Sightsong

自縄自縛日記

サタジット・レイ『ナヤック』

2012-03-31 09:57:50 | 南アジア

ドーハからの帰途、カタール航空の機内で、サタジット・レイ『ナヤック』(Nayak、1966年)を観る。

売れっ子映画俳優、アリンダム。傷害事件を起こしてしまい、マスコミから逃げるためもあって、デリーでの表彰式に旅立つ(おそらく西ベンガルから、だろう)。長距離列車のなかではさまざまな人と出逢う。あんたなんて知らんよ、映画なんて『わが谷は緑なりき』以降観ていないよと言う老人。自分のファンだという病気の女の子。俳優という仕事の華やかさに冷や水を浴びせるような、たまたま居合わせた女性記者。

そのうち、アリンダムには、自分の来し方が襲いかかってくる。新米時代、先輩俳優が人前で自分を叱責したが、その後立場が逆転してしまい、仕事のなくなった先輩が訪ねてきたこと。映画に使ってくれと突撃するように懇願してきた若手女優に対し、「自伝に書くから名前を教えてくれ」と言い放ったこと。労働運動に身を投じている長年の友人に、労働者たちの前で発言してくれと頼まれるも、そんなのは絶対にダメだ、リスクがある、と怖れおののき、逃げ出してしまったこと。アリンダムは泥酔し、女性記者に、話を聴いてほしいと頼む。

サタジット・レイ(ショトジット・ライ)は相変わらず映画作りが巧く、複数のプロットも実にすっきりと展開する。映画のテーマは、誰にも心の内奥をさらけ出し、聴いてもらい、時には慰撫してくれる存在が必要なのだということのように思える。極めてシンプルながら、共感しながら観てしまう。

アリンダムにとってのその存在たる女性記者は、しかし、デリー駅で人混みに姿を消す。この潔さもレイならではか。

●参照
サタジット・レイ『見知らぬ人』
サタジット・レイ『チャルラータ』


ジョニー・トー(15) 『奪命金』

2012-03-31 01:44:29 | 香港

カタール航空の機内で、ジョニー・トー『奪命金』(Life Without Principle、2011年)を観ることができた。

銀行員(デニス・ホー)は、行内のノルマ競争で後れをとっており、利息が少ないと文句をいう客にハイリスク・ハイリターンのファンドに無理矢理投資させる(このとき録音せねばならず、「すべて理解しました」と答えさせ続けるのが悪夢のようだ)。そんな投資よりも、裏社会での金貸しで儲けている下品な客は、駐車場で撲殺され、オカネを奪われる。それは、マフィアの有力者を刑務所から出すためのオカネであった。そのために奔走する男(ラウ・チンワン)は、段ボール回収の男からもオカネをもらったり、財テクで儲けている仲間からも借りたり。そのようなオカネ狂想曲と距離を置いている捜査官(リッチー・レン)の妻も、高騰を続けるマンションを買うために苦労して銀行からオカネを借りる。

そして、ギリシャ債務危機により、彼らはパニックに陥る。財テク男はその運用の依頼主から刺され、胸に造花の針を突き刺したまま車で病院を探す。おかしなファンドに投資したり、オカネを借りたりした人たちは、半狂乱になって銀行に押し寄せる。多国の市場介入によりひと段落、結局は、マネーゲームではなく、彼らは直接的に見えるものを求めていく。

サスペンスやバイオレンスそのものではないが、そこはトー得意の群像劇、それぞれの物語がどこかの取っ掛かりからつながり合っていく。マフィアを描いてはいても、これまでのような血と情で結びついているわけではない。オカネであっても、それは札束とイコールではなく、指標でしかない数字である。何だか中国のバブル経済を咀嚼して、トー世界のひとつとして吐きだしたような映画なのだ。面白く、2回続けて観てしまった。

驚いたのはラウ・チンワン。ジョニー・トー作品でも、『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001年)や『MAD探偵』(2007年)において、渋く、どうかしているほど暑苦しく、くどい役で出てきた俳優だが、ここでは、少しオツムが足りず、信念と情と身体ですべて解決していこうとする男の役柄なのである。このような愛すべき男も悪くない。

●ジョニー・トー作品
『アクシデント』(2009)※製作
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『文雀』(邦題『スリ』)(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
『MAD探偵』(2007)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『柔道龍虎房』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001)
『フルタイム・キラー』(2001)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)


金達寿『玄海灘』

2012-03-30 23:47:18 | 韓国・朝鮮

在日コリアン文学の嚆矢のひとり、金達寿『玄海灘』(青木書店、原著1953年・改稿1962年)。急遽足を運んだドーハのホテルで読み終えた(ひとりだとかなりヒマなのだ)。

ここには、日本敗戦直前までの占領下朝鮮と日本が描かれている。1953年という時期にあって、おそらくはこの小説家にとって、実態の生々しい人びとの姿そのものを描いた作品であっただろう。今では、植民地での醜い日本人たちの姿は、史実として受けとめることができる。しかし、当時、これを書くという行為も、受容も、現在とはまるで異なったはずだ。

想像しかできないながら、血で書かれているのではないかと思えるほどの念が、行間から立ちのぼってくるのである。それは支配者側の日本人に向けられるとともに、植民地社会での権力を身にまとっていた朝鮮人にも、向けられている。

主人公のひとりは、日本の地方新聞で働いた経験をもとに、朝鮮の御用新聞に雇ってもらう。日本では朝鮮人であることを隠し、朝鮮では日本人の経営層のもと屈辱的な態度を強いられる、という、屈折した関係。彼の日本人の恋人は、彼についていくと誓いつつも、それは同情に近いものだった。彼女が、「朝鮮人」ではなく何故「朝鮮の人」という表現を使うのか、彼にはそれが耐えられない。そして釜山から下関に渡る際に、彼はこともあろうに日本人になりすまそうと試み、特高により「化け」だと見抜かれてしまう。

まさに、汚れた歴史的記憶があるがために、まともに朝鮮人に向き合うことができない日本の姿が、ここには既に描かれている。尹健次は、次のように指摘している。

「アメリカ人」とか、「イギリス人」と呼び、またときに「中国人」と言うことはあっても、なぜ「朝鮮人」とは言わないのか。そこに歴史的に蓄積されてきた、日本人にとっての民族問題・植民地問題の重みがあるのは言うまでもない。「朝鮮人」とすんなり言えないこと、それがまさに「日本人」の問題なのである。」(尹健次『思想体験の交錯』、2008年)(>> リンク

彼の周りには、卑屈な日本人あり、卑屈な朝鮮人あり、弾圧への反発を、抵抗と朝鮮独立運動という形で噴出させる者あり。動き出した彼らも、「特高にいながら実は朝鮮独立を祈念する者」を装った朝鮮人により裏切られ、酷い拷問を受ける。そして、小説は、日本の敗戦間近であることを示唆しつつ、拷問の受苦で終わる。古い小説ではあるが、その時代に過去の記憶としてではなく現在の記憶として書かれたからこそ、価値のある小説でもある。

また、ここには、朝鮮独立を願う者たちが、金日成をイコンとして掲げたことが描かれている。当時からして、「北」は支配者の日本人からも「思想がわるい」といわれているところであったという。

「日独伊のいわゆる「防共協定」をまたずとも、人々の眼にみえるもの、耳にきくものはすべて反ソ・反共の宣伝一色であった。”赤”ということばで、それはこのうえない恐怖をさえ伴っていた。ほんのちょっとした民族的感情から発したことば一つでさえ、その”赤”にむすびつけられると、たちまち監獄の壁と向いあわなくてはならなくなり、それは死をさえ意味していた。そうしてどんなに多くの人々が、この世上からいなくなっていっていることであろうか!」

植民地朝鮮にとって危険な「赤」という存在は、しかし、戦後しばらくの間も、危険な存在であり続けた。韓国において「赤」だとみなされることは、なお、死を意味した。「人を見たら「北傀」のスパイだと疑えといったあの時代は、もう完全に終わってしまったのだ」(四方田犬彦『ソウルの風景』、2001年)(>> リンク)とはいえ、いまだ、朝鮮半島はふたつの国に分けられている。


署名入りだった。「寿」がいい

●参照
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
李恢成『円の中の子供―北であれ南であれわが祖国Ⅱ―』
李恢成『伽�塩子のために』
李恢成『流域へ』
朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』
梁石日『魂の流れゆく果て』
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
『世界』の「韓国併合100年」特集
四方田犬彦『ソウルの風景』


2005年、知名定男

2012-03-26 01:48:09 | 沖縄

知名定男さん。昨日(2012/3/25)開かれた「芸歴55周年記念リサイタル島唄百景」では、どうやら引退宣言をされたらしい。5年前の「芸能生活50周年記念公演」(2007/3/18、うるま市民芸術劇場)(>> リンク)では、まだまだ歌い続けるのだろうな、程度にしか思っていなかったのだが。沖縄を代表する唄者のひとりであるだけに、少なからずショックではある。

写真は、2005年、銀座わしたショップでの知名定男トークショー。大阪で育った氏が、1956年、父の知名定繁とともに沖縄に密航した話があった。「密航日和」というものがあるのだ、と、氏は笑っていた。発見され捕えられることとなったが、警察は知名定繁その人であると知るや驚愕、収監しながらも、大変なもてなしようであったという。


知名定男 ライカM3+ズミクロン50mmF2.0、シンビ200(+1増感)、DP


知名定男 ライカM3+ズミクロン50mmF2.0、シンビ200(+1増感)、DP


いただいたサインを大事に持っている

●参照
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)
知名定男芸能生活50周年のコンサート


秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン

2012-03-25 00:44:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインに足を運び、昼の部と夜の部のはじめてのダブルヘッダー。昼の部は「秘宝感」、夜の部は「blacksheep」である。(その間には、歌舞伎町のナルシスに寄って無駄話をしていた。)


斉藤良 (ds)
纐纈雅代 (as)
スガダイロー (p)
佐藤えりか (b)
熱海宝子 (秘)
石井千鶴 (鼓 / 秘宝感迎賓部)

気になってはいたものの、聴くのも観るのもはじめてだ。「白昼夢」色は「(秘)」の熱海宝子だけかと思っていたらさにあらず、コスプレ大好きな人なら悶絶して喜ぶであろう。ヴィジュアルのみならず、プレイはそれ以上に凄い。スガダイローの弾くピアノはあまりの勢いに動いているし、纐纈雅代の鳴るサックスも、斉藤良のグルーヴもかっちょいい。曲はオリジナルからセロニアス・モンクまで。

加納典明がソニーのミラーレスを使ってばしばし撮影していた。最後に、リーダー斉藤氏によるメンバー紹介と併せて写真家の名前も叫ぶはずが、別の大御所の名前を・・・(省略)。


吉田隆一 (bs)
後藤篤 (tb)
スガダイロー (p)

リーダー・吉田隆一は羊の耳を付けて登場し、えらくテンションが高い。そのためか、爆笑するスガダイローが昼間とは別人のように見える。

前半は、CD前作の収録曲であり、最後にJ.G.バラードに捧げられた「時の声」でしめくくられた。後半はSF映画特集と銘打って、「惑星ソラリス」、「J.G.バラード組曲」(特に最後の「結晶世界」が良い)、「ブレードランナー」、それからアンコール1曲。ひとつひとつイメージが膨らむ、ドラマチックな演奏に聴こえる。

アンサンブルも良いのだが、ピアノ、バリトンサックス、トロンボーンとそれぞれ相異なる音域と音の色のトリオというのが耳に新鮮。スガダイローの猛烈かつ繊細という矛盾するものの共存は、昼間と同じく素晴らしい。時々、敢えて転ぶような感覚があるが、あれは何だろう。そして吉田氏のバリトンサックスからは、鼓膜がばりばり響く低音も、狭いところを通り抜けるような高音も、ひしゃげたような変な音も飛びだしてきて、実に愉しめた。

元気が出るライヴ2連発なのだった。

●参照
『blacksheep 2』


ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』

2012-03-24 11:28:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、リサ・ソコロフ、ジョー・マクフィーの4人が即興音楽を繰り広げ、同時にジェフ・シュランガーがそれに触発された絵を描くというセッションの映像、『Spiritworld』(2005年)を観る。

William Parker (himalayan horn, perc, 尺八, fl, b)
Oluyemi Thomas (bcl, musette, fl, perc)
Lisa Sokolov (vo)
Joe McPhee (ss)

NYCのギャラリーで、まずはパーカーが吹くヒマラヤン・ホーン(アボリジニのディジェリドゥと同様に、やたらと長い)の低音の中を、トーマスのバスクラが入ってくる。やがてソコロフの声、そこにマクフィーのソプラノサックスが絡んでくる。あとは1時間を超えるフリー・インプロヴィゼーション、目を見張る場面が次々に訪れる。こんなライヴに立ち会ったら永遠に忘れないだろうね。

マクフィーのサックスが、4人のなかでもっとも「ジャズ」的ではある。ソコロフの高音との共鳴もいいし、トーマスのミュゼットとの絡みでは、彼の『Sweet Freedom - Now What?』(1995年)におけるマックス・ローチの曲「Garvey's Ghost」をすぐに想い出させる不穏な立ち上がりもいい。

パーカーは、パーカッションでも愉しげな音を出すものを並べ、また、細い縦笛2本をくわえてローランド・カークばりの演奏もする。そして本職のベースは、特にピチカートで様々な音を出そうとする動きが嬉しい。彼のサウンドの彩りが顕れているようにも見えた。

シュランガーは、例えば、ウィリアム・パーカー『Testimony』のジャケット絵や、ジュリアス・ヘンフィル『Fat Man and the Hard Blues』のジャケットに写された奇妙なサックスの彫刻などを手掛けているアーティストで、どうやら、ジャズのライヴに刺激された作品を創り続けている人のようだ。このDVDにも、ライヴ映像のほかに、シュランガーが自作を語る場面も収録されており、ヘンフィルやデイヴィッド・マレイやヘンリー・グライムスといったジャズ・ミュージシャンたちのことを語る姿は、ジャズ馬鹿そのものだった。勿論誉め言葉である。


米国撮影のフィルム『粟国島侵攻』、『海兵隊の作戦行動』

2012-03-24 09:53:13 | 沖縄

科学映像館が、米軍やUSCAR(米国民政府)が撮影したフィルムの配信を開始している。沖縄県公文書館が米国国立公文書館から複製して収集したものを編集した映像である。

■『粟国島侵攻』 >> リンク

沖縄本島の北西部に位置する粟国島には、1945年6月9日に米軍が上陸を開始した。島の西側は断崖絶壁、東側に砂浜。非常に多くの水陸両用車が次々に上陸していく。これを見るだけでも、兵器の質量ともに日本軍を圧倒していたことが実感できるフィルムである。

呆然として米兵の言うがままに誘導される住民たち。それでも、粟国島では3月の慶良間諸島のような「集団自決」は起きておらず、この原因が日本軍の不在にあると考えられている。

それにしても、海兵隊の若者たちを見ると、十把ひとからげな言い方ではあるが、その場のくぐり抜け方は身についていても、異文化への攻撃や歴史的な重大性など意識にのぼることはほとんどなかったのだろうな、と思ってしまう。つまり、最近のアフガニスタンと重なるのである。


呆然とする人びと

■『海兵隊の作戦行動』 >> リンク

沖縄戦の組織的な抵抗が終わるのは1945年6月23日(大田昌秀氏によると22日)であり、その前後に撮られたフィルムのようだ。

本島すぐ横の瀬長島に米軍が上陸している。現在は無人島だが、敗戦まで集落が存在した。おそらくは人々が身を隠すことを防ぐため、米軍は、火炎放射器で背の高い草木を焼き払っている。

そして、おそらく「Okinawan Southern Tip」とあるので糸満であろう地の映像がある。ガマを出るよう促されて捕虜になる人々。米軍撮影隊は「救助」や「治療」とのフリップを何度も挿入している。それ自体には嘘はないとしても、ガマに手榴弾を投げ込んだり、火炎放射器で焼きつくそうとしたりといった映像が、「1フィート運動」の方々により得られていることには留意すべきだ。このフィルムには、「IHS」の文字が背中にある牧師が海兵隊員に何か説教を垂れている様子も収録されており、明らかに空々しい。


説明用フリップ。ガイガーやシェパードは海兵隊将校の名前だろう。

とは言え、怖ろしい映像も含まれている。6月29日のことらしい、道路の下に掘られた防空壕に住民が隠れている。パイプをくわえた米兵はその中に拳銃を発射し、住民を両足から引きずり出し、その間、何度も身体に銃弾を撃ち込んでいる。さらに、その中に手榴弾を投げ込み、まだ隠れているかもしれない人々を念のために死に追いやっているのである。これが住民虐殺でなくて何であろう。


隠れる人を拳銃で撃つ米兵

●参照
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会(1フィート運動の映像)
沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回(大城将保氏による「沖縄戦の真実と歪曲」)
感性が先 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
『沖縄・43年目のクラス会』、『OKINAWA 1948-49』、『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』
『“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~』、『沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~』
今井正『ひめゆりの塔』
舛田利雄『あゝひめゆりの塔』
森口豁『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』
『ひめゆり』 「人」という単位
大田昌秀講演会「戦争体験から沖縄のいま・未来を語る」(上江田千代さん)

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』
『小島駅』(徳島本線の駅、8ミリ)
『黎明』、『福島の原子力』(福島原発) 
『原子力発電の夜明け』(東海第一原発)
戦前の北海道関係映画
山田典吾『死線を越えて 賀川豊彦物語』
『チビ丸の北支従軍 支那事変』(プロパガンダ戦争アニメ)


ユルマズ・ギュネイ(4) 『壁』

2012-03-23 19:11:42 | 中東・アフリカ

ユルマズ・ギュネイのDVDボックスの1枚、『壁(Duvar)』(1983年)を観る。仮出獄後に亡命先のフランスで完成させた『路』(1982年)のあとに撮られたギュネイの遺作であり、やはりフランスでの製作だったのだろうか。

トルコ・アンカラの刑務所。内部は男性、女性、少年院と分けられている。投獄されている理由はさまざまで、殺人も政治犯もいる。この所長が残酷非道な男であり、権力をかさに虐待を加えるのを愉しんでいる。それは苛烈で、少年に対し、「おまえは仲間うちで少女と呼ばれているそうだな、違うなら証拠を見せろ」と一物を出させ、恥をかかせた挙句、割礼していないなと殴る。反抗しようものなら容赦はなく、看守たちに手加減せず棍棒で殴打させる。拷問するときは、叫ぶ口の近くにマイクを置き、見せしめのために刑務所中に放送する。そして、所内で結婚する男女がいるが、皆が祝福している中、突然それぞれを殺すようなことさえもする。

少年たちが暴動を起こす。しかし、当然すぐに抑えつけられてしまう。少年たちは別の刑務所に移されることになる。ここでなければどこだってマシだよと呟く少年たちだったが、移送先でも同様の抑圧がはじまる。絶望的な終わり方である。

ギュネイが映画人生の最後に、獄中生活の直後、刑務所の実態を晒す映画を作るということには驚かされてしまう。拷問が行われる部屋にトルコ国旗やケマル・アタチュルク(生誕100年の頃に撮られ、神格化は続いていたのだろう)の胸像がこれ見よがしに置いてあること、刑務所内の落書きに「Yasasin Kurdistan」(クルディスタン万歳)と書きつけてあることなど、おそらく当時の体制にとって許容などできようのない映画であったに違いない。ギュネイはクルド系であった。

なお、現在ではギュネイ復権なり、2011年には多くの作品群がDVDされたとの報道がある(このDVDボックスは2009年頃)。

特筆すべき場面は、獄中での出産である。何と、実際の出産場面を用いており、赤ん坊の頭が出てくるところが映しだされているのだ。サミュエル・フラー『最前線物語』における戦車内での出産シーンが、急に馬鹿げたものに思えてきた。暴力だけでない生の発露、これはギュネイの遺作にふさわしいものかもしれない。

ギュネイの作品リストは以下の通りである。(DVDボックスに収録されている作品は★印)

国境の法(Hudutların Kanunu) 1960年代 ★
 他、60年代にも作品
希望(Umut) 1970年 ★
エレジー(Agit) 1971年
歩兵オスマン(Piyade Osman) 1970年
七人の疲れた人びと(Yedi belalıar) 1970年
逃亡者たち(Kacaklar) 1971年
高利貸し(Vurguncular) 1971年
いましめ(Ibret) 1971年
明日は最後の日(Yarin son gundur) 1971年
絶望の人びと(Umutsuzlar) 1971年
苦難(Acı) 1971年
父(Baba) 1971年
友(Arkadas) 1974年
不安(Endise) 1974年
不幸な人々(Zavallılar) 1975年
群れ(Sürü) 1978年(獄中監督) ★
敵(Düsman) 1979年(獄中監督)
路(Yol) 1982年(獄中監督) ★
壁(Duvar) 1983年 ★

●参照
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』
ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』
ユルマズ・ギュネイ(3) 『群れ』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


イスマイル・カダレ『夢宮殿』

2012-03-23 12:33:54 | ヨーロッパ

イスマイル・カダレ『夢宮殿』(東京創元社、原著1981年)を読む。カダレはアルバニア出身の小説家である。母国との関係が悪化する前のソ連に留学、母国でも体制に容認された存在でありつつも体制批判的な作品のためフランスに亡命を余儀なくされ、現在では母国とフランスとを行き来する活動状況であるという。

19世紀、オスマン帝国。主人公マルク=アレムは、「夢宮殿」こと「タビル・サライ」という官庁に就職する。そこは、オスマン帝国の版図全域から、市民が視た夢を収集し、帝国を揺るがす種がないかどうかを分析する巨大組織であった。マルク=アレムはアルバニア名家の出身であり、武勲詩を語り継ぐほどの存在だった。しかし、それはオスマン皇帝にとって、アルバニアという辺境の家にあるまじきことなのだった。マルク=アレムは出世し、一方では帝国内の勢力争いが起き、そのうちにマルク=アレムは権威的な官吏になっていく自分を発見する。

独裁的共産主義国家のもとで全体主義の目に見えぬ脅威と恐怖を描いた作品としては、ソ連におけるストルガツキー兄弟『滅びの都』(1975年)や、チェコにおけるミラン・クンデラ『冗談』(1967年)を想起させられる。バルカン半島の小国であり、ギリシャとセルビアの隣にあるアルバニアという国のことを意識したことはほとんどなかったが、長いオスマン帝国の支配、第二次世界大戦中にはイタリアとドイツの相次ぐ支配、戦後は共産党(労働党)の一党独裁(1991年に終結)と、複雑な歴史を経た地なのだった。

巻末の沼野光義の小文では、バルカンの風土に根ざした独自の幻想性という点で、ルーマニアのミルチャ・エリアーデにも通じるものがあると指摘している。夜の闇と不透明な支配の闇のなかでうごめく小説世界は、確かに魅力的である。カダレの他の小説も読んでみたいところ。

●参照
ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』


小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』

2012-03-23 01:21:04 | 東北・中部

アテネ・フランセ文化センターで、小川紳介の没後20周年記念上映を行っている。先日の休みに、『牧野物語・峠』(1977年)と『ニッポン国古屋敷村』(1982年)を観ることができた。(ところで、久しぶりに足を運んだアテネ・フランセは、いまだに4階まで階段。かつて故・淀川長治氏の話を聴きにいったところ、氏は休み休みでのぼってきて、開始が遅れたことがあった。)

三里塚を撮ったあと、小川プロは山形に移り住む。『牧野物語・峠』(1977年)は、そこでのスケッチ的な記録である。

まず、大正生まれのお婆さんが登場し、蔵王のフォークロアを語る。何でも蔵王で頂上までの競争をしたところ、唯一ゴールに着いたのは「苔」であった、という話がある。近くには、秋田から「歩いてきた」山もある。このさわりだけで、既に日常をゆうに超えている。そして、蔵王は月山にくらべると穏やかな性格なのだという。

次に、ずっと百姓であった詩人・真壁仁が登場する。映画のタイトルは、彼の詩からとられている。「峠は決定をしいるところだ。」から始まるその詩は、何ともいえぬ含意を含みもつようだ(>> リンク)。詩人本人は、とつぜん敗戦を迎えた頃の、開けた空間と岐路とを意識したものだという。詩により沿っていく映像、しかし、彼はお婆さんとは逆に、蔵王を厳しい環境だと表現する。

そして、明治生まれのお爺さんが登場し、村々の水を巡る争いを解決した思い出話などを訥々と語る。この表情を見つめるカメラ、何とも人間的な関係なのだった。

『ニッポン国古屋敷村』(1982年)は3時間半の大作である。

この古屋敷村は過疎により寂れ、もはや8軒しかない。何年かに一度、「シロミナミ」と称するヤマセが襲ってきて、せっかく育てた稲を台無しにしてしまう。映画は、それが何故なのか、気温の日変化や、水田の場所や、土質などを執拗に追及する。ほとんど科学教育映画を凌駕するレベルである。それも当然、何年も住みついて、なし崩しにではなく、あくまで外部からの者たちとして、フィルムにその世界を焼き付けることのみに奉仕したことの凄まじさが、隠しようもなく顕れてくるのである。

道路の建設、近代化への期待と裏腹の過疎。雪の山中でひとり木を伐り、丹念に窯を作り、炭焼きをして暮らす人。そのような生活を回想し、熊をみた、逃げる綺麗な女性をみたと嬉しそうに話し続ける老人。養蚕にいそしむ家族たち。満洲に出征し、奇跡的に生きて帰ってきた人たち。戦時中遺族に授与された国債を、ほとんど手つかずに取っている老人。

言葉にしてはならないと断言さえできる、数々の過ぎ去る時間の重み。それらが、そのままの形で観客に提示されるという強度が、この映画にはあった。従って、当時のパンフレットにおいて上野昴志が言うように、この映画は、捏造としての歴史ではなく、歴史を不断に揺さぶるものとしての歴史だ、とする見方には共感するところ大なのだ。


永田浩三さん講演会「3・11までなぜ書けなかったのか メディアの責任とフクシマ原発事故」

2012-03-22 06:00:00 | 環境・自然

アジア記者クラブ主催の永田浩三さん講演会「3・11までなぜ書けなかったのか メディアの責任とフクシマ原発事故」を聴いた(2012/3/21、明治大学リバティタワー)。永田さんは元NHKプロデューサーであり、2001年には従軍慰安婦問題を取り上げたドキュメンタリーを手掛けるも、自民党の政治家たちの介入により大幅改変がなされる結果となっている。また、最近では、『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』(NHK・ETV特集、2011/7/3)の企画をなさっている(>> リンク)。そのようなバックボーンのもとでのメディア批判である。

講演の詳細は『アジア記者クラブ通信』に掲載されるので、「さわり」のみ。

なぜ大メディア、とりわけNHKが、「3・11」以後の原発事故報道において、あまりにも楽観的で(結果的にはウソ報道)、かつ、被曝者の増加という二次災害につながるような政府広報のたれ流しを行う報道に終始したのか。永田さんは、NHKの体質こそがその結果を生んだのだとする。すなわち、報道する情報の依拠を権威や官報に求め、ゲストスピーカーの選定も権威という基準で行い、そして、市民との接点が決定的に少なく、市民を信用していないのだ、と。

勿論、NHKには良質なドキュメンタリーが多い。その中には、事件や事故を事後的に検証する番組もある(津波、水俣病など)。しかしながら、テレビというものが、事件・事故が起きたら取り上げるものであり、それらを予防することにも、長期的なフォローにも、不向きなメディアであるとする。永田さんはそのようなテレビのあり方に疑義を唱えると同時に、少なくとも原発事故報道に関しては自己検証すらなされていないのだと言う。「NHKは事故報道の責任に関し、ハリネズミのように身を固め、なかったことにさえしようとしている。しかし、被曝者を増やした責任の一端もあるのではないか。」

会が終わってから、ネット上でのみ存じ上げていた永田さんにご挨拶し、残った十数人で懇親会。愉しかった。

●参照(原子力)
『これでいいのか福島原発事故報道』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
新藤兼人『原爆の子』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


吉本隆明『カール・マルクス』

2012-03-21 01:09:24 | 思想・文学

吉本隆明が亡くなった。といって、さほど彼の思想に傾倒していたわけではない。

大学生の頃に解らないながら解ろうとした『共同幻想論』、それから面白かったのは、独自な宮沢賢治論、埴谷雄高論、沖縄論。洒脱で力がほどよく抜けたエッセイも好きだった。落合博満をこれ以上ないほど高く評価していたことも記憶に残っている。逆に、何でそんなことを言うのか理解に苦しむ発言もあった。

そんなわけで、積んだままだった『カール・マルクス』(試行出版部、1966年)を取り出して読む。

マルクスが「千年にひとり」の思想家として成し遂げたこと。それは共産主義への理論的な力を与えたことではない。何の変哲もない自己や社会から国家や法が理念として表象されたとき、そこには<疎外>が生じる。それは自然と人間との操作関係、市民社会の中での階級関係においても出現する。<疎外>とは、労働や階級のみを語るためのものではなかった。

何らかの関係性を創りだすとき、それは生来の自然なものではありえず、いずれ外部性が介在する。貨幣であれ、労働の商品価値であれ、そのような考え方の延長である。

こんなところだと思うが、これしきのことを言うために何頁を使っているのか。編集者のSさんが書いていて(>> リンク)、そうだよなあと共感してしまったことがそのまま当てはまる。しかも少なくない割合が、マルクスの本質を理解しようとしない左翼や学者への嫌悪・悪罵にさかれている。彼らの小癪なレトリックを批判している割には、自らが小細工を弄し続けているのである。

自分にとっての吉本隆明の魅力は、本質と思われる部分をざっくりと一刀両断する眼力と、その過程でのテキストを味わうことの快楽。ここにはそのどちらもない。

●参照
吉本隆明のざっくり感(『賢治文学におけるユートピア・「死霊」について』)
吉本隆明『南島論』


加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』

2012-03-20 11:54:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(Kaitai Records、1976年録音)を聴く。同メンバーによる『新海』(>> リンク)の前日の録音である。

加古隆 (p)
高木元輝 (reeds)
豊住芳三郎 (ds)

A面の「滄海」では、聴客の唾を呑みこむ音さえ聞こえそうな緊張感のあるなかで、高木元輝の肉声のような音がじわじわと時空間を支配していく。やがて豊住芳三郎、加古隆が入ってきて音楽を創りあげていく。

B面には、何と「Nostalgia for Che-ju Island(済州島への懐い)」が収録されている。豊住芳三郎+高木元輝『If Ocean Is Broken(もし海が壊れたら)』(1971年)にも収録された曲である。この4年前の演奏が直情的なものであったのに比べ、ここでは、音や情の発露が抑制されているようだ。時に、サックス2本でのローランド・カークが得意とした奏法もみせる。素晴らしい演奏の記録である。

やはり、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ「苦悩の人々」のメロディが引用されており、『モスラ・フライト』(1975年)ではそのタイトルで記録している。いやむしろ、引用ではなく、「Nostalgia for Che-ju Island」はすなわち「苦悩の人々」そのものではなかったか。朝鮮半島をルーツとする高木元輝こと李元輝にとって、この曲の演奏は、済州島の受苦に向けられたものではなかったか。そんなふうに想ってみた。


高木元輝、渋谷(2000年) Pentax MZ-3、FA50mmF1.4、TMAX3200、フォルテ・ポリウォームトーンプラスRC、2号フィルタ使用

●参照
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』
高木元輝の最後の歌


OKI meets 大城美佐子『北と南』

2012-03-20 00:41:36 | 沖縄

OKI meets 大城美佐子『北と南』(Tuff Beats、2012年)を繰り返し聴いている。大城美佐子は沖縄民謡における唯一無二の存在、初めて聴くOKIはアイヌの弦楽器トンコリの使い手。

美佐子先生は年々枯れてきている、と書くと、それは嘘であることに気が付く。枯れてなどはいない、生木そのものである。古い録音で聴けるようには、樹液を周辺にまき散らす若い樹でないだけだ。むしろ癖だけが残って、いまや、樹液が強烈な生の匂いを持っている。

これには、OKIの一風変わったグルーヴも貢献している。思い出したのは、登川誠仁『スピリチュアル・ユニティ』(2001年)だった。唐突にも思えるソウル・フラワー・ユニオン参加により、大御所の個性がマーカーペンでも塗ったようにくっきりと現れてきたのだった。本盤における美佐子先生の存在感も、同様の効果によって浮き上がってきたのに違いない。

ちょっと感動的であり、1回目に聴いたときに意外と抵抗がないなと思った程度だったのに、聴き続けるとどんどん胸がやられてくる。大推薦。


大城美佐子、代官山(2007年) Leica M3、Elmarit 90mm/f2.8(初代)、T-MAX400(+2増感)、Gekko(2号フィルタ)

●参照
大城美佐子&よなは徹『ふたり唄~ウムイ継承』
大城美佐子の唄ウムイ 主ン妻節の30年
代官山で大城美佐子を聴いた
Zeiss Biogon 35mm/f2.0 で撮る「島思い」
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(大城美佐子主演)
『ゴーヤーちゃんぷるー(大城美佐子出演)
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)