がある。名作として称えられるこの映画を観ると、確かにそうだったのだろうと確信してしまう。

焼き物を積んで霧の中を漕ぎだす湖の場面は、宮川一夫の撮影手腕もあるのだろうが、実に見事。唐突にあらわれる亡霊の姫様(京マチ子)の妖艶さ、男が化かされる屋敷でやはり突然カメラが向けられる甲冑の迫力には、文字通り、吃驚してしまう。男が命からがら戻った家で、真っ暗ななか蝋燭が灯され、妻(田中絹代)の顔が浮かび上がる確信犯的な場面。すべてに隙がない。

この素晴らしいモノクロ映像は、きっと、フィルムによる上映を観たならば、さらに網膜に焼きついたことだろう。

当時の観客は、度肝を抜かれ、茫然として、あるいは陶然として、映像を凝視したに違いない。

●参照
溝口健二『雪夫人絵図』(1950年)


張芸謀『上海ルージュ』

2013-05-25 19:04:42 | 中国・台湾

張芸謀『上海ルージュ』(1995年)を観る。

1930年の上海。田舎から叔父を頼って出てきた少年は、顔役の家で、その愛人(コン・リー)の家来となる。気の利いたことができない田舎者。やがて抗争があり、顔役は、近くの小さな島に愛人や少年を引き連れて逃れる。愛情に飢えている愛人は、顔役の部下と関係し、少年や島の少女に歪んだ愛情を注ぐ。

張芸謀(チャン・イーモウ)の作品としては、さしたる傑作にも感じられない。それでも、少年がビビりながら上海に蠢く妖怪たちの姿を凝視し、覗き見する繊細な描写は、さすがである。

コン・リーには、このように心の安寧が得られない薄幸な役が与えられることが多いような気がする。観ていてまたかと思い、ちょっと苦しい。

それにしても、1930年の魔都。この都市で、J・G・バラードが生まれた年である。まさに、尾崎秀樹『上海1930年』(>> リンク)で描かれたように、尾崎秀実や、リヒャルト・ゾルゲや、魯迅や、アグネス・スメドレーや、川島芳子といった怪人奇人たちが跋扈した時代。そして、映画にも出てきたように、快楽を求めて夜の文化やファッションが爛熟する時代。

今の上海でも、夜歩くと気圧されるものがあるが、きっと比べものにならないほどの猥雑な力が溢れ出ていたのだろうと想像する。

●張芸謀
『紅いコーリャン』
(1987年)
『紅夢』(1991年)
『初恋のきた道』(1999年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)
北京五輪開会式(張芸謀+蔡國強)(2008年)

●上海
尾崎秀樹『上海1930年』
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』(同時代の上海を描く)
J・G・バラード自伝『人生の奇跡』(バラードは30年に生まれ上海で育った)
海野弘『千のチャイナタウン』
『チャイナ・ガールの1世紀』 流行と社会とのシンクロ(魔都上海とファッション)
ミカエル・ハフストローム『諜海風雲 Shanghai』(40年代の上海)
伴野朗『上海伝説』、『中国歴史散歩』
海原修平写真展『遠い記憶 上海』
海原修平『消逝的老街』 パノラマの眼、90年代後半の上海
陸元敏『上海人』
2010年5月、上海の社交ダンス
上海の夜と朝
上海、77mm
上海の麺と小籠包(とリニア)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡
井上ひさし『シャンハイムーン』 魯迅と内山書店
太田尚樹『伝説の日中文化サロン 上海・内山書店』


いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ

2013-05-25 10:27:17 | 沖縄

ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒> 日米への抵抗』(法律文化社)(>> リンク)の刊行記念として、東京でも、記念シンポが開かれた(2013/5/24、主催・平和を考える編集者の会)。司会を務められた編集者のHさんにお誘いいただき、参加してきた。


著者のガバン・マコーマック氏と乗松聡子氏

登壇者の方々の発言は以下のようなもの。(当方の解釈で要約)

ガバン・マコーマック氏(オーストラリア国立大学名誉教授)

○本書でもっとも大事に思ったのは米国の読者(まず英語版が米国で出版された)、次に、日本の「本土」の読者。さらに中国語版・韓国語版の出版に向けて翻訳を進めている。沖縄の読者は、本書に書かれていることの多くを知っており、自分自身のことであるから、あまり「必要ない」。
○沖縄における長い人民対国家の闘いは、現代史にも例がないものだ。もし「主権在民」が真に存在するなら、それは沖縄において実現しているべきものだ。
○大田昌秀氏(元沖縄県知事)が、数日前、「2013年は最悪の年になりかねない」と言った。現政権は辺野古の新基地建設を強行しようとしている。しかし、沖縄が勝つなら、国にとって打撃となるはずだ。
○安倍政権の最大の問題は、(米国への)「属国主義」かつ「民族主義」という矛盾である。
○中国共産党機関紙「人民日報」に、琉球の主権を再定義すべきだとする論文が掲載された(2013年5月8日、12日)。中国の対日政策が変化し、沖縄を焦点化してきている。揺さぶりかもしれないが、ここからも、「沖縄」というプリズムからひとつの本質が見えてくるのかもしれない。

乗松聡子氏(ピース・フィロソフィー・センター代表)

○英語版については、ノーム・チョムスキー氏やジョン・ダワー氏に、草稿の時点から読んでもらっていた。また、「Foreign Affairs」誌や「Japan Times」にもレビューが掲載された。どうやら、後者を書いた大学教授は、米国大使館から抗議の電話を受けたようだ。
○オリバー・ストーン監督にも、沖縄(高江など)に行ってもらうことにした。どのような反応があるだろうか。
○「鳩山の乱」という章を、法律文化社の編集者Kさんが鳩山元首相に送ったところ、感想文が送られてきた(!!)(※会場で配布された)。
 「・・・外務省、防衛省の官僚たちは、「最後は辺野古しかない」とのメッセージをアメリカ側に送り続けていたことは事実でしょう。
○本書では、知念ウシ氏にもインタビューを行っている(215頁~)。ここで、知念氏のアイデンティティについて問うたところ、「どうしてこのような一方的な質問にさらされるのでしょうか。(略)まず質問者が自分のそれを語った上で他人に聞くものではないか、と思います」との応答であった。無意識的に、「人類館事件」にも共通する好奇の視線を持って問いかけたのではないか、と内省するきっかけにもなった。その思いを持って、日本語版をつくった。


ゲストの知念ウシ氏と高橋哲哉氏

知念ウシ氏(むぬかちゃー=著述家、「カマドゥー小たちの集い」メンバー)

○東京に来る飛行機の隣の席で、安倍首相の『美しい国へ』を読んでいる女性がいた。どのようなつもりだったかわからないが、とりあえず、本書と、野村浩也『無意識の植民地主義』とを、対抗して見せびらかすように読んだ(会場笑)。
○乗松氏指摘のインタビューへの応答は、勇気の要ることでもあった(「嫌な奴」と思われてしまう)。実際に、新聞記者やシンポジウムの司会者までが「友達いないでしょう」などと言ってくることさえあった(どう答えればいいのか?)。従来の植民地主義的な人間関係が、このような構造をつくってしまい、それが基地固定にまでつながっているのではないかと思い、あえて発言した。
○木村朗氏(鹿児島大学)による本書の書評(「週刊金曜日」)には、本書が「沖縄人以上に」安倍政権に怒りを表明し、沖縄現地の人々の立場・視点を重視しているとある。ここでいう「沖縄人」とは誰のことなのか。本書のオビには、大田昌秀氏が「沖縄人以上に沖縄想いの著者」と書いており、それを意識したのかもしれない。大田氏自身が言う「沖縄人」とは自分のことであろうし、それならば問題はない。しかしながら、この場合には違和感がある。また、普天間基地の「県外移設」を訴える沖縄人の真意を「単なる「平等負担の訴え」ではなく」と書いている。「平等負担」だけでも大変なことであり、なぜ「単なる」ということばでおとしめるのか。
○普天間基地の「県外移設」とは、日米安保容認を意味しない。安保には反対である。そうではなく、日本人が自分で基地を引き取って何らかの決着をつけないといけないことだという意味だ。この点は、ガバン氏の言う「属国主義かつ民族主義という矛盾」にも関連する。
○沖縄の闘いは、決して米兵による少女暴行事件(1995年)以降のことではない。戦前からずっとつながってきているものだ。

高橋哲哉氏(東京大学教授)

○自分の言いたいことは、本書のオビに寄せた文章に尽きる。「日本人よ!今こそ沖縄の基地を引き取れ」という冒頭の文章は、國吉和夫氏による写真集『STAND!』に収録された写真のなかで、横断幕に書かれていたものだ。(※この一葉の写真は、写真集の冒頭に挿入され、「2011年 那覇市県庁前 菅直人総理来沖に抗議する「カマドゥー小たちの集い」との説明が付されている)
○野村浩也『無意識の植民地主義』の言説については、『人間の安全保障』(共編)や『犠牲のシステム 福島・沖縄』(>> リンク)にも引用し、応答した。
○被害と加害との関係は、単純ではないが、否定できない。今後も、権力は、誰かの犠牲のうえに社会を成立させる「犠牲のシステム」を維持するのだろうか。憲法上も、人としても、それは決して正当化できない。維持するのであれば、「誰を犠牲にするのか」を、差別者であることを、自ら宣言しなければならない
○可能性があるとすれば、犠牲を自ら引き受けることでなければ、もはやこのシステムを成立させ享受する権利はない。それが、「県外移設」論につながる。「朝日新聞」における知念ウシ氏との対談では、知念氏に「じゃあ、基地を引き受けてくれますね?」と問われ、「それが日本人としての責任だと思っています」と応答した。
○世論調査では、安保を維持すべきだと答える割合が年々増加し、いまでは7-8割にも達している。一方、沖縄ではその回答は10%前後にとどまる。すなわち、安保を必要とする人が基地を負担するのが当然の理である。
○沖縄での憲法集会(2013/5/3)において、基地を「本土」で引き取るべき、しかし戦争はしないのだと説いたところ、参加者1400人ほどのうちアンケートに150人ほどが回答、うち30人ほどの人に「安保容認」だと受け止められた。しかし、そうではない。

各氏の発言のあと、会場からのコメントや質問、それらに対する各氏の応答があった。

○基地経済について。現在では基地従業員数は沖縄の就業人口の1-2%程度(※基地収入は5%程度)。軽視できないが、そもそも基地という殺戮・破壊装置をなくすべきであり、大田知事時代の政策には、基地従業員の再雇用・再訓練も含まれていた。
○鳩山政権が2009年末に「県外移設」を諦めて辺野古に決定しかけていたのではないか、との見方について。メディアへのリークや、社民党の存在がなければ、辺野古に決められ、その後の名護市長選の結果も違ってきていたのではないかとの指摘。乗松氏は、証拠はないが、やはり辺野古合意を演出していたのは官僚ではなかったかとも見方。(※鳩山元首相による「鳩山の乱」章への感想文には、「・・・鳩山自身が2009年末に半ば諦めて辺野古を容認していたということはありません」とある)
○埼玉県飯能市に住む方の体験。飛行機の音が凄く(那覇の一部よりもうるさいとのこと)、自衛隊入間基地の飛行機かと思っていたが、実は、横田基地の米軍機であった。しかし、住民の方々は、誰もそのことを認識していない。もし沖縄から基地機能を「本土」に移すとなれば、目立たぬようじわじわと行うのだろうが、このような状況で、「本土」の住民は、どうすれば問題をわがこととして受け止めるのだろうか、との問題提起。
○社民党が与党に参加していた時期に、照屋寛徳議員・山内徳信議員らを中心に、「県外移設」の候補地についてかなりの実態調査をしているとの情報提供。硫黄島については、火山活動による隆起が激しく、滑走路維持だけで負担になるため無理だとの結論であった。そして、いずれの候補地も、鳩山政権の候補地としては残らなかった。
○米国連邦議会において、軍事予算の圧迫による財政難が大きな課題となっており、海外に展開する海兵隊が不要とのロビイングが有用であるとの指摘。
○とくに習近平時代になって、米中関係が変貌し、日米安保をやめる条件が整いつつあるとの指摘。
○「沖縄問題」について、沖縄と「本土」との情報格差があまりにも大きいとの指摘。2013年4月16日、米韓軍事演習中に、普天間所属のCH53ヘリ(2004年に沖縄国際大学に墜落したヘリと同機種)が、南北朝鮮国境付近で墜落した。しかし、「本土」では、ほとんど報道されなかった。このような情報の隠蔽や操作が、無知・無関心を広げていく。
○「県外移設」論は、特に「本土」の革新系の「運動エリート」から、安保容認であり、「本土」との連帯を損なうものだとの批判を受けることが多いとの指摘。高橋氏は、それは矛盾だと発言した。

シンポ終了後に懇親会があり、楽しみにしていたのではあるが、このところずっと喉を傷めており声が出ないため、遠慮して帰った。残念。

●参照
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』


熊井啓『黒部の太陽』

2013-05-23 20:30:55 | 東北・中部

熊井啓『黒部の太陽 特別編』(1968年)を観る。NHKでの放送を録画しておいたものだが、196分のオリジナル版よりも短い130分余りの版である。

1956年着工、1963年竣工。黒部ダム(富山県)は、関西電力が、ピーク需要への対応のため、発電量の調整能力が大きい貯水池式水力発電所として建築したダムであり、堤高186mはいまだにアーチ式ダムの中で日本一を誇る。わたしは堤高130mの宮崎県・一ツ瀬ダムを見学したことがあるが、黒部ダムを見たことはまだない。きっとこの56mの差は大変なものなのだろう。

映画では、関西電力の太田垣社長(当時)が、木曽川水系の丸山ダムの工事とはわけが違うと逡巡する黒四建設事務所次長(三船敏郎)に対し、「確かに桁違いだ、構想も違う。だが君、考えてみたまえ。丸山ダムの工事で革新された土木技術が、次の佐久間ダムをつくったんだよ。その成功が今度の黒四のきっかけになったんだ」などと諭す場面がある。両方とも日本の土木工事史に残るダムだが、重力式ダムであり、また、確かに工事の困難性という意味では格が違う。

黒部ダムと発電所が「黒四」と称されるのは、黒部川水系で4番目の発電所だからであり、「黒三」は、戦前に建設されている。そのときには、100℃にもなるトンネル内工事を、朝鮮人労務者に強制的に担わせたという歴史がある。この映画でも、資材搬送用のトンネル工事を請け負った熊谷組の主人公(石原裕次郎)の父親が、その工事を命令していたという設定になっているらしい。

「らしい」というのは、熊井監督本人による手記『映画「黒部の太陽」全記録』(新潮文庫、原著2005年)に、そう書いてあるからだ。ところが、本版では、そのようなセリフはカットされており、単に鬼のように労務者をこき使う男としかわからない。つい最近まで、このカット版も観る機会がなかったのではあるが、やはり勿体ないことだ。手記では、朝鮮人労務者を強制労働に駆り立てたという描写を削れ、との抗議もあったのだという。歴史修正主義者はいまも昔も存在する。

戦争に負けた日本が、次に挑んだ戦地は、産業というフィールドであった。それが、日本人のアイデンティティを支えた。そうでなければ、この事業を「日本人の誇り」と喧伝し、工事の犠牲者の方々を「英霊」であるかのように称えるわけはない。もちろん、当時の日本の産業社会にとって「必要」な設備であり、技術の限界に挑んだ大事業であったことは、間違いない。それでも、これは戦争ドラマである。

この後、『黒部の太陽』は、巨大ダム建設を進めるためのプロパガンダとして、漁協関係者の説得に利用された。そして、建設省(当時)が資金を提供して行われていた「湖水(ダム)祭り」の類の主催者は、石原プロであることが多かったという(天野礼子『ダムと日本』)。

熊井監督による手記を読むと、この映画は、石原プロが、映画会社のカルテルたる「五社協定」を破る形で、強引に進めたものだったことがよくわかる。そのような野心的な映画制作であったはずが、時代が変わり、巨大ダムを必要としない状況に移り変わってきても、利用され続けたということは、皮肉なことだ。

『週刊金曜日』誌の942号(2013/5/10)が、「ダムを壊したら魚がもどってきた」という特集を組んでいる。もはや無駄な公共事業となったものとして挙げられているダムは、八ツ場ダム(群馬県)をはじめ、石木ダム(長崎県)、最上小国川ダム(山形県)、成瀬ダム(秋田県)、サンルダム(北海道)。自民党政権が復活し、「国土強靭化」の名のもとに、また事態がおかしな方向に進んでいる。

さらに、興味深い記事がある。熊本県球磨川水系の荒瀬ダムにおいて、全国ではじめて大型ダム撤去工事が進んでいる。その結果、アオコの発生がなくなり、アユが戻り、アオノリの生育も良くなったようだ。

十把ひとからげにダムや水管理を扱う議論は好きではないが、少なくとも、押しとどめることができない公共工事よりは、はるかに希望がある話である。この経緯については少し調べてみたい。

●参照
八ッ場 長すぎる翻弄』
八ッ場ダムのオカネ
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
『けーし風』2008.12 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い(奥間ダム)
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ジュゴンのレッドデータブック入り、「首都圏の水があぶない」
小田ひで次『ミヨリの森』3部作(ダム建設への反対)
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間(ダム建設への反対)


ザ・シング@稲毛Candy

2013-05-22 08:01:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

稲毛のCandyに足を運び、来日したばかりの「ザ・シング」(The Thing)を聴いた(2013/5/21)。北欧の面々だが、当日カナダから直接渡航してきたのだという。

Mats Gustafsson (sax)
Ingebrigt Haker Flaten (b)
Paal Nilssen-Love (ds)

何しろ、マッツ・グスタフソンのブロウを直接聴くのははじめてである。そして、テナーでもバリトンでも、文字通りパワープレイ、期待に違わぬ轟音を響かせてくれた。

彼のサックスはまったく上品ではない。擦音、破裂音、びりびりと震える低音といった持ち味があるが、中音域の朗々と響く音圧もすさまじい。それにしても、キャンディに来るのはまだ2回目だが、音響環境が良い。小さなハコの中で、20人くらいの観客とともに聴くことは贅沢だろう。

インゲブリグト・ホーケル・フラーテンのベースはピチカート中心。ベースにもパワープレイがあるのだなと思いながら観る。音量を調整しながらのアタックが強烈なのだ。

ポール・ニルセン・ラヴのマッチョぶりもいつも通り。

演奏が終わった後、マッツに、彼がミシャ・メンゲルべルグと共演した『Live in Holland』(X-OR、1997年)にサインをいただきながら少し話をした。ザ・シングは結成14年だから、録音はその前である。ミシャとは何度も共演しているそうだが、いまでは年齢のせいもあって「sick」だそうである。そうなのか・・・。

●参照
マッツ・グスタフソンのエリントン集
大友良英+尾関幹人+マッツ・グスタフソン 『ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置展 「with records」』
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン・ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(ニルセン・ラヴ参加)
4 Corners『Alive in Lisbon』(ニルセン・ラヴ参加)
スクール・デイズ『In Our Times』(ニルセン・ラヴ、フラーテン参加)


宮野裕司+中牟礼貞則+山崎弘一+本多滋世@小岩フルハウス

2013-05-21 07:29:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

本多滋世さんからのご案内で知り、小岩のフルハウスにはじめて足を運んだ(2013/5/18)。

宮野裕司 (as) 
中牟礼貞則 (g) 
山崎弘一 (b) 
本多滋世 (ds) 
田中千賀 (vo) ※ゲストで2曲。
 
宮野さんのサックスは、音が小さく、以前から、ずいぶん個性的だなという印象に過ぎなかった。渋谷毅オーケストラで吹くのを聴いたときには、「俺が俺が集団」の中にあって、何となく希薄な個性のようにも思っていた。
 
改めて聴いてみると、まるで、目の前にある陶磁器の形や味わいを触って愛でるような感覚。まったく希薄ではない。即興に入ろうとするときのためらいも感じられて、それがまた心地が良い。これはミニマルであり、ワビサビなのだった。滋味は演奏スタイルだけでなく、選曲も渋いものばかり。ちょっとCDも欲しくなってしまった。

本多さんのドラムスは小気味好い。それだけでなく、特にブラッシュワークにおいて、ビートを跨る鞭のようなリズムが、まるでブラッシュワークの名手であったエルヴィン・ジョーンズを思い出させるようで。

そして、大袈裟にいえばギターレジェンド・中牟礼貞則。メロディーも和音もスタイリッシュで、ずっと凝視していた。ひたすらにカッコいいのだった。


ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』

2013-05-20 21:14:59 | 沖縄

ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒> 日米への抵抗』(法律文化社、2013年)を読む。

本書には、「捨て石」としての沖縄戦、切り捨てられた戦後処理、「復帰」後現在にいたるまで強化され続ける基地機能と、沖縄が、「理不尽」という言葉などでは表現しきれないほどの抑圧的・差別的な場所に置かれ続けたことが、具体的に示されている。日米両国家による権力行使の歴史が、如何に剥き出しで凄絶なものであったか。

その受苦の水準は、当事者ではないわたしのような読者が想像しうるキャパシティを遥かに超える。ところが、「本土」の多くの者は、想像力を1ミリも動かすことなく、目を背け続けている。あるいは、目を背けていることすら気づいていない。あるいは、目を背けていることを知りつつ、居直っている。わが身は傷まず、誹りを受けることもないからだ。仮に沖縄に旅行をしようと、物産店で沖縄の食材を買おうと、己の欺瞞をうつしだす鏡は、どこかに隠されている。すなわち、沖縄差別は巧妙に構造化されている。

鳩山の乱」という章がある。いうまでもなく、政権交代を成し遂げた直後の鳩山首相が、辺野古に計画されている米軍海兵隊の新基地を、「本土」に移そうという動きを見せたことを指す。既定路線からの逸脱は、米国への反逆であると同時に、日本の国家基盤を揺るがすものとして受け止められ、鳩山政権は、保守勢力とメディアを総動員した力によって潰されてしまった。そして、己の醜い差別者たる姿を見せられた「本土」は、それを直視することなく、鳩山首相と民主党を実務能力ゼロだとする別の欺瞞によって塗りつぶしてしまった。

このことは、当然ながら、今にはじまった事態ではない。本書をたどっていくことでよくわかることは、戦後日本が、一方的に米国の権力下に置かれていたのではなく、まさに「日米が共謀しての属国関係」であったということだ。日本が、戦後、独立国家・主権国家であったことなど一瞬たりともない、といっても過言ではないとさえ、思えてくる。おそらくは、「米国に押し付けられた」とする憲法を「改正」しようという動きも、「米国の望む姿になろうとする」ベクトルとして捉えるほうが妥当なのだろう。

本書の特徴は、学術的な文献資料よりも、むしろ、沖縄における報道、抵抗運動のブログ、生の声など、より一次的な実態をすくいあげていることだろう。 それは、著者が序文で強調しているように、「歴史を作る人」を最重視しているからである。ここでの「歴史」とは、勿論、国家の正史としての「歴史」ではない。

ノーム・チョムスキー氏による日米両政府への批判(2013/4/22、琉球新報)は、本書の英語版に触発されてのことだという。氏は、米軍基地に案して、「沖縄のことは沖縄が決めるべきだ」と発言している。

希望もなくはない。米国のジャパンハンドラーたちも、議会も、このような歪んだ基地のあり方に疑問の声をあげはじめている。しかしそれは、第一義には米国の海外軍事戦略上非効率だということなのであって、非民主主義的だからではない。 

●本書で参照された本など
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
浦島悦子『名護の選択』
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
金城重明『「集団自決」を心に刻んで』
謝花直美『証言 沖縄「集団自決」』
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』
知念ウシ『ウシがゆく』
ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
宮城康博『沖縄ラプソディ』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
2010年12月のシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」


ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』

2013-05-19 12:27:07 | 中国・台湾

ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』(2009年)を観る。広州の書店で、30元だった。

オリジナル版『楽園の疵』(東邪西毒)(1994年)を再編集した作品である。

12世紀、中国西域。武侠者たちが交錯する。

人殺し稼業の者(レスリー・チャン)は、恋人(マギー・チャン)が兄と結婚し、故郷を出て、砂漠の中で暮らす。彼のもとには、流れ者(レオン・カーフェイ)が1年に1回だけ訪れ、記憶を失くすために酒を呑む。また、兄と妹との両人格を持つ女性(ブリジット・リン)が、かたや妹の心を弄んだ流れ者を、かたや兄を殺してくれと、依頼に来る。さらには、やがて視力を失う者(トニー・レオン)は、自分の妻が流れ者と関係したのではないかと疑い、さすらう。

パーシー・アドロン『バグダッド・カフェ』を想起させる、ぎとぎとに鮮やかな砂漠の風景と傾いたフレーム。あざといほどの映像だが、見事に呑まれてしまう。

登場人物たちは、裏切られ、愛を求めて、理性的とはいえない行動を続ける。記憶こそが悪さをする。しかし、忘れようとするほどに記憶が蘇ってくる、希求するものを得ようとして得られない者は、覚え続けることだ、とするメッセージが全編を覆い尽くしていて、哀しくなってしまった。


加納啓良『東大講義 東南アジア近現代史』

2013-05-17 00:39:01 | 東南アジア

加納啓良『東大講義 東南アジア近現代史』(めこん、2012年)を読む。

近代以前の歴史をざっと眺めたあと、欧米の植民地時代からはじめて現代までを解説する本。

何しろ地図やグラフが多く、大変わかりやすい教科書になっている。通読するにも、脇に置いておいて調べるにも良い。

わたしの感覚では、東南アジアを足繁く訪れる仕事人でも、その9割以上は碌に歴史を知らない。何らかの形で東南アジアに関わる人には、ぜひ。

●参照
早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
白石隆『海の帝国』、佐藤百合『経済大国インドネシア』
梅棹忠夫『東南アジア紀行』
鶴見良行『東南アジアを知る』
波多野澄雄『国家と歴史』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
坪井善明『ヴェトナム新時代』
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
末廣昭『タイ 中進国の模索』
ラオス、ヴィエンチャンの本


歴史の裁きはつねに欠席裁判である

2013-05-15 00:28:57 | 韓国・朝鮮

橋下・大阪市長が、「慰安婦は必要だった」と発言した。

もとよりそのような考えの持ち主であることは明らかであったから、驚きはない。ただ、怒りと恥ずかしさとが湧き上がってくる。ここで観察できるのは、歴史についての無知と、非対称な権力関係に懐疑を抱かない想像力の欠如である。エマニュエル・レヴィナスの言葉を改めて噛みしめてみるとよい。

「歴史の裁きはつねに欠席裁判である。」
「歴史の裁き、すなわち可視的なものへの裁きから帰結する不可視の侮辱は、それが叫びや抗議としてのみ生起し、あくまで私のうちで感得される場合には、いまだ裁かれる以前の主観性あるいは裁きの忌避を証示するにすぎない。」

写真家の安世鴻氏は、朝鮮から慰安婦として中国に連行された少女たちが、故郷に帰ることもできず、年老いて生きる姿を記録している。ここに焼き付けられた人びとは、機能であり、装置であったとでもいうのだろうか。一人また一人と亡くなっていき、「死んでからでも故郷に帰りたい」と言う彼女たちに対し、必要な仕事をしたのだとでも総括できるのだろうか。

安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』第2弾、安世鴻×鄭南求×李康澤
新藤健一編『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』

この写真展を潰そうとした力は、<大きな枠組み>の意思であった。しかし、1965年の日韓基本条約では、慰安婦問題、韓国人の原爆被害者問題、反人権的犯罪問題は解決されていない。また、インドネシアでは、戦後、日本からの援助と戦争責任問題(従軍慰安婦問題を含む)がバーター取引された経緯がある。もとより、戦後日本では、責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった(波多野澄雄『国家と歴史』)。

そのようなネイション間の取り決めは、無数の個人への犯罪を置き去りにしている。太田昌国氏は、日韓のように、政府間の国交正常化により負の歴史を解決したというストーリーは、個人を対象とした補償ではないという点で、絶えず突き動かされることとなったとする(例えば、慰安婦であったときの証言を1991年にはじめた金学順さん)。

後藤乾一『近代日本と東南アジア』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
波多野澄雄『国家と歴史』
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
尹健次『思想体験の交錯』

沖縄でも、「女子挺身隊」という名のもとに強制的に朝鮮から連れてこられた慰安婦たちに関する証言が多い。輿石正『未決・沖縄戦』(2008年)、朴寿南『アリランのうた オキナワからの証言』(1991年)、福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』(1992年)、金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』(1991年)でも触れられているように、沖縄本島においてもやんばるにまで、また離島にまで、朝鮮人の慰安婦が連行されてきていたのである。

その過程において、軍は如何に慰安婦にすることを隠し、騙し、あるいは強制的に徴用したか。戦中の恐るべき性的重労働が終焉を迎えても、ひとりひとりの人生は損なわれ、精神を病んだ事例も数多い。

「女らしい生活をしたことなく生きて来て五十年来、胸に恨(はん)がつのって解けない。飛行機に乗ったとき、JALの翼の日の丸を見て、体が震え、力が抜けた。このような想いをして、なぜ私は日本へ行かなければならないのか、と思いながら来日した。日本政府は行ったことを認め、一言でも間違いだったといってほしい」
(福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』)

朴寿南『アリランのうた』
輿石正『未決・沖縄戦』
福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』
金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』

いま眼前で展開されているのは、想像力の欠如であり、知識の欠如であり、非対称性を省みようとしない傲慢であり、野蛮である。


張猛『鋼的琴/The Piano in a Factory』

2013-05-13 00:58:13 | 中国・台湾

張猛『鋼的琴/The Piano in a Factory』(2010年)を観る。広州で、20元で買った。

去年の福岡国際映画祭では、『鋼のピアノ』という邦題で上映されている。

遼寧省の田舎町。鋳造工場の労働者チェンは、リストラの憂き目にあっても、仲間と組んだバンド活動で糊口をしのいでいる。彼はアコーディオン、仲間はサックスやトランペットやヴォーカル。さらに、チェンは、妻から離婚を言い渡されるが、娘を手放そうとはしない。ただ、娘が好きなピアノがない。板とペンキで形だけのピアノを作ったりもする。そして、仲間に頼んで、鋳造工場でピアノを自作しようとする。

ジャケットの雰囲気から、ハイソな人情劇かなと思って観はじめたのだが、その予想は冒頭からあっさり裏切られる。発電所の冷却塔前で、葬式の依頼仕事をやっつけているバンドの場面から、シュールなる時空間に誘い込まれてしまう。笑いそうでひきつるような感覚。

奇妙な仲間たち。バンドの演奏ぶりも、生活ぶりも、まったく格好良くはなく、むしろセコく、ショボい。本気で怒り、誰かを追いかけまわし、殴る。嫉妬に狂い、やはりみっともなく追いかけまわし、殴る。それでも情がある。ただ、時間の進み方はノロい。そうこうしているうちに、娘は大きくなっていき、鋼のピアノは完成に近づく。

意外にも面白い作品だった。古い映画を意識したような色調も悪くない。


5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum

2013-05-12 09:45:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

(もと)師匠の松風鉱一さんに誘っていただき、習志野の「Lindenbaum」で、「Zekatsuma Akustic Trio」を聴いてきた。

音楽好きの方が趣味でやっておられるところである。前回足を運んだのは5年前。京成津田沼駅から20分くらいの住宅地の中にあって、また道に迷ってしまった。ご主人と師匠が、玄関先で傘をさして待っていた。

演奏は、セロニアス・モンクの2曲からはじまり、あとは、石田幹雄さんのピアノが暴れまくった「K2」、故・板谷博さんに捧げられた「R-Requiem」、ずいぶんスローペースの「w.w.w」などのオリジナル。最後は「After You've Gone」で締めた。

相変わらず、松風さんのサックスの音は、擦れなどさまざまな周波数がまとわりついて毛羽立ったような感覚で、とても良いのだった。

終わった後、自家菜園の野菜、天然ものの鯛の刺身、珍しい酒などがこれでもかと並べられての宴会。飲みすぎた。

●参照
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
くにおんジャズ(2008年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)(石田幹雄参加)


有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』

2013-05-11 10:33:34 | 政治

有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春新書、2013年)を読む。

児玉誉士夫は、戦前の軍国主義時代・大陸侵略時代において、「鉄砲玉」のようなテロリストから、軍に協力する商人・インテリジェンスへと変貌を遂げる。軍の戦略物資や資金を調達する際に、商社はすなわちインテリジェンス機関でもあった。そして、その際の換金財が、満州で栽培された阿片であった。麻薬と武器の売買、すでにこのときから児玉が「死の商人」であったことがわかる。

児玉は、戦後A級戦犯に指定されたことに不満であったという。本人は国粋主義者であり、かつ大アジア主義、五族協和、東亜新秩序を奉じていたからだ。このあたりの欺瞞を、本人が自覚していたものかわからない。しかし、戦後、欺瞞はさらに大きな欺瞞の物語に回収されていき、現在の偏狭なナショナリズムにもつながっている。

そのプロセスは、他ならぬ米国が、GHQCIAを介して、児玉たちを使って進めてきたものであった。1948年末に釈放されたあと、児玉は、米国の「反共」工作にかかわっていく。同時に岸信介笹川良一が釈放され、直後の1949年初頭に、岡村寧次(陸軍大将)が中国国民党から放免され、日本に送還される。(岡村は、中国戦線において「三光作戦」など数々の残虐行為を働き、戦後、国民党に協力することによって保身しえた人物であり、『大決戦 遼瀋戦役』(1990年)(>> リンク)や馮小剛『一九四二』(2012年)(>> リンク)といった中国映画では、極悪人として登場する。) さらに、同年、辻政信が戦争犯罪で裁かれることなく日本に戻る。これらの一連のプロセスは、偶然ではなく、紛う方なく米国の意思であったという。

何と、マッカーサーは、岡村に指揮を執らせて、旧日本軍将兵を米軍機で台湾から中国に移送し、残留日本兵と合流のうえ共産党軍と戦わせようとしている。敗戦後3年以上も経って、なお国民党に強要されて共産党軍と戦っている旧日本兵は相当数いたようで、そのひとつが、池谷薫『蟻の兵隊』(>> リンク)で描かれた山西省の残留日本軍であった。これを率いた澄田中将は、1949年に米軍機で山西省から日本に帰国させられた。岡村と合流させ、「台湾義勇軍」として、中国共産党と戦わせるためである。

この工作に、児玉や辻も噛んでいた。台湾独立連盟は、中国の国民党や共産党の支配に入るのではなく、米国の勢力下で独立したいという運動であり、児玉は、台湾に大陸から来た蒋介石ら「外省人」による白色テロ2・28事件(1947年)に対抗した者たちに、協力しようとした。そして、金門島の戦いで、共産党軍を撃ち破るに至る。

児玉は、戦後、社会主義政権の誕生を阻止し、日本を再軍備させるべく、政界のフィクサーとして暗躍し続けた。期待を寄せた鳩山一郎が、ソ連との和平に動くと離反し、河野一郎、緒方竹虎、中曽根康弘らを担いだ。田中角栄らを巡る汚職事件として暴かれたロッキード事件も、米国の軍需産業を育て、維持させるという文脈に位置づけられる。

恐ろしいことだ。要は、戦前の軍と右翼が、米国の力を借りて、亡霊のように活動し、戦後に明確につながっているということだ。

●参照
有馬哲夫『原発・正力・CIA』