Sightsong

自縄自縛日記

安ヵ川大樹『神舞』

2017-07-31 23:20:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

安ヵ川大樹『神舞』ダイキムジカD-neo、2012年)を聴く。

Daiki Yasukagawa 安ヵ川大樹 (b)
Koichi Sato 佐藤浩一 (p)
Manabu Hashimoto 橋本学 (ds)

まったく奇を衒わないピアノトリオ。破綻と背中合わせの興奮など無いのだが、そんなものとは関係のないスリリングさがある。

録音が何しろ気持ちよく、近所迷惑なくらい音量を上げるとちょっと陶然とする。それも全員の発する音が美しいからである。佐藤浩一というピアニストがスーパーであることは多くの人が知っているが、こうして繰り返して聴くとやはり良い。そのうち機会を見つけてまた演奏を観に行くことにしよう。

タイトルの「神舞」は、山口県・祝島の伝統行事をイメージしながら書かれた曲であり、そのことだけでも嬉しくなろうというものだ。

●安ヵ川大樹
安ヵ川大樹+高田ひろ子@本八幡Cooljojo(2016年)
安ヵ川大樹+廣木光一@本八幡Cooljojo(2016年)

●佐藤浩一
小沼ようすけ+グレゴリー・プリヴァ、挟間美帆 plus 十@Jazz Auditoria(2017年)
rabbitoo@フクモリ(2016年)
rabbitoo『the torch』(2015年)
福冨博カルテット@新宿ピットイン(2015年)


ジョン・スティーヴンス+トレヴァー・ワッツ+バリー・ガイ『No Fear』

2017-07-31 21:02:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョン・スティーヴンス+トレヴァー・ワッツ+バリー・ガイ『No Fear』(Spotlite Records、1977年)を聴く。

John Stevens (ds)
Trevor Watts (as)
Barry Guy (b)

ジョン・スティーヴンスは細かく乱反射するフラグメンツを次々に積み上げて帝国を構築する。バリー・ガイのベースはかちかちに固いばかりではなくときに柔軟にもなり、この懐の深さが魅力か。そしてトレヴァー・ワッツは、ノア・ハワードにも通じるような哀愁ど演歌を、激熱にぼこぼこと泡立たせながらあちらこちらへと航空ショーをみせる。

「No Fear」とは絶妙なタイトルを付けたものだ。恐れ知らずの3人が猛獣のように突き進む。フリージャズの檻の中ではあるが、そのようなことは関係がない。ノーフィアー!

●バリー・ガイ
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981、91、98年)
マッツ・グスタフソン+バリー・ガイ『Frogging』(1997年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)


ジェーン・アイラ・ブルーム『Mighty Lights』

2017-07-31 01:09:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジェーン・アイラ・ブルーム『Mighty Lights』(Enja、1982年)を聴く。

Jane Ira Bloom (ss)
Charlie Haden (b)
Ed Blackwell (ds)
Fred Hersch (p)

いま聴くと、チャーリー・ヘイデンやエド・ブラックウェルは、ライジング・サンを盛り立てる役を担っていたのかなと思える。特にヘイデン。若くて勢いがあったジェリ・アレンやゴンサロ・ルバルカバやベキ・ムセレクと共演し、煽り、素晴らしいアルバムを創り上げていた。そしてジェーン・アイラ・ブルームはこのときまだ20代。

その意味でヘイデンやブラックウェルの存在感が大きいのは当然のことである。ヘイデンは残響感とスピードの両方を維持して、主役がもう逃げられない領域に持っていく。ブラックウェルのお祭りのようなズンドコ太鼓もいい。そしてフレッド・ハーシュは借りてきた猫のようなものかと思いきや、強い出足で介入してくるところなんて、さすがビリー・ハーパーを支えたピアニストである。

もちろんブルームも良くて、ストレートなプレイだけではない。彼女のソプラノはとても表情豊かで、特に、クルト・ワイルの「Lost in the Stars」において繊細に震えるヴィブラートを効かせたプレイなどは本盤の白眉。

●チャーリー・ヘイデン
チャーリー・ヘイデンLMO『Time/Life』(2011、15年)
アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』とドン・チェリーの2枚(1965、88、2010年)
パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンのデュオの映像『Montreal 2005』(2005年)
チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ(2006年)
アリス・コルトレーン『Translinear Light』(2000、04年)
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ(1998、2003年)
ギャビン・ブライヤーズ『哲学への決別』(1996年)
チャーリー・ヘイデン+ジム・ホール(1990年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン(1990年)
ジェリ・アレン+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Segments』(1989年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
チャーリー・ヘイデン+ヤン・ガルバレク+エグベルト・ジスモンチ『Magico』、『Carta De Amor』(1979、81年)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(1979年)
70年代のキース・ジャレットの映像(1972、76年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975-76年)
キース・ジャレット『Arbour Zena』(1975年)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(1971、72年)
キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』(1972年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
オーネット・コールマンの最初期ライヴ(1958年)
スペイン市民戦争がいまにつながる

●エド・ブラックウェル
エド・ブラックウェル『Walls-Bridges』 旧盤と新盤(1992年)
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』(1991年)
エド・ブラックウェルとトランペッターとのデュオ(1969、89年)
デューイ・レッドマン『Live』(1986年)
マル・ウォルドロンの映像『Live at the Village Vanguard』(1986年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(1985年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)
『Interpretations of Monk』(1981年)
ウィルバー・ウェア『Super Bass』(1968年)
アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』とドン・チェリーの2枚(1965、88、2010年)
エリック・ドルフィー『At the Five Spot』の第2集(1961年)


オーネット・コールマン『Live at Teatro S. Pio X 1974』

2017-07-30 22:33:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

オーネット・コールマン『Live at Teatro S. Pio X 1974』(Jazz Time、1974年)を聴く。

Ornette Coleman (as, tp, vln)
James "Blood" Ulmer (g)
Sirone (b)
Billy Higgins (ds)

なんだかよくわからないメンバーである。古い仲間のビリー・ヒギンズはいいとして、ジェームス・ブラッド・ウルマーに驚く。ウルマーは初リーダー作を吹き込む前であり、また、続く『Tales of Captain Black』(1978年)ではオーネットを迎えている。ここですでにサイドマンとして参加していたのか。

この頃は、オーネットは、自身のジャズから脱して、『Skies of America』(1972年)を発表したり、モロッコに渡って『Dancing in Your Head』(1973-75年)を録音したりと、さまざまな大きな模索をしていた。古いものも新しいものもイカレたものも同時並行だったということか。

なお音質は決して悪くないのだが、「soundboard recording」と書いてある割には、特に2枚目において、レコードらしきノイズや、磁気テープのような音写りが聴こえる(このブログによれば、同日1974/5/4の録音が『In Concert』という2枚組LPとして出ていたらしい)。ウルマーも妙なことをしているようなのだが、音があまり前面に出てこずよくわからない。ヒギンズのシンバルを威勢よく使う空中戦は好調。

オーネットはというと、最初の「Tutti」(まあ、「アメリカの空」である)からいきなりペラペラの軽い音で、笑ってしまう。しかし聴いていくうちに何でもよくなってくるところがオーネット。

●オーネット・コールマン
オーネット・コールマン『Waiting for You』(2008年)
オーネット・コールマン『White Church』、『Sound Grammar』(2003、2005年)
オーネット・コールマン&プライム・タイム『Skies of America』1987年版(1987年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(1985年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
オーネット・コールマンの映像『David, Moffett and Ornette』と、ローランド・カークの映像『Sound?』(1966年)
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』(1966年)
オーネット・コールマン『Town Hall 1962』(1962年)
オーネット・コールマンの最初期ライヴ(1958年)
オーネット・コールマン集2枚(2013年)


『けーし風』読者の集い(33) 新基地建設阻止の展望―結んで拓く

2017-07-30 20:46:28 | 沖縄

『けーし風』第95号(2017.7、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2017/7/29、富士見区民館)。参加者は6人。

特集は「新基地建設阻止の展望―結んで拓く」。

辺野古の埋立に関しては、対談における高里鈴代氏の発言がある。ダンプが1日100台規模であり、止める市民の数として200人前後が必要だが足りないのだという現状。

それ以上に気になることは、埋立の技術的な問題である。対談で、山城博治氏が指摘している。大浦湾は岩礁であるとはいえサンゴ礁であり、埋立ても崩れやすい。大型特殊船ポセイドン1号が1か月も大浦湾に滞留したのは海底地盤の調査のためであった。吉川秀樹氏も続ける。1966年のアメリカの調査でもそれは明らかになっており、設計変更が必要な可能性があるが、それを認めるのは知事権限である、と。

なお、今月行われた沖縄戦首都圏の会10周年記念講演「沖縄差別―ハンセン病と基地問題―」においても、技術者の方が、高江のヘリパッド工事だけでなく辺野古にも問題がある可能性を示唆していた。

ここに来て、アメリカがまた辺野古の滑走路は1,800mでは足りず3,000mが必要だと言ってきているとか、条件が満たされなければ普天間は返還されないと稲田前防衛大臣が発言したりだとか、アメリカの意向に変化があるのではないかとの出席者の指摘。その一方で那覇空港の第二滑走路建設。

オスプレイに関しては、高江のヘリパッドに技術的な問題が指摘されてはいるが運用開始され(2017/7/11)、また、海兵隊ではなく空軍の嘉手納基地でも離発着している奇妙な話もあるとのこと。さらに自衛隊も含めて「集団的自衛権の先取り」との見方。

さて、APALAというアメリカの労働者団体の大会(2017/8/16-20、アナハイム)において、オール沖縄が「米軍基地問題分科会」として、また東京からも「国際連帯分科会」として、現在の沖縄の動きについて報告がなされるそうである。アメリカの議員や有識者も出席するとのこと、どのような成果が出てくるのか注目。なお、その報告は2017/11/24に明治大学で行われる予定とのこと。

情報
「日本ペンクラブ平和委員会シンポジウム「戦争と文学・沖縄」」(浅田次郎・大城貞俊・川村湊、2017/7/22開催)。沖縄文学の世界性について言及されたとのこと。
◎久米島守備隊住民虐殺事件(1945年)について。『久米島の戦争』(なんよう文庫、2010年)、佐木隆三『沖縄住民虐殺』(新人物往来社、1976年/徳間文庫、1982年)
大田昌秀『沖縄鉄血勤皇隊』(高文研、2017年)、最後の著作。
新城郁夫・鹿野政直『対談 沖縄を生きるということ』(岩波書店、2017年)
宮川徹志『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』(岩波書店、2017年)
「八重山びーちゃー通信」第7号(みやら製麺、2017/7/28)。「TERURIN RECORDS」が発足し、第1弾はなんと登川誠仁のラストライヴだとのこと(2017/11/13発売)。
佐古忠彦『米軍が最も恐れた男  その名はカメジロー』(2017年8月~)
越川道夫『海辺の生と死』(2017年7月~)
◎東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会 シンポジウム「東アジア地域の平和・共生を沖縄から問う!」(2017/9/9、琉球大学)

●参照
『けーし風』 


喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器

2017-07-29 22:49:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

代々木の松本弦楽器に足を運び、喜多直毅・マクイーン時田深山デュオ(2017/7/29)。行きも帰りもすごい雨。

Naoki Kita 喜多直毅 (vln)
Miyama McQueen-Tokita マクイーン時田深山 (koto)

この日は2セットともに完全即興。

ファーストセット。深山さんは十七弦箏の左右を激しく弾き、やがて、選ばれた一音一音に収斂してゆく。静かに始まった喜多さんとともに最初のクライマックスに向かうのだが、それは衝突するのではなく、互いの間を縫うような絡み方だった。喜多さんは弓でヴァイオリンを弾きながら左手の指で弦をはじき、それが箏の和音と重なり、ヴァイオリンが雅楽の楽器のようにみえた。ふたりのすばやい擦り、軋み、それらの中から旋律が立体的に浮かび上がってくる。深山さんは箏の端を使いリズミカルに高音を発し、対する喜多さんはかそけき音から和音を成長させていったのだが、それがなぜかネパールなどの音楽の響きを思わせた。

セカンドセット。はじめはヴァイオリンをギターのように指で弾き始めた喜多さんだが、程なくして弓を手にした。深山さんも弓で箏を擦り、その2本の弓の周波数が互いに近づいたり遠ざかったりする。ヴァイオリンが速度を求めはじめ、箏は端の音の軽さによって速度に応じる。いったん静かに沈み、サウンドは再び動き始める。ヴァイオリンの旋律が妖しい色彩を持ちつつ、まるで糸だけで間接を結わえた人形のように内部に力を持たず崩れてゆく。一方の深山さんは弦を指で強く抑えつつ弾き、音を歪ませた。割れる音も鮮やかな音も発せられる。最後に向かい、ふたりの音がシンクロしてくる。喜多さんはつい先の過去を思い出すかのように静かに旋律をなぞり、深山さんは掌底で箏を叩き、音に鼓動を与え続けた。

ところで、喜多さんはこの日に向けて新しいTシャツを調達していると言っており、わたしも負けじと突然段ボールのTシャツを着て臨んだ。しかし、登場した喜多さんは、なんと、「ムー」のTシャツを身にまとっていた。完敗した。しかしなぜムー。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●喜多直毅
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)


徳永将豪『Bwoouunn: Fleeting Excitement』

2017-07-29 09:15:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

徳永将豪『Bwoouunn: Fleeting Excitement』(Hitorri、2016, 17年)を聴く。

Masahide Tokunaga 徳永将豪 (as)

このサウンドを「音響」などという言葉で括ってしまっては、ぼろぼろと落ちるものの方が多いようである。

3曲のうち、2曲目と3曲目が収録された2か月前のライヴ(徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri)を目撃してもいたのだが、そのときの印象もあって、アルト演奏のために身体を鍛錬し、音のかたちを執念で追い詰めていった成果のように思える。ロングトーンの持続も揺れ動きも、ハウリングのような音も、おそらくは、完全にコントロールせんとした結果であるだろう。音の増幅は、筋肉と呼吸、管の共鳴、機械と、まるでひとつながりであり、そのことに驚く。

この演奏を観たときには、出されてしまった音と出している音とのせめぎ合いに思えたのだが、あらためて聴くと、語ろうとすることは既に語られてしまったことだという言葉が浮かんでくる。しかしそれは困難な作業であり、それゆえの驚きに違いない。

●徳永将豪
徳永将豪+中村ゆい+浦裕幸@Ftarri
(2017年)


黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain

2017-07-29 08:34:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

中野のSweet Rainに足を運び、黒田京子・喜多直毅デュオ(2017/7/28)。

Kyoko Kuroda 黒田京子 (p)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

いきなりハードに攻める「黒いカマキリ」(喜多)において、喜多さんの弦を指ではじく破裂音に眼が醒めた。「ゴンドラの唄」を経て、バルボラが歌ったシャンソン「黒い太陽」において、あらゆる箇所を駆使するようなヴァイオリンのテクニックに驚く。「白いバラ」は、ナチスに抵抗したゾフィ―・ショルに捧げた黒田さんのオリジナル。「ふるさと」(喜多)では、右手のみで旋律を抒情的に弾く黒田さんのピアノも、微かな音でなつかしさを表現したような喜多さんのヴァイオリンも印象的だった。

セカンドセット。「ひまわりの終わり」(黒田)に続き「リベルタンゴ」(ピアソラ)。ふたりの分担が鮮やかに聴こえた。昭和歌謡、布施明が歌った「カルチェラタンの雪」。「Útviklingssang」(カーラ・ブレイ)には驚かされてしまったのだが、あとで台湾料理の味王で黒田さんに訊くと、ORT時代からのレパートリーだという。この曲において、黒田さんは、はじめは単音と和音を組み合わせ、また低い和音でリズムを取ってその上でヴァイオリンをのせるなどして、変奏を薄紙のように繰り返し積み重ねていった。喜多さんはピッチをずらしてゆき、そのズレと軋みとにより、なんとも言えぬ哀しみがあらわれた。そして黒田さんが喜多さんに捧げた曲「闇夜を抱く君に」。アンコールは「My Wild Irish Rose」、軽やかなピアノの上で、ヴァイオリンが蝶のように舞った。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●黒田京子
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン
(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)

●喜多直毅
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)


メリッサ・アルダナ『Back Home』

2017-07-28 00:11:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

メリッサ・アルダナ『Back Home』(Word of Mouth Music、2015年)を聴く。

Melissa Aldana (ts)
Pablo Menares (b)
Jochen Rueckert (ds)

たぶんこの人のテナー奏者としての力量はとても大きくて、どジャズを聴きたい耳でもまったく飽きない。また悠然と強弱を出し入れしてユーモラスにも感じられる旋律を吹くところなど、テナーのトリオということもあり、まるで『Way Out West』のソニー・ロリンズだ。オリジナル曲の真ん中に挟まれたスタンダード「My Ship」なんて、リラックスして、エアを含んで幅広い音域で吹いていて最高である。

もっと刺激的で現代的なものを聴きたい気分にもなったりしそうなものだが、実際に音楽を流していると別に飽きたりもしない。

昔ならもっともてはやされたんだろうな。


鈴木昭男+ジョン・ブッチャー『Immediate Landscapes』

2017-07-27 07:37:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

鈴木昭男+ジョン・ブッチャー『Immediate Landscapes』(Ftarri、2006, 2015年)を聴く。

Akio Suzuki 鈴木昭男 (pebbles, glass plate, sponge, pocket bottle, voice ANALAPOS, brass plate, cardboard box, wood screws, bamboo stick, metal plate, noise whistle, swizzle sticks)
John Butcher (ts, ss)

1-5曲目は、2006年にスコットランドで行われた演奏。それぞれ響きのよい場所が選ばれたということであり、レーベルの解説によれば、「Fife にある地下貯蔵所 Wormit Reservoir、反響音が長く続く人工建造物として有名な Hamilton にある霊廟 Hamilton Mausoleum、Durnessにある巨大洞窟 Smoo Cave、Spey Bay にある大きな氷室 Tugnet Ice House、オークニー諸島にある第二次世界大戦中に使用された石油貯蔵タンク Lyness Oil Tank」の5箇所。

こうなると演奏の結果として響きがありそれを利用するのではなく、場が共演者となっているということだ。スコットランドでのソロ演奏は『Resonant Spaces』に収録されているらしい。また、同時期のジョン・ブッチャーの傑作『The Geometry of Sentiment』でも、同様の場として宇都宮の大谷石地下採石場跡において演奏されている。ブッチャーは周囲に応じてカメレオンのように変化する人だが、演奏者だけではなく、場も感応の対象として選んでいたということか。そしてセンサーで感知するのはもとは自分の発した音だったりして、演奏者自身も含めたフィードバックのシステムだととらえると、それは電気的なものとは随分と異なる。

鈴木昭男が小さいモノから作りだす音も面白い。ブッチャーとはまるで態度が違うようであり、目の前にあるモノと音をとても大事にしているような雰囲気が伝わってくる。

6曲目は2015年、スーパーデラックスにおけるライヴであり、響きや増幅のサウンドへの介入はさほどないのだが、ふたりの呼応が感じられてまた良い。この日は対バンが多いこともあって、わたしはブッチャーの音をじっくり聴くためにホール・エッグファームに行くことを選んだ。本盤の録音を聴くと今になって後悔する。鈴木昭男さんの演奏も直に観てみたい。

●ジョン・ブッチャー
歌舞伎町ナルシスの壁(2016年)
ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2015年)
ジョン・ブッチャー+ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ『So Beautiful, It Starts to Rain』(2015年)
ジョン・ブッチャー+トマス・レーン+マシュー・シップ『Tangle』(2014年)
ロードリ・デイヴィス+ジョン・ブッチャー『Routing Lynn』
(2014年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
ジョン・ブッチャー+マシュー・シップ『At Oto』(2010年)
フレッド・フリス+ジョン・ブッチャー『The Natural Order』(2009年)
ジョン・ブッチャー『The Geometry of Sentiment』(2007年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
『News from the Shed 1989』(1989年)

ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年)


オーネット・コールマン&プライム・タイム『Skies of America』1987年版

2017-07-26 22:22:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

オーネット・コールマン&プライム・タイム『Skies of America』(Jazz Time、1987年)を聴く。ヴェローナ・ジャズ祭(1987/6/27)において、オーネットとプライム・タイムとが、地元のオーケストラと共演した「アメリカの空」の記録2枚組である。

Ornette Coleman (as, tp, vln)
Bern Nix (g)
Charles Ellerbee (g)
Albert McDowell (b)
Chris Walker (b)
Grant Calvin Weston (ds)
Denardo Coleman (ds)
with Symphony Orchestra of Verona Arena

いつもと変わらず肩の力が抜けた泥臭いアルトを吹くオーネット、どうかしてるラリッた電気ファンクともロックとも得そうなプライム・タイム、さらにクラシックのオケと、まったく違う三者。かれらが、いや何と言おうか、ヘンに統制が取れた構成のもとキャラを維持したままサウンドを展開する。2枚目の「Part 2」ではオーネットはトランペットもヴァイオリンも演奏する。

誰かのキャラを前面に出しているときに、バーン・ニックスのギターがヘナっと入ってくると、また御大オーネットのアルトが肩から自然体でヘロっと入ってくると、あるいはデナードのものと思しき無定形のドラムスが爆走してくると、そのたびに将棋盤が傾けられ駒がずれる。もうどうでもよい、楽園万歳。

1998年に渋谷のオーチャードホールで演奏された「アメリカの空」もこんなノリで、緊張感などまるで保つことができず、頭がつぎつぎにクリーンナップされるものだった。そのせいか、周囲の観客を見ると、かなりの割合で意識を失っていた。また、シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』に収録された「アメリカの空」は、1983年、オーネットが生まれ育ったフォートワースにおける演奏であり、確かにプライム・タイムとともにイカレポンチの世界を爆発させていた。こうして聴くと、異質なものをわけのわからない形で強引に組み合わせた破壊力はすさまじく、プライム・タイムもここに居るべきだと思える。

あらためて1972年の「アメリカの空」初演を聴くと、オーネットのアルトは魅力的ではあるものの、(制作上の制約はあったことを差し引いても)生硬で、泥沼楽園感はさほどない。ところで、いまdiscogsを確認して気が付いたのだが、エド・ブラックウェル、チャーリー・ヘイデン、デューイ・レッドマンが、クレジットされない形で入っていたのだな。聴いていてもよくわからないが。

●オーネット・コールマン
オーネット・コールマン『Waiting for You』(2008年)
オーネット・コールマン『White Church』、『Sound Grammar』(2003、2005年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(1985年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
オーネット・コールマンの映像『David, Moffett and Ornette』と、ローランド・カークの映像『Sound?』(1966年)
スリランカの映像(6) コンラッド・ルークス『チャパクァ』(1966年)
オーネット・コールマン『Town Hall 1962』(1962年)
オーネット・コールマンの最初期ライヴ(1958年)
オーネット・コールマン集2枚(2013年)


ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン@バーバー富士

2017-07-25 22:52:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

上尾市のバーバー富士に足を運び、ミシェル・ドネダとレ・クアン・ニンとのデュオを観る(2017/7/24)。何しろこのふたりの最後の演奏機会であり、遠いなどと言ってはいられないのだ。齋藤徹さんは大事を取って残念ながら不参加。

玄関からふたりが入り、ご主人の松本さんがシャッターを下ろす。ドネダさんはすかさず「いま火事がおきたら全員」と突っ込んでいる。

Michel Doneda (ss)
Le Quan Ninh (perc)

いきなりドネダが風になる。程なくしてニンは掌で円環、ドネダは循環呼吸でシンクロするが、それは崩れ止まる。アーチ状のふたりの音。

ふたりは破裂し、急に切り裂く。そしてニンの金属板による曲った音に対し、ドネダは逸脱。ニンが(珍しく)叩き、ドネダは叩くように吹く。このシンクロによりうなりが生じる。ドネダ急停止。

ニンは松ぼっくりを太鼓の上で転がし、ドネダは微分的な音を発する。ふたりの転がり、ニンの軋み、ドネダの濁り。静寂。泡立ち。

ドネダはソプラノを大きく旋回させた。そして大きな呼吸のように動と静を組み合わせた。ニンのシンバルによる苛烈、ドネダの破滅。ニンがシンバルと太鼓とを近づけて共鳴させることによって、音が連続的につながってゆき、さらに、シンバルの擦り、サックスの循環が連なる。ニンは小動物に化けてリズムを発し、ドネダは激しい微分音や、サックスを取り換えてボールをミュートとして電子音のような音を放つ。

ドネダはマウスピースを外してバードコールを装着したり、横笛のように吹いたりし、一方のニンも擦り擦る。ドネダの音には、まるでラジオの向こうから聞えてくるようなものも、震える魅力的な倍音もある。このときドネダはノイズにより、ニンは残響により、共有する意思にそれぞれ近づいていくように思えた。それは大いなる響きへと昇華してゆく。

ニンが豆を太鼓の上で跳躍させ、ドネダも音を散らした。収束。

今回の演奏は、すべてがシンクロし、デュオであることの必然性が明らかなものとして、眼前で繰り広げられた。

演奏後、打ち上げがあった(ごちそうさまでした)。せっかくなのでふたりにサインを貰ったところ、最初にニンさんが妙に丁寧に書き、次にドネダさんが書いているとニンさんが横から気合を入れ、スピード感が表現された。

ニンさんに、松ぼっくりについて訊いてみたところ、自宅の庭で取った、でも大きいものも必要だからフランスの西岸で拾ってきて蓄えてあるんだ、と。なんでも、ポレポレ座にも2個飾っているという。

ドネダさんには、2本のソプラノの違いについて訊いた。片方は、1927年アメリカ製(メーカーはよくわからなかった)。何とC管(現代のソプラノサックスはB♭管)。ボールを朝顔に詰めているのは、ああいう音が好きなんだ、と。マウスピースも2種類、片方は特注で作ってもらったという。また、片方にはリードを短めに装着して多彩な音が出るように訓練したそうである。

前日訊いて気になっていたことは、デイヴ・リーブマンとの共演。NYのCornelia Street Cafeにおいて、中谷達也、そしてドネダ、リーブマン、サム・ニューサムのソプラノ3人。あとで探してみるとなるほどあった。2015年12月20日、この日にコーネリアに居たかった。

>> Soprano Saxophone Colossus @ Cornelia Street Cafe 12-20-15 1/2

>> Soprano Saxophone Colossus @ Cornelia Street Cafe 12-20-15 2/2

打ち上げは次第にヒートアップし爆笑の渦。名残惜しいが遠いので、またすぐに来日してほしいと伝えて帰った。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●ミシェル・ドネダ
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸(2017年)
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(2011年)
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)
バール・フィリップス(Barre's Trio)『no pieces』(1992年)
ミシェル・ドネダ+エルヴィン・ジョーンズ(1991-92年)

●レ・クアン・ニン
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸(2017年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)


齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば

2017-07-25 20:47:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

大田区沼部駅の近くにある「いずるば」。今年の3月の「第ゼロ回」を皮切りに、齋藤徹さんを中心にしたワークショップが行われている。わたしも「第ゼロ回」を覗いただけだったが、久しぶりに足を運んだ(2017/7/23)。

意気込み過ぎて1時間早く着いた。勘違いに気が付いてカフェを探したのだが閉まっている。道の向い側には「花の湯」という銭湯があり、おばあさま方が開くのを待っている。これも何かの運命なので番台でタオルを買って風呂に入り、湯上りにガリ子ちゃんを食べた。すっかり血色が良くなり不自然な感じになった。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (ワークショップ進行)
Le Quan Ninh (応答)
Michel Doneda (応答)

ワークショップは全員参加型のものではなく、テツさんが問いかけ、それに対してニンさんとドネダさんが答える形となった。

―――テツさんの不参加について。

(ニン)ショックだったがそれが最良。音楽で大事なのは自分自身と向き合い演奏することだ。テツさんが居ないことで、新しい人たちと強い関係性を作ることができた。
(ドネダ)テツさんを通じて知り理解した日本。今回共演できないとしても来た。

―――初日の竹林での演奏(ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸、2017/7/9)。ニンさんは擦ることで音程を作り、ドネダさんは音程を外れて風になる。それによる匿名性。「人とは違う」ことをベースとする音楽ではない。貨幣社会への批判でもあるのでは。

(ニン)楽器との接触により自分がなくなる感覚はある。表現のためではなく知覚のために演奏する。表現の欲求が出る前に音の性質を見つける。音とはミステリアスなものであり、囚われないようにしている。「なぜ」を追究するのではない、目の前の音が大事なのだ。その場において必要なことを見つけるのだ。匿名性よりも消滅。
(ドネダ)存在とは音を出すことだ。音を発すると相手も返してきて、それにより存在がわかる。モノではなく知覚を作る、それが投影にもなる。即興とは形を作るのではなくその場に現象を作ることだ。観る者は各々の背景に基づき知覚する。消滅とは動きでもある。

―――ポレポレ座における、雅楽の若い音楽家たちとの共演について(2017/7/10)。

(ドネダ)良い即興ができた。驚くべきことだ。世代は関係ない。「先生」が崇められる伝統があるかもしれないが、「先生」と共演しても犬と共演しても大した違いはない。
(ニン)即興も伝統音楽も「聴く」ことにおいては共通している。ドネダもアフリカの音楽家たちと共演した(『OGOOUE-OGOWAY』のことか)。「聴く」ことは文化的行為であり、その中には「無」も含まれる。手と手を重ねるのではなく、指の間を広げて無を作りだせば、衝突はない。
(ドネダ)即興にはヒエラルキーはない。

―――エアジンにおけるふたりのダンサー(庄﨑隆志、矢萩竜太郎)について(2017/7/12)。庄崎さんは聾だが、かれはニンさんのバスドラムの下に潜った。

(ドネダ)驚きとともに始まったが、常識との対立は一瞬で消えた。それがなぜだかは答えられない。ダンサーは表現によって自分たちと共演したいという歓びに満ちていた。
(ニン)「聴く」ということは聴覚だけのものではない。その場にいることを知覚することだ。ダンサーたちの存在感は強かった。

―――即興の対義語とは作曲ではなく、自分自身なのではないか。自分自身に拘っていては良い即興ができないのではないか。

(ニン)たとえば飛行機や自動車や電車で移動する日常の違い。その違いが即興の本番で消えていることが大事だ。そのためには身体の鍛錬も必要。順番やプログラムを忘れて即興に入ることも良い。プログラムに沿うのではなく、みんなとひとつになったと思える瞬間は良い即興だ。生きるという体験では何でも起こりうる。理論や経験だけではなく、どのようにうまく回るか。
(ドネダ)即興にヒエラルキーがないということは、責任も自由も生じることを意味する。他の人が被るリスクもある。「先生」が居ないほうが大変な道だろう。しかし、仮に自由が損なわれたら、他の道を探すのだ。政治的な芸術はどの世界にもはびこっている。

ワークショップが終わり、1時間の休憩を挟みライヴ。テツさんは前日のホール・エッグファームでの演奏で疲労してしまったようで、不参加となった。ニンさんが準備中に試すように叩いていると、矢萩竜太郎さんが出てきて踊る時間もあった。

Le Quan Ninh (perc)
Michel Doneda (ss)
Natsumi Sasou 佐草夏美 (舞い)

蹲り拝む佐草さん。ドネダの音には間が大きく、先の話の雅楽を思い出したのだろうか。ニンは周縁を弓で擦り、金属板を使ってするどいタッピング、棒。空を飛翔するようである。ドネダの倍音も増えてゆく。

静寂、ニンのたんたんたんと刻むリズムだけが聴こえる。佐草さんは立ち上がった。ドネダのサックスによる急旋回、ニンの音にシンクロするような金属音。ニンの石、ドネダの息。ふたりのシンクロは振幅を大きくしてゆき、ニンは助走を付けるように指の腹で太鼓を擦り、地震を起こし、ドネダは魅力的な倍音をみせる。

またしても静寂。佐草さんの円環と横移動。ニンは掌底で強く叩き、ドネダは倍音を集約させてクラスター化する。かれらの高まりにより何かが起き、佐草さんは再び蹲る。

ニンが作りだす残響。ドネダは循環呼吸により応え、佐草さんは足の音を立てる。やがてニンもドネダも軋みを生じ始める。ドネダは何者に化けたのか、甲高いホーン音、まるで蜂の音、まるで電子音。人がドラムに片方を置いた棒を弓で擦り、ドネダがそうであるように風になった。

最初から最後まで緊張感が支配した、素晴らしい共演だった。

終了後に打ち上げがあった(ごちそうさまでした)。ドネダさんに、ジャズとのかかわりを訊いた。

―――エルヴィン・ジョーンズとの共演は「ジャズ」だったのでは。
「最初にエルヴィンに、自分はジャズではないがと問うと、エルヴィンは、我々がやるのはジャズじゃない、音楽だ、と肩を強く叩いてくれた。そして録音前に1時間セッションをやったんだよ!」

―――でも、最近の『Everybody Digs Michel Doneda』のジャケットは、『Everybody Digs Bill Evans』のパロディですよね。
「プロデューサーがやったんだよ。ビックリしたよ(笑)。即興の方で手一杯で、ジャズに手を出す余裕はない。でもジャケットに書いてあるデイヴ・リーブマンも、エヴァン・パーカーも良い友達だよ。デイヴとはアメリカでセッションもやった。」

―――スティーヴ・レイシーは。あなたのソプラノとはだいぶ違い、ベンドして音を作っている。
「素晴らしいプレイヤーだった。もちろんベンド、それだけでなくあらゆる技法に通暁していた。70年代はかなり実験的で、その後ジャズの方に行ったけれど」

―――ロル・コクスヒルは。
「かれも素晴らしいプレイヤーだった。共演もしたんだよ(『Sitting on Your Stairs』)。」

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●ミシェル・ドネダ
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸(2017年)
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(2011年)
ドネダ+ラッセル+ターナー『The Cigar That Talks』(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)
バール・フィリップス(Barre's Trio)『no pieces』(1992年)
ミシェル・ドネダ+エルヴィン・ジョーンズ(1991-92年)

●レ・クアン・ニン
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+今井和雄@東松戸・旧齋藤邸(2017年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)

●齋藤徹
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


広瀬淳二+中村としまる+ダレン・ムーア@Ftarri

2017-07-23 10:18:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriに足を運んだ(2017/7/22)。何しろ凄いメンバーでありスルーできない。

Junji Hirose 広瀬淳二 (ts)
Toshimaru Nakamura 中村としまる (no-input mixing board)
Darren Moore (ds)

ファーストセット。全員がこすれ音からスタートし、次第にあちこちが発火しはじめる。やはり広瀬淳二のテナーは唯一無二のものであり、次々に倍音と声が入り混じった無数の音が出てくる。これがダレン・ムーアのヘンな音と、中村としまるの知的に明後日の方向にエンジンをふかすような音と混じりあうことの快感といったらない。つい観ていて顔が引きつって笑ってしまった。

広瀬さんはテナーの横に発砲スチロールをくっつけており、それを擦ってまたしてもヘンな音を発している。あとで訊いたところ、今年になってくっつけたが録音ははじめてだとのこと(録音セッションだったのだ)。さらに何かつけるとも笑って言っており、おそろしい予感がする。

セカンドセット、またしても快感。ダレンさんが金属でドラムスを回し擦りはじめたら、中村さんをはさんで、広瀬さんも朝顔を金属で回し擦り、これは何の光景なのか。

たまたま横にハープ奏者のメアリー・ダウマニーさんが座り、初対面のわたしに、1曲目のあとは「かれらは陽が照りつけるなか砂漠をともかくも歩き続けている」、2曲目のあとは「かれらはロッキー山脈のうえにいて降りることができないでいる」と、幻視の内容を語ってくれた。他人の幻視は解ったり解らなかったりするが面白かった。

終わってから全員で少し飲んだ(ご馳走さまでした)。キャル・ライアルさんが、この2日前にスーパーデラックスで広瀬さんと共演したばかりのニコラス・フィールド、グレゴール・ヴィディックのふたりとともに入ってきて、もろもろの話を聴くことができた。

●広瀬淳二
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)

●中村としまる
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)

●ダレン・ムーア
Kiyasu Orchestra Concert@阿佐ヶ谷天(2017年)


ベッカ・スティーヴンス@Cotton Club

2017-07-23 09:28:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のCotton Clubにベッカ・スティーヴンスを聴きに行った(2017/7/22, 1st)。

Becca Stevens (vo, g, ukulele, charango)
Liam Robinson (p, key, accordion)
Chris Tordini (b, vo)
Jordan Perlson (ds, per)

可愛くステージに登場したベッカ・スティーヴンス、2年前よりも少し堂々としたような気が。

1曲目の「Tillery」でいきなりフォーク、ロック、カントリー、ジャズの雰囲気をすべて醸し出し実にいい。リアム・ロビンソンのアコーディオンも効いている。「Queen Mab」は『ロミオとジュリエット』の台詞を使った唄で、ささやきが印象的。新作『Regina』に入っているとのこと、早く入手して聴きたい。『Perfect Animal』に収録されている「Imperfect Animals」。「I'll Notice」でウクレレを持ち、そのベルトを2色示して紫色を選んでもらうという愛嬌。「Lean on」、「Venus」、「Harbour Hawk」、「Both Still Here」も『Regina』収録曲。特に「Venus」でベッカのアカペラ、全員のコーラスに移る気持ちよさ。「Harbour Hawk」はベッカがおばあさんを想像して書いた唄だという。「Both Still Here」ではチャランゴを使った。「Canyon Dust」でウクレレに持ち替え、「Traveller's Blessing」でまたチャランゴ。「You Make Me Wanna」、そしてアンコールでは、スティーヴィー・ワンダーの「As」を唄った。『Songs in the Key of Life』に入っている曲であり、ベッカは、観客に「always...」と唄わせ、盛り上げた。

何しろ透明感があって、また楽器の演奏も、実際にも、囁きが重ね合わされ、気持ちのいいグルーヴを生みだしていた。クリス・トルディーニの出し入れ自在のベースも見事だった。 

●ベッカ・スティーヴンス
ベッカ・スティーヴンスの話と歌@ニュー・スクール
(2015年)

●クリス・トルディーニ
ジム・ブラック『Malamute』(2016年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
オッキュン・リーのTzadik盤2枚(2005、2011年)