Sightsong

自縄自縛日記

ソニー・シモンズ

2010-06-28 00:37:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ソニー・シモンズというサックス吹きはよく正体がつかめない。プリンス・ラシャとの共演、そしてふたりともエルヴィン・ジョーンズ+ジミー・ギャリソン『Illumination!』(1963年)のフロントとして迎えられる。どちらかと言えば、エルヴィンの記録のなかでは異色の盤として評価されているようだ。和む演奏なので時々取り出しては聴くが、誰のソロも突出して素晴らしいわけではなく、さしたる印象もなく30分強が終わる。

3年後、シモンズはESPディスクからリーダー作『Staying on The Watch』(ESP、1966年)を出す。鬱憤を晴らすようなシモンズのソロは悪くない。妻のバーバラ・ドナルドのトランペットも勢いがある。何しろ、ジョン・ヒックスの(べたべたに)モーダルなピアノを聴くことができる。

シモンズの息が詰まったようなアルトサックスの音は(オリヴァー・レイクほどでもないのだが)、さほどの好みでもなく、息苦しさもある。そんなわけで、あまりそれ以上聴かなかったのだが、90年代に1枚だけ気まぐれに聴いてみた。まだ活動していたのか、と思いながら。『Ancient Rituals』(Quest、1994年)である。

サックス、ベース、ドラムスというピアノレス・トリオであり、それなりにコードから自由な雰囲気を醸し出すはずなのだが、ここでのシモンズの音は昔に輪をかけて詰まっている。インプロヴィゼーションも巧いとは決していえず、何だか痛々しささえ感じてしまう。むしろ聴きどころは、テクニシャン、チャーネット・モフェットのベースソロである。特にチャーネットのソロが多いタイトル曲を、低音を強調して聴いてみると快感ではある。

それでまた、シモンズのことを忘れていた。つい先日、アウトレットのコーナーで『The Travelor』(Jazzaway、2005年)を見つけた。やはり、ああまだ吹いているんだな、と、同じことを考えた。聴いてみると過去の作品より魅力的に聴こえる。編成はピアノトリオ+弦楽器4本(ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ)である。硬質なピアノがアクセントとして目立っており、弦のなかで吹くシモンズの音は以前より軽やかなのだ。これなら、2000年代の他の盤も聴いてみようかという気になってくる。


バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』

2010-06-27 18:16:06 | 中東・アフリカ

イラン生まれのクルド人、バフマン・ゴバディのデビュー作『酔っぱらった馬の時間』(2000年)を観る。

イラン北部、イラクとの国境近くに住むクルド人たち。その多くが密輸で生計を立てている。監視員もいる、雪が積もる山間部の国境。あまりにも寒く過酷な道のりのため、密輸品を運ばせる馬には酒を飲ませている。主人公アヨブは子どもだが、両親がいないため、兄弟を養うためにも学校に行かず日雇いの密輸を手伝う。それでも障害のある弟マディに手術を受けさせるほどのオカネはない。そして、姉は、マディを引き取ってもらうとの条件で嫁いでいく。しかし、嫁ぎ先では、こんな子は引き取れないとヒステリックに騒ぐ。すべてを泣きそうな顔で聴いているマディ。

まるでドキュメンタリーのように淡々とした演出のためか、より哀しさも面白さも滲み出ている。出演する子どもたちは実際にクルド人だということだ。

ゴバディの新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)はテイストが全く異なり、都会テヘランの若者たちを描いているらしい。試写会を観た友人が、ロックが本当にかっちょいいと教えてくれた。「中東カフェ」でも上映と監督のトークがあるということで、無理しても駆けつけようかと思っていたのだが、ゴバディの来日がキャンセルとなって中止になってしまった。無許可での撮影を行い、イラクのクルド人地域に滞在するゴバディは、先日拘束されていたジャファール・パナヒと同様、現独裁政権から見れば煙たい存在に違いない。

大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用

●参照
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』

2010-06-27 01:55:29 | 韓国・朝鮮

T・K生『韓国からの通信 ― 1972.11~1974.6 ―』(岩波新書、1974年)を読む。著者は現在では池明観を名乗っている。岩波書店『世界』での連載であった(その後続編が出ている)。60年代と70年代の朴正煕独裁政権にあって、本名など名乗ることは不可能だっただろう。

ここには、朴正煕政権が如何に暗黒時代であったかが、怒りとともに綴られている。不正蓄財や利権。劣悪な労働条件。少しでも反対する者は容赦なく逮捕され、拷問、殺害されることも稀ではなかった。相互監視社会となり、口を噤む者が増えた。実働部隊はKCIAであった。金芝河などの詩人も作家も、発言を封じられた。

1973年8月、東京のホテルグランドパレスで金大中事件が起きる。政権の指示によるKCIAの手によるものであった。殺されずにソウルに戻った金大中だが、軟禁は続いた。この暗黒の政権に対し、やはりのちに大統領となる金泳三が真っ当な攻撃を加えているのは印象的だ。しかし、田中角栄政権は経済的な利害のみを考え、政権同士で手を打つ。米国も、ベトナム戦争での韓国の協力などを考慮して碌な動きをしない。正しさであるとか、理念であるとか、人権であるとか、そういったことが日本の政治に浮上しないのは今に始まった話ではない。

朴正煕は1980年に部下に射殺されるが、その後に現れたのは、やはり独裁者・全斗煥であった。金大中事件から全斗煥独裁時代のはじまりまでを追ったドキュメンタリー映画、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(1981年)を、科学映像館のウェブで観ることができる(>> リンク)。なお、川本博康はやはり優れたドキュ、『東京のカワウ 不忍池のコロニー』を撮った人でもある。

映画は、 金大中事件からはじまる。韓国の国会議員を訪ねた後に2211号室を出た金大中は突然拉致され、隣室2210号室で殺されかける。麻酔をうたれ、地下の駐車場から連れ出された金大中は、船に乗せられ、海の藻屑と化すところだった。それらの計画は中止されるものの、ぼろぼろの姿でソウルの自宅近くで解放され、政権により軟禁されることになる。隣室には、駐日大使館の一等書記官、金東雲の指紋があった。

この暴力に対し、田中首相と金鍾泌首相(朴政権も金大中政権も誕生させた政治家)、その後宮沢外相と朴大統領との「政治決着」がなされ、事態は曖昧なまま誤魔化される。朴政権が倒れ、1980年、全斗煥政権が誕生。金大中は反国家的な動きをした咎で、死刑判決を受ける。政府レベルでは維持という解決方法しか見いだせなかった日本でも、市民レベルでの反対運動が盛り上がり、「金大中「裁判」調査・糾弾 国民法廷」が設けられる。

映像にはさまざまな人物が登場する。梅林宏道(現・ピースデポ)は、日本企業が韓国で如何に過酷な労働を強いているか暴露する。中山千夏(当時、参議院議員)は、なぜ国のレベルで抗議しないのかと訴える。金芝河の姿もある。そして、韓国は日本に対する輸入依存(鉄鋼、機械)が大きかったため、日韓の経済癒着と政治癒着とがあった。

全政権の市民弾圧、なかでも、1980年の光州事件の映像は凄まじい。民主化を求める市民、活動家、学生に対し、空挺部隊が発砲し、戦車でひいている。妊婦の腹を裂いたり、病院の負傷者を2階から投げ落とすこともあったという。

朴政権でも、全政権でも、北朝鮮との関係は緊張していた。「アカ」だと見なされることは死を意味したというが、『韓国からの通信』でも、「アカであるといえば人権的考慮がなくても黙認するという、残忍な習性」が、市民の身についていたと指摘されている。「反共」意識は政権維持のための道具でもあった。これはまさに現在の姿なのであって、李明博政権でも、金大中の「太陽政策」からまた振り戻しがあったように見えてならない。現在、池明観も「太陽政策」を高く評価している。

●参照
金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
四方田犬彦『ソウルの風景』
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)


丸川哲史『台湾ナショナリズム』

2010-06-26 22:44:25 | 中国・台湾

丸川哲史『台湾ナショナリズム 東アジア近代のアポリア』(講談社選書メチエ、2010年)を読む。迷いを見せながらの叙述スタイルはあまり好みではないが、このことは、台湾という国家/地域の位置付けがサブタイトルにあるように難題であることの裏返しかもしれない。

近現代の歴史を追うならば、1871年:台湾住民による宮古島漂着島民殺害事件(清朝は「化外の民」が行ったこととして責任回避)、1874年:日本による台湾出兵、1895年:前年の日清戦争での清国敗戦により日本への割譲(下関条約)、1945年:日本敗戦と中国本土からの蒋介石・国民党上陸、といった具合である。支配者が変わっただけでなく、その背後にある米国や中国の思惑も変わり続けた。

以下に、いくつか重要な指摘をピックアップしてみる。

●日本による台湾の植民地化にはコスト上の問題があり、売却論さえあった。メリットは、植民地経営の成功が、西洋列強と同等の地位にあることを証明するところにあった。
●1943年のカイロ会談(中国も参加)は、戦後の体制を方向付けるものであった。その際、蒋介石は、次のように考えていた。台湾は日本が中国から奪った土地であり返還。琉球はかつて日本と清国との両属であったものの、琉球処分を経て、日清戦争前には日本の主権下にあったから、米国と中国との共同管理でもよい。朝鮮は独立してもよい(中国は、かつて一度も朝鮮の独立を明確に承認したことがなかった)。
●特に琉球については、カイロ会談は、沖縄の地上戦と軍事占領への道筋を確定したとも言うことができる。また、日本の台湾出兵(1874年)における、琉球住民を日本人として扱った日本政府の言動を容認しているとも言うことができる。
●朝鮮と台湾の扱いの違いは、丸ごと支配か、割譲かの差による。
●現在は比較的「親日」的とみなされる台湾だが、終戦直後は全く異なり、中華民国の統治が日本帝国主義から解放してくれるとの期待があった。しかし、その後の二・二八事件などにより、中国本土に対する失望が蔓延していく。
●台湾での皇民化と中国戦線への加担は、日本の中国戦略に対抗した国民党が戦後台湾を支配したため、タブー視されることとなった。
●戦後日本でも、数年後の台湾でも、土地改革がドラスティックに行われた。これが結果として、「赤化」防止につながった。逆に、中国共産党の勝利は、政治運動としての土地改革の展開による効果が大きかった。
朝鮮戦争(1950年)により、米国は台湾を反共の側に設定しなおした。同時に、台湾における中華民国の事実上の主権状態が成立した。もし朝鮮戦争がなかったなら、台湾は中国本土から派遣された解放軍によって「解放」されていた可能性が高い。その意味で、朝鮮戦争という出来事は、台湾においてタブー視されている。
●中華民国政府は、米国の意向を汲んで、日本に賠償請求を行わなかった。冷戦状況にあって、アジアの反共ブロック内の対決を回避させるための圧力であった。その後、日台関係は、米国を間においての日本の保守政治家と台湾高官との交流が主となり、次いで経済的な結びつきが増加していった。その際には植民地時代の人脈が復活した。日本においては植民地時代の記憶が忘却された。
●国民党政府にとって、米国に頼らなければならないとする見方と、米国流の民主主義や米国の後ろ盾を持つ台湾独立派への敵視とがジレンマとなっていた。
●イラクのクウェート侵攻(1990年)に続く湾岸戦争(1991年)は、大陸中国の「台湾解放」のシミュレーションでもあった。人民解放軍にとって、米国の介入による粉砕は、「台湾解放」が不可能であることを思い知らされる結果であった。
●革命を経ていない台湾は、濃厚に中華的なものを残している。台湾ナショナリズムとは、近代以降・冷戦以降の特定の時代意識の反映と見ることが妥当である。
●日本における「主権」意識は低い。これは、戦後日本が、主権の一部を米国に譲渡し続ける状態を「自然化」させているからであり、他のアジア国/地域と比べると奇怪である。韓国では、米軍基地を抱えることが不自然な状態との自覚が強い。台湾から70年代に米軍基地が撤去されたのは、大陸政府によるネゴシエーションの結果であり、これはまた「主権」という意味ではグレーゾーンに入る。

強く印象に残るのは、日本における歴史意識の希薄さと、その裏返しとしての突出した米国依存である。


朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』

2010-06-26 00:09:17 | 沖縄

慰霊の日」である6月23日、「沖縄敗戦65周年・映画と講演の夕べ」に足を運んだ(明治大学リバティタワー)。『アリランのうた オキナワからの証言』『ぬちがふう 玉砕場からの証言』の上映と、監督の朴寿南(パクスナム)氏による講演である。会場と同じ1階は、学生向けの就活セミナーのようなものをやっており、妙にテンションが高い。その割に、こちらの会場に集まっている人の数はさほど多いとは言えない。学生たちよ、そんなことで良いのか。


朴寿南氏

■ 『アリランのうた オキナワからの証言』(1991年)

映画は、ソウル市の旧・朝鮮総督府三・一独立運動のレリーフの映像から始まる。そして、日本占領時に赤紙によって徴兵され、「朝鮮人軍夫」として慶良間諸島に強制連行された人々の証言が、次々になされる。軍隊のなかでのいじめ。暴力。虐殺。知識としては知っているつもりでも、ナマの証言の迫真性、重さは尋常ではない。韓国の山間の農村風景、水滴がびっしりと草や葉を覆っているような風景。そんななかでの体験談のギャップに、避けられないものを突きつけられるようである。

後半は、慰安所の目撃談が語られる。日本の産業で働くのだと騙って連れてこられた人たちも多い。元「朝鮮人軍夫」は、同胞がそのような境遇にあることを知り、驚き、嘆く。しかし、上官に行けと言われれば行く、オカネがなければ行かない。そうせざるを得ない。

場面は靖国神社。座間味島の元戦隊長が登場する。「大江・岩波沖縄戦裁判」の原告のひとりである。逃亡中、慰安婦と行動をともにしていたという。それについて、「私も若かったから、ロマンチックな思い出だな」と嘯く。そして「集団自決」について、「島の人たちは実に純粋な気持ちでね。純粋そのもので。まさに銃後の日本人の、何と言いますか、最も立派な人たちだったと私は思っております」とも、カメラに向かって話してみせる。絶句してしまう、信じ難い感覚だ。「朝鮮人軍夫」の人たちに対しても、同じような言葉を投げつけるのだろうか。

映画には、沖縄本島、東村も出てくる。やんばるの森や湖を望み、パイナップル畑の横で、日本人と元「朝鮮人軍夫」とが、慰安所があった場所について思い出している。福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』(海風社、1992年)にも記述があった。あの森の村にも慰安所があったのだ。

■ 『ぬちがふう/命の果報 ―玉砕場からの証言―』(製作中のパイロット版)

米軍は1945年3月、慶良間諸島に上陸をはじめた。そのようななかで、米軍の恐怖を徹底的に教え込まれた住民たちは、「鬼畜」に捕まるよりはと自らの家族に手をかける。いわゆる「集団自決」である。「大江・岩波沖縄戦裁判」は、そのときの軍命の有無を争点としている。勿論、その争点が敢えて矮小化されたものであり、かつまた、実態としての軍命(上意下達の軍隊組織という意味)も、実際の軍命もあったとされている。

原告側がひとつの証拠としたものは、軍命ではなく、助役の命令であったとする証言であった(宮城晴美『母が遺したもの』)。ここでは、決定的な映像を示す。軍命が下ったのだと子どもたちを抱いて絶望する助役について証言する妹。そして、あれはウソだった、軍命ではなく助役の命令だったという書面を戦隊長に騙し取られたと証言する助役の弟。これらが、裁判(地裁、高裁)の判決に決定的な影響を与えたという。

皇軍の兵隊たちが並び、ガマの住民にずっと銃を向けていたという証言も記録されている。証言者は、米軍に投降しようとする住民を殺すつもりであったのだと断言している。

裁判はまだ最高裁判決を残し、また、軍隊の責任を消し去ろうとする動きは何度も亡霊のようにあらわれている。この映画の完成と広い上映が望まれる。

●参照
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦
四方田犬彦『ソウルの風景』
尹健次『思想体験の交錯』
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
沖縄「集団自決」問題(記事多数)


ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』

2010-06-21 22:26:20 | ヨーロッパ

ジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫、原著1991/92年)を読む。松岡正剛をして、日本に比肩するような知的エリートはひとりとしていないと言わせた人物である。

1492年。言うまでもない。イタリア・ジェノヴァ出身の山師、クリストファー・コロンブスが西へ向かい、アメリカ海域に到達した年である。それは、大虐殺や暴力的支配や市場経済の膨張をすべて孕むグローバリゼーションを大きく駆動させた時点でもあった。もちろんこれは歴史上の「後付け」であり、時間の流れも同時代人の動きも、1491年も1493年も変わりはない。アタリはこのことを、「捏造」という言葉で表現してみせる。しかし、歴史の捏造だけでなく、1492年という結節点を中心として、ヨーロッパなるものも捏造されたのだと説く。非常にユニークな展開である。

「ヨーロッパ」の捏造。スペインからのイスラームの追い出し(レコンキスタ)、ユダヤ人の追い出しは、仮想の「ヨーロッパ」の暴力的な実現の過程であった。その結節点に向けて、印刷技術の普及というメディアの変貌、情報・意識の共有化があった。それは理性や力や恐怖をも変貌させた。アタリに言わせれば、「思想が経済の急成長に役立つための準備はすべて整う」ことになった。「ヨーロッパ」のみが人間なのであり、それ以外は怪物と見なされた。

そして結節点。アタリはこの1年間を1月から12月まで時系列で追ってみせる。それは、コロンブスの航海のみが特別な事件なのではなく、もはや滝に向かって突き進むしかなかったことを示す。無数のコロンブスがいたこと、コロンブス後の活動が冗談のように急速であったことも。

結節点の後。命名と言語と宗教の押し付けの時代がはじまる。「歴史」の捏造である。土地も先住民も、新しい「ヨーロッパ」のためのフィールドであった。それが結節点の前に膨張した「純化」の強迫観念と裏腹の関係であったことを、アタリは仔細に検証している。この病理の爆発的な拡大が、「どっちつかずの、曖昧で裏表のある、冷やかで仮面をつけた、不純で拒否的」な「近代知識人」を生んだのだとする考察は非常に面白い。

本書は1492年前後の歴史のダイナミクスのみを分析したものではない。「純化」、「排斥」、「国家」という悪い夢は、かつてのドイツにも、ボスニアにも、そしていまの日本にも現れ続けている。

「1492年は、人々が過去を葬り去れないことを教えている。過去がいつもあなた方の顔に現れるのだ。そして未来に影響を及ぼす。白紙のページはない。」

●参照
マノエル・ド・オリヴェイラ『コロンブス 永遠の海』
ジョン・ヒューストン『王になろうとした男』


ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ

2010-06-20 23:53:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギルの最近の作品は「ズォイド」(Zooid)名義ばかりだが、「メイク・ア・ムーヴ」も90年代半ばからの比較的新しいグループである。アルバムとしては2枚が発表されている。『Where's Your Cup?』(Columbia、1996年録音)と『Everybodys Mouth's a Book(邦題:口承)』(Pi Recordings、2001年録音)である。

セクステット、ヴェリー・ヴェリー・サーカス、ズォイドという、分厚い低音アンサンブルの流れにはない。ギター、ベース、ドラムス、そしてハーモニウム・アコーディオンまたはマリンバ・ヴァイヴというシンプルな編成である。

『Where's Your Cup?』は、コロンビアというメジャー・レーベルから出した最終作だった。この後、ブランフォード・マルサリスがレーベルのコンサルタントとなり、デイヴィッド・S・ウェアと契約したことも影響して、このレーベルとの関係は断ち切られた、そんな噂があった。真偽のほどはわからない。本作が傑作であるだけに、勿体なかったことは確かだ。

スレッギルはアルトサックスとフルートを吹く。ブランドン・ロス(ギター)、ツトム・タケイシ(ベース)、トニー・セドラス(アコーディオン、ハーモニウム)、J.T.ルイス(ドラムス)というメンバーで、本作を特徴付けているのはセドラスの参加だ。スレッギルはセドラスにより沿って、1曲目の「100 Year Old Game」から愚直と思えるほどゆっくりと哀しいメロディーを奏でる。勿論セドラスだけでなく、ブランドン・ロスの個性的なギターとの交感も素晴らしい。野性的なドラムスを入れるのはスレッギルの趣味なのか、5人の打ち出す個性と相互作用が際立っている。

また、「Where's Your Cup?」では、コードから微妙に外れたフルートを吹き、聴くたびに驚かせてくれる。「The Flew」では、『Makin' a Move』(Columbia、1995年)の2曲目「Like It Feels」と同様、他のメンバーたちに曲の世界を展開させた後でおもむろに登場し、その世界を凝縮した形で再提示するようなアルトソロを聴かせる。

一方、5年後の『Everybodys Mouth's a Book』では、ドラムスが交代する他に、セドラスが退き、マリンバ・ヴァイヴのブライアン・キャロットが加わっている。これが作品の質を大きく変えてしまっていると感じざるを得ない。高度なコード化によって、音楽は重力を逃れ、宇宙空間を浮遊するものとなってしまっているのだ。逆にいえば、ハーモニウムやアコーディオンが重力に縛り付け、その結果、化学変化が起きていたのだと言うこともできる。『Everybodys Mouth's a Book』は、何度聴いても、いまひとつ印象が定まらない。

『Where's Your Cup?』と同じ1996年に、同じグループでウンブリア・ジャズ祭で演奏した映像を持っている。ここでも重力の楔=セドラスという雰囲気を楽しむことができる。(ハーモニウムはヌスラッテ・ファテ・アリ・ハーンのイメージが強いが、何とも妙な楽器だ。)

まだメイク・ア・ムーヴ結成の前、『JAZZIZ』誌(1994年3月)がスレッギル特集を組んでいる。ここで興味深いことに、ロスが以下のような発言を行っている。「ある時期に、ヘンリーは私たちに制約を課しはじめた。私は演奏に向かう方法すべてを変えなければならなかった。フィンガー・スタイルはクラシックギターやフラメンコギターに近いものだった。

96年の映像でも、面白いことに、ロスは終始楽譜をにらんでギターを弾き続けているのである。しかし、緻密とは言え、ロスのソロは蛍光ペンのようでユニークで素晴らしい。そしてJ.T.ルイスもツトム・タケイシも対照的に奔放であり、指示を出しつつ吹くスレッギルは汗だくだ。この編成でそうなのだから、ヴェリー・ヴェリー・サーカスやズォイドではどのような雰囲気か、とても興味がある。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1) 『Makin' A Move』
ヘンリー・スレッギル(2) エアー
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス
ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー


嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場

2010-06-20 01:46:58 | 沖縄

嘉手苅林昌の唄う「屋慶名クワデサー」(マルフクレコード)を聴く。那覇の高良レコードでは、このようなEP盤のデッドストックを1枚100円で売っている(LP盤は700円)。

林昌の半ば枯れていて飄々とした唄はとても良い。もっとも、歌詞はヤマトゥ向けに訳されたものを読まないとほとんどわからない。のちのアルバム『失われた海への挽歌』でもこの唄を謡っており、竹中労の解説によると、クワデサーとは落葉樹の名前、林昌はその下での「毛遊び」や浜遊びの体験を意識している。謡い終わった後、林昌はこのように呟いたという。

「あんし美らさたる海んかい、なまや油の浮いて泳じーもならんさ」(あんな綺麗な海が、今では油が浮いて泳ぐこともできない、といった意味?)

屋慶名は勝連半島の先のほうにある。リゾートや石油備蓄だけでなく、平野前官房長官が進めようとした新基地案など、林昌の呟きは反響し続けている。

5年ほど前、闘牛を観たいと思い、ちょうど屋慶名闘牛場というところでやっているというので、バスで出かけた。あまりにも時間がかかるので、コザあたりからタクシーで向かった。運転手さんも場所が分からないと言い、弁当屋で道を訊ねた。すると居合わせたお客さんが、近くだからと車で先導してくれた。確かにわかるわけがない山の中だった。靴を泥だらけにして辿り着くと、ちょうど大関の試合だった。何とか間に合った。

なかなか沖縄にも、もちろん闘牛場にも足を運べないが、たまに闘牛場のサイト(>> リンク)を覗く。屋慶名闘牛場は戦前からある闘牛場らしいが、2007年には、石川多目的ドームという立派な闘牛場が完成しているらしい。予定表を見ても、このドームばかりだ。屋慶名はまだ使っているのかな。


屋慶名闘牛場、2005年 Leica M3、Summitar 50mmF2.0、シンビ200、DP


屋慶名闘牛場、2005年 Leica M3、Summitar 50mmF2.0、シンビ200、DP

●参照
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』


カンタン・ロレ、レクタングル

2010-06-20 00:06:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

1990年代後半にレクタングル(Rectangle)というフランスのレーベルがあって、奇妙なLPやEP盤を次々に出していた。日本盤で『レクタングル・オムニバス』というものもあったが、寄せ集めはつまらないので手放してしまった。いま手元にあるのは、ロル・コクスヒルフィル・ミントンノエル・アクショテ『Minton - Coxhill - Akchote』(1997年)と、カンタン・ロレ『AKA DOUG』(1994年)の2枚のEP盤だけだ。

他に、デレク・ベイリーやユージン・チャドボーンらの作品や、ストローブ=ユイレがつぶやいている盤(彼らは映画でもつぶやいている)といったものがあって、今考えれば、入手しておくべきだった。もっとも、ストローブ=ユイレのつぶやきはフランス語であって、当時レーベルに問い合わせたが英語訳はないということなので無意味だと諦めた。

あらためて、カンタン・ロレ『AKA DOUG』を聴く。完全ソロ、ただしアルトサックスとサンプラーによる多重録音である。両面で3曲のみだが、それぞれ趣向が異なり愉快である。異なる音域や音色を重ねるだけではない。A面の演奏では、キーを強く叩くときのタンポの音を拾ってサンプリングしており、息を吹き込むという感覚を増幅させている。こんなとき、サックスという楽器が肉声に近いこと、柔軟なことを強く感じる。

たしか当時、このユニークなサックス奏者は20代だったはずで、そうすると現在でもまだ30代だ。しかし、レクタングルが活動を停止しており、また、ネット検索してもカンタン・ロレ(Quentin Rollet)の名前はほとんど出てこない。唯一、最近も活動している記録を発見した。2009年11月22日、パリでのライヴ映像である。メンバーは、David Fenech (g)、Ghedalia Tazartes (vo)、Jac Berrocal (tp)、Quentin Rollet (sax)と書かれているが、ロレ以外は聴いたことのない名前だ。

映像 >> 

とても愉しそうだ。相変わらず、変な音を出したり、太腿で音をふさいだり。ロレ、もっと目立つ活動をしていないのだろうか。

●参照
コクスヒル+ミントン+アクショテのクリスマス集『Minton - Coxhill - Akchote』


ジョニー・トー(10) 『エレクション 死の報復』

2010-06-18 00:37:09 | 香港

『エレクション 死の報復』(2006年)を観る。ジョニー・トー『エレクション』(2005年)の続編として作った作品である。

ロク(サイモン・ヤム)が裏組織の会長に選ばれてから2年。前回ロクに協力したジミー(ルイス・クー)は中国本土でビジネスを展開するため、組織から抜けたいと思っている。しかし本土の政府の人間は、ジミーに対し、会長にならなければ許可を出さないと告げる。再選を狙うロクとの闘いに勝ったジミーには、約束通り、政府からビジネスの許可が与えられる。しかし同時に、政府は、治安維持のために裏組織を存続させろとジミーに強要する。

正直言って、前作を上回る残酷な暴力の描写にはうんざりさせられる。しかも、如何なる状況でもジョニー・トーが忘れていなかったユーモアとエンターテインメント性のみに奉仕するプロットの工夫が、なぜか本作には乏しい。そのため、ラム・シューニック・チョンラム・カートンらトー作品の常連が個性を出せないまま終わっている。

もちろん、シリアスな香港ノワール作品としては、緊張感も持続し、優れている。また、ビジネス許可を出す政府の役人とジミーとの交渉シーンでは、次第に日が落ちて暗くなっていくという素晴らしさもある。しかし、トー作品としては期待外れだ。

●ジョニー・トー作品
『エグザイル/絆』
『文雀』(邦題『スリ』)、『エレクション』
『ブレイキング・ニュース』
『フルタイム・キラー』
『僕は君のために蝶になる』、『スー・チー in ミスター・パーフェクト』
『ターンレフト・ターンライト』
『ザ・ミッション 非情の掟』
『PTU』
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』


「建築はどこにあるの?」、東京スカイツリー

2010-06-15 23:19:26 | アート・映画

千葉県民の日とやらで小学校が休み。自分も休みを取り、息子を連れて、東京国立近代美術館「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」展を観てきた。展示物の写真を撮ってもよいと大々的に謳ってあり、欧州や豪州の美術館ではそれがむしろ普通だが、ここではネットでの拡がりを期待しての動きだろう。

7人の建築家による、建築をコンセプトとしたインスタレーションである。それぞれ面白く、手法的にもうなってしまうものもある。しかし、ここでの問いかけは、「建築はどこにあるの?」だ。

ひとつはノスタルジアの世界を侵犯する建築。今回もっとも印象深かった作品、菊池宏「ある部屋の一日」を眺めて感じたことだ。ミニチュアの家、庭には樹木や奇妙なクリスタルがある。片方から光が当てられ、そして家は回転し続けている。家から見れば、回転するのは光、太陽の光のほうである。そして家には2つのカメラが取り付けられており、横の部屋でその映像が投影されている。まるでシャープでない映像の甘さ、滲みが、あまりにもノスタルジックで、数分間での1日の体験がとても強い印象を残す。


菊池宏「ある部屋の一日」 回転する家


菊池宏「ある部屋の一日」 家の映像

ギミックとして面白いのは、赤い無数の平行したレーザー光を暗い部屋で照射する、内藤廣「赤縞」。レーザーのなかを歩くと、自分の身体が設計に還元される。建築家のことばを使えば、人間が動くことでこそ空間が生まれる。しかし還元されたものとはいえ、設計は建築家以外にとってはリアルなものではない。


内藤廣「赤縞」 ストライプのシャツを着た私の腕に直交するレーザー光のストライプ

神保町で用事を済ませ、錦糸町で上がったばかりの8ミリフィルムを受け取る。千葉県のわが家からも遠くに見える東京スカイツリーが、ここでは冗談みたいに大きく現れる。建築家以外にとってのリアルは所詮現物に過ぎない。

まだ夕方までに時間があった。息子と町工場が多い界隈を歩いてスカイツリーを目指すことにする。辿りつくまでの30分弱、ときどき雑居ビルの切れ目から姿を見せるスカイツリーは、どんどん大きくなっていく。

到着して見上げたら、笑ってしまった。

現在398メートル、第一展望台のあたりまで組みあがっている。計画は634メートル。つまり現在の1.5倍程度にまで高くなる。わが家から遠目に眺めるスカイツリーは、その手前にある小さな船堀タワーより少し高く見える程度だが、あと1年半も経てば、風景がまたかなり変わってしまうことになる。東京タワーではモスラが繭を作った。霞が関ビルにはシーボーズが宇宙に帰りたくてよじ登った。さて、スカイツリーを愛する怪獣は何だろう。


齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』

2010-06-15 01:30:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹(ベース)と今井和雄(ギター)による1時間にわたるインプロヴィゼーションの記録、『ORBIT ZERO』(Travessia、2009年)。

大きな音楽家と研ぎ澄まされた音楽家。彼らの共演(饗宴?)を目の当たりにしたことはないが、このドキュメントを1時間体感していると、おそらくそれは音と一体化するような体験ではないかと思える。聴いていると、音風景というのか、さまざまなイメージが唐突に去来する。鯨の声。床を叩きつけるようなダンス。巨人の足音。地鳴り。口琴のような口蓋の振動。心臓の鼓動。そして終末が見えてきてからの、音を慈しむような時間。

齋藤徹のベースは、大きなきしみ、弦の音だけでない幅広いうなりが印象的であるように思う。聴いている耳を通じて、共振が鼓膜から全身に拡がっていく。しかしまた、テツさんのブログ(>> リンク)に面白いことが書かれていた。フランスでバール・フィリップスから借りたベースを使うと、何を弾こうとバール・フィリップスの音になる、とのことだ。

思わず、バール・フィリップスと今井和雄のデュオ『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』(eyewill、1999年)と聴き比べてしまうが、確かに、ここからは独特の芳香がむんむん漂うバール・フィリップスの音が出てくる。

●参照
今井和雄、2009年5月、入谷
齋藤徹、2009年5月、東中野
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』
リー・コニッツ+今井和雄『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、バール・フィリップス+今井和雄『プレイエム・アズ・ゼイ・フォール』
ユーラシアン・エコーズ、金石出
齋藤徹『パナリ』
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ジョゼフ・ジャーマン『ポエム・ソング』
歌舞伎町ナルシスでのバール・フィリップス


カレル・チャペックの旅行記が愉しい

2010-06-14 23:17:52 | ヨーロッパ

チェコの作家カレル・チャペックは、1930年前後にいくつもの旅行記を書いている。週末に子どもを連れてジャイアンツ球場まで二軍の試合を観に行き、片道2時間もかかったので、その間、気晴らしに、『イギリスだより』(ちくま文庫、原著1924年)と『スペイン旅行記』(ちくま文庫、1929年)を読んだ。

筆致は飄々としており、楽しんでいたり、皮肉を言ってみたり。どこを読んでも、未知の地の人びとに対する愛情を読み取ることができる。いみじくもチャペックは次のように述べている。これはおそらく建前ではない。中国や韓国のニュースとなると人が変わったように悪態をつきはじめる者どもに、このユマニストの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

「だが、いまいましくても、諸民族が、それぞれの習慣と文化を、そのまま持つようにしておこう。そして、必要ならば、頑固に執着せずに自身の神様ともおさらばするのだ。なぜなら、相違のそれぞれは、愛する価値があるからで、それは人生を何倍にもゆたかにする。わたしたちを分かつすべてのものに、わたしたちを結びつけさせよ!」

ここでチャペックが言う「相違」の観察がとても愉しい。書かれてから80年以上が経っているのに、国柄というのは変わらないものである。例えば『イギリスだより』では、次のように述べており、いちいち思い当たる節があってやたらおかしい。まあ、血相を変えて否定する人もいるかもしれないけれど。

「悪魔的なマスタードを塗りたくったプレスド・ビーフをくちゃくちゃ噛んでいるときには、誰も顔を輝かしたり、声をふるわせて歌を歌ったりできない。」
「生きているときは確かに魚だが、食膳にのぼる憂鬱な状態になるとフライド・ソール、つまり舌びらめのフライと呼ばれるものを、・・・」
「飲み助たちはバーで、それぞれ勝手に飲んでいる。普通の人たちは、家へ乗り物で帰るのに新聞を読み、右や左をのぞきもしない。」
「ヨーロッパ大陸は、もっとうるさく、もっと不勉強で、もっと汚く、もっと怒りっぽく、もっと神経がこまかく、もっと情熱的で、もっと親しみやすく、もっと愛情にとみ、楽しみを求め、生命力豊かで、荒っぽく、おしゃべりで、拘束されず、どこかもっと不完全なのだ。」

『スペイン旅行記』では、プラド美術館ゴヤの作品に感激している。ここでは、今も80年前も、掃いて捨てるほどある(捨てないが)ゴヤの作品を観ることができるのだ。王たちの肖像を「いささか侮辱的」と評し、「裸のマハ」を「エロチックな虚構の極限。寓話的な裸体の極限。」と激賞している。チャペックによるゴヤ評は、この「裸のマハ」評が長く堅苦しい評論よりも本質的であるように、見事である。

「わたしが思うに、ゴヤはここで、人間を裏返しにして、その鼻の穴と裂けたのどの奥をのぞき込み、ゆがんだ鏡の中で、できそこないの醜悪さを研究しているかのようだ。」

私がプラド美術館で観たゴヤ作品のなかでもっとも感激したのは、「砂に埋もれる犬」である。ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)の欧州版の表紙に使われたものだ。この限りない謎と泳ぐ視線が、オースター世界とシンクロするようだと思っていたのだ。発売時、パリのメトロの駅構内にでかでかと広告が貼ってあったのを強烈に覚えている。


ポール・オースター『ティンブクトゥ』欧州版(1999年)

中野京子が解説する『怖い絵』というNHKの番組では、埋もれた犬を当時のスペインになぞらえていた。一方、プラド美術館で買ってきた1ユーロの「観賞案内」日本語版では、どのようなもっともらしい説明も「絵の表現力の豊かさを釈明していないし、背景に示される漠然とした空間の宇宙的な感覚や、傾斜が何で出来ているのか、あるいは、犬の状態も明らかにしていない。」と、緊張感と曖昧さを高く評価している。この絵の強度にふさわしい説明は、明らかに後者である。


文庫本サイズの1ユーロ本。日本の美術館にもこんなものがあればよい。


本谷有希子と吉田大八の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

2010-06-13 23:29:12 | 思想・文学

テレビドラマ『その街のこども』や『離婚同居』を観ていたら、佐藤江梨子って良いよなと思い、主演作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』吉田大八、2007年)を観た。いや実はその前に、本谷有希子による原作(講談社文庫、原著2005年)を読んでおいた。

いや面白いんだけど、何か突破力が感じられるわけでもないし、妹のたくらみという仕掛けも読めてしまう。いかにも演劇出身という感じ。高橋源一郎は解説で褒めちぎっているが、そんなもの真に受けても仕方がない。姉が妹に熱湯を呑ませるという虐めは、筒井康隆『乗越駅の刑罰』と同じネタであり、しかも、筒井作ほど苛烈でもシュールでもない。

サトエリ見たさの映画版では、そのシーンすら骨抜きになっている。これではただの不愉快な虐めのシーンに過ぎない。それでも呪いの鬼と化すラストシーンを楽しみにしていたが、それも勇気がなかったのか、救いのある話にすり替わっている。駄目。


新良幸人の声は太丸

2010-06-13 17:00:35 | 沖縄

珍しく、NHK沖縄製作の番組『故郷想う歌の旅 ~新良幸人・下地勇 古謡を受け継ぐ~』が全国放送された(>> リンク)。

新良幸人下地勇が連れだって、自分たちの故郷(石垣島、宮古島)に伝わる古謡を教わりに帰郷する。いまではひとりしか歌うことができない唄である。ずいぶん難しいようで、新良幸人は「コード進行上、こう来るだろうという流れにならない」と苦笑いしている。練習のあと、彼らはステージ上で古謡を唄う。新良幸人の声は太く丸く、すこし普通でない感覚があって、とても良いことを発見(これまであまり聴いていなかった)。何かアルバムも探して聴いてみよう、山下洋輔が「エルヴィン・ジョーンズのようだ」と驚いた太鼓のサンデーと一緒に演奏しているものを。

ところで宮古古謡の歌詞で、ありえない半濁点(マル)が付いている文字があるが、あれは何だろう。


新良幸人、2006年 Leica M3、Summicron 50mmF2.0、Tri-X(+2)(たぶん)、Gekko 2号(たぶん)