Sightsong

自縄自縛日記

ポール・オースター『インヴィジブル』再読

2019-02-28 23:29:51 | 北米

ポール・オースター『インヴィジブル』(新潮社、原著2009年)を読む。

この小説が出たばかりのころにデュッセルドルフに行き、中央駅の書店で買って飛行機で読み始め、帰国して読了した。昨年柴田元幸による翻訳が出たのであらためて読みはじめたが、時間切れで途中で置いて、そのとき以来9年ぶりにデュッセルドルフを訪れた。中央駅に書店はまだあったが入る余裕がなかった。帰国してから読了した。

そんなこと個人的な偶然に過ぎないのだが、そのことがオースター的だと言えなくもない。それに、やはり個人的には、オースターのブルックリンよりもヨーロッパのほうが偶然力に満ちている。そして本書の舞台はニューヨークに加えてパリでもあるのだが、その描写から街に行きたくなるのはパリのほうだ。(そういえば『ティンブクトゥ』の原書はパリで買ったのだった。)

9年前に本書を読んだとき、延々と続く性描写に辟易させられた。今読むとそれはさほどグロテスクでもなく、垣根のない愛の物語として沁みてきてしまう。それは最近のオースター作品の特徴でもあるし、また、複数の語り、それによる虚実の揺らぎ、ありえないほどの偶然と怖ろしい運命といったオースター要素が、本書にも散りばめられている。しかし印象が他の作品と重なることはない。

何が「インヴィジブル」かと言えば、語り手が視えないこと、リアルが視えないこと、そして視覚を聴覚が乗っ取ってしまうことでもある。それは最後まで読めばわかる。9年前と同じく、読了後数日経っても、思い出すたびにその音が耳の中でこだまする。

やはり読み直してみるものである。

●ポール・オースター
ポール・オースター+J・M・クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(2013年)
ポール・オースター『冬の日誌』(2012年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』再読(2008年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』(1997-2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


田野大輔『愛と欲望のナチズム』

2019-02-26 08:22:34 | ヨーロッパ

田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ、2012年)を読む。

「退廃芸術」のこともあり、ナチスドイツは性を抑圧していたのかと考えてしまうが、そうではなかった。また、「優性思想」にのみ依拠したものでもなかった。実は矛盾だらけであったことが、本書を読むとよくわかる。 

ナチズムは、旧来の小市民的で「偽善的上品」な性道徳を批判し、性愛を促進した。すなわち、性の「健全」化が指向された。だが、ことは偏ったイデオロギーのみで進むものではない。権力構造の中では欲にまみれた者が続出する。またその権力の形からして、ミシェル・フーコー的な生政治化した。同性愛は迫害された。

そして、こういった権力の形が管理売春に結びつき、一方で、権力の矛盾が市民の渇望と結びついた。要は単に性道徳が崩壊した。そこにはナチズムが重視した人種差など関係なかった。

「「民族の健全化」を標榜し、性的不道徳の一掃につとめたはずの政権のもとで、かくも無軌道な男女関係が幅をきかせるようになったのは、いったいどういうわけだろうか。それはもしかすると、ナチズムによる性生活への介入の、ある種の逆説的な帰結だったのではないか。」

人間の性を国家目的(生産)に動員させようとする社会など、ろくなものにはならないという歴史的教訓である。それでは「家族」という縛りを「生産」に結び付けようとする日本社会はどうか。

●参照
芝健介『ホロコースト』
飯田道子『ナチスと映画』
クロード・ランズマン『ショアー』
クロード・ランズマン『ソビブル、1943年10月14日午後4時』、『人生の引き渡し』
ジャック・ゴールド『脱走戦線』ジャン・ルノワール『自由への闘い』
アラン・レネ『夜と霧』
マーク・ハーマン『縞模様のパジャマの少年』
ニコラス・フンベルト『Wolfsgrub』
フランチェスコ・ロージ『遥かなる帰郷』
ミック・ジャクソン『否定と肯定』マルガレーテ・フォン・トロッタ『ハンナ・アーレント』
マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』
徐京植『ディアスポラ紀行』
徐京植のフクシマ
プリーモ・レーヴィ『休戦』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
クリスチャン・ボルタンスキー「アニミタス-さざめく亡霊たち」@東京都庭園美術館
クリスチャン・ボルタンスキー「MONUMENTA 2010 / Personnes」


Arashi@稲毛Candy

2019-02-25 00:08:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

稲毛のCandy(2019/2/24)。当日までプログラムに気が付かなかった。

Akira Sakata 坂田明 (as, cl)
Johan Berthling (b)
Paal Nilssen-Love ‎(ds)

それにしてもポール・ニルセン・ラヴはやっぱり凄い。低めのドラムスとシンバルを相手に、異常に強いであろうリストを使って叩き、その結果、一音一音がまるで和太鼓のように聴こえる。しかも高速で音色が多彩。

ちょっとバンドサウンドとしては一本調子に感じられるところが無くもなかったのだが、このドラミングをみせてもらうのだから文句なし。その強度に併存するヨハン・バットリングのベースも、常に奔流の筋がびしりと通った坂田さんのアルトも良い。(唸らなくてもいいのだけど)

最後はオーネット・コールマンの「Lonely Woman」で締めた。

iphone

●ポール・ニルセン・ラヴ
ペーター・ブロッツマン+スティーヴ・スウェル+ポール・ニルセン・ラヴ『Live in Copenhagen』(2016年)
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy(2013年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
(2011年)
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』(2008年)
4 Corners『Alive in Lisbon』(2007年)
ピーター・ヤンソン+ヨナス・カルハマー+ポール・ニルセン・ラヴ『Live at Glenn Miller Cafe vol.1』(2001年)
スクール・デイズ『In Our Times』(2001年)

●坂田明
ピーター・エヴァンス@Jazz Art せんがわ2018(JazzTokyo)
JAZZ ARTせんがわ2018
サイモン・ナバトフ@新宿ピットイン(2017年)
『浅川マキを観る vol.3』@国分寺giee(2017年)
坂田明+今井和雄+瀬尾高志@Bar Isshee(2016年)
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
見上げてごらん夜の星を(坂田明『ひまわり』、2006年)
浅川マキ『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏家たちのOKをもらった』(1980年)
浅川マキ『Maki Asakawa』(主に1970年代)


古田一行+黒沢綾+永武幹子@本八幡cooljojo

2019-02-24 23:23:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojo(2019/2/24)。

Kazuyuki Furuta 古田一行 (ts)
Aya Kurosawa 黒沢綾 (vo)
Mikiko Nagatake 永武幹子 (p)

ファーストセット、最初の2曲「I Thought About You」「It's Alright With Me」はテナーとピアノとのデュオ。最初は古田さんのテナーのキーを操作する音が割と大きく響いたが、やがてそれは音色のグラデーションの一部だと気付いた。

ここで黒沢さんが入り、ジョビンの「Dindi」においては、古田さんは息遣いを増幅させて揺らぐようにヴォイスに重なった。「Up Jumped Spring」(フレディ・ハバード)に続く「Mata Hari」(ジョヴァンニ・ミラバッシ)では、大波が来ては去っていくようなヴォーカル、それが遠ざかるところで絶妙にテナーが入る。永武さんのピアノもまた大波であり見事。最後はびっくり、矢野顕子とパット・メセニーの「Prayer」。黒沢さんの声にアッコちゃんと似たところもある。

セカンドセットも最初の2曲はピアノとテナーのデュオ。「Doxy」(ロリンズ)ではスローテンポ、サビの盛り上がりを敢えて擦れさせるテナーが良い。ピアノソロもさすが。「Yardbird Suite」(パーカー)ではテナーがノッているが、ピアノはさらに飛翔する。愉しい。

また黒沢さんが入った。彼女のオリジナル「月が赤く染まるとき」ではテナーを濁らせた。「Skylark」では透明でちょっと前のめりな歌い方、ピアノが音を散らしているのも含めて春の雰囲気が出ているように聴こえた。テナーがヴォーカルと並走し、その綾もまた春な感覚。「Just Squeeze Me」(エリントン)、テナーがゆっくりと吹きはじめ、ヴォーカルが続いた。永武さんは足踏みをしてメロディを口ずさみながら弾く。「Valentine」(フレッド・ハーシュ)で締めて、さらにアンコール。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●永武幹子
蜂谷真紀+永武幹子@本八幡cooljojo(2019年)
2018年ベスト(JazzTokyo)
佐藤達哉+永武幹子@市川h.s.trash(2018年)
廣木光一+永武幹子@cooljojo(2018年)
植松孝夫+永武幹子@中野Sweet Rain(2018年)
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
永武幹子+類家心平+池澤龍作@本八幡cooljojo(2018年)
永武幹子+加藤一平+瀬尾高志+林ライガ@セロニアス(2018年)
永武幹子+瀬尾高志+竹村一哲@高田馬場Gate One(2017年)
酒井俊+永武幹子+柵木雄斗(律動画面)@神保町試聴室(2017年)
永武幹子トリオ@本八幡cooljojo(2017年)
永武幹子+瀬尾高志+柵木雄斗@高田馬場Gate One(2017年)
MAGATAMA@本八幡cooljojo(2017年)
植松孝夫+永武幹子@北千住Birdland(JazzTokyo)(2017年)
永武幹子トリオ@本八幡cooljojo(2017年)


組原正+橋本孝之+鷲見雅生、内田静男@七針

2019-02-24 10:51:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

新川の七針(2019/2/23)。

Tadashi Kumihara 組原正 (g)
Takayuki Hashimoto 橋本孝之 (as)
Masao Sumi 鷲見雅生 (b)
Shizuo Uchida 内田静男 (b)

ファーストセット、組原・鷲見デュオ。やはり観るたびに独特さでくらくらさせられる組原さんのギター。速いパッセージで翼をばさばさと振りながら舞う怪鳥のようだ。それに対して鷲見さんはベースの音を力技で楔のように突き刺していく。

セカンドセット、内田静男ソロ。緩めの弦を不穏にしならせ、邦楽にも聴こえる響きを出し始める。ここからの1時間弱は圧巻だった。エフェクターとともに、無数の闇の声を集めてはずらし、重ね合わせて提示する。ハコのあちこちがノイズで軋むようにさえ感じられる。これまで内田さんのプレイに感じていた印象を遥かに凌駕する演奏だった。終わった後、橋本さんは「えげつない」「えぐい」と表現した。

サードセット、組原・橋本・鷲見トリオ。殺気を静かにまき散らしながら左右に舞う怪鳥のギター、楔から杭へと打ち込む強度が増したベース、そして一貫して叫び、時空間に裂け目を入れ続ける橋本さんのアルト。トリオとなっていることで、三者異なる力のヴェクトルがパノラマ風景を創出した。これにも驚いた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●組原正
第三回天下一Buzz音会 -披露”演”- @大久保ひかりのうま(2017年)
グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス(2016年)

●内田静男
橋本孝之+内田静男『UH』(-2018年)
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる(Albedo Gravitas、Kみかる みこ÷川島誠)@大久保ひかりのうま(2017年)
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)

●橋本孝之
フローリアン・ヴァルター+直江実樹+橋本孝之+川島誠@東北沢OTOOTO(2018年)
山本精一+橋本孝之@大久保ひかりのうま(2018年)
#167 【日米先鋭音楽家対談】クリス・ピッツィオコス×美川俊治×橋本孝之×川島誠
特集 クリス・ピッツィオコス(2017年)
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
第三回天下一Buzz音会 -披露”演”- @大久保ひかりのうま(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)
橋本孝之『ASIA』(JazzTokyo)(2016年)
グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス(2016年)
.es『曖昧の海』(2015年)
鳥の会議#4~riunione dell'uccello~@西麻布BULLET'S(2015年)
橋本孝之『Colourful』、.es『Senses Complex』、sara+『Tinctura』(2013-15年)


『Black is the color, None is the number』

2019-02-24 08:41:21 | アート・映画

デュッセルドルフのCubic Studiosにて、『Black is the color, None is the number』(2019/2/17)。

近くに住むサックスのフローリアン・ヴァルターにデュッセルドルフに行くと連絡したところ、ダンスを観に行くから一緒にどうか、と。なんと皆藤千香子さんの振付によるステージ。到着早々だがこれは是が非でも駆けつけなければならない。

到着したら、即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』に出演していた荒川創也、ヤシャ・フィーシュテートのふたりがいて、そしてヴァルターもほどなくして現れた。もちろん皆藤さん。

Taneli Törmä (dance)
Jascha Viehstädt (creation)
Phillip Schulze Bühnenbild (live music)
Ivan Geddert (scenic design)
Kanade Hamawaki 濱脇奏 (light design, graphic)
Chikako Kaido 皆藤千香子 (choreography, concept)

写真スタジオの白い空間に、タネリ・トルマがひとり立っている。横にはマットレスがふたつ。サーチライトのような照明がかれに向けられ、動かされている。

横臥しているダンサー。手の動き、足の動き、それらの機能をひとつひとつ試しているようだ。かれは立ち上がり、ばらばらだった各機能を有機的につなぎあわせ、獲得し、身体の中で軋みを摩耗させていく。しかしその動きは逆に過剰にも振れる。また倒れては、いちからひとつひとつの機能を試す。

ここで横臥するかれの上に光の啓示がある。アンビエントな音楽が止まり、また此岸に戻ってくることで、音楽の存在感が露わになったりもした。かれはマットレスの背後に隠れ、倒したそれをひたすらに動かす。まるでシジフォスが岩を山頂に持ち上げ続ける苦行のように。

これは誕生の物語であり、人生そのものでもあるように思えた。オーディエンスは1時間、このプロセスを取り込み、凝視し続けた。

終わったあとで皆藤さんに聞くと、これはゼロから1へのコンセプトであり、そこには物質の質量に関与するヒッグス粒子も意識したということ。スタニスワフ・レム『ソラリス』においては海の中に創出される顔の部品が相互に噛み合わない違和感が書かれていたが、今回のステージは、そのような段階からの誕生と運命とが表現されたのかもしれない。次の日本公演にも期待大。

Nikon P7800

●皆藤千香子
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)


須川崇志『Outgrowing』

2019-02-16 22:17:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

須川崇志『Outgrowing』(Song X、2017年)を聴く。

Takashi Sugawa 須川崇志 (b, cello)
Leo Genovese (p)
Tom Rainey (ds)

強く印象深く感じるのは、三者三様の個性が同じフィールドに重ね合わされて、1+1+1=3以上の別の響きを生み出していることだ。別のものにはトリオならではの音風景も含まれる。

トム・レイニーを観ればわかることだが、意外なほどに豪快なドラミングだ。それは何かを絶えずドラムセットから叩き落とすようでもあり、そのことが、滞留する音を同じようにはじき飛ばし続けているのかもしれない。須川さんのベースとチェロは常にゼロと1との<間>にあって、それは単なる結果ではなく、力への信仰や大きな音への信仰を入念に排除し、流れをコントロールする紐を握り続けているように思える。レオ・ジェノベーゼもまた、ノリや継続性といった安寧には陥らない。

終わるとまた聴きたくなるのは、そういったことにより、簡単に何かに置き換えられないからだろう。

●須川崇志
本田珠也『Ictus』(2017年)
TAMAXILLE『Live at Shinjuku Pit Inn』(2017年)
須川崇志+ロッテ・アンカー+キャスパー・トランバーグ+ラース・グレーヴェ@下北沢APOLLO(2017年)
蓮見令麻@荻窪ベルベットサン
(2015年)

●レオ・ジェノベーゼ
エスペランサ・スポルディングの映像『2009 Live Compilation』(2009年)

●トム・レイニー
トム・レイニー・トリオ@The Jazz Gallery(2017年)
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
イングリッド・ラブロック+トム・レイニー『Buoyancy』(2014年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
マーク・ドレッサー『Unveil』、『Nourishments』(2003-04、-2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
サイモン・ナバトフ+トム・レイニー『Steady Now』(2005年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)
ティム・バーン『The Sublime and. Science Fiction Live』(2003年)
ティム・バーン+マルク・デュクレ+トム・レイニー『Big Satan』(1996年)


『けーし風』読者の集い(36) 沖縄のタネと農の行方

2019-02-16 20:52:12 | 沖縄

『けーし風』第101号(2019.1、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2019/2/9、秋葉原/御茶ノ水レンタルスペース会議室)。参加者は7人。

話題は以下のようなもの。

●種子法の廃止。農家は自前のものを使えず、毎年企業からタネを買わなければならない。それが大問題だとして、しかし一方では、自前のタネを準備することの大変さがある(時間、土地)。
●対象の「種子」には畜産まで含まれる。本誌にはさらりとしか書かれていないが(p.41)、本当ならば大問題。
●沖縄の在来種。ヤギ、鶏チャーン、今帰仁の健堅ゴーヤー、アグー(あぐーとは異なる)、ナーベーラー、オクラ、島大根(海辺の砂地で育つもので10kgくらいあるとか)、島バナナ。
●サトウキビ等のモノカルチャーの問題。琉球王国時代に遡る日本からの強制という歴史があり、これまで米国によるものだという雑な言説。
●日本は欧米でダメだしがされたものを無理に導入することが多い。遺伝子組み換え作物、原発、水道民営化。
●岸信介は周知のようにCIAのエージェントだったが、意外にも、アイゼンハワー大統領に対し、復帰に際し沖縄の基地を撤去してほしいと要請した史実がある。しかし拒否された。
●嘉手納弾薬庫からジョンストン島への毒ガス輸送(レッドハット作戦、1971年)(>> 
森口豁『毒ガスは去ったが』)。このとき枯葉剤も同時に運ばれていたのだが、最近のジョン・ミッチェルの取材により、米軍は枯葉剤を沖縄近海に投棄した可能性がある。
●沖縄での事故や犯罪はひんぱんに隠蔽される(選挙への影響回避等のため)。読谷村で米兵が住居侵入し、女子高生が妹を抱え窓から逃げた事件(2018/9/7)も、知事選への影響を懸念してか、当初は隠されていた。
●米軍は津堅島でパラシュート降下訓練を実施した(2018/11/20)。本来は伊江島に限られるはずの訓練であり、日米合意がはなから守られていない。
●糸数慶子引退。一方で社大党は参院選に向けて高良鉄美(琉大)に一本化。もとより党内での軋轢があったのでは。また「オール沖縄」が瓦解しつつあるのでは。
●衆院補選(2019/4/21)への屋良朝博の集票は、今後に向けた試金石になるだろう。しかしバックについている鳩山由紀夫が沖縄でのイメージを非常に悪くしており(外務官僚に騙されたと毎回言うのも自己防衛のようだ、と)、また、鳩山一郎による沖縄の捨て石発言も、高齢者の記憶に残っている。
●辺野古の県民投票。結局、三択になってしまった。「どちらでもない」に票が集まり、それが「声なき声」のように都合よく利用されることが懸念される。自民党の戦略は諦めムードの醸成であり、若い人は事実シニカルになっている傾向がある。
●辺野古の弱い地盤の問題。政府は杭を8万本打つと言うが、神戸空港は120万本。関空も同程度。また環境アセス法にも抵触(桜井国俊氏もそのように発言している)。
●マティス国防長官が辞任したが(2019/1/1)、次の候補のひとりは辺野古について「やめたほうがいい」と発言している模様。建設を急ぐのにはこの背景もあるのでは。
●辺野古埋立の土砂から放射性物質が検知されたとの報道。県は採石業者の立ち入り検査を要請しているが、土砂条例ではそれは命令ではない。福島から来たものである可能性はないのか。

参照
『けーし風』 


大野英士『オカルティズム』

2019-02-16 19:19:34 | ヨーロッパ

大野英士『オカルティズム 非理性のヨーロッパ』(講談社選書メチエ、2018年)。

著者には『ユイスマンスとオカルティズム』という大著がある。それは、19世紀の作家J・K・ユイスマンスが展開した世界をもとに、フランス革命による「王殺し=父殺し=神殺し」が、キリスト教のマリア信仰やオカルティズムを生み出したのだということを示すものだった。一見異端で禍々しく見えるものであっても、それらは歴史の因果関係において相互につながっている。

そのこともあって、本書を読むにあたり、ユイスマンスの悪魔主義の作品『彼方』(1891年)と、ノーマン・メイラーがそれをシナリオ作品にした『黒ミサ』(1976年)を読んで、オカルトへの熱狂に頭を馴らし、準備体操とした。しかし、本書の扱う範囲ははるかに広い。

17世紀のフランスにおいて、黒ミサが教会の異端審問によってではなく国家権力によって、またあやしげなものだった薬が国家管理の手に移された。これが権力構造の大転換だとしても、その後も、非理性・非科学は近代オカルティズムとして命脈を保ち続けている。ときには科学者たちが真剣に取り組む対象でもあった。現代のそれは「超能力」であったり、「超常現象」であったりとさまざまだ。

著者は歴史を遡る。16世紀ルネサンスのオカルティズムは、マクロコスモスとミクロコスモス、いろいろな相が「相似」であることを見出す言説に依拠していた。そしてもっと踏み込み、ルネサンスとは単なるギリシャ・ローマの世界の復興ではなく、古代魔術の復興に他ならなかったとする。掘り起こされた古代においては、ヘルメス・トリスメギストスの権威がかなり高く位置付けられていた(プラトンよりも)。ルネサンス魔術が招喚しようとする存在はヘルメス学だけではなく、力を降霊術によって呼び出すカバラーなど、さまざまなものがあった。魔女狩りは16世紀後半から荒れ狂うわけだが、悪魔崇拝とは、体系的な民間信仰が悪魔学のイデオロギーで歪められた結果であったのだ、とする。

その後、悪魔は、19世紀初頭のゲーテ『ファウスト』がそうであるように、真実味の乏しい意匠にまで転落した。だからと言って単なる時代的熱狂であったわけではない。19世紀を通じて、思想や宗教や生活は、科学の発展と非理性への憧れとの間で常に引き裂かれることとなった。19世紀に流行した「流体」信仰(プラスやマイナスの精神が人の間を行き来する)、聖母出現、心霊術は、その結果ということだろうか。また現代に至っても、その自我の引き裂かれが、人の数だけ存在する妄想的世界観として乱立している。

しかし、それは単なる現象ではない。著者の言うのは、この変遷や闘いや引き裂かれは、人間の欲望の反映だということだろう。

「キリスト教という、西欧にとって知的・「霊」的生活を律してきた啓示宗教が、唯物主義、進化論等、近代そのものともいえる「世俗化」によって、命脈を絶たれた後、なお、死後の生を信じ、霊魂の不滅を信じるために、唯物主義・進化論を作りだした主導思想である「実証科学」を逆手にとって、なおも、「宗教」を持続させたいという人々の意志が、近代オカルティズムを現代まで行き延びさせているとはいえまいか?」

ところで、ユイスマンスは『彼方』を発表した後、ユダヤ陰謀史観をはっきりと打ち出すようになったという。ここにきて、オカルティズムとホロコーストとの関係が少し見えてきて、慄然とさせられる。19世紀オカルティズムの行き着いた先には、「陰謀論」も「全体主義的社会」もあったのだ。それさえも単なる反動ではなく、欲望のひとつのあらわれであった。

●参照
大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』
J・K・ユイスマンス『さかしま』
グッゲンハイム美術館のマウリツィオ・カタラン「America」、神秘的象徴主義、ブランクーシ


柳沢保正『カメラは時の氏神』

2019-02-16 11:58:20 | 写真

柳沢保正『カメラは時の氏神 新橋カメラ屋の見た昭和写真史』(光人社、2008年)。

ウツキカメラの創業者・宇津木發生氏への聞き書きである。著者の柳沢保正氏にはクラシックカメラ関連の著作が何冊かあり、『暗いっくカメラと遊ぶ』など愉しく読んだ。

話はあれこれ広がるのだが、戦後の国産カメラメーカーの事情はとりわけ面白い。アイレスは韓国人起業家がはじめたこと、その技術的な限界。対照的にミランダのオリオン精機は航空工学の専門家が立ちあげて技術的にかなり高いレベルにあった。

それにしても中古カメラ店がこの十年、二十年でどんどん消えていったことに、あらためて愕然とする。ウツキカメラ、新橋の大庭商会、神保町の太陽堂、新宿のダックビル、渋谷のKing-2、秋葉原のアプコラボ。そのきっかけはデジタル化であり、ネットオークションであった。しかしその一方で、東京に新しいお店も出てきている。


古田徹也『言葉の魂の哲学』

2019-02-15 00:39:15 | 思想・文学

古田徹也『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ、2018年)。

まずは、中島敦「文字禍」とホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」という、ゲシュタルト崩壊を扱った小説が取り上げられる。現実との距離感が揺らぐ現象として、おそらく多くの人がいちどならず感じているだろう。

しかしこのことは、言葉が伝達手段として脆弱だということを意味するものではない。著者はヴィトゲンシュタインを引用しながら、言葉の相互連関、またその連関から、類似しつつも異なる別の言葉を模索し「しっくりくる言葉を選び取る」という実践の大事さを説いている。すなわち、「一つ所に留まらず、いわば次々にアスペクトを渡っていくことではじめて、言葉の輪郭というものを捉えることができる」というわけである。

そしてカール・クラウスの言語論により、言葉とは「わたし」に他ならないことが示される。ここで重視されるのは、言葉による伝達よりも言葉の形成である。言葉とは意のままにならない。その自律性こそが、言葉を選び取るという実践を通じた創造であり、必然の発見でもある。そしてそれは責任でもあるとする。逆に言えば、常套句を安易に反復することは自分の責任を軽視しているということに他ならない。これはとても重要な指摘である。何も首相や官房長官の空疎な常套句のことを思い出すまでもない。

「根源に近づけば近づくほど、戦争から遠ざかるのだ。もしも人類が常套句をもたなければ、人類に武器は無用になるだろうに。」(クラウス)


蓮見令麻<COSMIC SOUNDSCAPE>@公園通りクラシックス

2019-02-13 23:51:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

渋谷の公園通りクラシックス(2019/2/13)。

Rema Hasumi 蓮見令麻 (p, vo)

小さな音からはじまったソロピアノだが、やがて、突然のドローンが介入する。驚いた。ピアノの響きがコントロールされ、ドローンの響きと重なり、ある部分が増幅され、また全体として別の響きを生み出したりもする。ある部分では、アリス・コルトレーンの切ない濁りの影が横切った。

そして気が付くとピアノだけが残されている。霧の中で夢を視ているような1時間。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●蓮見令麻
Seshen x 蓮見令麻@喫茶茶会記(2017年)
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)
蓮見令麻@荻窪ベルベットサン(2015年)


すずえり@Ftarri

2019-02-12 00:07:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2019/2/11)。

suzueri すずえり (prepared p, self-made instruments)

奇妙な器械や奇妙な馬やメトロノームが定期的に音を立てる。おもちゃのピアノが本物のピアノに連動し、ある鍵盤が定期的に強く叩かれる。灯りもなにやらの法則で点いたり消えたりする。それらが可愛い連中であるだけに悪夢がわけのわからないものになっている。

当のすずえりさんはというと、せわしなくそれらを世話し、ピアノを弾き、なにやらを心配する。いつの間にかざわめきのレベルが上がっていて、それに直接には気が付かない面白さ。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●すずえり
すずえり+大城真『Duo』(2018年)
ジョン・ラッセル、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ、すずえり、大上流一、石川高、山崎阿弥@Ftarri(2018年)
角銅真実+横手ありさ、田中悠美子+清田裕美子、すずえり+大城真@Ftarri(2018年)
フタリのさとがえり@Ftarri(2018年)
Zhao Cong、すずえり、滝沢朋恵@Ftarri(2018年)
ファビオ・ペルレッタ+ロレンツォ・バローニ+秋山徹次+すずえり@Ftarri(2017年)
すずえり、フィオナ・リー『Ftarri de Solos』(2017年)


照内央晴、荻野やすよし、吉久昌樹、小沢あき@なってるハウス

2019-02-11 23:13:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウス(2019/2/11)。

Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Yasuyoshi Ogino 荻野やすよし (g)
Masaki Yoshihisa 吉久昌樹 (g)
Aki Ozawa 小沢あき (g)

ピアノの照内央晴さんの企画により、ガットギター3人衆が集まった。なんでもギタリストはお互いにライヴであまり顔を合わせることがないそうで(それはそうか)、その意味でも興味深い企画。

最初は全員の演奏、次に、小沢あき、荻野やすよし、吉久昌樹の各氏と照内さんとのデュオ。そしてギタリスト3人のトリオ。

こうして聴くと、ギタリストの個性の違いが浮かび上がってきて面白い。小沢さんは長い指をしならせて弦を弾き、また、それと相似形のようにギター全体を動かして、鞭や翼を思わせる。荻野さんは抽象度が高く、蒸留された音を繰り出し、その強度の強さゆえ、音が空中の一点との間でびしりと統率されているかのように感じられる。吉久さんは乾いた音であり、一音一音も旋律も、何かの記憶とつながっているような印象がある。ユーモアもある。

そして照内さんは各々の個性に呼応した。特に意外だったのは、吉久さんとのデュオのときに、ペダルに届かないよう箱の上に足をのせていたことだ。あとで訊いてみると、吉久さんのやや乾いた音のこともあり、あまり響きによるアプローチをしたくないための枷だった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●照内央晴
照内央晴+方波見智子@なってるハウス(2019年)
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+吉本裕美子+照内央晴@高円寺グッドマン(2018年)
照内央晴+川島誠@山猫軒(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
Cool Meeting vol.1@cooljojo(2018年)
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)

●荻野やすよし
鈴木ちほ+荻野やすよし(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2018年)


片倉真由子@Body & Soul

2019-02-08 01:01:19 | アヴァンギャルド・ジャズ

南青山のBody & Soulで、片倉真由子レコーディングライヴ(2019/2/7)。

Mayuko Katakura 片倉真由子 (p)
Yasuhiko "Hachi" Sato 佐藤 "ハチ" 恭彦 (b)
Gene Jackson (ds)

冒頭の長いソロ、オリジナル「Echo」なのだが、たとえば「Nefertiti」のような断片も影のように現れ、いきなり惑わされる。そのままトリオで「Secret Love」に移行した。続くオリジナル「Monk's Walking」はスピードも旋律もモンクらしい感覚であり、ベースがぶんぶんとよく唸る。横から彩るピアノ。「Ruby, My Dear」(モンク)でも長いピアノソロからトリオへ、ジーン・ジャクソンのブラシが見事。片倉さんのピアノは慣性をもって縦横に滑る。

ここでなぜか片倉さんはデイヴィッド・ブライアントの話をした。彼のピアノ演奏の影響は最近すごいものがあるそうで、実際、NARUでもSatin Dollでもお互いにシットインする良い場面を目撃したばかりである。確かに以前、レイモンド・マクモーリンと片倉さんのデュオを観た帰りに駅まで歩きながらデイヴィッドの話をしていると、片倉さんも、自分も好きだと言った。

そのことと関係あるのかどうか、「Pinocchio」(ショーター)。この三者での疾走ぶりは、『The Echos of Three』での同曲の演奏を凌駕している。ジーンのドラムソロを凝視し続け、またおもむろにトリオに戻る片倉さん。複雑な三者の差し手争いは、巧妙な細工箱を思わせた。

セカンドセットは「Unconditional Love」(ジェリ・アレン)から。同じフレーズの繰り返しがジェリ、そこからピアノとベースとがいきなりハモる気持ちよさが半端ない。勢いに乗った片倉さんは知的な官能性を発揮し、そのプレイに千手観音を幻視した。続くオリジナル「A Dancer's Melancholy」におけるジーンのシンバルワークは素晴らしく、シンバルそのものがUFOのようにこちらに向かって飛んできた。かれのヘヴィ級の迫力あるドラミング、それとは別の文脈で拮抗するピアノの強度。「Land of Nod」(アンドリュー・ヒル!)ではヒルらしい抽象的で幻惑させられる音の流れ。

「Embracable You」はハービー・ハンコックにインスパイアされてのジェリ・アレンのアレンジをもとにしているとのことで、ここでも素晴らしい知的官能に聴き入ってしまう。「Inception」(マッコイ・タイナー)、そしてアンコールはピアノソロ(エリントン曲だったか)で締めた。

先日のライヴで客席から「モンスター」との掛け声が飛んだ。まさに。

●片倉真由子
レイモンド・マクモーリン@六本木Satin Doll(2019年)
ジーン・ジャクソン@御茶ノ水NARU(2019年)
レイモンド・マクモーリン@御茶ノ水NARU(2019年)
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
レイモンド・マクモーリン+片倉真由子@小岩COCHI(2018年)
ジーン・ジャクソン・トリオ@Body & Soul(2018年)
北川潔『Turning Point』(2017年)

●ジーン・ジャクソン
レイモンド・マクモーリン@六本木Satin Doll(2019年)
ジーン・ジャクソン@御茶ノ水NARU(2019年)
レイモンド・マクモーリン@御茶ノ水NARU(2019年)
レイモンド・マクモーリン『All of A Sudden』(2018年)
ジーン・ジャクソン・トリオ@Body & Soul(2018年)
ジーン・ジャクソン(Trio NuYorx)『Power of Love』(JazzTokyo)(2017年)
オンドジェイ・ストベラチェク『Sketches』(2016年)
レイモンド・マクモーリン@Body & Soul(JazzTokyo)(2016年)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)
松本茜『Memories of You』(2015年)
デイヴ・ホランド『Dream of the Elders』(1995年)